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政略結婚した夫に「悪いが私は君を愛することはない」と言われてしまったので、飲めば溺愛されるという薬「デキアイン」を飲んだ結果

「デキアイン……?」




 人気のない裏路地、見慣れない薬屋の屋台の前で。


 私がそう鸚鵡返しに問うと、謎の老爺は皺だらけの顔に笑みを深くした。




「そう、これを飲めば意中の相手に溺愛されてしまうという素晴らしい薬じゃ。ワシが作った秘薬じゃよ」




 私は薬が入っているらしい小さな小瓶と老爺の顔に視線を往復させ、とにかく物凄く怪しいという顔と口調で更に質問した。




「それは……媚薬、ということですの?」

「いやいや、媚薬じゃない。だから、溺愛」

「はぁ――」

「わからんかね? 溺愛。盲目的に人を愛することじゃが」

「いや、言葉の意味はわかりますけど……何がどうなって飲むと溺愛されるようになるんですの?」

「そりゃもう、有効成分がジワーッと効いて……」

「気がつけば溺愛されてる、と?」

「そうじゃ」




 絶対に怪しい……私はそう思った。


 私はなんとか話を断ろうと、かなり無理やり愛想笑いを浮かべた。




「話としては面白いですが……そう言ったものはうちでは間に合っておりますので。どなたかその、デキアイン? それを本当に欲しがってる方にお譲りするというのは……」

「本当に、いいのかね?」




 不意に、挑みかかるように老爺が薄く笑い、私は愛想笑いを引っ込めた。


 その反応に、老爺は笑みを深くする。




「聞いとりますでな、セレナ・メディス夫人。あんた、旦那様と上手く行っていないんじゃろう?」




 ヒヒヒ、と老爺が笑った。


 上手く行っていない、というのは、当たらずとも遠からずの言い方だ。


 そもそも、こんな結婚は上手くいきっこない――それが正しい言い方である。




 私の実家――ランミス伯爵家の家計は数代前から火の車。


 その借財を整理するため、裕福な医薬商であったメディス家との、財産目当てと爵位目当ての結婚――それが私の結婚生活のすべて。


 私は夫であり、天才薬師との誉高いシアンと、特に面識もなかったのに夫婦となり、お互いの実家はお互いの欲しい物を手に入れた。


 私たちの政略結婚という人柱によって――。




 思わず無言になってしまった私に、老爺は畳み掛けるように言った。




「どうかね、この薬はあのメディス家ですら到底開発できぬ秘薬、いや、霊薬じゃぞ。どうだ、悪いことは言わん。ワシはアンタを助けると思って言っとるんじゃぞ」

「だ、だからって、飲むと溺愛されるからデキアインなんて、名前からして安直すぎて怪しいというか……!」

「え? アンタは怪しいと思うのかね? わかりやすくてナウいネーミングじゃと思うが」

「だいぶ怪しく聞こえますわ。全然ナウくないし」



 私が断固として首を振ると、わかっとらんなぁ、という感じで老爺は力なく首を振った。




「――オクレトールこの令錠」

「へ?」




 私が思わず驚くと、老爺がはっと慌てた。




「い、いや、なんでもない。今のは忘れとくれ」

「な、なんか今一瞬、薬の名前みたいなこと言いませんでしたか?」

「い、イットラン」

「ホラホラそれですよ! なんか薬の名前っぽくないですか!? なにそれ!?」

「な、なんでもない、なんでモナイン錠。これは長い間薬をアキナットールから癖にナットルンだけで」

「なんか今物凄く畳み掛けたように言いませんでしたか!? っていうかそれ、なんかどっかで聞いたことが――!」

「あーあーあーあー!! なんか急に耳が聞こえなくなって来たわ! お嬢さんがなんと言っとるかわからん!」




 老爺が露骨に煙に巻こうとしたのを見て、私もそれ以上の追求をやめた。




「とにかく、お嬢さんこの薬、買うのか買わんのか」

「……それだけの秘薬と仰るなら、きっとお高いのでしょう? まさか財産の半分とかふっかけてきたりとか……!」

「いやいや、200ポチタ」

「は?」

「200ポチタ」

「安っす! 今時ジャンプも買えねー値段ですわ! 瓶代にもならんのにそんなんで秘薬売っていいんですの!? そちらに何の得が!?」

「だから何度も言っとるじゃろう。ワシはお嬢さんを助けると思って言っとるんじゃ」




 老爺は一転、言い聞かせるような口調になった。




「いくら政略結婚とは言え、旦那様に愛されるどころか甘えることも出来ないお前さんが不憫じゃと思うてな。だから大特価でのご奉仕じゃ。な? 悪いことは言わん。言っとくがこれは毒でもなんでもないぞ。騙されたと思って、な? な?」




