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喧嘩友達とコーヒーフロート

 1

 まるで知らなかった世界に出会って約半月、意外にも、想太の毎日に、大きな変化はない。

 変わったことといえば、朝夕にジョギングをするようになったことと、「六花」を操る稽古を始めたことくらいだ。

 幸佑によると、六花を操って絵を描くよりも、あらかじめ描いた絵に六花をこめる方が、扱いやすいらしく、想太もそこから訓練を始めていた。ー

(すみちゃんが、カケルの絵に魂を吹き込んだのも同じことなのかな?)

 あんな凄いこと、自分にはとてもできる気がしないのだが。

 また、幸佑にはこうも言われていた、

「すだまに遭遇したら、神社か寺に逃げ込め。戦おうなんて気起こすなよ。」

 神社や寺には祈りや願いの欠片である六花が溜まりやすく、その分、すだまも近寄りにくいのだという。

 そんな幸佑の言葉を聞いたゆきが、

「でも想太は足が遅いから、逃げ切れないんじゃないか。」

 と口を出し、訓練にジョギングが加わったのだが、意外なのは、すみが協力を申し出てくれた事だった。

 初夏の日差しが、まだ柔らかな朝、商店街の外れにある「猫森稲荷」の境内に着くと、想太は大きく深呼吸して足を止めた。

 火照った顔に風が心地よい。毎朝、カケルの散歩をしていたので、早起きは全く苦にならないが、やはり、歩くのと走るのでは勝手が違うのか、足の裏とふくらはぎが痛まなくなるまでに、2週間かかった。

 腕時計に目を落とすと、6時を回った所だった。そろそろすみが合流してくる頃だ。

 想太がジョギングを始めた時、

「私も朝夕走っているから、途中で落ち合わない?六花の扱いも、少しなら教えられるし。」

 とすみが提案してくれたのだ。

 どういう風の吹き回しだ、と幸佑は驚いていたが、すみは、新しい友人を歓迎する気持ちがあるようだった。

「おはよう、想太。」

 駆け寄ってくる姿に、笑顔で返す。

 猫森稲荷は、ジョギングコースにちょうどよく、かつ「六花」で溢れているのも、訓練にちょうどよかった。

 早速今日の成果ー六花をこめた猫の絵が、白い頁の中で飛び跳ねているーを見せた。

 すみは「可愛い」と褒めてくれたが、なかなかこれより先に進まないのが悩みだ。

「ごめんね。毎日付き合って貰ってるのに。」

「ううん。でも、想太はあの後、一度も見ていないんだよね。」

「うん。今のところ。」

「なら、このまま見えないかもしれないしさ、続ける?」

 想太が関わることに、本心では納得がいっていないのか。すみは時々こうして、訓練をやめないか、聞いてくることがあった。

 それが想太には少し癪だった。確かに危険にはできるだけ近寄らない方が良いだろう。

(でもそれなら、すみちゃんだってどうなのさ。)

 この濁った思いを悟られたくなくて、想太は、空を見上げた。

「うーん。でも、もう少し、続けてみようかな。本当に見えないことが分かったら、決めれば良いし。それに自分が描いた絵が動き出すのって、凄くわくわくするんだよ。」

 話していて、ふと凄いことを思いついた。

「ねぇ、すみちゃん。もしかして漫画家さんやアニメーターさんが、六花を使ったら、最強なんじゃないかな。」

「画家やイラストレーターもね。それ、幸佑も言ってたよ。

 でも、もし六花を使えたら最強なんじゃないかな。おばあちゃんも言ってた。『上手い下手よりも、どれだけそれが生きているように描けるか、が大事』なんだって。『どんな声で、温度で、重みで、手触りで、そういったこと全てが思い描けて初めて、絵は動き出す。』って。」

