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頭の中がお花畑

作者: 村崎羯諦

「有森さんの頭の中はお花畑になってますね。あ、いや、誤解しないください。世間知らずだとか夢みがちだって言ってるわけじゃなくて、頭の中に本当にお花畑が広がっているんです」


 この医者は何を言ってるんだ。そう疑いながら、俺はMRI検査で撮影した脳内画像を見る。しかしそこにはテレビで見るような脳内画像ではなく、草木や花が楕円形に広がったお花畑が写っていた。画像はモノクロ画像なので所々見づらいものの、頭蓋骨の際まで咲いている花は多種多様。もしカラー画像だったなら、色とりどりの画像になっていたに違いがなかった。


「これはやはり……俺があまり常識のない人間だからこうなっているということでしょうか?」

「ええ、医学的にはまだ解明されてはいないんですが、そういう人ほどこのような脳になりやすいと言われているんです」


 医者の言葉が胸に突き刺さる。確かに俺は他の人と比べて常識がない。一時期は引きこもりの生活を送っていたし、社会人なった今でも家と会社の往復で時間が過ぎていき、他の人がごく当たり前に経験していることを経験できていない。その上、昔から夢みがちな性格で、空想家気質なところもある。能天気だとか世間知らずだというのは今まで散々言われてきたことだし、頭の中がお花畑だと言われても、反論のしようがなかった。


「正直、頭の中がお花畑なんていうのは恥ずかし過ぎます。これってどうにか普通の脳に戻すことはできないんですか?」

「まあ、除草剤とかを撒けばなんとかなりますよ。でも、ちょっとだけ待ってくれませんか? 私も色んな脳内お花畑を診察してきたんですが、有森さんのお花畑は今まで見たことのないタイプなんですよね。お時間がよければ、これから知り合いの植物学者を呼んでみて、彼に見てもらいたんですが、どうでしょう? もちろんこれは治療ではなく、研究活動なので、お気持ち程度ですが、協力してくれた分のお給料はお支払いします」


 医者が俺の目を見つめ、真剣な表情でお願いしてきたので、俺は押しに負けてこくりと頷いた。すると医者はすぐさま携帯で誰かに連絡をかけ、その一時間後には白髪の植物学者が病室へとやってきた。その植物学者立会のもとで、俺はMRIとはまた別の機械へと入れられ、詳細な脳内スキャンが行われる。検査は数十分ほどで終わり、そのまま俺は植物学者と医者が待つ部屋へと再び案内された。


「結論から申し上げるとですね、有村さんの頭の中のお花畑から、新種の花が発見されました」


 植物学者がこほんと咳払いをし、話を続ける。


「しかもですね、その新種の花は、ある難病に効くのではないかと言われているとある植物に非常に似ているんです。その植物は非常に珍しい植物で、栽培にかなりのハードルがあるものなんです。頭の中という特殊な条件ではありますが、その植物の類似種がかなりの数で生えている。あまりピンとは来ないかもしれませんが、製薬業界では世界レベルの大発見なんです」


 植物学者はさらにこれがどれだけ素晴らしいことなのかを力説し始める。正直学者の言っていることは難しく、彼の話を完全に理解することはできなかった。それでも、学者の興奮した様子から、俺の頭の中のお花畑がとても貴重なものであるということはわかった。


「そこで相談があります。一度有森さんの頭の中を解剖し、新種の花の採取と地質調査を行わせてもらえないでしょうか?」


 頭の中の解剖。その単語を聞いた瞬間、俺は露骨に嫌な表情を浮かべてしまう。頭の解剖っていうことは、頭をメスで切って、中を調べるということですよね? 俺が恐る恐る尋ねると、植物学者の隣に座っていた医者が、よほどのことがないかぎり命に関わる危険はないですと慌ててフォローを入れる。


「もしこれが成功したら、難病に苦しむ人の命を救うことができるかもしれません。これはそれだけ大事なことなんです。……ですが、頭を解剖されたくないという有森さんのお気持ちも理解できます。なので、タダで頭の中を覗かせろと言うつもりはありません。この植物は製薬会社同士が莫大な費用をかけて研究している植物でもあるので、彼らを巻き込むことができれば、それ相応の協力金をお渡しすることができます」


