第5話 鬼立教官
第5話 鬼立教官
矢一と神宮寺は鬼立教官の前に立った。
鬼立教官は神宮寺に目を向け「神宮寺、訓練生5名を怪我させたのはやりすぎだが、お前はとても強いな」
次に矢一を見ながら、「面を打って勝てる機会が何度もあったのに、あえて小手、胴で勝負を決めていったな。それは何故だ」
「防具をつけないでやりあうのは、少し気が引けます。まあ、うちの道場でも防具なしでやりあうことはあるけど・・・」
「まあいい、お前たちの実力は分かった。今日の練習試合は終わりとしよう」
「え、これから、俺たちと試合をしないんですか」
「なんだ、まだやり足りないのか」
「俺は、まだまだいけます。今すぐ、やらせてください」
「鬼立教官、先ほど自分の剣さばきをご覧になったでしょう。神楽居とは天地ほどの力の差を認めていただいたはず。なので、あいつとではなく、自分との試合をお願いします」
「はぁー。お前たちは、剣よりも口の方が達者だということは分かったよ。仕方ねえな、じゃあ、二人とも、あそこの開始線に行け」
鬼立教官は竹刀を手にして、二人に指示した。
二人は、鬼立教官が指示したとおり、開始線へ向かった。
矢一は足に痛みが残っていたが、悟られないように歩いた。
「そうだな、神宮寺から行くか。神楽居はその線の外で控えていろ」
矢一は何かを言いかけたが、結局、鬼立教官の指示どおりにした。
神宮寺は「はい」と答え、開始線の前に立ち、下段の構えを取った。
その時、神宮寺から冷気が発せられた。
「ほう。お前はその年で、気をあやつれるんだな。さすが、権覇神覇流の御曹司のことはある。では、そのお手並みを拝見といきますか」
神宮寺はまるで石像のように表情を変えず、不動の構えでいた。
「お前が動かないのならば、こちらから仕掛けるぞ」
そう言うや否や、鬼立教官は神宮寺に連続攻撃を仕掛けた。
しかし、神宮寺はすべての攻撃は跳ね返し、あるいはかわした。
鬼立教官の攻撃は激しく、並みの剣士ならば竹刀の軌道が見えない程、竹刀を打つ速さがすざましかった。その攻撃を完全に防いでいる神宮寺の高度な剣さばきに、矢一は目を見張った。
しかし、神宮寺は焦っていた。権覇神覇流は防御と攻撃が一体となった剣術で、鬼立教官の攻撃に対し交差で反撃をしかけているのだが軽くいなされ、防戦状態の状態であった。
神宮寺は一度後退し、息を整え、最大の武器である冷気を鬼立教官に向け一気に発した。冷気を浴びたものは、動作が止まるか、緩慢になる。
鬼立教官の動きがにわかに止まった。「もらった」と神宮寺は権覇神覇流直伝の面打ちを放った。
その時、鬼立教官がにやりと笑い、信じられないスピードで神宮寺の打ち込みを払い、胴打ちをくらわした。
「鬼立教官一本。それまで」と審判の声が響いた。
神宮寺は茫然と立ち尽くしていた。
「俺の気が通じなかったのか。しかも面打ちが払われるなんて・・・」
「神宮寺、お前の剣さばきは鋭いし、攻守一体の交差法はさすがだな。しかし、お前の剣術は流派の教え通りなので、次に出す手がすべて読めたよ」
神宮寺は黙っていた。
「それにしても、お前の気は恐ろしいな。まともに受けていたら、俺の動きも止められていたかもしれないな」
「それでは神楽居、こちらへ来い」
矢一は持ち前のスピードを活かし、教官を錯乱させてやろうと考えた。気になるのは足と腰の痛みであったが、今はそんなことには構っていられなかった。
矢一は開始線に立つや否や、小手、面への連続攻撃を仕掛けた。
鬼立教官は難なく矢一の攻撃を払いのけ、面うちに出た。矢一は紙一重で右に避けた。
そのままの態勢で再び小手、面へ打ち込んだ。鬼立教官は竹刀で受けたまま、矢一に当たってきた。
矢一は体をずらして鬼立教官の体当たりを受け流したが、鬼立教官はすぐに振り向き、また面を打ってきた。矢一は左に避けたが、その時強烈な胴打ちが来た。
「この鬼はどんな態勢でも強力な打ち込みができるんだ」と感心した。
矢一は一旦、後退し、鬼立教官から離れた。
鬼立教官はにやりと笑った。
「どうした、それが填園崩し流の跡取りの実力か」
矢一は「うるせえ」といい捨てたが、挑発にのるまいと思った。
矢一は右に回り込んで、小手を狙った。当たると思った瞬間、鬼立教官は腕で竹刀を払った。
「反則だが、俺は竹刀の側面に手を当てて払ったから、実戦でも問題なかろう」
矢一はそのとおりだと思った。また、こんな中途半端なままで終わりたくはなかった。矢一は鬼立教官の周りを走り始めた。
「この鬼にスキはないのか」
