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第5話 ある女子高生(?)の日常 その5


 数ある休み時間の中でも、学生たちにとって昼休みは特別な意味を持つ。

 授業終了のチャイムと共に教室に圧し掛かっていた重圧が開放され、教師が部屋を去ると生徒たちは三々五々に散っていく。

 ある者は学食へ、ある者は購買へ。ある者は持参した弁当箱を開き、またある者はダイエットのために空腹に耐える。

 机を並べて共に食事をとる者もいれば、晴天の下で友人と語らいながら腹を満たそうとする者もいる。もちろん己が信念に基づき、ひとりで飯を食らう者もいる。食事は自由だ。

 そして――


「ごーはーん!」


 背後からの叫びに振り向いた(はる)の目の前に広がっていたのは、焼きそばパン、カレーパン、ミックスサンド、そしてチョココロネ。

 みちるの机の上には様々なパンが並んでいる。まるで博覧会だ。


「……お前、それ全部食う気か?」


 春は弁当持参組。みちるの昼食のボリュームに呆れつつ、年頃の女子らしい控えめサイズの弁当箱を開く。

 中は――おにぎりふたつ、ポテトサラダに野菜炒めそして唐揚げ。地味な色合いのおかずの数々は、ほとんどが昨夜の夕飯の残り物であった。

 さすがに身づくろいに忙しい朝にわざわざ料理を作っている暇はない。両親が共働きで朝はバタバタしている小日向家では、昼食はそれぞれ個別に用意することになっている。


「部活あるし、食べた分だけ動けばカロリーゼロだよ?」


 疑問を疑問で返されて面食らう。

 キョトンとした表情を見ていると、自分の方が間違っているのではないかと不安になってくる。

 中学生時代を思い返してみれば、春もそれぐらいは食べていた気もするが……女子としてそれはどうなのかと思わなくもない。


「……悪いことは言わんから、デブ理論は止めとけ」


「でも太ったことないし。春こそ、それだけで足りるの?」


 みちるの眼には春の弁当は心許なく映るらしい。

 ……『太ったことない』のくだりで、周囲の女子がこめかみをピクピクさせていることにみちるは気づいていない。

 目の前に座っている春の顔が微妙に引きつっていることにも気づいていない。天然だからこそ質が悪い。


「油断すると肉がつくんだよ」


 これから夏に向かって衣装が薄くなる。

 余計な肉が目立つ季節だから気をつけろと注意されているのだ。

 日々これ節制を心がけておく必要があるとのこと。


「ふ~ん、だったら唐揚げ頂戴」


 みちるは更にカロリーをオンしようとする。勇者か。


「おい、この弁当唯一の楽しみを奪う気か」


「代わりに好きなパンひと口あげるから。チョココロネいらない?」


「うぐ……」


 上目遣いのみちるの誘惑。その内容は悪魔じみていた。

 昨晩の残り物を提供すれば、甘味を分け与えるという。等価交換の法則が成り立っていない。

 春は甘いものが好きだった。特にチョコレートが大好きだった。

 もし人類が美貌と健康に関するアレコレから解放されたなら、毎日食べたいくらいにはチョコを愛している。

 毎年2月になると件のイベントを苦々しく思いながらも、つい手を伸ばしてしまう人間のひとりである。


「チョコ……チョココロネ……いやいや……ひと口ぐらい?」


 自らの唇から漏れる音の響き、その連なりを耳にするたびに心が揺れる。

 心が揺れると指が震える。思わず箸を取り落としそうになり、力を込め直す。


「我慢はよくないと思うな~」


 チョココロネを鼻先に突き付けられると、小麦粉の香りとカカオの芳香がツープラトンで襲いかかってくる。

 この奇襲に、春は呆気なく屈した。ランニングしようと心の中で言い訳しておく。実行されるかどうかは定かではない。


「ひと口だけだからな」


「あ~ん」


 大きく開いたみちるの口に唐揚げをひとつ放り込むと、お返しとばかりにチョココロネをひと齧り。

 口中に広がる濃厚な甘味が堪らない。控えめに言って至福の味わいであった。価格は関係ない。チョコは正義だ。


「うま~」


「うんうん、素直でよろしい」


 満足げに頷いたみちるの口に消えていく螺旋状のパンを恨めしげに見つめてしまう。

 しかし、事はそこで終わらない。次いでスパイシーなカレーの香りが満ち溢れてくる。

 これがまたやたらと食欲を誘う。春はカレーも大好きであった。


「みちるさん、食べる順番がメチャクチャ」


 隣の席でカツサンドを頬張っていた太一(たいち)が呆れた風に口を挟んでくる。


「うるさいなぁ。食べたい順に食べるのが美味しいんだよ」


「だからって甘いものから行くか、普通」


 太一の言葉に同意せざるを得ない。

 口中のチョコ味が強くて、弁当に箸が伸びない。しかしさすがに食べないわけにはいかない。午後も授業はあるし、そこで腹を鳴らしていてはみっともない。

 持参した水筒から麦茶を汲んでひと口。

 名残惜しくはあるが、チョコを喉の奥に洗い流して、再度弁当に向かう。

 みちるはすでにカレーパンを食べ終わり、ミックスサンド攻略を始めていた。かなりの早食いだ。


「早食いは太るぞ」


「大丈夫だって。春は心配性だなぁ……あ、太一、カツサンド頂戴」


「「いやいやいやいや」」



 ★



 昼休みは食事を終えてなお余りある。

 この長い休憩時間は、午後からの授業に向けて英気を養う時間でもあるのだが……


「あれ……」


「どしたの、春?」


 鞄の中に目をやった春が首をかしげ、みちるもまた首をかしげた。

