第6話 ある女子高生(?)の日常 その6
「起立、礼!」
一日の終わりを告げるチャイムが校舎に鳴り響き、委員長の号令と共に生徒一同が教師に頭を下げた。お勤め……もとい授業終了。
年配の英語教師が教室を去るや否や、残された生徒はこれまでの倦怠感は何だったのかと思われるほどにエネルギーを漲らせる。
友人同士で集まって他愛ない会話に興じる者、鞄を掴んで早々に家を目指す者、そして――
「部活行ってきま――――!!」
余韻に浸る間もなく走り去っていくみちる。
あっという間に視界から姿を消した親友に呆れつつ、春は鞄の中から一通の封筒を取り出した。
朝方、下駄箱の中に放り込まれていた手紙。内容はすでに確認済み。
要約すると『放課後、校舎裏で』といったシンプルな内容が、やたらと抒情的な文章で綴られていた。
「春さん、それはまた今日もアレかい?」
目ざとく封筒を見つけた太一がからかい交じりに口笛を吹く。
「まぁ、そういうこと」
封筒を摘まんだまま軽く振って苦笑する。
ひらひらと頼りなさげに揺れる紙片に視線を固定しつつ、
「そんで、返事はどう? 付きあったりするわけ?」
太一の問いに、教室に残っていた男子たちが耳をそばだてる。
春は笑みを顔に張り付けたまま首を横に振る。
「わかんね」
その言葉に、教室内に張り詰めていた空気が弛緩する。
中にはあからさまにホッとして見せる者もいた。男女を問わず。
「『わかんね』ってことは、ワンチャンある感じ?」
「差出人が誰かわからんしなぁ。答えようがない」
「……名前書いてないの?」
器用に片方の眉だけ引っ張り上げる太一。
「いや、書いてるけど、記憶にあるようなないような……」
「教えてくれたら、調べてみるけど?」
「断る。相手にもプライバシーってもんがあるだろ」
――なんかこのやり取り、前にもあったような?
惚れたの腫れたのは年頃の男女にとっては気が気でなくなる大イベント。
たとえ自分のことでなくとも誰だって興味を惹かれて仕方がない。
それが知り合いあるいは友人ともなれば、ことさらに。
だが、たとえどれだけ気になろうとも、弁えるべき部分はある。
「そりゃそうだ。春さんは賢明だな」
やんわりと拒絶する春に、太一はそれ以上追及することはなかった。
太一自身、自分が誰かにラブレターを送ったと仮定した場合、それを相手が周囲に言いふらしたら、いい気持ちはしないだろう。
まだ見ぬ相手に対する春の気遣いに感心するところがあるようだ。
「とは言うものの、こんなに頻繁にラブレターされると断るだけでも大変じゃね?」
「それはまあ、そうなんだが……だからと言って無視するわけにもいかんだろう」
「無視は心にクルね。男にしてみりゃ控えめに言って地獄すぎる」
うんうんと頷く太一を見ていると『みちる的には無視おっけ―らしい』などと口にすることは憚られた。
すぐ傍に居る女子の思わぬ冷酷な一面を知らされれば、交友関係に罅が入りかねない。
……みちると太一は同じ中学出身の友人(みちる曰く顔見知り)だから、そのあたりのドライな感覚はすでに共有されているのかもしれない。
太一的にはどうなのだろうかと、気になるところではあるが……この手のセンシティブな話題は難しい。
「と言うわけでオレはもう行くから。太一はどうすんの?」
「俺は練習」
そう言ってギターをかき鳴らす仕草を見せる。
太一はギタリスト志望で、放課後は街のスタジオで練習に明け暮れているとのこと。
佐倉坂高校には軽音部が存在するのだが、『音楽性の違い』を理由に、太一は部活に所属していない。
音楽に詳しいとは言えない春には、正直なところ『音楽性』とやらはよくわからない。
趣味にせよガチにせよ、気が合わない連中と無理してつるむ必要はないだろうとは思う。
どのみち春にはあまり関係ない話なので、アレコレと口を突っ込むつもりもない。趣味嗜好は人それぞれであろう。
「それじゃ、また来週」
「まった来週~」
友人の声に送られて教室を後にする……
「なんで戻ってくるの、春さん?」
「いや、荷物は置いてくわ」
帰り支度をして会いに行くというのは、ちょっとどうかと言う気がする。
「……左様で」
★
下駄箱でローファーに履き替えて昇降口を出る。暦の上ではまだ季節は春だが、陽気はうららかというよりも夏を思わせる熱気を孕んでいる。
さわやかな風が吹いている分、今のところはまだマシな方で、この調子なら今年の夏もきっとギラギラと暑くなることが容易に想像されてゲンナリ。……毎年同じことを考えている気がする。
太陽やら地球に文句を言っても始まらない。あまりに建設的でない妄想を脳裏から振り払う。頭を振ると、腰まで届く自慢の黒髪が弧を描いて揺れる。
グラウンドの傍の道を歩いていると、部活動に精を出す生徒たちの姿が見受けられる。
サッカー部、野球部、そして陸上部などなど。様々な運動部が大きな声を張り上げながら青春を謳歌していた。
春は今のところ部活動に所属していない。彼らのような青春に混ざりたいという気持ちはゼロではないが、どうにも踏ん切りがつかない。
別に運動しなければ青春ではないと言うわけでもない。
――みちる、どこかな?