 なんだか――老爺が妙に媚びるような口調になった。


 どうあっても私にこの薬を飲んでもらわないことには困る、というような、一層不審な態度である。




 だが、バカバカしい話だとは思いつつ、私の中の天秤は揺れていた。


 一方には、夫に愛されず、このままずっとお飾りの妻として生きる人生。


 そしてその一方には、たった200ポチタ――銀貨二枚。


 当然、天秤は揺れることもなく、200ポチタが乗った皿を持ち上げた。




「――毒ではないのですよね?」

「疑うならここで舐めてみせるかね? ワシがお嬢さんに溺愛されてもよいならな」

「それは――困りますわね。本当に、それを飲めば溺愛されるようになるんですわね?」

「ワシの言うことをシンジロン粒剤」

「わかりましたわ。騙されたと思って買います。ちなみに、効果は?」

「一晩じゃ。一晩経てば特に副作用もなく効果は切れるはずじゃ」




 ハァ、と私は決意のため息を吐いた。




「わかりました。馬鹿になって買いますわ。――お爺さん、見慣れない顔ですが、どこかにお店を構えてらっしゃいますの?」

「いやいや、ワシは通りすがりの薬師じゃて。だがお前さんがまた会いたいと願えばその時はいつでも会えるともさ」

「は――?」




 その発言に戸惑ってしまった私に、老爺は意味深な笑みを浮かべた。







「旦那様、只今戻りましたわ」

「遅かったな、セレナ。何か外に糸用事でもあったのか?」

「いえ――ちょっとした野暮用で外に出ました。特にこれと言って用向きがあったわけでは」

「メディス家には色々と敵も多い。不用意に外をふらつかん方がいい。それに、お前がそんな陰気な顔で外を歩いているのを見られると家名に傷がつく。――全く、妻としての自覚がナットランな、お前は」

「――はい、申し訳ございません。以後気をつけます」

「マーヨイン。悪いが今私は仕事中なのでな。静かにしていてくれ、集中したいのだ」




 冷たくそう言い放って、夫であるシアンは机の上の紙に向き直ってしまった。




「うーん、新しく開発した安楽死用の薬の名前か……ブチコロン、いや、これでは安直すぎるかな……」




 がりがり、と悩んだように頭を掻き、シアン様は唸った。




「ピンコロリ……こんな薬を飲む患者は間違いなくピンピンしとらんだろうな……パタルーゾ、クタバットール、シンデルワ錠剤……。くそっ、どんなに優れた薬を発明できたとしても、名前がカッコよくないなら全く意味がないというのに……!」




 私の存在などもう意識の外にしてしまったように悩んでいるシアン様を見て――ズキッ、と、私の胸に鋭い痛みが走った。




『君と結婚はしたが、これは愛のない政略結婚だ。悪いが私が君を愛することはない。つまり――アイスノンだ』




 結婚当日の初夜、シアン様は私に向けてそう言い放った。


 その発言を聞いた私は、わかってはいても落胆した。


 そんな私を見つめながら、シアン様はなおも言った。




『君をアイスノンなので、今日より寝室は別とする。君は子供でも出来れば私がホダサレールとでも思っているのだろう? だがそれはアリエネーナ軟膏。以後も私からのアイ錠など期待するな』――。




 私の夫であるシアンは、私を愛していない。アイスノンだ。


 それにいつも仕事仕事、四六時中ダサい新薬の名前を考えていて、私を顧みたことなど一度もない。


 そのせいか言葉の端々にも薬の名前っぽい単語がよく出てきてて、正直キモい。


 