 親友の顔に浮かんだ動揺を敏感に感じ取ったらしい。


「次って数1だったよな?」


 春の声とともに三人揃って黒板の横に掲示されている時間割をチェック。金曜日の午後イチの授業は『数学1』であった。

 派手な色遣いで記されている文字は、遠目に見てもよくわかる。空腹を満たしたこのタイミングで難しい数式を並べられると眠たくなる。

 想像するだけでウンザリするのだが……


「そうみたいだね」


「なんでこれがここにある?」


 鞄の中から春が取り出した教科書、その表紙に記載されていたのは『数学A』だった。

 なぜと言われても、春の鞄の中に入っているということは、春が家から持ってきたことに他ならない。

 まさか誰かがわざわざすり替えたりはしない。そんなメンドクサイことをなんでまた……


「間違えたの? てゆーか、春、教科書持って帰ってたの?」


 みちるの疑問に『おう』と頷いた。


和久(かずひさ)がさ『ちゃんと予習復習やらないと、あとで困っても知らんぞ』って脅しやがるから……」


 これまで定期考査前になると親友に頼み込んで勉強を教えてもらって切り抜けてきた。

 そのたびに同じことを言われるのだが、教科書を持って帰っても使うかどうかはまた別の話だったりする。


「真面目くんか」


 みちるは教科書一式を学校に置きっぱなしにしていた。

 うんうん頷いている隣の太一も同様。春も和久に忠告されていなかったら多分同じようにしていただろう。


「一緒に教科書見る?」


「う~ん……」


 みちるの提案に、迷う。

 彼女が隣の席であれば机を動かして一緒に見るという選択肢は十分にありうる。

 しかし春とみちるの席は前と後ろの位置関係。机を動かすのは無理だ。


「だったら、俺と場所変わる?」


 春と太一が席を変わる。

 そうすれば、春とみちるは隣同士になる。

 より自然な形で教科書を見せてもらうことができる。そういうことらしい。


「ダメだよ。太一、いやらしい顔してる」


 すかさずみちるからダメ出しされた。

 太一は残念そうに引き下がったが、チラリと横目で春を見る。

 

――俺が座ってた椅子に座りたいってことか……別にそれくらい気にはしないけど……


 春が気にしなくとも、みちるが気にするのであれば、断っておくのが筋というものだろう。

 友人同士がこんな些細なことで仲違いするなんて勘弁してほしい。そのとばっちりが飛んできそうである。

 となると――


「ちょっとB組に行ってくるわ」


江倉(えくら)君によろしくね~」


 A組が『数学1』を履修している時間帯であれば、B組が同じ授業を受けていることはない。

 だったら教科書借りればいいじゃない。そういう話だった。


 ランダムに動き回るクラスメートの合間を縫って教室を脱出。隣のB組のドアをノックして和久を呼んでもらう。

 春が言伝を頼んだのは手近にいた男子だった。頬を赤らめながらも、彼は教室の奥に座ってスマホを眺めていた和久に向かっていく。

 伝言を聞きとどけた和久が立ち上がり、慌ただしく接近してくる。


「どうした、春樹?」


「『数学1』の教科書、貸してくれ」


「……忘れたのか」


 和久は思いっきり呆れていた。

 感情をオブラートに包むつもりはないらしい。

 気の置けない親友同士、遠慮無用の関係であった。

『親しき中にも礼儀あり』と言う言葉が脳裏をかすめたが、気にしないことにしておく。


「お前が持って帰れって言うからだろ」


「それとこれとは関係ないと思うんだが……」


「いいや、あるね。さっさと貸せ」


「わかった、わかったから、ここで待ってろ」


 別にB組に乗り込んでパク……もといゲットしてもいいのだが、和久は春を教室に入れることに難色を示していた。

 その微妙なニュアンスはもちろん春に届くことはない。席に戻って教科書を掴んだ和久がすぐに戻ってきた。


「ほれ。終わったら返せよ」


「ああ。持つべき者は余所のクラスの親友ってな」


「なんだそれは」


「まあいいじゃねぇか」


「そうだな……ところで春樹、ちょっといいか?」


「ん、なんだ?」


 A組の教室に取って返そうとしていた春を、和久が呼び止めた。


「実は折り入って頼みが……」


 しかし、和久が口を開くと同時に校舎の中に予鈴が響き渡る。

 昼休みが終わる。タイミングが悪かった。


「悪い、時間がねぇ。後でいいか?」


「あ、ああ、別に構わん。教科書に涎垂らすなよ」


「しねーよ。お前、俺のことなんだと思ってるわけ!?」


「自分の過去を顧みたらどうだ」


 思い返してみれば、春は割と頻繁に居眠りこいていた。

 ばつが悪くなったせいか、言葉尻に力が宿らない。


「……大丈夫、多分」


 春はあまり熱心に授業を受ける質ではない。

 食欲が満たされた後の数学の授業は、あまりに眠気を誘うことは容易に想像される。

 想像と言うよりは経験に基づく推測と表現した方が正しい。


「汚れたら、俺のと交換するから」


「居眠りしないように気をつけろ」


「あ、はい」


 和久は生真面目で性格もよいが、ひと言多いのが玉に瑕だと思う春であった。

 あと、愛想が悪い。背は高く顔立ちもよいのだから、もう少しその辺りに気を遣えばモテるはずなのに……

 高校生にもなって浮いた話のひとつも聞かない親友を想って、春はため息をついた。まったくもって余計なお世話であった。

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