 いくらですか? どうせ大した金額じゃないだろうと俺が聞いてみると、植物学者は周囲に聞かれないように俺の耳元まで近づき、最低でも支払われるであろう金額を教えてくれた。その金額を聞いた瞬間、驚きのあまり目が飛び出そうになる。


「有森さん……どうですか?」


 植物学者が俺に尋ねる。その問いに、俺はゆっくりと首を縦に振るのだった。



*****



 頭を解剖されて数ヶ月後、俺の銀行口座にとんでもない額のお金が振り込まれた。


 人生を何週したとしても稼ぐことはできない大金。そのお金を目の前にした時、俺の行動と考え方は百八十度変わった。突然お金持ちになってもなかなか金銭感覚は変わるものじゃないという話を聞いたことがあるが、俺にとっては当てはまらない。欲しいものは次から次へと思いついたし、ちっぽけな頭で思いつくあらゆる贅沢を楽しみまくった。手にした金額は使い切れないほどの大金であり、使い切ってしまうのではないかという心配よりも、使い切れないまま死んでしまう心配の方が強いくらい。俺は今までの人生を取り返すかのように、お金で人生を謳歌するのだった。


 そして、お金を手にしたことで気付いたことがある。それは、お金は人を変えるだけでなく、周囲の人間も変えてしまうということ。今まで俺をぞんざいに扱ってきたあらゆる人間が、俺が大金を手にした日を境にがらりと態度を変えた。人間は中身が大事だと言っていた人間が、大金を手にしただけの俺を優れた人格者だと褒め称えた。結局この世はお金を持っている人間が一番偉い。俺は次第にそう考えるようになった。昔は貧しいながらも、真面目で誠実に生きることが最も尊いことだと無邪気に信じていた。しかし、今になって振り返ってみれば、あの頃の俺はまさに、お花畑が似合うような世間知らずな人間だったのだろう。お金を持っていないからこそ、周りからの尊敬を得られていなかったからこそ、そういう考え方をすることでしか自分を守ることができなかった、哀れな人間だ。



*****



「有森さんの頭の中ですが、前とかなり様子が変わってしまってますね。前は綺麗なお花畑だったのに、今は……ゴルフ場になってます」


 久しぶりに検診に訪れた病院で、医者がそう告げる。


「お花畑の調査はすでに完了してますからね。何か問題でもありますか?」

「いえ、その点は大丈夫なんですがね……。ただ、ゴルフ場なのがちょっとまずいかもしれませんね。私の杞憂であったらいいんですが」


 医者の奥歯に物が挟まったような言い方にちょっとだけ俺の気に触る。きっとこの医者も、お金持ちの俺に嫉妬して、嫌味を言っているんだろう。それに、俺としてはお花畑よりもゴルフ場の方がよっぽど好きだ。お花畑があっても金にはならないし、ゴルフ場の方がよっぽどお金持ちの俺に相応しい。俺は適当な相槌を打ち、さっさと病院を後にした。しかし、病院から帰宅し、家で優雅にくつろいでいると、突然玄関のチャイムが鳴った。なんだろうと俺がインターホンを確認すると、そこには怪しげな二人組が立っていた。


 知らない他人が、俺の知り合いの知り合いだと適当なことを言って、お金を借りにくるということが今までにも何回かあった。しかし、お金は腐るほどある俺にとって、そういう人間が必死に頭を下げる姿を見るのは嫌いではなかった。俺はふんと鼻息を鳴らしながら、玄関に出る。しかし、俺の予想に反し、親しげな二人組はどこか事務的な口調で挨拶の言葉を交わし、それから俺に一枚の名刺を渡してきた。


『〇〇市役所 土木部 自然保護課』


 俺が渡された名刺にはそのような単語が書かれていた。役所の人間が何のようだろうと俺は眉を顰めた。税金はきちんと払っているし、この名刺に書かれているような自然保護に何か心当たりがあるわけではない。どういったご用件でしょうか? 俺が単刀直入に彼らに質問すると、役人はこほんと咳払いをして説明を行う。


「有森さんの頭の中にゴルフ場が建設されていると伺ったんですが」

「ええ、そうですけど、それが何か?」

「『それが何か?』ではありませんよ。有森さんは、ゴルフ場を建設にはあらゆる法規制があって、各種行政手続きを経ないと違法になってしまうということをご存知ではないんですか?」