「そうすると、俺は、まだまだ修行が必要そうだね。」

「想太は一度できているから、すぐできるようになりそうだけど。」

「え?だってあれはすみちゃんが…。」

「私は六花を流し込んだだけ。あの絵は、いつ動き出しても、おかしくなかった。」

「…ありがとう。」

 すみの評価が嬉しく、想太はずっと気になっていたことを切り出してみた。

「…すみちゃん、あのさ。」

「ん?」

 小首を傾げる仕草は、本当に愛らしいと思う。

「すみちゃんは、どうしてこんなに、色々手伝ってくれるの?」

「うーん。…新入りの猫を、古株が面倒見る感じかな。」


 2

「あっはっは。そりゃ斬新な振られかたしたな。」

 次の月曜日、訓練の成果を見てもらいながら、幸佑に「新入りの猫」発言について話すと、思い切り笑われた。人の良い笑顔が、今は少しばかり憎たらしい。

「別に振られた訳じゃないですよ。告白した訳でもないし。」

「そうだったな。ごめんごめん。」

 謝る幸佑の口元が、まだ小さく震えていたのを、想太は見逃さなかった。

「思い描くって点で言えば、想太君は、犬が一番得意なんじゃないかと思うんだけど、訓練に使わないのは、何か抵抗があるのか?」

「うーん、やっぱり戦うためにって思うと、ちょっと嫌なのかもしれません。」

「そうか。…なら、狼とか虎とか、強くてあまり身近じゃない動物でやってみたら良いかもしれないな。必要な情報は調べれば良いし。」

「試してみます。」

 そう答えた時、幸佑のスマホが鳴り出した。

「?…ちょっとごめんな。」

 着信画面を見て、訝しげな顔をした幸佑だったが、直ぐに席を立つ。

「もしもし。…なんだ、司か。どうした?…は?捕まった?なんで?…いや、なんで俺なんだよ。…はぁ、分かった。かわってもらえ。…もしもし。うちの馬鹿が申し訳ありません。はい、直ぐ迎えに行きますので…。本当に申し訳ありません。はい、失礼します。」

 通話を切り、天井を仰ぐ幸佑に、恐る恐る声をかける。

「どうしたんですか?」

「あー。知り合いの不良少年が補導された。あの馬鹿、保護者の連絡先聞かれて、俺の番号教えたらしい。」

 話しているだけで嫌になってきたのか、高い背がしおしおと丸まっていく。

「その場合、幸佑さんが引き取りに行っても、良いんですかね。」

「だよなぁ。でも、話した感じだと平気そうだったな。大方すだまを追っかけて、他人様の庭にでも入っちまったんだろうな。あぁ、めんどくせえなぁ。でも放っとくと、困んのはお袋さんだしなぁ。」

「あの、俺は大丈夫なんで、行ってあげて下さい。」

「司も想太君の何分の一かでも素直ならな…。」

 ぶつぶつ言いながら幸佑が出かけて行くと、直ぐに、暖簾からすみが顔を出した。

「わ、すみちゃん!いつからいたの?」

 慌てる想太を手招きしてくる。

「どうしたの?」

 近寄るとギュッと手を握られて、変な声が出そうになった。

「想太、コーヒーフロート食べない?」

「コーヒーフロート?」

「うん。アイスから手作りしたんだよ。試作第1号!」

「凄いね!アイスって作れるんだ。うん。すっごく食べたい。」

「ちょっと待っててね。」

 想太をキッチンテーブルに案内すると、すみは豆を挽き始めた。

 流石の手早さで、フィルターをセットして、粉を移し、コーヒーポットからお湯をぽた、ぽた、と落とし始める。コーヒーの粉がぷくぷくと膨らみ始めると、キッチン全体に、香ばしくて甘い、なんとも言えない香りが立ち込めた。落ち切る前に、氷を入れたピッチャーにコーヒを移し、粗熱を取ったら、氷を入れたグラスに注ぐ。

