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『良かったねぇ』
「うん」
私はあの奇跡のような話をヒロさんに真っ先に報告した。
かなり熱っぽく話してしまい、喉が渇いてしまうのも忘れて話した。
宿り木カフェの回数券は残り2回。
せっかくなので1時間にして今日で最後にすることにした。
二回会えるチャンスを一回に決められたのも、会社での出来事が大きかっただろう。
「他の部署に異動したことは以前もあったし、別に部署が移動してどうこうなるなんて思ってなかった」
『それは珍しい方かもね』
「あの後も、部署の人優しいの。
怖いなって思った男性も、話すと優しくて」
『おや、気になる人でもできたかな?』
からかうような声に、私は本音を言った。
「気になる人はできたけど、でもね、やっぱり怖いの」
『怖い?』
「お姉ちゃんの事があったから」
『あぁ、そうか・・・・・・』
姉のことがあってから、男性というものが正直言えば信用出来なくなっていた。
姉も最初は優しい人だと言っていたし、法廷で見た最初の印象はとても暴力をふるいそうな男には思えなかった。
優しい人だと信じても、急に変わることだってあるのかもしれない。
そう思うと、結婚、いやそもそも彼氏を作ることも怖くなっていた。
『由香ちゃんは私をどう思う?』
「どうって?」
『優しい?怖い?』
「もちろん優しいよ!」
断言した。
こんなにもわかり合えた人は初めてだ。
そしてこんなに気持ち良く話せた人は初めてだった。
『もしかしたら、これは全て演技だと思った事は無いの?』
「えっ?」
急に思っていないことを言われビクリとする。
声がいつになく低く、冷たいように聞こえ、私は不安になった。
だってそんなこと思いもしなかったから。
こんなに何度も話したんだ、ヒロさんが演技をしている訳が無い。
そう思うのに、そんな風に言われたら自信が無くなってきてしまう。
だって私には人を見る目なんてものを持っているかなんてわからない。
『由香ちゃんはまだ若い。
お父さんもいなかったし、お姉さんの事もあるから、あまりに男性を見る目というか判断する材料や経験が少なかったり偏ったりしすぎていると思う』
「うん・・・・・・自分でもそう思う。
なんかもう私、一生一人で過ごしてもいいや」
あんな怖い人にひっかかる可能性があるのなら一人の方が良いと思う。
あのしっかりしていた姉ですらあんな酷い男を選んでしまったんだ、私にはまともに選べる自信が無かった。
『・・・・・・私はね、再婚しようと思っているんだ』
「えっ・・・・・・」
突然の話に私は言葉を失う。
再婚?
それってあんなに大切だと言っていた亡くなった奥さんを捨てるってこと?
『会社で知り合った人なんだけどね。
彼女は中途採用で私よりかなり若いけど、彼女のひたむきさに気がつけば心を動かされてしまって。
以前から交際を申し込んでいて、やっと少し前にOKをもらって交際を始めたんだ』
さっきからヒロさんは何を言っているの?
そんな事をして、奥さんの記憶は、奥さんへの愛はどうなるの?
『もう年齢も年齢だし、彼女との事は曖昧にせずに早くきちんと結婚について話をしようと思ってる』
「・・・・・・奥さんは?亡くなった奥さんは?
あんなに素敵な人はいないって私に話していたのは嘘だったの?!」
『いや、本当だよ』
「なんでそんなに大切だった人を忘れて他の女性を好きになれるの?!
おかしいよ!奥さんが可哀想だよ!!!」
「由香ちゃん・・・・・・」
裏切られた。
裏切られたんだ、私は。
同じ苦しみを味わって、そして私の事を理解してくれる人に出逢えたと心を許していたのに。
しかしヒロさんは私に妻のことが大切だと言いつつ、裏では他の女性を愛していたなんて。
本当だ、私に男性を見る目なんて全くないじゃない。
信用して心を開いていた相手からの裏切りにあうだなんて。
ここは心を休める場所じゃなかったの?
酷い。
ヒロさんも私を本当は見下したりしていたの?
人を愛せない可哀想な子だって。
私はそんな気持ちが溢れて飲み込まれそうだった。
『由香ちゃんは私が妻以外の他の人と結婚するのは反対なんだね?』
「当たり前じゃない!」
『それは私が幸せになることに、怒りを覚えているって事かな?』
ゆっくりというヒロさんの言葉に、私の思考が止まる。
ヒロさんが幸せになることに私が怒りを覚えている?
まさかそんな。
私が怒りを覚えているのは、あんなに大切だった奥さんを捨てることだ。
「違う!
ヒロさんが奥さんを捨てることだよ!」
『捨てるなんて事は無い。
私は亡くなった妻だって今も愛しているよ』
「そんなの嘘!」
『私はずっと亡くなった妻を抱えたまま、一人で生きていかないといけないのかい?』
その言葉にはっとする。
混乱している頭を必至に落ち着かせ、ヒロさんの言葉を考える。
あぁそうか、私はヒロさんには亡くなった奥さんだけを思って生きて欲しかったんだ・・・・・・。
ずっと苦しみを、悲しみを抱えたままで。
私を理解してくれる、私の理想の人のままで。
そんなことを言われるまで、私が深いところでそう思っていたなんて気がつかなかっただろう。
『由香ちゃん。
君は、私がずっと妻だけを思い、悲しく生きて、それでも前を向いて歩く人であって欲しいのだと思う。
それは理解出来る。
私も妻を亡くした後は、もう誰も愛せないと思っていた。
けど時間が経つに連れ、妻を忘れるのではなく、覚えたままでも進めたんだ。
だがこれは私が妻を交通事故で亡くしたからかもしれない。
由香ちゃんのように、お姉さんを殺されたり、お母さんが自殺したりという、私より遙かに若い時に遙かに大きなものを味わった君とは比べることは出来ない』
静かに話すヒロさんの声を、私は少しぼんやりと聞いていた。
『実は友人の一人にこの事を打ち明けたんだ』
「・・・・・・うん」
『同じように、裏切られた、と言われたよ』
「え?」
『お前はずっと彼女だけ思って必死に頑張ってると思っていたから、助けようと思えた。
でもその端では他の女を考えていたんだな、自分だけ幸せになるつもりだったんだなって』
言葉がない。
しかしそれはさっき私によぎったものと同じだ。
そう、なんでヒロさんだけ幸せになるの?と思ったのだ。
『彼からすれば、可哀想な私が良かったんだ。
それを助けている自分が良かったんだろう。
もちろんそれが全てだとは思っていないんだけどね。
遺族ならずっと悲しんでいるべきだという固定概念もきっとあったのだろう。
まぁ仕方のないことだ』
その声はとても寂しそうだった。
きっと、ちゃんと進めているのだと、ただ喜んで欲しかったのに、そんな風に返されて、ヒロさんはどんなに傷ついただろう。
私も先ほど言ってしまった、同じような事を。
お祝いすべきなんだろう、でもそう簡単には気持ちが切り替えられない。