 私はお飾りの妻、政略結婚の駒――それはわかっている。


 けれど――私だって人並みに誰かに愛されてみたかった。




 だからこの怪しげな薬を買った。これが人を殺める猛毒であるなら、それでもよかった。


 とにかくこれ以上、こんな空虚な日常が続くことに耐えられなかったのだ。




 意を決して、私は手に持った小瓶の栓を開けた。


 と――その時、シアン様が顔を上げた。




「セレナ、その薬はなんだ?」

「――最近、風邪気味なので。安い市販の薬を買い求めましたわ」

「ふーん、そうか」




 なんだか、この冷徹な夫が滅多になく気のない返事をしたのが気になったけれど、私はもう迷わなかった。


 ぐいっ、と瓶に口をつけた私は――目を固く瞑り、一息に中身を飲み干した。




 ――なんだか、リンゴの果汁の味がしたような気がしたが、味など感じる暇はなかった。


 ほう、とため息をつき、私は自分の変化を観察した。




 何も起きない。


 当たり前だった。


 身体が熱くなるとか、ざわざわするとか、そんなことは一切なかった。




 ふっ、と、私は莫大な徒労感と自嘲に、思わず笑ってしまった。


 ほら、やっぱり――嘘だったじゃないか。


 飲むだけで意中の人に溺愛される薬など――ありえないのだ。


 


 なんだか、妙に馬鹿馬鹿しくなって、涙が出てきた。


 涙が零れそうになるのを必死になって堪えていた――その時。




 バンッ! という音が聞こえ、私は飛び上がった。




 夫であるシアンが、ペンを机に叩きつけ――ゆらり、と立ち上がった。


 立ち上がったまま、ゆらり、ゆらりと私に近づいてきて――私は思わず後ずさった。




「え――? だ、旦那、い、いえ、シアン様――?」

「で、きあい……」

「え?」

「できあい……溺愛……溺愛……! ウオオオオオオオオオオ!!! 溺愛ィィィィィッッッツ!!」




 その瞬間、シアン様が猛然と咆哮した。


 咆哮した直後、ガッと私の両肩を掴むや――シアン様は私の首をガッツリとホールドし、ものすごい勢いで私の頭を撫で始めた。




「し、シアン様……!?」

「溺愛溺愛溺愛溺愛溺愛溺愛溺愛溺愛溺愛溺愛溺愛溺愛溺愛ィィィィ!!」

「ちょ、し、シアン様! 突然何を……!?」

「溺愛溺愛溺愛溺愛溺愛溺愛!! 死ぬ気で妻を溺愛するッ!! ウオオオオオオ!! ナデナデナデナデナデナデナデナデナデナデ!!」

「あの、ちょっと、シアン様……! アアッ、熱ッ……! し、シアン様! あまりナデナデされると摩擦熱で熱ッ……! ああーっ!!」

「ウオオオオオオオオオ!! 可愛い! ウチの妻が極限に可愛い! 可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い!!!!」




 ――今この状況を見た人はワケわかんないでしょうね。


 あの冷徹で、やり手の実業家と言われているシアン・メディスが、目を血走らせ、涎を拭き散らし、戸惑うというよりはドン引きしている妻の頭をホールドし、シュルシュルと煙が立ち上るほどにその頭をナデナデしているのだから。




 だが、シアン様の豹変――というか、錯乱に戸惑っている私に構わず、シアン様の溺愛攻勢は次のシークエンスに突入した。




「ウオオオオオオオオ!! ぶちゅぶちゅぶちゅぶちゅ!! ちゅー! ちゅーさせろよオラァ!! ちゅー!!」

「う、うわップ……! な、何をやってるんですかシアン様!? こんなところでちゅーとか……! は、はぶ……んちゅ……あむ……!!」

「ウオオオオオオオ!! ちゅーされて真っ赤になってる妻が可愛い! 可愛い・獄! 獄レベル!! もっと溺愛させろよオラァ! 拒否ってる妻いる!? いねぇよなぁ!! 旦那様のドメスティック溺愛、セクシャルバイオレットだ!! もっとメスの顔しろよゴラァ!!」

「あ、ああああ―――――ッッ! ちょっと! ちょっとなにこれ!? これって溺愛されてることになるの!? 私こんなのされたことないからわかんないって……あ――――――れ――――――っ!!!」




 その後、唇と言わず額と言わず頬と言わず、いやもっと言えないところにも遠慮なくチューされて――これ以上は幾ら私でも書くまい。


 その後、ますます目を血走らせたシアン様は有無を言わさず私を抱え上げ、ノシノシと寝室の方へ歩いていき――。







 翌朝は、チュンチュン……と、小鳥の鳴く音で目が醒めた。いわゆるところの朝チュンである。




 しばらく、口の中に入っていた髪の毛の束をくっちゃくっちゃとしゃぶり、頭を掻き毟り、ふわあ、と大あくびをしたところでようやく――隣にシアン様が寝ていて、しかもお互い全裸であることに気がついた私は、ぎょっと目を見開いた。