 流れるような手際に、想太は思わず拍手を送った。

 いよいよアイスクリームだ。冷凍庫から出した容器を開けると、売られているものよりも少し黄色い、だが正真正銘のアイスクリームが姿を見せた。

 カレースプーンで削り取るので、店のように、綺麗に丸くはならないが、その分たっぷりと、コーヒーに浮かせて完成だ。

「おお〜、美味しそう。」

「私の部屋で食べよっか。幸佑達が帰ってきたら荒れそうだし。」

「え、部屋入っていいの?」

 思わず聞き返すと、すみはこてん、と首を傾げた。

「何か問題ある?」


 すみの部屋は、急な階段を登った2階の、庭に面した側にあった。古い建物らしく、畳敷でドアの代わりに、襖で廊下と仕切られている。

 部屋に入ると窓際で日向ぼっこをしていたゆきが、近寄ってきた。

「想太、いらっしゃい。」

「お邪魔します。ゆきさん。」

 持ってきたお盆を、ローテーブルに置き、小さな頭を撫でる。

「姉さんのおやつも持ってきたよ。」

 すみが、チューブ状のおやつを小皿にあけると、ゆきの長い尻尾がピン!と立った。どうやら好物らしい。

「では、こちらもいただきますか。」

「だね。」

「「いただきます。」」

 二人合わせてグラスに口をつける。溶け始めたアイスとコーヒーが混ざり合って堪らなく美味しい。

「んー!美味しい!このアイスって、店で売ってるのより、味が濃い気がするけどなんでかな。」

「卵黄を使ってるからかな。色も黄色っぽいよね。」

「凄いよね。アイスが作れるなんて、知らなかったよ。」

「手間はかかるけど、そんなに難しくないんだよ。店のメニューにできないかと思って、試してみたんだけど…。」

「いいね!店にあったら絶対注文するよ。」

「ありがとう。幸佑と相談するね。試作したら、また食べてくれる?」

「もちろん。」

「そういえば。」

 膝によじ登ったゆきが、すみに尋ねる。

「また司が何かやらかしたの?」

「なんか補導されたらしいよ。」

「あいつは本当にトラブルメーカーだね。」

 やれやれ、とゆきが尻尾を揺らした。

「二人は知り合いなの?」

 想太が尋ねると、ゆきとすみは顔を見合わせた。人と猫なのに、こういう仕草は、本当に姉妹だと感じさせる。

「司の先生と、おばあちゃんが仲良しで、時々店にもきてたんだよね。」

「私は嫌いだね。あのガキ、すみをバケモノ呼ばわりしたんだ。」

「なにそれ!酷いな!」

「『3階まで飛び上がれるのは、人間じゃない。』って…。」

「…酷い言い方だとは思うけど、すみちゃんもあんまり人前でやらない方が…。」

「子どもの頃の話だよ。今はやらない。」

「ならよかった。」

(やっぱり、すみちゃんて凄まじいな。霊猫憑きっていってたっけ…。)

