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第十話

 本日は一時解散となった卓球部。

 早速公民館の体育館に行って来ますっ、という威勢のいい声もちらほら聞こえ、また以前の雰囲気が戻りつつあることにほっと胸を撫で下ろした。

 ただ今の俺はというと、屋上にやって来ている。一人になれる場所が欲しかったのだ。

 なぜなら、相川からの手紙を、誰にも邪魔をされることなく読みたかったから。家に帰る時間も惜しく、それでは校内で一人になれる場所はどこかと考えたところ屋上にたどり着いたのだ。

 手紙といえば便所が定番な気もしたが、さすがに便所で読む気にはなれないよな。

 縁まで歩いていくと腰を下ろし、手すりに背中を預ける。少し涼しく感じる夕刻の風に飛ばされないよう力強く封筒を握り締めながら、慎重に中から便箋を取り出す。

 これが、その全文だ。


『そういえば、手紙なんて書くの初めてかも。なんだか恥ずかしいな。

 改めまして、相川奈津子です。

 まず初めに、書いておかないといけないことがあるの。

 ごめんなさい。

 思い返してみるとあたしもなんであんなことしたんだろう。健二が愛を選んだのに、あたしにはそれが認められなくて、ただただ健二に守られてる愛を見てるのが辛くて、気付いたらとんでもない事をしてた。

 怖がらせてしまった事、本当にごめんなさい。

 でもね、はっきりと分かったこともあるの。

 あたし、やっぱり健二のことが好き。それくらい、健二に好かれてる人に対してあんなことをしてしまうくらい、健二のことが好き。

 これだけはどうしても譲れない。

 健二が選んだのが、例え別の人だったとしても。

 漠然と好きだって気付いたのが小学一年の時だった。健二と一緒に小学校と中学校を過ごして、中学生の時に健二が卓球部に入ったって聞いて、私もそれを追いかけていった。健二がここの学校を受験するって聞いて、ちょっとランクの低かった私は一生懸命勉強した。それで一緒の高校に無事合格できて、同じ卓球部に入った。

 いつ気付いてくれるかな、いつになったら告白してくれるかなって、ずっと待ってたんだよ。

 なのに健二は加藤君と付き合ってみないかってあたしに言ってきて、健二に言われたから付き合った。健二以外の人から手を握られるのは嫌だったけど、こうしてれば健二が私を迎えにきてくれるんだって必死に耐えた。

 なんて、責任逃れだよね。ホント、自分で自分が嫌いになりそう。

 その報いなのかな。健二は、ずっと待ってたあたしじゃなくて、愛を好きになった。

 ずっと一緒にいたあたしは知ってたのに、健二が鈍感だってこと。それなのに自分から動こうとしなかったあたしの不戦敗。それにやっと気が付いたの。

 どうしようもなく、あたしは弱かったってことにも。

 でも、どうしても諦めきれない。

 でも、今のあたしのままじゃ、また同じ事をやっちゃう気がする。

 だからちょっとだけ。ちょっとだけ学校休んで、心を鍛え直してきます。

 凄いショックだったんだよ。健二が愛を選んだってことじゃなくて、私が心を患ってるってお医者さんから言われたこと。これまで自分には一切縁の無い、これからも関わることなんて一生無いって信じてたカテゴリーに入れられちゃったんだから。なんだか自分っていう人間を否定されたみたいで、凄く辛かった。

 でも考えてみたら、そう思われても仕方ないこと、あたしはしたんだよね。

 だから、このレッテルも甘んじて貼られるつもり。

 待っててね。すぐに戻ってきて、真っ先にあたしのこと選ばなかったこと後悔させてあげるから。でもそこで、ちゃんと謝ってくれたら許してあげる。なんて、ね。


 ここから先は愛に伝えて。


 あたしのせいで学校に行くの怖がってるってこと、由美から聞いた。

 本当にごめんなさい。怖がらせてしまったこと、あんなことを言っちゃったこと、心から後悔してる。反省してる。

 でも、それでも、あたしは健二を諦めきれない。戻ってきたときに愛と付き合ってたって、諦められない。今度はちゃんと女の魅力で略奪してやるんだから。

 だから、愛も身を引くなんて真似しないで。知ってるでしょ、あたしが負けず嫌いなこと。何回もランキング戦の決勝で負けて、泣いてたあたしのこと知ってるでしょ?

