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4/11

初仕事と梅シロップ

 1

「初めまして、日野くん。」

 6月の初め、想太は幸佑に連れられ、ものすごいお屋敷を訪れていた。

 窓から見える庭も、綺麗な座敷も、まるで旅番組で観たことのある、有名旅館のようだ。

「は、初めまして。」

 幸佑がコーヒーを淹れに立ってしまったので、想太は今座敷に、この屋敷の主人の「藤代先生」と二人、取り残されている。茶道の先生だという藤代は、淡いクリーム色の着物に真っ白な髪を緩く纏めていて、それがなんとも様になっている。祖母を思い出させる優しげな目元からは、深い考えが垣間見えた。

「足、崩してね。」

「あ、はい。ありがとうございます。」

かちこちに緊張している想太の様子が面白かったのか、藤代は口元に手を当てた。

「ふふ、幸佑くんには、私のこと、何か聞いているかしら。」

「えっと、幸佑さん達のおばあさんのご友人で、今もとてもお世話になっている方だと。」

「いやだわ、お世話だなんて…。みっちゃんとは、それこそ娘時代からの付き合いなのよ。2人とも小さい頃から見える(たち)だったものだから…。

 …想太くんも、最近見えるようになったのよね。」

「はい。幸佑さんとすみちゃん達に助けて貰いました。」

「驚いたでしょう。幸佑君のところで、『絵』を習っていると聞くけれど…。こんなことに関わって、怖くはないの?」

「怖いことは怖いですけど…。少しでも、助けて貰った恩返しがしたいって気持ちの方が強くて…。それに…。」

想太の脳裏に、何度も思い返した、あの夜の記憶が蘇った。

「凄く、怖かったはずなんですけど、それ以上に綺麗で…。」

「綺麗?」

「はい。自分でも少し、変なことを言っていると思います。ただ、あの夜のことが、頭から離れないんですけど、それは怖いからじゃなくて、寧ろ、綺麗だって…。」

「…そう。想太君は、そう感じるのね。私は、それだって良いと思うわ。

 …ただ、私たちの多くは、本当に小さな頃から、あれらが見えてね。その分、怖い思いや辛い思いをして来た人が多いの。だからできるだけ距離を置こうとするし、近づきすぎる人が心配なのよ。

 私たちが『オガミヤ』と言う呼び名を使っていることはご存知かしら。」

「いえ、初めて聞きます。」

「元々『オガミヤ』というのはね、頼まれて祈祷やまじないをする人のことを言うんだけど、私たちにはちょうど良い呼び名がなかったものだから、借りさせて貰っているの。 

 …自分たちと同じように、すだまの被害に遭っている人たちの情報を集めるためにね。

 私の役目は、集めた情報を、相応しいオガミヤに回すこと。あまり無理なのは引き受けないようにしているんだけど、それでも危険がないわけではないし、辛い思いをして引退する人も少なくないのよ。

 貴方がこの世界に関わったら関わっただけ、きっとそういう危険が増えていく。貴方はそれでも大丈夫かしらって、きっと幸佑くんは心配しているんだわ。」

「大丈夫かは分かりませんけど…。」

想太は手に取った湯呑みに目を落とした。すみも幸佑も、ことあるごとに、自分にこのまま続けるか確認する。まるで何かを心配しているようなあの問いは、つまりはそう言うことだったのか。

正直想太も、大丈夫かどうかなんて分からない。でも、

「今更、無かったことにはできません。」

「…そう。そうよね、想太君が言う通りだわ。」

頷いた藤代の顔は、どこか悲しげだった。

「最後に、もうひとつだけ、良いかしら。」

「はい。」

「すみちゃんや幸佑君のことは好き?」

「はい。」

「…ありがとう。日野君。お話しできてよかったわ。…それから、色々言ってしまってごめんなさい。」

 藤代は、今度こそ満足そうに頷くと、襖の外に声をかけた。

「もう良いわよ、幸佑くん。コーヒーが冷めちゃうわ。」

すると幸佑が、気まずそうな顔で襖を開け、入って来た。手にはコーヒーカップと、水菓子の乗った盆を持っている。きっと少し前から襖の前で、入ろうか入るまいか、迷っていたのだろう。