 訊こうかかどうか迷って、想太が口を開きかけた時、乱暴に扉を閉める音が聞こえた。続いて、

「お前、いい加減にしろよ。」

 明らかに怒気を含んだ幸佑の声が響いた。

 3人で顔を見合わせ、襖を細く開ける。

「人に迎えに行かせて、だんまりは、ないんじゃないか?」

「…工事現場にすだまが入って行くのが見えて、こっそり潜り込んだら、捕まった。」

 不貞腐れたような声が答える。

「当たり前だ、この馬鹿。事故にでもなったらどうすんだ。」

「…だからって放っておいて、人に憑きでもしたら、それこそ大事故になるかもだろ!」

「そういう時は、まず先生か俺に連絡しろ。色々手順を踏めば、入れてもらう方法もあるんだ。それでその間にお前は頭を冷やせ。」

「そんなことしていて、手遅れになったらどうするんだよ!」

 幸佑は声を押さえているが、相手の声は、どんどん大きくなっていく。

「司、前にも言っただろ。全部をどうにかするなんて、不可能なんだよ。俺たちはそれぞれ、できる範囲でできることをしていくしかないんだ。

「そうやって、見過ごすから、被害に遭う人が出るんだ!もういいよ。俺は俺にできることをするから。」

「うちの名前出すなら勝手な真似すんのはやめろ。」

「分かったよ。」

「先生には連絡するからな。」

「勝手にすれば。」

 乱暴に扉を閉める音が響き、幸佑の深いため息が聞こえた。

「幸佑さん大丈夫かな。」

 すみを振り返った想太は息を呑んだ。すみの体が小さく震えていたからだ。

「すみ、すみ、大丈夫?」

 ゆきが頰を舐めると、すみははっとしたように顔をあげた。

「ごめん。何が?」

 すみは何事もないように、ゆきの背中を撫で始めた。

「今日の稽古は、もう無理そうだね。」

 誤魔化しているようには見えないすみに、想太は、何も訊けなかった。


 3

 日の傾く頃、喫茶猫森を後にした想太はそのまま猫森稲荷に向かった。胸のもやもやを少しでも払っておきたかっらのだ。境内の隅で看板を見つけたのも、偶然だった。

「へぇ。『猫森伝説ついて』」

 ーこの地は明治中頃まで、人の手の入らない、深い森だった、と言われる。

 江戸時代寛永の頃、ある旅人が、森の縁の街道を急いでいた。ふと気がつくと、森の中に無数の鬼火が揺れている。これは不思議と思い、近寄ってみると、何百もの猫が、森の中に集まり、その目や口元に、青白い鬼火を灯しているのだった。驚いた拍子に、音を立ててしまった旅人は、忽ち猫達に取り囲まれ、喰われそうになってしまう。そこに一匹の三毛猫が現れ、

『私はこの人に大層可愛がってもらい、天寿を全うすることができた。この恩に免じて、どうかこの人を助けてほしい。』

 と願い出た。すると、森の奥から身の丈十尺はあろうかという巨大な黒猫が現れ、

『一族にの者が恩ある者なら助けよう。』

 と答えた。

 旅人は三毛猫の案内で無事故郷に帰り、その感謝の印として、街道に小さな祠を建て、毎年魚を供えた。以来、街道を行き来する人々の中に、祠に魚を供えて、旅の安全を祈念する者が増え、この辺り一帯を総じて「猫森」と呼ぶようになったのだという。ー」

(なるほど、こんな由来があるのか。)

 想太が感心していると、突然後ろから声をかけられた。

 振り返ると同じ年頃の少年が立っていた。背は想太より少し高く、全体的にがっしりしている。制服の裾や袖が汚れているのは喧嘩でもしたのだろうか。そう思ってしまうほどに、少年の表情は荒んでいた。

 思わずため息をつくと、想太はその場を立ち去ろうとした。間違いなく「司」だろう。幸佑とのやり取りを聞く限り、まともに相手をしない方が良い相手だ。

「おい、無視すんなって!」

 いきなり腕を掴まれ、流石にむっとする。

「何すんだよ。」

「お前、猫森にいただろ。」

(なんなんだこいつ。)

 第一印象は既に最悪だ。

「手伝えよ。人手がいるんだ。」

「なんの話かわからないんだけど。」

「嘘つけ、お前も見えてるんだろ。」

「だからなんの話しだよ。」

「お前も手遅れになった人が出ても良いのかよ!」

 血の滲むような声に、思わず息を呑んだ。

(そういえば幸佑さんも障が出る…原因不明の病気になったりするって。)

「俺はもう、手遅れになる人を見たくない…!お前すみと仲良いんだろ?猫を貸してくれってあいつに…」

 次の瞬間、司の体が数メートル先へ吹き飛んだ。

「すみちゃん?」

 想太の前に立ちはだかったすみは、脚を振り抜いた体勢のまま、微動だにしない。

(え、まさか今、蹴り飛ばした?)