 ぎょっと目を見開いて固まった後、様々な感情が錯綜して――結局、私はフヘヘッとスケベに笑ってしまった。




 なんというか、すごかったな、昨日。


 これが溺愛、か。


 いや、なんか違う気もするけど――多分、これが溺愛なのだ。




 昨晩まで空虚の塊だった私は、昨晩のシアン様の溺愛ラッシュによってすっかりと満たされ、なんというか……めちゃくちゃ幸せだった。




 一度飲めば意中の相手に溺愛されてしまう薬、デキアイン。


 あの薬は本物だったんだ、よしまた買おう、と決意の握り拳を握り締めた私の横で、んむ……とシアン様が目覚めた。




 あ、そう言えば、これはあくまであの薬の効果なのだ。


 シアン様は私をアイスノンだと言っていたし、この状況をどう説明しよう……!?




 慌てる全裸の私をじろりと見て――次の瞬間、シアン様は予想外のことを言った。




「おはよう、セレナ」




 え――? と驚いている私を冷たく見て、シアン様は起き上がり、大きな大きなあくびをひとつした。




「し、シアン様……?」

「なんだ」

「き、昨日の晩のこと……覚えてらっしゃらないの?」

「覚えてるが」

「な、なんでそんな冷静……!? これはアイスノンの政略結婚のはずじゃ……!」

「何を言ってるんだ、君は。昨日の晩は私が何故かたまたま君のことを溺愛したいと思ったからそうしたまでで、私が君を愛することなどない。引き続き私からの愛情など期待するなよ」




 いや全く意味わからん、どういう理屈――!?


 完全に混乱している私を放って、シアン様はそこらへんに脱ぎ散らかした服を平然と身に着け始めた。







「お爺さんお爺さん! またあの薬売ってくださいませ!」

「お、おお、お嬢さんかい。ちょっと待っとくれ。腰が痛くてな……」

「え? ぎっくり腰ですか?」

「いや、昨日ちょっとトシガインもなくハッスールスプレーしてしまっての……心配はいらん。あだだ……」




 老爺は腰を庇うように立ち上がると、なんだか満たされた表情の私を見て、ニヤリと笑った。




「あの薬は嘘じゃなかったじゃろ?」

「はい! なんというか、物凄かったですわ!」

「ははは、それはよかった。――どうじゃ、あの薬以外にも色々と試してみるかね?」

「えぇ!? あの薬以外にも秘薬があるんですか!?」

「トーゼンダ内服液」




 老爺は自信満々に頷いた。




「どれどれ!? 色々とあるなら色々と見せてください!」

「ほほほ、そうセクナ粒剤。うむ、例えばこれは夫にお飾りの妻じゃと言われたとき、飲めば自由に生きられるオカザリン、これはクソ妹に婚約者を譲れと言われたとき、飲めばもっとカッコイイ婚約者が現れるムコユズールヨコヨコ、これは異世界に聖女として召喚されたときに飲めば、一緒に召喚された小娘ではなく自分が真の聖女であると証明できるワタシガ真聖錠……」

「アッいりません! そんな異世界に聖女として召喚される予定とかないんで! デキアイン、デキアインをください!」

「え、えぇ……? そうかい? つまらんのう……」




 それから一ヶ月の間、私は毎日のように老爺からデキアインを買い求め、毎晩のようにシアン様に溺愛される日常を送るようになった。




 この薬は本物だ。


 疑いなく、本物だった。




 だが――いつしか私の心には、拭いきれない違和感も生まれ始めていた。




 これは結局、薬の効能によるもの。


 どこまで行っても真実の愛にはならないのだ、という事実が、徐々に私の心に消えない影を作り始めていた。




 いや、それ以上に――。




「ほほほ、お嬢ちゃんがあの薬のおかげでちゃんと旦那様に溺愛サレトールなら薬師冥利に尽きるというものじゃな。旦那様もきっとウレシーナと思うぞ。何の確証もない話じゃがな、きっと旦那様も心の底ではちゃんとアンタをキニイットールんじゃないかと思うんじゃがな――」