 それから役人は俺に対して難しい法律用語を捲し立ててくる。環境アセスメント。都市計画法による開発行為の許可。森林法による林地開発許可。その他俺が上手く聞き取れなかったたくさんの規制と条例があることが伝えられ、その全てを無視して作られた俺の頭の中のゴルフ場はとんでもない違法地帯だということが指摘された。


 違法だとして、じゃあ、一体どうすればいいですか? 俺は強気な口調で言葉を絞り出したが、元々の臆病な性格が蘇り、その声は情けなくも震えていた。俺の問いかけに対して、役人は淡々とした口調で、罰則金と緑化協力金という寄付の納入を行う必要があると答える。それから役人が口にした金額と俺の口座に残ったお金が奇跡のように一致していることに気がついた瞬間、頭の中は真っ白になった。



*****



「ゴルフ場の次は……見渡す限りの砂漠ですね」


 再び訪れた病院。医者は変わり果てた俺の頭の中と、それから天国から地獄へと突き落とされた俺を交互に見つめた後、憐れむような表情で慰めの言葉をかけてくる。しかし、そんな優しい言葉も、昔のような純真さもお金も失ってしまった俺の胸をただ抉るだけだった。


「もう終わりですよ。もともと俺には生きる価値がなかったんです。生きる気力も無くなりましたし、これから残りの人生をなんのために生きていけばいいのかわからないんです」

「私はカウンセラーでも、精神科医でもないので、有森さんが望むような答えを返すことはできません。それでも、あなたのお花畑のおかげで画期的な治療薬が生まれたのは事実ですし、お金は失ったとしても、そのことに誇るべきことですよ」


 そんなことを言われても、難しい世界のことなんて俺にはよくわかりませんよ。俺が投げやりな態度でそう返事をすると、医者は椅子から立ち上がり、テーブルの上に置いてあったフォルダから一枚の便箋を取り出した。この手紙は知り合いの植物学者から受け取ったもので、診察のタイミングで俺に渡してくれとお願いされていたのだと医者が説明する。


「あなたの頭の中で見つかった新種の植物で開発された薬はですね、今まで治療が困難だと言われていた難病に効くことがわかったんです。その新薬の治験に参加したある男性が、どうしてもあなたにお礼が言いたいらしく、この手紙を書かれたそうです。ぜひ読んでみてください」


 医者から受け取った手紙を、俺はその場で読み始める。手紙の差出人は東北に住む三十代の既婚男性で、現代の医療では治療不可能だと言われていた難病にかかっているらしい。手紙の中には俺に対するお礼と、薬が開発されるまでの心境が丁寧に綴られていた。日々医療は進歩しているものの、新薬が開発されるかどうかは神のみぞ知ることであり、今までどれだけ不安な気持ちでいたのかということ。自分が死んでしまったら、残された家族はどうなんだろうと思うと、胸が締め付けられるように苦しかったこと。など。


 手紙に書かれた文章は書いた本人の嘘偽りない言葉で書かれていて、読み進めるうちに手紙を持つ手が強くなっていく。そしてそれと同時に、俺の目頭が熱くなっていく。難しい話だからという理由で、新種の薬について深く考えてはいなかった。けれど、こうして実際に手紙をいただいたことで、俺の頭の中のお花畑のおかげで助かった命があるということを、俺は初めて心の底から実感することができた。


「すみません。お金をもらうことよりもずっと大事なことを見失ってました。お金を手にして、自分のことしか考えていなかった自分が恥ずかしいです」


 俺の言葉に医者が穏やかな表情で頷いてくれる。


「こんな風に誰かの命を救えるような人間になりたいです。医者とか薬剤師とか……頭は悪いし、もう若いとは言えない年齢ですけど……そういう仕事に就きたい」

「自分の人生を決めるのに、頭が悪いとか、年齢は関係ありませんよ。強い意志と希望さえあれば、きっと叶えられます」

「でも、頭の中が砂漠になってしまった今じゃ、そんなこと言ってもお笑い草ですかね?」

「いえいえ、そんなことはありませんよ」


 医者は微笑みながらそう言った。それから、もう一度俺の脳内をスキャンした砂漠の画像を拡大表示する。そして、右端を指差して、俺に教えてくれる。


「ほら、ここを見てください。頭の中の砂漠の端っこに、一輪だけ花が咲いてますよ」

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