 司が咳き込みながらすみを睨みつける。

「痛てえな!骨折れたらどうすんだよ!」

「そのくらい加減できるよ。」

 聞いたことがないくらい、冷ややかな声だった。

「姉さんのことを物みたいに言うな。」

「手遅れになったら、どうすんだよ!」

「あんたは、姉さんに何かあっても平気なんだね。」

「ちょっと待って、二人とも!一旦落ち着いて!」

 言い争う二人の間に体を割り込ませる。

「あんたもおんなじなんだ!恵まれてるんだから力を貸せって言ってくる奴らと!その癖姉さんが怪我しても、所詮人間じゃないからって、大して心配もしなかった奴らと!そんな奴らに、姉さんは渡さない!」

 言い捨てるなり、背を向けるすみを想太は追いかけた。

「すみちゃん!」

「…どんな人間よりも、姉さんのことが大事だって言ったら、想太も、変な奴だって思う?」

「思わないよ。…少し、変わっているとは、思うかもだけど。」

 ふっとすみの纏う空気が揺らいだ気がした。

「正直者。」

「…すみちゃんは、なんであの時、俺を助けてくれたの?自分や、お姉さんの身を危険に晒してまで。」

「私たちだって。」

 すみはくしゃっと笑ってみせた。

「本当は、できるだけ人を助けたいって、そう思ってるよ。」

 夕闇に包まれたすみの顔は、何だか泣いているように見えた。


 4

 工事現場に入る許可が降りたと、連絡が来たのは2日後の午後のことだった。

 放課後、想太が喫茶猫森を訪ねると、幸佑とすみ、司が、店のテーブルに図面を広げて、作戦会議をしていた。ゆきさんも、テーブルの上にちょこんとと座って、図面を覗き込んでいる。

「19時に作業が終わるから、その後すぐにに入るぞ。」

「早朝の、明るい時間の方が良いんじゃない。」

「司の札で、足止めされて相手も焦ってるだろう。変に凶暴化したり、逃げ出される前に仕留めておきたい。」

「…すんません。」

 打って変わってしおらしい司に、幸佑は舌打ちをした。すみの表情も冷たく、二人とも、まだ怒ってはいるようだ。

「だが、解体途中のビルと足場がある中での捕物だ。みんな気をつけて動いてくれ。」

「すぐ近くに道路が有るから、飛び出されたら危ないね。」

「司の札は何枚くらいだ?どんくらい持つ?」

「囲い沿いに1周、2m間隔で貼ってるし、毎朝補強しているから、そんなにすぐは破れないと思う。でも悪戯だと思われて剥がされたのもあるから、先に補強しておきたい。」

「じゃあ、司とすみは先に行って補強な。司は、現場の人達に、顔を覚えられているだろうから、これも19時過ぎが良いか。喧嘩するなよ。」

 あからさまに顔を顰める二人に少し不安になる。この2人に、協力とかできるんだろうか。

「中に入ったら、すみとゆきさんは、ここの空きスペースに、すだまを追い込んでくれ。封じは司がやれ。」

「俺が?」

「あんなに大口叩いたんだ。嫌とは言わせないぞ。俺もサポートには入る。」

 少し不安げな表情の司だったが、覚悟を決めたのか、大きくうなづいた。

「よろしくお願いします。」

「想太君も見学に来るか?」

「え、いいんですか。」

「あぁ。」

 想太を見る幸佑には、いつもの余裕のある笑みが戻っていた。

「見えるか見えないか、宙ぶらりんのままじゃ気持ち悪いだろう。俺のそばから離れないで居てくれれば、大丈夫だよ。」

「はい、よろしくお願いします!」


 防音シートに囲われた工事現場は、日が落ちると真っ暗だった。 

「灯りつけさせてもらいましょうか。」

「いや大丈夫だ。」

 幸佑の声に顔を挙げると、すみとゆきの周りが、あの夜、夢と現の狭間に引き込まれた時と同じように白く光っていた。

「想太もこっちむいて。」

 言われた通りそちらを向くとすみの手が伸びて、指先が額に触れた。

 その途端、一気に視界が開いた、足場の鉄骨も、資材に被せたシートも、向こうの隅に蹲っている暗い影さえも、まるで満月に照らされているようにはっきりと見える。

 司や幸佑の手元の辺りも、僅かに光っているが、すみ達の溢れ出すような六花とは比べようもない。

(これが、神様の加護の力…。)

