【序章】―6―
登場人物
三日月在真
主人公、日本に住む小学5年生の少年
すっかり夜も深くなり、在真はベッドで寝ていた。
外に出るのが億劫になるほど、ベッドの中は心地よかった。
心地よさに身を任せていると、不意に遠くから賑やかな音が聞こえてきた。
いったい夜に何だろう?在真は体を起こした。
夜のはずなのに昼間のように明るい。
さらに冬のはずなのに春の心地よい日のような暖かさだ。
在真は奇妙に思った。
窓の近くに行き、外を見る。
その瞬間人が目の前を通った気がした。
在真の部屋は二階のはずだ。人が横切るわけがない。
気になって窓を開ける。
見上げた空は青空で、昼間だった。
やっぱり明るい。でも、今は夜のはず。
ふと時計を見た。
アナログ時計の針はくるくると回っていた。
いったいどうなっているんだろう。
「あら、こんにちは!」
声のした方向を向く。
人がいた。
とんがった帽子をかぶり、赤いフリルが付いた黒いワンピースを着ている。
おとぎ話で出てきた魔女のような恰好をした女性だった。
「こんにちは。」
「あなたはヒュラ族の子ね?お祭りはこれからなんだから、早くお家から出てきなさいな。」
このお姉さんはいったい何を言っているんだろう。
お祭りって何?僕は人間なんだけどな。
ヒュラ族って……?日本人ってことかな。
考え込む在真を横に女性はじゃあね、と手を振ると窓からいなくなってしまった。
在真は女性がいたところを見た。
やはり二階だ。
女性が進んでいった方向を見ると、箒にまたがっていた。
あのお姉さん、やっぱり魔女だったんだ……魔女?
魔女って空想の中だけじゃないの?
どうして目の前に……。
在真はパジャマのまま外に出かけた。
空を見上げるとやはり青空が広がっていた。
さらに、頭の上を箒にまたがって空を飛んでいる人たちが通る。
目の前に起きている状況を、在真は必死に理解しようとした。
――そうか、これは夢の世界だ。
そうすればこんな不可解な現象にも話がつく。
そう考えを落ち着かせ、ふぅと深呼吸した。
その瞬間、後ろから突然声をかけられる。
「お兄ちゃんもお祭りに行くの?」
声のした方を向くと、犬のようなウサギのような奇妙な生き物がいた。
肌は薄い黄緑色で、頬はほんのりピンクに染まっている。
尻尾はハートのようになっていて、ツインテールのように垂れている部分は多分耳だろう。
その先端は丸みを帯びていた。
奇妙な生き物は可愛らしい声で再び話しかけてきた。
「お兄ちゃん、聞こえてるの?」
「うん、聞こえてるよ。お祭りってどんなことをするの?」
「お兄ちゃん、忘れちゃったの?今日はアーリエス王国第一王女メサル・アリエス様の誕生祭なの!あ、パレードが行っちゃうの!早く行くのー!」
あ、ちょっと、と在真が声をかけようとするも、奇妙な生き物は賑やかな方へ急いで行ってしまった。
アーリエス王国って何?ここ日本じゃないの?
自分の家あるのに、と自宅の方を向いた。
しかし、そこにあったのは自宅ではなく、中世の外国を舞台にしたアニメに出てきそうな様式の家だった。
さっきまで自分の家だったはずなのに……どうしよう。
帰る場所を見失い、どうすればいいのか分からなくなった在真は奇妙な生き物の後を追った。
細い道がずっと続いている。
数分歩いてようやく光が見えてきた。
それと同時に音も大きくなってくる。
吹奏楽隊が演奏しているのだろうか、何かのファンファーレが聞こえてきた。
細い道が終わると、大通りに出た。
そこには沢山の人たち(中には先ほど出会ったような奇妙な生き物もいる)が、旗を振っていた。
彼らの目線の先をみると、色鮮やかな衣装を身にまとった人たちが踊ったりしている。
花びらや様々な色の紙吹雪が宙を舞っている。
確か王女様の生誕祭がどうとか、さっきの生き物が言っていた。
しばらく見ていると、周りの人たちが名前を叫び始めた。
「メサル様~!」
「おうじょさま、たんじょうびおめでとう~!」
再び彼らの目線の先を見る。
空を飛ぶ馬車が近くにやってきた。
ペガサスが馬車を引いている。
その馬車には深紅の目をもつ在真より少し年上くらいの女性が乗っていた。
美しく長い白髪をなびかせている。
朱色のドレスを着て、人々に向かって手を振っていた。
きっと彼女が人々から名前を呼ばれているメサル王女なのだろう。