 だから、正々堂々と勝負して。

 あたしが戻ってくるまでは、あなたに健二の彼女の椅子は譲っておいてあげる。

 健二は変なところで優しいから、こんな手紙出したらあたしに気を遣ってあたしと付き合おうって思うかもしれない。でもそんなの願い下げ。あたしはちゃんと一番の女として健二に選んで欲しい。

 だからあなたも、せいぜい頑張って。あたしに期待した健二の心があなたから離れていかないように。

 そして戻ってきたときに、あたしはもう一度勝負を挑むわ。恋愛でも、卓球でも。

 次のランキング戦では絶対に勝って、女子卓球部部長にあたしがなって、健二と思う存分いちゃいちゃしてやるんだから。

 最後にもう一度。本当にごめんね。あんなことしたあたしとなんて向き合ってくれるかは分からないけど、もう一度、あたしにチャンスをください。


 それじゃ、またね。

 相川奈津子より。


 PS。

 いつものあたしの口調と違って健二は驚いたかもしれないけど、これが本当のあたしの言葉。いつも喉のところで引っ掛かってどうしても健二相手には言えなかった言葉。でもこれが、一番健二に聞いて欲しかったあたし自身の言葉。

 戻ってきたら、ちゃんと伝えるから』


 ……。

 ……長。便箋三枚かよ。俺には書けそうにない長文だ。

由美ってのは確か俺にこの手紙を渡してきた相川のクラスメイトの名前だったか。本名は西岡由美、だった気がする。まあ、そんなことはどうでもいいな。

 しかし、よくこんな恥ずかしい手紙書けたもんだよな。

 くそ、ブタクサの花粉め、鼻がグジグジ言いやがる。鼻水が垂れて文字を滲ませないよう、念のため便箋を丁寧に畳んで封筒に仕舞った。

 それをポケットに入れると立ち上がって、手すりに肘をつく。いつの間にか空には朱色が広がっており、本日のお勤めを終えた太陽が就寝しようとしていた。まあ、普通に考えて休む間もなく反対側の地球を照らす仕事が待っているんだろがな。

 それにしても、夕日ってのはこんなにぼんやりしてたっけか。顔面に真正面からぶつかってくる風がどうしてか俺の目尻と頬を冷やしていくが、その理由がなんなのかは確かめないことにした。

 こんなに想われていたっていうのは男として純粋に嬉しい。相川の純粋な想いは、ただちょっと純度が高すぎただけなのだ。それを本人も自覚してくれているようで、手紙の文面も思ったよりもポジティブな内容だった。姫宮に対する気持ちは本物だろう。

 これを、姫宮に伝えてやりたいな。

 太陽が逃げおおせようとしている逆側からは、濃紺から橙へのグラデーションが続いている。そこに、俺の脳裏に焼きついている姫宮のはにかんだ笑顔を投影してみた。

 並んで相川のブスッとした顔が出てくるのはどういうわけだろうな。

 背後でがちゃっと重い扉の開く音が聞こえたが、ソイツが誰だか予想が付いた上に、なぜだか知らんが結構確証もあったので、振り返りはしなかった。

 夕焼けに染まる街を眺め、無意識に目で追っているのは、いつかのもっさりした木。

 はは、遠目からでも簡単に見つけられるくらいもっさりしてやがる。

「黄昏れてるわね」

「そういう時間帯だろ」

 声は震えなかった。

 意味があるんだかないんだか自分でも分からない言葉の応酬を経て、ソイツは俺の隣の手すりに肘をつくと、同じようにもっさりした木を眺め始めた。視線は俺よりも高い位置を捉えているようにも見え、そこに何かあるのかと訝ったところで木の上空にはこやつのコスモが広がっていることを思い出した。