 確かに途方もない隔たりだった。誰もが力を借りたいと思い、同時に畏れるほどに…。

 司が地面に何か描き始めると、すみとゆきが、すだまを挟み込むように、走り出した。

 追い詰められたすだまは、まるで巨大な蜘蛛のように不気味な動きで、真っ直ぐこちらに向かってくる。

 は、は、と荒い息遣いに気がついて横を見ると、司の手が小刻みに震えていた。

(司もやっぱり怖いんだ。)

 こちらに向かって突進してきたすだまが、司の陣の中に入った。

 司が手に持った札を振り翳したその時、すだまの頭が大きく裂け、ぎっしりと歯が並んだ口が現れた。

「司!」


 ー「司。」

 父は優しい人だった。

「あのね、お父さんの周りに、黒くてもやもやしたものが見えるの…。」

 こんなことを言う子どもは不気味だったろうに。

「そうか、最近少し疲れているからかな。心配かけてごめんな。」

「お父さんは、俺の言うこと信じてくれるの?」

「当たり前だろう。司は優しいから、きっと他の人が疲れていたり、辛かったりする気持ちが見えるんだな。

 ありがとう。お父さんも疲れすぎないように気をつけるよ。」

 心臓発作で父が亡くなったのは、こんなやり取りをしたほんの3日後だった。

 葬式の間中、何処からともなく、囁き合う声が止まなかった。

「死ぬのを言い当てていたよ。」

「まるであの子が呪い殺したみたいじゃないか。」


 数年後、道端でまた黒い影を見つけた司は、なにも考えずに捕まえようとした。

 とにかくやっつけてやらないことには気がすまないと思ったのだ。

 それなのに影は手をくぐり抜け、司の上に覆い被さってきた。

 その途端、頭が真っ白に焼かれるような激痛が走り、先生が見つけてくれるまで、司は声も上げられずにのたうち回っていた。

「全く無茶をする子だね。」

 先生は、着物姿の品の良いお爺さんで、教員を退職して、今は書道教室をやってると教えてくれた。そして、司と同じものが見えるとも。

 先生に会って、司は初めて知った。

 今まで見てきた、あの黒い影を、すだまと呼ぶことを。

 父を殺したのは、自分じゃないことを。

 もう少し早く、司が先生と会っていれば、父は死なずにすんだかもしれないことを。ー


「司!」

 大きな歯に札を食いちぎられたが問題ない。ありったけの六花を筆に込める。

「封!」

 すだまの頭から蜘蛛のように伸びた足の先まで覆うように「封」の字を書き上げると、帳面に一気に吸い込んだ。

「はあ、はっ。」思わず膝をつくと、滝のように汗が吹き出た。

「お疲れさん。」

 軽く肩を叩かれて、司の胸に、じわじわと嬉しさが込み上げてくる。

「…そういえば幸佑さんは、どうやってここ入れるようにしたんだ?」

「こういう会社は、工事の安全を祈念したり、地鎮祭をお願いしたりで、神社とは結構付き合いがあるんだよ。で調べてみたら、運良く藤代先生と付き合いのある神社でな。あとは適当に『ちょっとお祓いをした方が…。』とか言ってもらった。だから俺たちの姿は防犯カメラにバッチリ映ってるだろうけど、怒られることはないから。」

