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第六話

 哺乳類は生物の中でも学習をする。人が世の中のことを一般常識として覚えていく学習は言わずもがな、ネズミだって何度も迷路を彷徨わせていれば、そのうち一目散に餌へと在り付くことができるようになるのだ。しかし、学習の質と言うものはやはりホモ・サピエンスに一日の長があるだろう。ホモ・ファーブルだろうがホモ・ルーデンスだろうがホモ・ロクエンスだろうが、言ってしまえば全てそれに集約されると俺は考えている。

 ……んな持論はどうでもいいな。

 何が言いたいかというと、人間は学習の質が高いということ。しかし、それを遥かに凌駕する学習を行える人間がいるとしたら、ソイツは何と称されるのだろうか。

 バコーンッ! と、相川のコートに強烈なスマッシュが叩き込まれた。相川が呆然としているのはスマッシュの予想外に速かったからではない。いや、それもあるだろうが何より自分が反応すらできなかったことに驚いているのだ。

 無理もない。どうしてって? そのスマッシュを打ったのが、

「ふう、こんなものかしら?」

 コスモスだったからだ。

 見回してみれば、観戦していた全ての人がドン引きしている。かく言う俺もその一人。

「あら? どうしたの、奈津子?」

 長い髪を頭の上の方で折りたたむようにしてピンで留めたコスモスは、モンシロチョウの幼虫からハチが出てきたのを発見したような怪訝な目で相川を見ている。これはある種の自慢なのかそれとも天然なのか。

 でもどちらにしたって俺たちに非難する権利はない。だって本気で凄いのだから。

 コスモスが卓球を始めたのは昨日。真偽の程はさて置いて、訊いたところによると卓球のラケットを持ったのも昨日が初めてだそうだ。

 ただ今の時刻は朝の七時四十分。つまり始めてまだ十二時間ちょっとしか経ってない人間が、高校入学時から始めてそこそこ強くなった人間に反応できないようなスマッシュを打ったのだ。模範みたいな綺麗なフォームで。そりゃ引くだろう。

「…………美月。あたし、スマッシュの打ち方とか教えた憶え、ないんだけど」

「? ええ、教わってないけど」

「じゃあ、どうして打てるの?」

「? 他の人の打ち方見てれば分かるでしょ。打ち方くらい」

 あ、相川が崩れ落ちた。人類の進化形の学習能力の前に。

「本当にどうしたの?」

 相川は言葉を発せられる心理状態ではないようなので俺が代わりに答えてやる。

「きっと人間の新たな可能性に感動してるんだ」

「? どういう意味?」

 自覚はないらしい。

「そういう意味だ」

 言外に詮索してくれるなと空気で伝え、俺は練習していた台へと戻る。コスモスはそういう人間なのだと無理矢理理解すればいい。相川もそのうち復活するだろうさ。というわけで、そちらの騒ぎからは手を引く。

 俺には他にも頭痛の種があるからな。

「んで、お前は何でそんなに機嫌悪いんだよ」

 そう、相方の加藤がどうにも不機嫌で練習に身が入っていないのだ。

「ウッセー、お前にゃ関係ねーだろ」

「関係ある。練習相手がそれじゃ困るだろうが」

「お前、俺以外に友達いねーのかよ。ウッザ」

 ……俺に八つ当たりするほどキレてるのはよく分かった。しかし、今のは俺以外の部員まで不快にしているという事実を知れ。

 サイコメトラーではない俺の心の声など届くはずもなく、加藤はラケットを己の荷物の山に放り出すと、それを持って更衣室へと引っ込んでしまった。どうも練習に戻ってくる気はないようだ。

「どうしたの、加藤君?」

 見兼ねたらしい姫宮が寄って来た。昨日の夜に聞いた言葉もあるし、コイツは部の空気が壊れることは防ぎたいんだろう。

 それでも俺には思い当たる節がない。

「さあ、俺もよく分からん」

 昨日、部活を休んだことと関係あるのかとは思ったが、そんなのこの場にいる誰もが承知しているだろう。

 ならば、俺たちが持ち合わせていない情報を持っている可能性があるのは、ただ一人。四つん這いでうな垂れているところ悪いがな。

 姫宮がその一人の傍に寄る。

「ねえねえ奈津子ちゃん」

「…………………なによ」

 微かな返事はかろうじてあった。が、

「加藤君と何かあったの?」

 この疑問には、

「っ………………」

 ぴくっと反応しただけで、言葉を返してくることはしなかった。触れるなオーラを敏感に察知した姫宮は身を翻すと戻ってくる。

「本当にどうしたんだろう……」

「さあ、な」

 まあ二人の間でなんかあったのは確かみたいだけど。それ以上のことは二人のどちらかが語らない限り明らかにゃならんだろ。

 変な風になった空気を元に戻すために俺は声を張り上げる。

「あい皆練習戻れ――! まだまだ時間はあるぞー」

 首を捻りながらも皆は練習を再開する。卓球部において、こんな沈んだ雰囲気なんて誰も望んじゃいないのだ。

 んでもって練習相手のいなくなった俺はどうすりゃいいんだろうな。空いている人がいないかと卓球場を見渡してみたが、残念ながらシングルは俺一人の様子。昨日相手してくれた姫宮も今日は相方を確保して華麗なドライブ合戦を演じている。こりゃまたサーブ練習かね。

 ……いや、一人いるな。

 コスモスだ。相川はそっとしておくとして、そうなった場合コスモスが空く。あのスマッシュなら俺のブロックの練習にもなりそうだし、基本動作を教えつつ自分自身も確認するとかプロっぽいことを自己満足でやってしまってもいい。

 そうと決まれば膳は急げ。

「なあコス……じゃなかった美月さん。俺が相手するぞ。相川はまだ復活するまで時間掛かるみたいだし」

 言うと、相川は這って台の横へと移動した。どうやら俺に場所を譲ってくれたらしい。

「そういうわけだ」

「別にいいけど。それで健二」

「……!」

 ……もしかして俺は今ファーストネームで呼ばれたか? 家族以外から初めて言われたぞ。それにしてもなんだ、この身の毛立つような感覚は!

「? どうしたの?」

「な、なんでもない」

 動揺が顔に出ていないことを信じよう。

「ふーん、まあいいわ。健二。私、あの愛が打ってるアレやりたいんだけど」

 コスモスが指差すのは姫宮の台。そこで姫宮が打っているものいえば、

「……ドライブか」

「そう、そのドライブっていうの。打ち方から見て上回転をかければいいんでしょ?」

「……仰る通り」

 教えることないじゃん。さすがは新人類の洞察力。この分なら、さっきのスマッシュと同様、見ている俺たちの度肝を抜いてくれそうだ。

「そんじゃま、とりあえず打ってみ」

「分かったわ」

 俺は軽い気持ちでコスモスのコートに打ち頃ボールを出してやり――

「……!」

 ――己の脇を抜けていく高速の物体を目にする事となった。


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