「…すみません。」

「あら、お茶請けまであるの?」

「すみが作った梅ゼリーです。去年頂いた梅のシロップで作ったんですよ。」

「ありがとう!今年の梅も庭師さんたちが纏めてくれたから、納屋に置いてあるの。よければ貰ってくれるかしら?」

子どものようにはしゃぐ藤代に、幸佑は苦笑した。

「なんだか催促したみたいになっちゃいましたね。」

「年寄り一人じゃ使い切れないのよ。」

「ありがたくいただきます。」


 帰りの車内は、梅の甘酸っぱい匂いと、気まずい空気で充満していた。

「…直接聞いてくれればよかったのに。」

「すまん。」

「そんなに危なっかしいですか?」

「いやそう言うわけじゃないんだが、…なんて言えばいいかな…。

 オガミヤをやっている連中ってのは、他に選択の余地がなくて、そうなっている奴が殆どなんだ。物心つく頃から見えて、対処法を身につけていくうちにオガミヤの仕事もするようになって、気がついた時には、今更辞められないとこまできてた、って感じでな。

でも、想太君はまだ、選ぶことができるんじゃないのか、そう思ったら、そのままにしておけなくてな…。」

「…俺だって、今更辞められませんよ。

 あんなものを見て、すみちゃんやゆきさん、幸佑さんに助けられて、今更何も無かったことになんて、できるわけないじゃないですか。」

勢いで言ってしまってから、想太は俯いた。

自分は別に、恩人を困らせたいわけじゃないのだ。ただ少しでも助けになりたい。それだけなのに…。

「…すいません。生意気なこと言ってしまって。」

「いや、想太君の言う通りだ。」

その後は、気まずい沈黙のまま、2人は喫茶猫森に帰り着いた。


段ボールいっぱいに詰まった梅を見て、すみは目を輝かせた。

「立派な梅!ちょっと待ってて、洗ってザルにあけるから、2人は水気を拭いて、ヘタを取っちゃって。」

「今からか?」

「傷まないうちの方がいいでしょ。瓶も去年のがちょうど空いたし。梅洗ったら、氷砂糖買って来ちゃうから。」

 いつになく強引なすみに押し切られるようにして、想太と幸佑はキッチンテーブルについた。

 すぐさま、ザルに山盛りの梅が目の前に置かれる。

 黙々と竹串で梅のヘタを突いているうちに、気まずい空気も薄まってきて、想太は口を開いた。

「そう言えば、オガミヤ?の仕事って、幸佑さんもやってるんですよね?」

「あぁ。月1、2件だけどな。」

「すみちゃん達も?」

「…あぁ。」

「…俺も、連れてってもらえないでしょうか?」

「それは!…護身術の域を超えてるぞ。

 想太君がそこまでする必要はない。」

「俺が六花の扱いを教えてもらいたいと思ったのは、自分の身を守れるようになりたかったからです。

 でもその自分の中には幸佑さんやすみちゃんたちのことも入っていて…。生意気言ってると思うけど少しでも役に立ちたいんです!」

 幸佑の目は、暫く迷うように揺らいでいたが、やがて腹を決めたように、しっかりと想太を見据えた。

「…分かった。考えとく。」


 2

 「今日からは、これを読んでもらう。」

 次の稽古で、想太は画帳とノートの束を手渡された。

 ページを捲ると、あの夜に見た、見事な筆使いで、虎や狼、龍の絵が、描かれている。

「これ、すだまを封じ込めたものですか。」

「いや、封じ込めたものは、神社でお焚き上げしてもらってる。

 これは記録用の写しだ。ここに日付が入ってるだろ。」

 幸佑の指が、画帖の右端を叩いた。

「こっちのノートにはその時の状況を書き付けてある。いわば、カルテみたいなもんだ。似たような症状が出た時に対処できるように。」

「症状…。」

 ノートを捲ると、右端に日付と時間、その下に、どこでどんな人が被害にあったのか、症状はどのようなものか、どのように散らして、どのようにして封じたのかが、びっしりと書き込まれていた。

