ウラシマ~玉手箱誕生の秘密~
ある箱職人がいた。
海のはるか底には町がある。大きな城を中心に城下町が栄えている。その城の名前は竜宮城。町は大きな泡で囲まれており、呼吸は出来る。移動手段は亀。人々は高度な文明を持った魚と貿易を通して親交を深めることで新たな土地を開拓したのだ。
「乙姫様! お仕事の時間ですよ! 早く来てください!」
「やだ、外出たくない」
「またそんなことを言って……魚たちと話ができるのは乙姫様だけなんです。お気持ちは分かりますがいらしてください」
「……ウラシマに会いたい」
「分かりましたよ、じゃあ仕事が終わったら行ってもいいですよ。ただしあまり長居しすぎないように!」
釘を刺しているのは乙姫に仕える魚人のタラ。魚人といっても見た目はほとんど人で、腕にヒレがあるくらいだ。竜宮町ではたまに魚の遺伝子を持った子どもが生まれる。彼らは竜宮城で乙姫に仕えることができる。
乙姫は竜宮町を仕切るリーダーのような存在だ。代々竜宮町を治めており、個々の人物の名前は存在しない。竜宮町で生まれた人物の中でごく稀に魚と会話できる人が生まれ、乙姫と呼ばれる。乙姫が亡くなった時、新たな乙姫が生まれるとされているが、乙姫の寿命はとても長く人間とは大きく異なる。
そのためまだ子どもであった乙姫は周囲の人間たちとあまり打ち解けることができずにいた。話し相手はタラのみ。彼女もあくまで使用人、その会話は事務的なものであった。
いつものように魚たちと人間たちの関係を取り持ち城に帰ろうとすると、一軒の小屋が目に入った。周りの人たちの会話に耳を澄ますと、
「あのウラシマって人、ぶっきらぼうだし全然外に出ないのね。何してるのかしら?」
「なんか奇妙な箱作ってるらしいわよ、あまり近づかない方が……」
どうやら小屋の持ち主の悪口らしい。それは裏で自分に向けられていた声と大差ないものであった。
乙姫は少し寄るところがあるとタラを先に帰し、その小屋へ向かった。悪口の中に混ざっていたウラシマという名前を頼りに、その小屋へ足を踏み入れた。
「ごめんください……」
「どうしたお嬢ちゃん、何か用か?」
あまりにすぐ声を掛けられたこと、思っていたよりも普通の青年が出てきたことに戸惑う。黙っていると男が口を開いた。
「お前さん、乙姫か」
乙姫は頷く。これほど首が重く感じたのは初めてだった。
「俺といても悪い噂流されるだけだぞ? 早く帰った帰った」
「平気なの?」
「あ?」
「平気なの……? 悪口言われて」
「……悪口ってのは、どうやって生まれるか知ってるか?」
「え?」
「羨ましいときに出るのさ。能力が無いから、どうにかしてそいつの価値を下げて自分を高めようとする」
「そうなの?」
「知らなかったか? まぁ温室育ちのお嬢ちゃんじゃわかんねぇか」
「……分かる! そんな考え方があるなんて知らなかった」
「そうか」
「あの、これからもここに来て良い?」
「好きにしな」
自分と境遇が似ていたからだろうか、あるいは自分にない強さがあったからだろうか。乙姫はウラシマという男に惹かれた。そこから何かと理由を付けて、仕事の合間に乙姫はウラシマに会いに行くようになった。
色々な話をした。ウラシマは箱を作る職人であり、乙姫も何度か手伝ったがウラシマのような箱を作ることは出来なかった。ウラシマの作る箱はどれも美しく、ウラシマに対する乙姫の想いはますます強くなった。
しかし彼女がその秘めた恋心をウラシマに見せる事は無かった。自分は人間とは違う。身体も寿命も。今の関係がずっと続けばいいのに。
(ウラシマはどう思っているんだろう)
彼女にそれを聞く度胸は無かった。
ウラシマは作業中あまり話す事は無かったが、乙姫はその光景を傍でずっと眺めていた。もちろん城の人達は文句を言うけれど、その分仕事をすることで深く追及される事は無かった。
「大変です! 竜宮町の泡に穴が開きました!」
夜にその知らせを受けたとき、最初は意味が分からなかった。城外に出ると、大量の海水が押し寄せていた。すでに膝下まで来ている。乙姫はすぐに穴の近くに向かった。タラたちはすでに穴を塞ぐ作業をしていた。
「タラ、私も手伝う!」
「駄目です! 危険ですのでここは私たちに任せてください!」
タラの顔には余裕が無かった。
「でも、何もしないでいるなんて…...」
「乙姫様はこの後、やることが沢山あるんです! 休んでいてください!」
何も言い返せなかった。乙姫にはどうすることもできなかった。
人間たちは泳げず、魚たちは力がない。そのため穴の修復は魚人たちによって行われた。作業は困難を極めたが、なんとか穴は塞がった。魚人たちの被害は甚大で、多くの命が失われた。
タラもその一人だった。知らせを聞いたとき、乙姫は城の中にいた。何もできない自分を責めた。
しかし乙姫に悲しんでいる暇はなかった。誰が穴を開けたのか、人間と魚で論争となった。乙姫は双方の意見を取りまとめ、議論を仲介しなければならなかった。
「魚が悪いんだよ! お前らが外から突っつくから穴が開いたんだ!」
「外側からつついたのがもしかしたら原因じゃないかなっておっしゃってます」
『ふざけるな! 人間のせいだろ! お前らがいたから泡の中の酸素がなくなって萎んだんだ!』
「もしかしたら人の呼吸で空気が減ってしまったのかな、とおっしゃっています」
出来る限りオブラートに包んだ。しかし態度で何を言っているかは分かるらしい。乙姫の仲介は無駄であった。
