路地のフクロウ
並び立つ建造物に、行き交う人々がかすかに聞こえる裏の路地。
おそらくは昼であろうに、高い建物に囲まれたこの地は今も暗い。
我はフクロウ。
十年ともなる間、この路地裏を我が居場所として生きてきた。
森には帰らない?
そうではない。元々ここが森だったのだ。
ニンゲンが増え、近隣の木々は切り拓かれ、街が大きくなったことで、長年住んていたこの場所は大いに変わった。
少し進めば森に帰れるわけだが。
はて、この路地。住むには案外都合がいい。
昼でも目立たず襲われず。
夜にはニンゲンが出す食い物を狙う鼠が漂う。
居場所を失いながら、何の不自由なく定住し続けるとはなんとも皮肉なものだ。
そして今も、狩りの時間を待って我は朽ちた柱の上で目を閉じていた。
こうしているとよく下で音が鳴る。
「×××……」
「……××××!」
大抵それは鼠ではない。いや、大きな鼠と言うべきか。残念ながらその言葉まではわからない。
図太い声同士での口喧嘩。
鼠の足音にも近い、含み笑いを交らせる男同士の囁き。
またある時は、悲鳴かと思いきや直後にバタン、と倒れる何かの音――
我は生きるために、路地であろうと森であろうと、ニンゲンの集落であろうと狩りをやめるつもりはない。
ともなければ表の通りからは目立って聞こえてこぬというのに、路地に入るとニンゲンは行動を変えてくるようだ。
そう耽っていると案の定、我の聴……、いや、触覚が何かを察した。
頭に羽が触れた。
どうした、こんな路地に我以外の鳥でもやってきたと言うのか。
うっすらと目を開けるとちょうど羽が目の前を垂れた。混じり気のない、純白の羽だった。
さらに聞こえたのは翼を打ち下ろす羽ばたき。上から下へ、着地するために風を叩く音が我の耳に届いた。
いや、やめておけ。
我は心の中で呟く。
このお世辞にも綺麗と言えない路地で、主のそんな綺麗な羽は似合わぬ。
羽は汚れ、標的に勘づかれ、ニンゲンからは見物にされるだけだ。
そんな我の忠告が届くわけもなく、その白き羽の主は地上まで降りたようだ。気が付いた時には我の身体にまた数枚、純白の羽を残していきおった。
しかたなし、と我はまた目を閉じた。
だが、それから間もなくニンゲンの声が聞こえてきた。
フクロウの我でもよく聞く、図太く低い声の者数人。そこに、甲高い声の者が一人混じっておる。
む? と我はついに地上を見下ろした。
――なんと、あれが白き羽の主か。
そのものは見た目はニンゲン。にもかかわらずその背中に翼を生やしておるではないか。
その者を何と呼ぶ?
天使、とでも呼ぶのか?
今聞こえた甲高い声は、どうやらその天使のようだ。
その者が数人の人間と、対峙している。
はて、どうする?
そなた、ニンゲンらしくもニンゲンではなかろう?
やはり我ら鳥と同じく見物にされているのではないのか?
白き翼の主はニンゲンどもの圧に押され、徐々に路地の奥へと入っていく。
その行方を、我は一歩たりと動かず見守った。
「××ーっ、××××××××ッ!!」
突如響いた翼の主の声にニンゲンも、我もピクリと体を揺らす。
すると、どうしたことか。翼の主より喧嘩が勃発した。
乱闘騒ぎに静かだった路地裏が活気づく。
取り囲んでいた者どもは数で群れようとしているが……。
逆に自分たちが倒されている。
翼の主、どういうことだ?
そなた、どこの狩人だ?
なぜそなたが地上戦を制してしまうのだ?
羽を持ちながらニンゲンとしての力を持った者。それが、時折光を発し、ニンゲンどもを蹴り、殴りつけながら一人ずつ確実に仕留めていく。
いや、待て。
我が思い描いた絵図とだいぶ違うぞ。
なぜその美しい羽がお飾りとなってしまうのだ!
ニンゲンより勝るもの、それは翼だと信じて止まなかった我には受け入れがたい映像だった。
結局その翼の主は四人を捌き、後から入ってきた三人をも片付けた。
流石に疲れたか、息を切らした様子が我の目にもしっかりと見えた。
だが、少しして翼の主はパンパンと手を掃う。
「××××、×××××××××××」
何かを言って翼の主は空を見上げた。
一瞬視界に入った我は内心どきりとしながら、身の硬直を保った。
やがてお飾りとなっていたその翼が羽ばたく。
そして、ニンゲンであるその足が宙に浮く。
少し疑ったが、やはりあの翼はあの者のようだ。
それから間もなく、その身体が我の前を通る。
とすれ違うその一瞬。
(キラリ)
その者と目が合った。
そして、こちらを向いて微笑み、片目を閉じて見せた。
そのまま勢いを殺すことなく、翼の主は高い建造物を越え、空高く舞い戻っていった。
――気づかれていたのか?
朽ちた柱に石像として存在していた我だが、目の前で起きた出来事を受け入れられずやはり身を固めるしかなかった。
結局あの者が誰なのかはわからない。
数日、しばらく昼もうっすらと目を開けて様子を窺ったが戻ってくる様子はない。
ニンゲンどもといざこざを起こして呆れ、ここには用がないとでも思ったか。
まあ、それはそれでよい。
もともと、その美しい翼に、この路地はやはり似合わぬ。
だが、これを機に思ったことがある。
ニンゲンの側面が垣間見られるこの路地で、我は日々貴重な場面を見ているかもしれん。
この路地はニンゲンによって勝手に作られ、それに我は順応し、我は本能のまま狩りをするしかなかった。
決してその流れに逆らうことはできん。
だが、ある時にここでは異変が起こる。あの翼の主を引いても、ここに来る者たちは表の通りを歩いている時とは少し違う。
その者たちが、ここに新しい風を吹き込んでくるのだ。
また五年、十年もすればただの吹き溜まりであるこの路地に新たな風が吹くのだろう。
それはニンゲンか、あの翼の主か、誰が引き起こすかはわからない。
森にいたらわからぬことを、残された命で見届けよう。
あの主が、戻ってきた時にはまた迎えよう。
たとえまた、あの時のように石になろうとも――
物こそ言わぬが、我は、その生き証人なのだ。