「どんなことをするか、あらかじめ知っておいて欲しいんだ。」

「ありがとうございます!」

初めて幸佑に認められた気がして、想太の声は跳ねた。


 1ページ1ページ、びっしりと書き込まれたノートを読み進んでいく。

 「月2、3件」と聞いていた依頼の数も、実際に見てみると、その重みが全く違った。

 何より「障り」で現れる症状の異様さをが目についた。

 「声が出なくなって3日。」「突然両手足が動かなくなる。」「全身に謎の激痛。」「異常に怒りっぽくなり、独り言が増える。」「高熱が続く、解熱剤も効かない。」

 …連れて行って欲しいだなんて、安易に考え過ぎていただろうか。

 自分が同じような目に遭う覚悟があるかと聞かれれば、勿論無い。こんな目に遭っている人と向き合う自信だって今の想太には、無かった。

(でも、それはすみちゃん達だって、きっと同じだ。)

弱気になる気持ちを奮い立たせて、ページを捲るうち、ふと気になったことを幸佑に尋ねてみる。

「封じる絵は、なんの絵でもいいんですか?」

「『封じとる』イメージが出来ればなんでもいい。俺は生き物がイメージしやすくて好きだが、水や風なんかが得意なやつもいるし、司みたいに漢字を使うやつもいる。」

「確かに、漢字を使ってました。」

「早撃ちできるし、準備もし易い、便利な技なんだが、直線的になりやすいのが難点かだな。」

「そうだったんですね…。」

「どうだ。やれそうか。」

「やれそうかどうかは、正直まだ分からないですけど。…やってみたいです。」

「…次の月曜に、依頼を受けているんだけど…。一緒に行くか?

別に今回じゃなくて良いし、行かなくても構わないけど。」

「いえ、行きます。行かせて下さい。」

「じゃあ放課後、着替えを持って店まで来てくれ、できるだけいつもと違う格好が良い。」

「いつもと違う格好?」

いきなり思いがけないことを言われ、想太は首を捻った。

「街中で依頼人とばったり遭って、あ、この間は‥みたいなことになりたくないだろ?

 ちなみに俺は何回か経験してるけど。」

うまく想像できないが、気まずいことは間違いなさそうだ。

「えっと…。何か考えてきます。」


 次の月曜日、想太はよくよく打ち合わせてこなかったことを後悔していた。

「3人揃って伊達眼鏡って怪しくないですか。」

 運転席の幸佑に訴えるが、全く取り合って貰えない。

「どんな格好して行っても、やること自体が怪しいんだから同じだろ。気になるなら駐車場から依頼先の家まで、想太君だけ、少し離れて歩けばいいじゃないか。」

 そういう幸佑は、髪をオールバックにしてグレーの背広姿と、想太が見たこともない格好をしている。

 すみはフリルのついたブラウスに、髪をエクステで伸ばしているので、だいぶ印象が変わる。

 想太も色々考えはしたが、結局何も思いつかず、激安の伊達メガネを購入し、あとは無難な服装に落ち着いていた。

 幸佑の話は続く、

「依頼は河野綾さん。20代の女性からだ。一月ほど前から、皮膚に刺すような痛みを感じるが、皮膚科でも他科でも原因が分からず、祈祷を頼みに行った神社から、先生の所に連絡がいったらしい。」

「そういえば、神社とは協力しあってるんですね。ちょっと意外です。迷信とか言われそうなのに。」

「神社の中でも、伝承された話が残っているんだろうな。俺たちはこうして情報を貰ったり、すだまを封じた絵をお焚き上げして貰ったりするけど、代わりに神社周辺の見回りをしたりするから、案外持ちつ持たれつなんだよ。」


 綾の部屋は、ごく普通のアパートの一室だった。だが、明るいうちから、部屋中のカーテンを閉め切っていることに、どこか異様さを感じる。

「ごめんなさい。陽の光が当たると余計痛む気がするんです。」

 げっそりとやつれた綾の姿を見て、想太は思わず声をあげそうになった。

 綾の腕といい顔といい、露出している肌の全てに、痛々しい黒いシミが滲んでいたからだ。

 想太の表情を見た綾は、力なく微笑んだ。

「見えるんですね…。」

苦しんでいる人、ましてや女性に対して、失礼な態度をとってしまったと、想太は俯いた。

「すみません…。」

「いいんです。むしろ嬉しいくらいです。皮膚科にも内科にも、精神科に行ったのに、どの先生にも、何も見えないって言われて…。こんなに痛いのに!もう私おかしくなりそうでっ!」