授業が終わるなり速攻で教室を飛び出した親友の姿を、つい探してしまう。
陸上部が集まっているあたりに注目すると、見覚えのある小柄な影が大きく手を振っていた。みちるだ。春に気付いたらしい。
お返しとばかりに大きく手を振ると、お返しとばかりにみちるは両腕を激しく振り始めた。ちょっとした奇行だが、誰も止めないのだろうか。陸上部における友人のポジションに不安を覚える。
みちるのアクションに気付いた運動部の面々が視線を向けてくる。春が向かう先は校舎裏。きっと誰もが、これから何が起こるかを理解してしまっただろう。
春が呼び出された校舎裏は、木々が生い茂っており視界が悪い。ゆえに人目につきたくないアレコレを行う際には絶好のロケーションとなるのだが、裏を返せば校舎裏に向かう姿を見られると、人に知られたくないことに手を染めようとしていることがバレてしまう。
校舎裏に向かうためにはグラウンド脇を通らねばならず、運動部員の眼を掻い潜る至難の業だ。春を呼び出した『誰か』も、きっと姿を見られているだろう。どうしても隠したければ授業をサボるという手はある。後でどうなるかは知らないが。
ちょっとした森のような雰囲気を擁する校舎裏に足を踏み入れると、木々が太陽の光を遮ってくれるお蔭で程よい気候となる。
匂い立つ草木と土の匂い、差し込む木漏れ日。微かに頬を撫でる風。さらに遠くから聞こえる運動部員たちの掛け声が混ざり合って、独特の雰囲気を醸し出している。
道に沿って歩いた行き止まり、少し広場になっているそこに――春を呼び出した人物はすでに待ち構えていた。
「悪い、待たせた?」
謝りつつ相手の姿を確認。
見覚えのない顔……いや、どこかで見たような? わからない。
身長は高めでほっそりした体つき。肌の色は白い。
制服は特に改造されておらず、身だしなみに隙はない。
ルックスは整っていると思う。割と印象的な容貌なのに即座に思い出せないということは、直接関わったことはないのだろう。手紙に書かれていた名前も思い出せない。
ネクタイの色は臙脂。つまり3年生だ。新1年生であり部活にも委員会にも入っていない春とは接点がない。
総じて文系のエリートといった印象。普段は落ち着いているように見受けられるが、今は全身から漂っているソワソワした雰囲気が色々と台無しにしている感がある。
――それにしても、3年生かよ……
春よりふたつ年上になる。
たったそれだけの違いが、高校という世界では大きな意味を持ってくる……らしい。
みちるをはじめとする友人たちに忠告されたことはあったが、どうにもピンとこない。
街を歩いていると、もっと年長の人間に声をかけられることも少なくない。
「いや、謝るには及ばない。いきなり呼び出して申し訳なかった」
微かに上擦った声。定まらない視線。
初顔合わせ(のはずの)3年生がこれだけキョドっていると、春の方は逆に落ち着いてしまう。
人間、自分より挙動不審な人間を見ると冷静になってしまうものだ。
「それで、こんなところに呼び出したってことは……」
「ああ、まあ、そういうことなんだが……『小日向 春』、君の噂は聞いている」
「へぇ」
思わず零れた声は、想像以上に低くなった。
付け加えるならば……ほんの少しだけ乾いている、そんな印象。
あまり相手にいいイメージを与える声ではない。春の中で男の評価が少しマイナスに振れている。
「あの噂は、その……本当なのか?」
男の言葉の意味は理解できた。その言葉から、おそらく同じ中学出身ではないことが推察される。
だが、どんな答えを期待しているのかはわからなかった。
肯定してほしいのか? それとも、否定してほしいのか?
どちらにしても、事実は変わらない。
「オレに関する噂っつーと、アレぐらいしか思いつかないけど……まぁ、本当」
「……そうか」
春の答えがお気に召したのか、それとも落胆したのか。
緊張が限界突破してしまっているらしい男の声からはうかがい知れない。
表情をチェックするために男の顔を見つめると視線がかち合った。瞬間、男の青白い顔にぱぁっと朱が差した。
「いや、それはどうでもいい。どちらにせよ、俺の気持ちに偽りはない」
「あっそ」
そっけない春の声に、男はビクリと身体を振るわせたが……すぐに持ち直した。
この程度で怯むような奴なら、そもそもここに春を呼び出したりはしない。その勇気には素直に感服する。
男の声は自分に言い聞かせようとしているように感じられた。春にも聞かせようとしている。自らの退路を断つ声だ。
大きく息を吸い込む音が聞こえた。校舎裏から一斉に音が消える。
世界がぎゅっと狭まって、ふたりだけの空間が出来上がる。緊張感が重い。
何度体験しても慣れない、この独特の雰囲気。息がつまる。例えるならば西部劇の決闘のシーンに似ている。
そして――
「『小日向 春』、君が、好きだ!」