五年に渡る論争の末、交渉は決裂となった。結局穴が開いた原因は渦潮と判明したが、人間はこんなところには住めないと竜宮町を去ることになった。町から出る際に移動手段として使われた亀は乱雑に扱われ、人間を海の中に置いて行ったりしたことから、さらに人間との仲は険悪となった。
寿命の長い乙姫は魚や亀とともに竜宮町に残った。魚たちをなだめ、助けてくれた人間だけは恩返しをしようという結論まで持って行った。もちろん乙姫も一度は地上に上がったが、特殊な体質であるため地上の重力に対応できなかったのだ。
一人だけでは竜宮町までの管理は出来ない。せめて竜宮城だけでも残そうとした。
(町にある必要なものを城へ運び込もう)
そう思った乙姫は町を見回った。もう人間はいない。そう思って町を見ていると、音が聞こえた。聞こえるはずのない音、木に釘を打ち込む音だ。音のなる方へ行ってみると、見覚えのある小屋がある。そこには一人の老人がいた。
乙姫はすぐに気づいた。この老人はウラシマだと。そこで初めて分かった。自分の時間感覚は人間とは異なる。五年だと思っていたのは人間だと五十年だったのだ。論争の際乙姫は仲介に疲れ、途中から魚や人の顔を見ることをやめていた。ののしり合う両者が世代交代をしていたことなど、知る由もなかった。
ウラシマはまだ作業をしている。乙姫は小屋の入り口から彼を眺めていた。老人になってもウラシマの手さばきは衰えておらず、乙姫は釘付けになっていた。
「俺はもう長くない」
作業の手を止め、ウラシマが口を開いた。
「だから最後に言わせてくれ。俺はお前のことを愛していた。俺に出会ってくれて、ありがとう」
声より先に涙が出ていた。呂律が回らない舌をなんとか動かしながら、乙姫は声を絞り出す。
「私も愛してたよ。……ずっと。今まで会えなくてごめん」
「いいんだ。それが聞けただけで」
乙姫がウラシマに抱き付こうと近づくと、ウラシマが倒れた。乙姫は何が起こったのかわからず、ウラシマの元へ駆け寄った。
「どうしたの!? 大丈夫!?」
「はぁはぁ……さっきも言ったが、俺はもう長くない。」
「そんな……せっかく会えたのに!」
「お前が頑張ってきたことも、これから頑張ろうとしていることも知ってる。俺はお前に諦めてほしくない。約束してくれ」
「私はあなたがいたから、いてくれたからここまで来れたの。あなたがいないなら私……」
「俺はこれからもお前を応援する。ずっとお前の心の中で生きる」
「……分かった、約束する。私、竜宮城を守って見せる」
「強いな。それでこそ姫様だ。……ただ、もしどうしても一人で辛くなったらこの箱を開けてくれ」
ウラシマはさっきまで作っていた箱を指さした。漆で綺麗に塗られた表面には波が描かれており、深紅の紐が綺麗に結ばれていた。
「綺麗……」
「これは玉手箱だ」
「玉手箱?」
「この箱を開ければ一瞬で年を取ることができる。俺はもうすぐあの世へいく。もしお前が耐えられなくなったときは、俺のところに来てくれ」
「……分かった、ありがとう」
「俺はお前とずっと一緒にいる。安心してくれ」
それがウラシマの最期の言葉だった。涙は出なかった。ここで泣いたらウラシマとの約束を果たせないと思ったからだ。
乙姫はそこから竜宮城を復興させ、魚たちとともに新たな文明を築き上げた。魚たちはヒレを使って歩けるように進化し、城は発展した。
魚や亀によいことをした人間を招き入れたりもした。ご馳走だけでなく、金品のお土産まで用意した。竜宮城でもてなすことで人間との関係を再構築できると乙姫が考えたからである。しかし竜宮と地上には時差があり、竜宮城から地上に戻った人間が絶望したことを乙姫たちが知る事は無かった。
乙姫の部屋にはいつも玉手箱があった。しかし彼女は決して箱に触れることはしなかった。ウラシマのことを思い出す度胸が締め付けられるが、彼の言葉を励みに乙姫は努力を積み重ねた。
ある人間が来た。彼は罠に掛かっている魚を逃がしてやり、竜宮城に招待された。他の人間と同じようにもてなしを受け、地上に帰った。一つ違うことがあった。竜宮城にあった金品が盗まれたのである。後でその男は泥棒であることが分かった。竜宮城のうわさを聞きつけ、わざと魚を助けたのだ。
乙姫は酷く悲しんだ。自分の善意が悪用されたことに対する怒りもあるが、今まで積み上げてきたものが一気に崩された感覚になった。初めて玉手箱に手を伸ばした。紐に手をかけたとき、亀を助けた人間がこちらへ向かっていると知らせを受けた。
「初めまして。浦島太郎と申します」
その名前を聞いたとき、固まった。ウラシマが様子を見に来てくれたと思った。乙姫は玉手箱を開けず、踏みとどまることができた。浦島太郎と名乗る青年はウラシマとは別人だったが、礼儀正しく人への思いやりがあった。乙姫も魚たちも彼にずっといてほしいと感じていた。
「母が心配なので帰らせていただきます。今までありがとうございました」
ある日、浦島太郎からそのような申し出があった。いつもなら金品を渡すところだが、浦島太郎は申し訳ないからと断った。
「それでは浦島さん、これをお土産に持って行ってくださいな」
乙姫は玉手箱を浦島太郎に渡した。
「ただし、絶対に開けないでくださいね」
という一言を添えて。
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