 ああ、やっぱり。


 最近、私たちの夫婦生活が上手くいっているからか、この人は確実に油断してきている。それが証拠に、会話にバンバン新薬の名前が混じっている。


 言葉の端々に薬の名前っぽい単語を挟みながらデキアインの瓶を包んでくれている老爺を、私は確信的な眼差しで見つめていた。







「お爺さん」

「おお、お嬢さんかい。心配するな、新しいデキアインならちゃんとここに……」

「いりません。もう今日限り、デキアインを買うのはやめますわ」

「は――!?」




 老爺は仰天して私を見つめた。


 私は決意の表情で老爺を見つめた。




「な、ナゼーダフロアブル! もう旦那様に溺愛されなくなってもいいというのか! お前さんはあれほど毎日幸せそうな顔シトッタ乳和剤じゃないか! 今更ドーシタン除草剤はスギナに強い!!」

「驚きすぎて医薬品じゃなく農薬っぽい名前になっておりますわよ、お爺さん。でも、もう甘えるわけには行きませんわ。お爺さんにも、デキアインにも――」




 私は自分の腹を右手で触った。




「私、妊娠しましたの、シアン様のお子を」

「うぇ――!?」

「これからは妻というだけではなく、私は母となります。もう後戻りは出来ません。私は母として妻として、薬などに頼らずとも、シアン様と幸せな家庭を築く義務があります」

「ほっ、本当かセレナ! そんなこと全然私に言わなかったじゃないか! なんで黙ってたんだ!?」

「はい? 何か今おっしゃいましたか?」




 私が確信的に問うと、はっ――!? と老爺が慌てた。




「な、ナンデモナイン、ナンデモナイン錠! とっ、とにかく! それなら違う薬を処方してやろう! えーっと、うーんと……こっ、これじゃ! ゲキアインS!」




 ――それは、かなり無理のある芝居だった。


 どう見ても傍らに置いてあった瓶は、巷で売っているブドウ果汁の瓶だ。




「これを飲めば、うーんと、えっと……意中の相手に更に溺愛されるんじゃ! もう溺愛などではない、もうすっごい激愛されるんじゃ! しかも効果は一生涯続く! 妊娠祝いとしてお前さんにタダで譲ってやろう! な、な!?」

「……お爺さん、それはどう見てもぶどうジュースの瓶ですわよね? 色もそうですわ。デキアインの主成分はリンゴジュースでしたわよね?」




 私が睨みつけると、う……! と老爺が言葉に詰まった。


 そう、アレから何本もデキアインを飲んでみたが、味的にも香り的にも、どうにもリンゴジュースである気しかしない。


 しかもデキアインの効果があった日はシアン様の前であの薬を飲んだ日に限っていたし、そうでなかった日のシアン様は、なぜか物凄くソワソワしていた。


 それについ先日、三日ほどデキアインを飲まなかったら「今日、街の怪しげな薬商人から何か買っていないか?」などと、ほぼ決定打なことまで聞いて来たし。




 となれば――結論はひとつしかない。


 物凄く狼狽えている老爺は、それでもあくまで観念しないつもりであるらしかった。




「こ、粉薬、粉薬をぶどうジュースに混ぜとるんじゃよ。効果は保証する。今ここで飲みなさい」

「何故です? さっきから、というか最初から、お爺さんは私にその薬を飲んでもらわないと困る理由でも?」

「う――! こっ、困る! その通り、お前さんにこれを飲んでもらわんと困るんじゃ!」




 老爺は必死になって言い張った。




「わっ、ワシは昔、好いた女性がおってな! それが政略結婚で、相手の女性は政略結婚であるということを気にするあまり、私に全く愛されてくれなかったんじゃよ! ワシはそんなものどうでもよかった、ただ私に素直に甘えてくれればそれでよかったのに――!」

「ふーん、お爺さんもしかして、そのときにその女性に向かって『君をアイスノンだ』などと口走ったんじゃないですか?」




 ぎくっ、と、老爺が肩を揺らした。


 その後、無言になってしまった老爺に――ハァ、と私はため息を吐いた。




「なんでそんなこと言ったんですの?」

「だ、だって……その時は本当にそう思っていたんだ……お互いに愛のない結婚だと……。でも一緒に生活するうち、どんどん彼女に惹かれていって……。……あ、惹かれていったんじゃよ……」

「シアン様、もういいですわ」




 シアン様、と呼びかけると、老爺の目が見開かれた。


 私はその間抜けな表情に構わず、老爺の白いひげを鷲掴みにすると――一息に引き剥がした。




 途端に、バリバリッ! という音が発し――皺だらけの老人の顔のマスクが取れ、その中から私の夫であるシアン・メディスの美しい顔が現れた。




「あッ――!?」

「シアン様……シアン様、ですわよね。全くもう、何をこんな馬鹿なことを……」

「せ、セレナ……! いつから、いつから気づいてたんだ……!? 私がこんなコシバインを打ってたことを……!」




 何故あの言葉遣いでバレないと思ったのだろうか。


 この人――実はなかなかのアホであるらしかった。




「もうかなり前からですわ。っていうか、下手したら最初からです。だって言葉の端々に薬の名前っぽい単語が交じる人なんてそういませんでしょ。しかも適度にダサいし。バレバレでしたわよ。シアン様はアホヤーデシロップ」

