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死神の存在証明について。

作者: 丸峰

(a)人間は死を知り得ない。そしてそれは人間を超越する。

人間はリンゴを知る。然し、それは経験的にである。例えば私の目の前に一度たりともリンゴが現れなければ、私はリンゴを知らない。そして、私は死を一度も体験していない。故に私は死を知らない。また、死は体験し得ない。何故なら、死は、体験をさせる生の終着点だから。

人間は数によりリンゴを知る。人間にはアプリオリに数の概念がある。何故なら、私と言うひとつと、リンゴというひとつが別々だとわかっていなければ私はリンゴを知り得ないのだから。これはところで理性による区別とも言える。そして私は死を生と区別して考える。然し、私は生を今までの経験を以て諸々語れるが、死は生と区別されたものであるとしか言いようがない。故に、死は人間の理解を超越する。ここで、生とは我々の思う生ではないかもしれない。だが、ここでは割愛する。

(b)然し、死は確実に人間に訪れる。

今までの人間で死ななかったものはいない。だから、人間は死ぬはずである。ここで、私は人間とは違うかもしれない。ただ、少なくとも私以外の、私から見ての人間は確実に死ぬ。

(c)ところで、人間は理解の及ばないものを神と呼ぶ。

私や昔の人は世界がどう始まったかを理解できない。何故なら、それは経験できないから。よって、すべての原因として昔の人は神を立てた。自然は我々の思惑とは別に動く。故に我々は八百万の神を立てた。

(結論)故に、死神とはこの世に絶対的に存在する。

死とは人間の理解の及ばないものである。ところで人間は理解の及ばないものを神とする。故に、死神は人間の概念機構の中で絶対的に存在する。


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