あっという間に馬車は目の前を過ぎていった。
その瞬間、頭の上から在真に向かって小さな包みが落ちてきた。
きょろきょろ周りを見ると、みんな手に同じような小包を持っていた。
みんな喜んで包みをあけている。
在真も気になってあけようとした。
「待って!」
突然声をかけられる。
声のした方向をみると、一人の優しそうな女性が在真の方を見ていた。
王女様と同じくらいの年齢だろう。
地面に届きそうなほどの長い白髪を頭の左側で縛っている。
白いワンピースの上に水色のボレロを着ていて、手は在真の肩に乗っていた。
女性は困惑した表情をして、再び在真に声をかける。
「キミ、どうしてこんなところに……。」
「え?」
「それより、その包みをあけては駄目よ。元の世界に戻りたいなら。」
女の人の言葉に在真は食いついた。
ここはやはり自分の知っている世界ではなかった。
いままで出会ってきた人たちは分からなかったのに、どうしてこの人は在真のことに気が付いたのだろうか、この包みを何故あけてはいけないのか、在真の頭の中は疑問であふれていた。
「あの……。」
在真が女性に質問しようとした途端、地面がぐらっと揺れる。
大きな地震だろうか。
同時に男性の叫び声が聞こえた。
「魔王が来たぞー‼」
その言葉の後に何か言葉を続けていたが、人々の悲鳴でかき消されてしまった。
混乱で逃げ惑う人々。
やがて空は暗くなり、真っ黒な雲のようなもので覆われてしまった。
魔王という人物の登場により、王女生誕祭で賑やかだった大通りがすっかり人々の混乱で埋め尽くされてしまった。
ふと何か嫌な予感がして在真は上を向いた。
空から黒い雲が意思をもっているかのように地上に降りてくる。
その速さは頑張って走ったとしてもすぐに追いついてしまうほどだった。
在真の横をサッと黒い雲が通る。
そして、在真に気づいた雲がUターンして襲い掛かってきた。
その光景を見た女性が在真の方を向く。
「まずい……っ!」
一言女性はつぶやくと、思いきり在真の腕を引っ張った。
在真はその衝撃で地面に倒れこむ。
しかし、おかげで雲の突進から逃れることが出来た。
雲は在真だけを狙っているようだった。
一方女性に目を向けると、どこから出したのか分からないが、いつの間にか細い赤く光る棒のようなものを持っていた。
その先端からは細い紐のようなものが伸びていて、紐は炎を帯びている。
再び雲に目を戻すとまた在真に向かって突進してきた。
「我が祈りに応え、我が心に従え!
従属なる炎の精霊よ、黒き悪魔に拘束を!
イグニス=オクス=バインド!」
女性が何かを唱え、棒を前に向ける。
すると、先端から伸びていた紐が意思を持ったように雲に向かって伸び始める。
帯びている炎の勢いは女性が唱えたとたん勢いを増した。
そのまま雲は紐に巻き付かれ、動けなくなってしまった。
「お前、自分がどこから来たか覚えてるか?」
「え?」
女性の雰囲気が変わった。
先ほどの優しそうな雰囲気は消え、殺意に満ちた表情をしていた。
「この世界に来たなら扉があるはずだ。そこに早く戻れば間に合う。」
「扉って、僕の家違う人の家になってて……。」
「それは、こっちの世界に来たからだ。いいか、アタシがこいつの動きを止めておく。お前は魔王が気づく前にここから早く逃げろ。自分が出てきた扉に入るんだ、分かったな?」
女性の形相と周囲の雰囲気に圧倒され、在真は頷いた。
女性にあとを任せて全速力で出てきた扉に向かう。
確か、ここらへんだったはず。あった、あの扉だ。
ふと後ろに嫌な雰囲気を感じた。
振り返るとあの黒い雲が無数に在真を追ってきた。
在真は全速力で扉に走る。
首筋にヌメっとした嫌な感触を感じる。
雲はすぐ後ろに迫ってきていた。
間一髪のところでドアノブに手が届き、思いきりドアを開け、中に入った。
と同時に目が覚めた。
体を起こして辺りを見ると、自分の部屋に間違えはなかった。
やっぱり、あれは夢だったんだ。
魔女や奇妙な生き物のいる世界を歩く夢。
しかし、あの黒い雲の感触は、やけに現実味を帯びていた。
体は汗をかき、特に手は汗がびっしょりだった。
「在真、学校行く時間になるわよ。早く起きなさい!」
下から母親の声が聞こえた。
在真は頭を切り替えて、学校へ向かう準備に取り掛かるのだった。
―序章、完―