その時、矢一の眼前に仁王立ちの鬼立教官の姿があった。矢一が進行を変えようとした瞬間、鬼立教官の怒涛の攻撃が始まった。鬼立教官の剣さばきは鋭すぎて、軌道が追い難かった。さらに、軌道が右かと思えば左という風に変化するから始末が悪い。
防御一方となった矢一は、足と腰の痛みで倒れそうになったが、何とかこらえていた。
息は切れそうにうなり、動悸も高鳴ってきた。
その時、額に鬼立教官の振り下ろした竹刀が当たった。「しまった」と思ったが、「浅い」との審判の声を聞いた。続けて、「神楽居、出血の手当てをしなさい」との指示を受けた。
矢一は手で額に触れた。生ぬるい感覚があり、思わず手を見やった。矢一の手は血で真っ赤に染まっていた。
「神楽居、もう終わろう。手当てをして、上がれ」
矢一は、絶対に受け入れられないと思った。
「教官、俺、大丈夫です。もっとやらせてください」
鬼立教官は矢一の顔をじっと見て、「わかった。では、続けるぞ。ただし、手加減はせんぞ」
「鬼立教官、せめて止血処置だけさせてください」
「神楽居。お前もその方が思い切り動けるだろう」
矢一は余計なお世話と思ったが、審判の指示に従った。鬼立教官も開始線へ下がり、矢一を見据えた。
訓練生が矢一の頭の傷の手当を始めた。別の訓練生はタオルを渡して、顔と手を拭くように言った。
止血処置が終わり、訓練生が矢一の肩をたたき「思い切りやれ」と声をかけた。
矢一は手当てをしてくれた訓練生に礼を言い、開始線についた。
鬼立教官も再び竹刀を構えた。
矢一は大きく深呼吸してから、鬼立教官に目を向けた。すると、今までとは違った感覚が体内に漲ってきた。
鬼立教官の息遣い、鼓動、筋肉の動きが漠然とではあるが、感じてきたのだ。
その時、鬼立教官が矢一の正面から打ち込んできた。
「直線から右ステップし、そこから俺の小手を打ちに行き、決まらなかったら胴打ちで決める」矢一はそう呟くと、鬼立教官の動きを見守った。
矢一の読み通り、鬼立教官は巨体とは思えないスピードで右に大きくステップした。もし、矢一が鬼立教官の動きを予測していなければ、鬼立教官が消えたように見えたかもしれない。
鬼立教官は矢一の小手を狙ってきた。矢一が小手への攻撃を避けた瞬間、すぐさま竹刀の方向が変わり、矢一の胴に向かってきた。
矢一は鬼立教官の懐に飛び込み、胴への攻撃を避け、さらに腋下か鬼立教官の背後に抜けていった。
後ろを振り向いた鬼立教官の表情が驚きの表情に変わっていた。
矢一はもう一度深呼吸し、鬼立教官に集中し、動きを読もうとした。
その時、鬼立教官の体全体から強い気が発せられた。
鬼立教官の気をまともに受け、矢一は気を失いそうになったが、踏んばって、上段で構えた。
「上段からまっすぐに来る。面か胴への攻撃だが、これは避けられない」矢一は覚悟を決めた。
矢一は正面に向かって真っすぐに打ち込んできた。鬼立教官が面と胴のどちらに打ち込んでくるのかは、わからなっかたが、胴への攻撃に賭けた。
鬼立教官は、矢一の胴に竹刀を振り下ろしてきた。
矢一も鬼立教官の胴を目掛けて、竹刀を振った。
矢一は竹刀に微かな手応えを感じた、次の瞬間、腹に強烈な衝撃を受け、一瞬息が止まった。
「神楽居浅い、鬼立教官、一本」審判が勝負の終わりを告げた、
矢一は気を失い、その場に崩れた。
「疲れた」と鬼立教官は一言呟いた。そして訓練生に矢一の手当てをするように指示した。
訓練生の一人は矢一のシャツをまくり、腹部に湿布を当てた。
別の訓練生は冷やしタオルで矢一の顔を拭いた。
また別の訓練生は足の痣や腰に膏薬を塗った。
神宮寺は矢一の顔を拭いている訓練生に近づき、タオル絞りを手伝った。
やがて、矢一は気が付き、置きだした。
鬼立教官は矢一と神宮寺に近づき、二人に告げた。
「お前たち二人とも合格だ。明後日、ここに来い。がんがん鍛えてやるからな」
「長倉、お前この二人と星宮を外まで送っていってやれ」
「はい、鬼立教官」
先に矢一と戦った、首が真後ろまで曲がる関取みたいな男が前に出た。
「俺が外まで送るので、二人とも星宮を連れて、あそこのA出口のところで待っていてくれ」
二人はうなずくと、奈の葉がいるジムに向かった。奈の葉はマシントレーニングに取り組んでいた。
このジムには10種類以上のマシンがあり、奈の葉は全マシンのメニューをこなし、今が最後のトレーニングらしい。
奈の葉は額から迸る汗がキラキラと輝き、体からは湯気が立っていた。
トレーニングが終わると、奈の葉は立ち上がりながら、二人にちょっと待ってと言い、ボルダリングコーナーに向かっていった。
奈の葉はホールドを掴み、20mの壁を軽々と登っていった。