「大丈夫ですよ、河野さん。一旦おかけになってください。立っているのも辛いんでしょう?」

「ありがとうございます…。」

 幸佑の言葉に礼を言い、ソファに腰掛けるた綾だったが、余程辛いのだろう、目に涙が滲んでいた。

「藁にもすがる思いで神社に行ったら、少しだけ楽になって…。ご祈祷を受けた時に、神主さんに相談したんです。そうしたら、『専門家を紹介する』って言ってくれて…。」

 そこで綾は不安そうにちらっと幸佑の顔を見た。

「あの、専門家って…一体何の?」

「民間療法の一種です。体内の毒素を取り出すのですが、不思議とこちらの方が、良くなる方もいらっしゃるんですよ。

 失礼しました。私、白波神社さんのご紹介で来た染井といいます。」

「取り出すってどうやって…。」

「日野君、ランタンを出して。」

「え、はい!」

 慌ててランタンを描き出す。ランタンは神社で六花を集めるために何度も描いているので、焦ってもすんなり描き出すことができた。

「河野さん、手をお借りしますね。」

 幸佑は綾の手を握ると、想太にもっと近づくよう促した。

 促されるままに綾の腕にランタンを近づける。絵の炎なので熱くないことはわかっているが、ヒヤヒヤする。

 徐々に火を近づけていくと、肌の上のシミが、明かりを避けるように、ジリジリと後退し始めた。

(あ、これ、すだまだ。)

「キャッ!」

 綾が悲鳴をあげ、身を捻ったが、幸佑は微動だにしない。一番近くのシミを指で押さえ、指先で摘むと、スルスルと綾の腕から引き剥がし始めた。

 剥がしとったすだまは、絵に描いた瓶の中へと詰めてゆく。

 それからおよそ30分、想太はランタンを掲げ続け、幸佑はすだまを剥がし取り続けた。

 全てのすだまを取り切った時には、3人ともぐったりとしていた。特に綾は、これまでの心労が一気に出たのだろう。

「…すごいです、ほんとに、痛くない…。」

 それだけ言うと、気絶するように眠ってしまった。もしかすると痛みでまともに眠れていなかったのではないだろうか。

 二人がかりでベットに運び、呼吸がしっかりしていることを確認する。後は藤代家に連絡して、二人はそっと部屋を後にした。

部屋を出るなり、スルッと白い影が幸佑の足に絡みついた。ゆきだ。

「幸佑、終わったの?こっちも見つけたよ、吹き溜まりのありそうな場所。」

 