 俺が注目したところで何も見つけられるはずは無い。

「もっと沈んでるかと思ったのに」

「残念だってか」

「よく分かったわね」

 一度買った方がいいのかも知れないな、喧嘩。

 ソイツは攻撃的な色の光に目を細める。

「人間って、どうやって幸せを感じてるんだと思う?」

「は?」

 藪から棒に随分と哲学的な話題だな。

「どうやって……か。好きなことをして、とか?」

「どうして好きなことをしていると幸せなのかしら?」

「楽しいから、だろう」

「どうして楽しいと好きになるのかしら?」

 これは禅問答か。

「…………心が満たされるから、とかじゃねえの。……そんな疑問、俺じゃなくて著名な心理学の先生にでも訊いた方がいいぞ。ちゃんとした解答が欲しいんならな」

「そんな必要はないわ。だって今の質問に唯一無二の答えとか無いもの」

 俺はまた馬鹿にされたんだろうか。

 ソイツは滑らかな烏の髪を風に遊ばせながら、その艶によって朱の光を辺りに乱反射させる。

「そもそも私とあなたの解答だって違う」

 ほぉ。

「そんじゃ美月さんにとって、幸せはどんなふうにして感じるものなんだ?」

 ソイツ――コスモスこと弓削美月に挑戦的な流し目を向ける。

「簡単よ」

 向こうも俺に倣いこちらを見て、


「人の不幸を見つけたとき」


 何時ぞやのとびっきりの笑顔を見せた。

 思い出す。

 あのもっさりした木の下で俺に宇宙が見えるかと問い、見えないと答えると彼女は『幸せ』と呟いた。

 俺から傘を奪い取ると、どんどんと雨に全身を濡らしていく俺を見て彼女は最高の笑顔を浮かべた。

 ついさっき、彼女はもっと沈んでいると思っていた俺が比較的明るかったことを、残念だと言った。

 何だ、この性悪エピソード三連発は。

「…………最悪だな」

「そうかしら」

 胸を張るな。

「私だって昔は信じていたのよ。この世には絶対的に幸せなものがあるって」

 少し強くなってきた風に髪を耳元で抑えながら、

「でも、そんなもの無いじゃない。どこにも」

 まだ二十年も生きてない小童が何を言う。

「誰かが幸せになれば別の誰かが不幸せになっている。生きてる人が全て幸せになれるなんて、世の中そんな上手いことはない。あなただって今痛感してるでしょう?」

「…………」

「この世界って、そんなものなのよ。馬鹿正直に幸せを掴もうとしても誰かの恨みを買うだけ。私嫌よ、誰かからあんなこと言われるの」

 反論できないが、今のは少しカチンと来た。

「だから開き直って私は止めたの。そんな幻想を捜し求めるのを」

 確かにコスモスの言う通りのことを俺も思ったりした経験はある。

 でも俺は今しがた、それをポジティブに乗り越えようとしているヤツの手紙を読んでいたところだったんだ。お前のようにネガティブにならず。卑屈にならず。

 ……って、同じこと考えてた俺が言えた義理でもないな。

 目の前で輝く攻撃的な色の太陽にコスモスは目を戻す。


「他人の不幸を見つけて、その不幸に陥ってない自分は幸せなんだ。そんなふうに第三者的に妥協した幸福こそが、私は本当の幸せだって思うわ」


 …………なんだかな。

「……それって、空しくないか?」

「ええ、空しいわね」

 もし本当にそんなことでしか人間が幸せを自覚できないんだったら、人間が生きている意味ってなんなんだろうな。

 俺は他人の不幸を見て幸福になる。他人は俺の不幸を見て幸福になる。何だこのつまらん傷の舐め合いは。

 とは言っても俺にだって思い当たる節はある。普段生活していると、無意識の内に自分より程度の低い人間を探している、もしくは誰かをそう思い込もうとしていると気付く時がある。時にはそれが親しい友人であったりするのだから自分の事ながら性質が悪い。

 それだけ人間が弱い生き物ってことかね。だとしたら、妥協せざるを得ないってのも頷ける話か。

 しかしながら、そんなことを承知しない人もいる。その人たちは決まってこう言うだろう。

 生きているだけで幸せだ。

 生きているだけで幸せってか。そんなの世間を見ていない、いや見ないフリをしている大人たちが我が身可愛さのあまり吐いた妄言なのは知っている。

 でなければ、それが幸せの境地なのか。他に幸せが見つけられないから全ての人に共通している『生きている』という事象を根本的な幸福と認めることで満足していると自分に必死に言い聞かせるのか。

 …………………………。

 だあ――――!

 さっきコスモスに対して二十年も生きてない小童とか考えただろうが! それは俺も同じだろう!

「結局、俺たちに出せる答えじゃ無さそうだ」

 手すりを勢い良く両手で押し出す。そうやって俺は身体を離した。

「ふーん。そう」

「俺たちはまだ子供だ。子供なら子供らしく、難しいことはとりあえず棚上げして生活するのも、いいんじゃないか?」

 踵を返す。

「逃げにしか聞こえないわ」

「仰るとおり。でも事実だろ?」

 扉を開け、滑り込む。後ろ手に閉めながらチラッと背後を見てみると、コスモスは外に目を向けたままだった。


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