壁の上から手を振り、ロープを伝って一気に降りてきた。
「君たち。見てたよー。鬼立教官と打ちあって、かっこ良かったよー」
「そこにスポーツドリンクがあるから飲みなよ。水分補給しないとね」
神宮寺はペットボトルを2本とり、1本を矢一に渡した。
矢一は急に喉の渇きを感じ、音を立てて飲み干した。
「うーん、美味い。サンキュー。」
「星宮、今日は終わりだ。帰り支度をしろ。俺と神楽居はあそこのA出口で待っている」
「うん、A出口ね。急いで準備するから待ってね」
「神楽居、行くぞ」
「おう」
「神宮寺。どこかで聞いた名だと思っていたが、権覇神覇流の宗家じゃないか。お前、そこの出だったんだな」
「お前の填園崩し流とは因縁の中だな。護国の刀は本来、我が一族の遠祖が刀匠露木と協力して、完成したもの。それが、何の関係もないお前たちの手に落ちた。俺は填園崩し流を潰し、護国の刀を取り戻すためにやってきた」
「おい、まじか」
「いつの時代のことを言ってるんだよ。そんな昔のことに俺には関係ないし、興味もないね」
「そんなことが言えるのは、お前が我らの至宝を奪った方の末裔だからだ。俺たちは600年の間、そう教えられてきたんだ」
「それに、お前には絶対に負けたくない」
「それは、俺も同じだ。今度は俺とお前でやろうぜ」
「ちょっと、2人とも張り合うのも結構だけど、同じコースの仲間なんだから協力してよね」
「俺たちは協力より、競争なんだ。なっ、神宮寺」
「お前は、馴れ馴れしいんだ。俺たちは、敵同士だ。忘れるな」
「もうっ。しょうがない2人ね」
「ところで神楽居。聞きたいことがあるが、いいか」
「いいけど何だ」
「お前、最初は俺ならば一撃で片付けられる程度だったが、後半は鬼立教官の動きを察していたような動きをしていた。どうしてだ」
「ああ、あれか。自分でも分からないが、頭が怪我して手当てをしてもらった後、急に自分が鬼立教官になったようになって、次の動作が読めるようになった。自分でも不思議だ。でも、読みは当たっていたのに鬼立教官の打ち込みの方が早かった。悔しいよ」
「神宮寺、じゃあ俺にも質問させてくれ。お前のその何というか、冷たくなるような気は何なんだ。権覇神覇流の技か何かか」
「いや、権覇神覇流とは関係ない。しかし、流派の稽古を重ねていくうちに、いつの間にか身に着いた。どうだ神楽居、お前も権覇神覇流に転流したらどうだ。俺がみっちりと鍛えてやるぞ」
矢一は、手は左右に振った。とその時、
「よし全員、集まったな。じゃあ行こう」と、言う声がした。3人が振り向くと、長倉が立っていた。
長倉がA出口のドアを開き、3人を招き入れた。
3人は剣術ホールの方に振り向き一礼して、出口から退出した。
外に出たところにエレベータがあった。長倉はエレベータのパネルにカードキーを差し、暗証番号を入力した。
程なく、エレベータが降りてきたので、それに乗り込んだ。
エレベータのドアが開いたところは、旧校舎の音楽室であった。ただし、エレベータのドアとは一見して分からないような、装飾がされていた。
矢一は、思わず「へええー」と間の抜けた声を上げた。
「では、ここで解散だ。明後日はここに15時集合。なお、分かっていると思うが、この訓練所のことは一切、口外無用なので気を付けてくれ」
長倉は、下に降りて行った。
「ねえ、この後どうする」と奈の葉。
「俺は、一旦、特別進学コースの教室に戻っから寄宿舎に戻る」
「えっ、ここは寄宿舎があるの?」
「ええっ、神楽居君、知らないの。ここは全寮制だよ。だから、ここの訓練生、だけじゃなくて学生はみんな寮に入るんだよ」
「俺、聞いてねえぞ。何だよそれ」
「神楽居君をスカウトした人から聞いていないの?」
「そんなわけ、ないだろう。おそらく、こいつは食い物の話しか聞いてなかったんだ」
「お前、嫌な野郎だな。だけどそうかもしれないな」
「とにかく、どうすればいいか、聞いてみよう。提和教務部長がいいかな」
その時、「おーい、神楽居君、待ってくれ」
矢一と神宮寺を提和教務部長のところに連れて行ってくれた、五十嵐教官がこちらに駆け寄ってきた。
「神楽居君は、まだ入寮の手続きをしていなかったようだ。今日は怪我もしているようなので、このまま、家に帰りなさい」
五十嵐教官は封筒を矢一に渡し、「この中に入寮に関する説明や申込書があるので、お家の方に渡しなさい」
矢一は五十嵐教官に礼を言うと、校門から出た。
「五十嵐君、じゃあ明日ね」と奈の葉の声が聞こえた。矢一は振り向かないまま、軽く手を振り、家路に向かった。
第6話に続く