 ゆきに案内されたのは、本当にアパートの目と鼻の先、庭に生えた一本の木のもとだった。

 木の下にすみが立っている。

 もう随分と古い木なのだろう。立派な枝ぶりだが、葉が一枚もなく、枯れてしまったように見える。

「ほらこの木の肌…。」

 すみが指差す先を見ると、点々と黒いシミが浮き出ていた。

 すみがシミをつつくと、指がそのままズブズブと沈んでいく。

「ここが狭間(はざま)とつながってる。多分すだまの吹き溜まりもこの中だと思う。」

「そうだな。…すみとゆきさんはここで待機していてくれ。今回は俺と想太くんが行く。」

 すみが頷くと、幸佑は、すみに降り積もった六花を一握り掬い取り、紐を描き出した。

その端を、すみに手渡す。

「念の為、この端持っていてくれ。」

「分かった。二人とも気をつけて。」


3

「何だか初めて入った時と、全然違います。」

 狭間の中に降り立って、想太が最初に感じた印象だった。

 前回狭間に入った時は、まるで大きな流れに飲み込まれたようだったが、今回はまるで、深い森の中にいるようだ。

 ただし、枯れ果てた森だ。

 暗闇の中、葉の一枚もなく、黒々とした木々がどこまでも続いている。

「ここは夢と現の狭間と言われている。そのせいか、ひとつとして同じものはないんだ。恐らく人の記憶や夢に影響されているんじゃないかって話だが。…いるな。」

 幸佑が掲げたランタンで、暗がりの奥を指し示した。

 耳を澄ますと、何か巨大な獣が、唸っているような声がする。

「俺が引きつけるから、想太君は、とにかく攻撃を当ててくれ。崩れた所を封印する。」

「分かりました。」

 幸佑がランタンの両端を掴んで引き伸ばすと、その手には光でできた弓が現れた。そのまま矢をつがえ、ぎりぎりと引き絞る。

 ヒュンッ

 矢が暗闇の中へと吸い込まれていった途端、凄まじい咆哮が二人の耳を劈いた。

(とにかく当てる、当てる…。)

 恐ろしく大きなものがこちらに向かってくる。

(当てる!)

 想太の筆先から飛び出た白虎は、真っ黒な毛の塊に飛び掛かると、それを食いちぎり、引き裂いた。

 「お見事。」

 そう言って、幸佑がその残骸を封印した瞬間。

 黒一色だった世界が、極彩色に塗り変わった。

 木々が息を吹き返し、次々と蕾が膨らみ、紅、白、桃色の花が咲きこぼれる。甘い香りが、辺り一面に、立ち込めた。

 空はまるで、どこまでも落ちていってしまいそうなほど、透き通った青色だ。

「…凄い。」

 その美しさに呑まれた想太は、幸佑に促されるまで、ただただその景色を見つめていた。


 その後も、ぼうっと夢見心地でいた想太の頭がはっきりしたのは、鼻先をコーヒーの香りがかすめた時だった。

 はっとすると、幸佑とすみが、こちらを見ている。

 テーブルの上には、3人分のコーヒーと、パウンドケーキ、ジャムの瓶が用意されていた。

「大丈夫か。」

「初めてで疲れたかな。」

 心配そうな二人の様子に慌てて首を振る。

「すみません。大丈夫です。ちょっとぼうっとしちゃって。」

「食欲ありそうか?よかったら、これ食べて。梅ジャムのパウンドケーキ。」

「いただきます。」

 かぶりついた途端。甘酸っぱい生地が崩れ、じんわりと口の中に広がっていく。体の奥に温かさが戻ってくるような気がした。

「依頼があった後は、こうやって、何か食べるようにしてるんだ。」

 幸佑が微笑んだ。

「気持ちが、戻ってくる気がするだろ。」

「…はい。…何だったんでしょうか、あの、狭間の中で、急に色がついて…。」

「多分あれが、本来の姿なんだろう。すだまが憑くと、あの木みたいに、その生き物の生命力が損なわれるんだ。すだまを封印したことで、あの空間の生命力が戻って来たんだろう。」

「空間の生命力…。」

「想太、パウンドケーキ、もう一枚食べる?」

「あ、うん、ありがとう。凄く美味しいよこれ。」

(何だか、幸佑さんたちが食べることを大事にしている理由が、分かった気がする。…あんな美しいものを見ていたら、戻ってこれなくなりそうだ。)


 その夜から、想太は幸佑に倣って、ノートと画帳をつけはじめた。

 20代女性。肌に原因不明の痛み、病院では原因わからず。

 皮膚に黒い斑点(見える人は一部)

 ランタンの火で炙り出し、封じる。

 庭の梅の木に通じる狭間に吹き溜まりあり。

 獣のようなすだまを虎の絵で散らし、封じる。


 封印はしなかったので、手元に虎の絵は残らなかったけれど、できるだけよく思い出して筆を走らせる。

 それからもう一枚、どうしても描きたいものがあり、スケッチブックを取り出した。

 白、桃色、紅、色鮮やかな梅畑が、真っ青な空の下、どこまでも続いていく。

(やっぱり自分の感覚は、他の人と少しばかりズレているのかもしれない。)

危険に身を晒した恐怖よりも、美しい景色に出会えた喜びが、ずっと大きい。

夜が更けるのも忘れて筆を動かした想太は、翌朝のジョギングの時間を寝過ごし、すみに謝罪のメッセージを送るのだった。


第5話 修学旅行とコーヒーゼリー に続く

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