「え!映ってんの、はっず!」

「普通の人にすだまは見えないんですよね、だとしたら大分不審な動きになっちゃってると思うんですけど…。」

「まあ、防犯カメラ見られても。なんか奇妙な儀式してんだな〜、怖っ、て思われるくらいだし。」

「「うわぁ〜。」」

「そういえば幸佑、今日はなぜか伊達眼鏡して髪も下ろしてる!」

「あー!本当だ!自分だけせこい!」

「当たり前だろ、大人が社会的信用失ったら、お終いなんだよ。ほら、さっさと帰るぞ。」

「「「わぁ、ずる〜。」」」


 5

 自分はやっぱり見えざるものが見えるらしい、と証明された翌日も想太の毎日に大きな変化はなかった。別に見えるようになりたいと思っていたわけではないが、前の事件から、なんとなく見えるんだろうな、と思っていたからか、それほどショックでもなかった。だが、なんとなく、すみは、想太が見えないことを、望んでいた気がする。もしかするとそれは、自分自身の願望なのかも知れないが。幸佑や司も同じなのだろうか。自分もいつかそういうふうに思う日が来るのだろうか。

 自分はあまりに多くのことを知らなすぎる。でも、どちらかといえば今は、これで少しはすみ達の役に立てる、という期待の方が大きかった。


 朝、いつものように猫森稲荷に着くと、司が立っていた。

「よ。すみは今日来ないぞ、俺が代わってもらった。」

「え。」

 慌ててスマホを確認すると、

「謝りたいみたい。」

 とメッセージが入っていた。いつものことながら、連絡が簡潔すぎる。

「悪かったな。お前見えるようになったばっかりなんだって?」

「まだ半月くらいかな。」

「俺の周り、子どもの頃から見えてたやつばっかりで、戦い方も身につけてて、だからお前も、慣れてるもんだと思ってた。危ないことさせようとして、本当ごめん。」

「俺は別にいいけど、すみちゃんとゆきさんに謝って欲しいかな。」

「それも先生から電話でめちゃくちゃ怒られたよ。そんなことあったって知らなくてさ…ちゃんと謝るよ。」

「そういえば先生がいるんだっけ。なんで補導された時、幸佑さんに頼んだの?」

「俺の先生はもう高齢で、体調を崩しがちなんだ。心配かけたくない。お袋は見えないから、説明が難しいし…、幸佑さんなんだかんだ甘いから、つい、な…。」

「すみちゃんが怒ってたの、幸佑さんが迷惑かけられたことも、あると思うんだけど。」

「先生にも言われたよ『頭に血が昇って周りを巻き込めば、自分一人の後悔じゃすまなくなるんだぞ』って。」

「司って、すみちゃん達に、いつもあんな感じなの?」

「想太もそこそこ失礼な奴だな。」

「すみちゃんがあんなに怒るの初めて見たから、驚いたんだよ」

「そうか?俺はあいつが、自分から人の世話焼いてることの方が、驚きだけどな。

 初めて会った頃ーあいつが7、8歳くらいの時かーなんて、ゆきを抱きしめて、人のことなんか完全に無視してたからな。まぁ、その印象が強くて、子ども心に異様に感じてたのは、確かだな。

 あとは、認めたくないけど、…その…嫉妬だよ。お前もみたろ、あの六花の量。俺の知ってる限り、あんなことできるやつは他にいない。まさしく神に選ばれた存在ってわけだ。…でもそれが良いことばかりじゃないっていうのも、今なら分かるよ。」

「すみちゃんは10歳の頃から毎日ジョギングしてるんだけどさ。パトロール、らしいよ。いち早く異変に気づけるように。

 ゆきさんも毎日パトロールしてて、おかげで俺も見つけてもらったし。

 あの二人は別に、他人の危険に無関心なわけじゃないと思う。」

「でも、俺は、人より猫の方が大事だって言う考え方は、おかしいと思う。…でも…俺の考えを人に押し付けちゃいけないってことも、わかるから、ちゃんと謝るよ。」


 話し込んだ二人は、お互いに遅刻ぎりぎりの時間で登校することになった。

 数日後の放課後、喫茶猫森に顔を出した想太は、「自家製アイスのコーヒーフロート 20食限定」がメニュー化したことを嬉しそうに話すすみと、ちゃっかり、第1食目を食べている司に、遭遇するのだった。


 第3話 動物園と小鯛焼きに 続く

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