「う……! そ、その名前いいな。後でメモっとこう……」

「それよりも先に、言うことがあるでしょ!」




 私がカミナリを落とすと、うひっ、とシアン様が肩を竦めた。




「さっき言ったことは嘘じゃありませんわ! あなた、近いうちにパパになるんですわよ! こんな間抜けな小芝居打っておきながら、毎晩毎晩足腰立たなくなるぐらい、あれだけ隅から隅まで私をデキアインしときながら、これでもまだホダサレーヌとかアイナイン点鼻薬とか言うんですかッ!?」




 ぷんぷん、と私が頬を膨らませると、シュン、とシアン様が項垂れた。




「最初こそあんなことを言ってすまなかった。私は……これから君を一生、アイスールと誓う」

「はい」

「一生デキアインするよ」

「はい」

「君だけじゃない、生まれてくる子供と一緒に、必ず幸せな家庭を築くとチカウゾ点眼」

「最後、薬の名前になってますわよ」

「あ、いや、誓います……!」




 慌ててそう言い直したシアン様に、私は思わず笑ってしまった。


 シアン様も、自分に呆れたように笑った。


 こうしてお互いに顔を見合わせて笑いあったのは――初めてのことだった。




「あ、そう言えば、シアン様」

「なんだい?」

「そのぶどうジュース……じゃなかった、ゲキアインSを私にください」

「あ、いや、これは君が言った通り薬ではなくて、ただのぶどうジュースで……」

「いいから! これはゲキアインSなんですッ!」




 私がそう言い張ると、シアン様がおずおずとぶどうジュースを差し出してきた。


 瓶の蓋を開け、私は一口、そのぶどうジュースを呷った。




「んー」

「ん? 何? なんだ?」

「んー! んー!!」

「え、なんだ……顔をこっちに寄せろって?」

「んー! んー!」

「よ、寄せればいいのか? こんなことをして一体何が――」




 瞬間、私は有無を言わさず、胸ぐらを掴んで引き寄せたシアン様の唇を奪った。




 ん゛―――――!? と唸り声を上げたシアン様に構わず、私は口内のぶどうジュースを流し込んで――ゴクリ、と、シアン様の喉が動いた。




 しばらくして口を離すと、シアン様の冷徹な美貌は真っ赤っ赤になっていた。


 溺愛することには慣れていても、溺愛されることには慣れていない――。


 まるで年端もゆかぬ少年のようなこの夫を、私は心から愛おしいと思った。




「これで私たち、一生ゲキアインですわね――?」




 ぺろ、と唇を舌先で舐めながらの私の言葉に、シアン様は一層顔を赤くした。




ここまでお読み頂きありがとうございます。


この間、地元の書店のなろう系コーナーに行き

「溺愛」という単語が入った本を数えたところ、

なんと29タイトルもありました。


「そういや、私が本気で溺愛を書いたらどんな魔物が生まれるんや?」

と思って書いたのがこの短編です。

いかがでしたでしょうか。



ということで、


「面白そう」

「続きが気になる」

「フッ、面白い小説だ」


そう思っていただけましたら下から★★★★★で評価願います。

何卒よろしくお願い致します。



【VS】

新連載始めました。↓



【連載版】グレイスさんはお飾りの妻 ~偽装結婚した夫に「お飾りの妻でいてくれ」と言われたから死ぬほど着飾った結果~

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― 新着の感想 ―
面白い話かと思ったら、凄いいい話だった…!? 大変良かったです。他のも読ませていただきますー(^-^)
[一言] やばいツボでハマりまくりです ひゃはーたのしーと読んでたら告知のお飾りの妻を見てなんだか納得しました 絶妙に涙も出ちゃうポロリ要素のあるコメディー作品大好きです!
[良い点] 魔物というかクリーチャーを産み出す作者様。 想像の斜め上をいく溺愛(?)に溺愛とは…?(哲学)って終始宇宙を背負って読ませていただいた。 子どもに旦那の謎ネーミングセンスが遺伝して欲しい様…
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