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十三話

 今の時点で大会に出ても結構いいとこまでいけんじゃね? と漏れなく全員に思わせるだけの鬼才を遺憾なく発揮してくれたコスモス。お陰で口から漏れるのは溜息ばかりだ。感嘆かもしれないし、諦観かもしれない。その辺りは各人の判断に委ねるとしよう。

 あれだけ俺を叩きのめすと言っていた西岡さんも、卓球台を挟んでコスモスと対峙したときの表情は困惑と緊張と畏怖がごちゃ混ぜになってガチガチだった。

 進士君はそれほどでもなかったが残念ながらこれはダブルス。相方が使い物にならなければ勝利はありえない。

 お陰さまで、ストレートで西岡・進士組を下すことができました。こちらが奪った合計三十三点のうち四割くらいはコスモスが覚えたての高速ドライブと強烈スマッシュで奪った事は、一応付記しておこう。

 初めてやった試合がダブルスとなったコスモスは、その鮮烈デビューで多くの後輩たちから尊敬の目を向けられるようになってしまい、戸惑っている様子だった。

 でも良かった。これでコイツも卓球部に馴染めるだろう。

 コスモスの上達ぶりにいちいち驚いていると、あっという間に三時間なんて経過してしまう。着替えと後片付けを済ませてネットを受付に返せば、後は解散するのみ。

 公民館の中では迷惑になるので、解散の号令は屋外でやることにした。

 既に薄暗い紺碧の空の下、俺一人を中心に据えて男女問わず全員が丸くなる。

「そんじゃ、今日は解散! 明日からは現地集合で頼むぞ」

 はーい、と練習開始時とも同じように返事をする部員たち。それから蜘蛛の子を散らすように家路につくため人波に紛れていった。

 真ん中に突っ立っていた俺は帰っていく部員たちの背中を最後まで見送り、俺も帰宅しようと身を翻す。

 ――が。

 数メートル先に、俺の行く手を遮る影があった。

 シマトネリコというネームプレートが掛けられた街路樹が生み出す蔭のため姿は見えないが、どう考えても俺の進路を塞いでいるのは明白。走ってきたようで切れ気味の呼吸音がこちらの耳にまで届いてきた。

 街灯の丸い光を挟んで向かい合っている俺と未確認の人影。

 最近は色々と険しい視線を向けられることが多かったこともあり、誰かが俺を強襲しに来たのかと心拍数が上がったのは仕方のないことだと思う。

 緊張に身を固くしていると、その人影は一歩を前に踏み出して寒々しい白色の街灯の下に姿を晒した。

その正体とは――


「…………健二君」

――姫宮だった。


 俺は戸惑う。あれだけ頑なに俺を見ようとしなかった姫宮が今、俺の目の前にいて、俺を見て、俺に語りかけている。

 もう大丈夫なのか? と声を掛けようとしたところで、姫宮の手に何かが握られているのを認めた。遠目でしかも握りつぶされているため確信は持てないが、それが紙であることと大きさから予想して、俺が友人に渡してくれと頼んだ相川の手紙だろう。

「……健二君っ」

 もう一歩を踏み出す。しかし、その歩幅は小さい。まるで、相反した二つの感情がせめぎ合っているように。

 ――心の中での恐怖と願望の決着が付いていないかのように。

 おっかなびっくり。人に甘えたい、でも甘えるのが怖い、その葛藤に打ち震える子犬のように、しかしそれでも懸命に前へと、俺の目の前へと進もうとする。

 だから俺は、迎えには行かなかった。

 ここに来るまでも多くの迷いや恐怖に襲われたんだろう。

 手紙の言葉を信じていいのか。俺の元に来てもいいのか。そして、あの日の恐怖を思い出した。

 それでも姫宮はここにいる。迷いを捻じ伏せるように全速力で走って。握りつぶした手紙からも、その時の気持ちが見え透いているように思える。

 これが姫宮の正直な気持ちなんだろう。でも、その気持ちに忠実になるためには必要なものがあった。

 つまり、覚悟。

 その手紙の言葉、引いてはその相手と向き合う覚悟を持って姫宮はここに来たのだ。

 俺の方から迎えに行くのは、違う。姫宮が自分でこっちにこないと意味が無い。

 なら待とう。ただ信じて。

「健二君っ……!」

「ああ、ここにいるぞ」

「健二君!」

「ちゃんと待ってるから」

 気持ちに反して脚が動いてくれないもどかしさに涙を浮かべる姫宮を見て、俺はふと考える。

 姫宮は、どうしてこんなに頑張ってるんだ?

 明確な悪意、その中でも最大のものであるはずの殺意というナイフを突きつけられた際の恐怖は想像のしようも無いが、手紙で反省の言葉を見たとしても、そう簡単に拭い去れるものではないだろうことは確かだ。

 再びその恐怖に身を引き裂かれようとも、乗り越えようとするのは何故なんだろう。

 なんて思案していると俺の胸に衝撃が来た。その衝撃は温もりを持っていて、俺の制服を濡らし直接その温度を伝えようとしている。

 俺もその温度をもっと感じたくて、抱きしめた。

「頑張ったな」

「うん……うんっ……!」

 気遣いなどではない、本心からの頷き。そのいじらしさに胸を打たれる。

「どうして、そんなに頑張れたんだ?」

「うぅ……っそんなの、決まってるよぉ……!」

 俺の胸に顔を押し付けているのでくぐもって聞こえる姫宮の声。しかし解答ははっきりしていた。

「幸せになりたいから、健二君と一緒に幸せになりたいからぁ!」

 俺は『人の不幸は蜜の味』を地で行く人間を知っている。ソイツは人の不幸を見て幸せを感じるそうだ。あくまで傍観者の立ち位置で、物語の中心にいて一喜一憂している人たちの不幸だけをズームアップし、そうなっていない自分が幸福だと満悦を得る。

 それこそが、本当の幸せだという。

 でも。目の前の少女を見ていると、そっちこそがただの逃げのように思えてくる。傍観者の立場にいるのは、ただ当事者となって幸せを勝ち取っていく事から逃げているだけなんじゃないか、と。背負う可能性のある不幸から逃げているだけなんじゃないか、と。

 姫宮は待ち受けている恐怖にも悲哀にも逃げずに立ち向かい、幸せを勝ち取るためのフィールドにもう一度戻ってくることを選んだ。

 強さ、だよな、これは。

 そして、アイツの考え方こそがどうしようもなく弱い。

 悲しみを得るリスクを犯さずに幸せになろうとすることの方が、間違いなのかも。

自分が幸せを掴み取ることで蹴落とすことになる人々の不幸は、しょうがないと割り切るしかないのかもしれない。

 …………。


 ……どっちにしたって、世の中そんなものなんだな。


「帰るか。送ってく」

「……うんっ」

 ともあれ姫宮は戦いの場に戻ってきた。

 俺の呼び方が変わっていたのは、そのゴングがもう鳴っている証拠だろうか。


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