第39話 そうだ、買い物に行こう その8
見上げた空は色合いを濃くしてはいたが、まだ夕方と呼ぶには早い。買い物とボウリングを終えた春たちがアレオンを後にしたのは、そんな時間帯だった。
3ゲームほど遊んだ結果、バチバチと火花を散らしていた十和と織枝の決着はつかなかった。このふたり……上手すぎる。なお春は、とても残念な成績だった。
もうひとつのテーブルを囲んでいた和久たちは終始和気藹々としており、春は何度となく彼らに恨めしげな視線を送ったものだ。すべて無視された。コノウラミハラサデオクベキカ。
駅へ向かうバスに乗り込むと、春たちと同じようにアレオンを後にした人々で中は混みあっていた。もちろん座れる席などなかった。
女性陣は自分が購入した水着を胸に抱きしめるように抱え、男ふたりはごく自然に4人を庇う様に位置取り。特に何事もなく駅へ到着した。
「いや~、今日は思いっきり遊んだね!」
にこにこと笑うみちるの声にはまだ余裕がある。
買い物とボウリングでかなり体力を消耗していたほかの面々は、苦笑いを浮かべるばかり。
さすが現役陸上部員は格が違った。勉強がらみ以外でみちるがぐったりしている姿は見たことがない。
「それじゃ、アタシたちはあっちだから」
「お疲れさんっした、お先に失礼しまっす」
みちると太一が春たちから離れて逆側のホームに向かっていく。
春を含む残された4人は同じ方向の電車に乗り込むことになる。
行きはバラバラだったが、帰りは一緒だ。
「今日はお疲れ様。誘ってくれてどうもありがとう」
十和は普段の学校ではあまり見かけない笑顔を浮かべていた。
決してネガティブなものではなかったので、春としてはホッと胸を撫で下ろすことができた。
誘っておいて不快な気持ちにさせてしまったのでは申し訳がなさすぎる。
「……別に誘ってないし」
「ありがとう、江倉さん」
「ぶー」
わざわざ念を押してくる十和から距離を開けようとする織枝。
ホームは多くの客でごった返しているから、それほど離れることはできないわけだが。
「ほら、十束に失礼だぞ」
「兄貴は十束先輩の味方なの? 助けて春姉ぇ」
「いや、オレもどっちかと言うと十束の味方だから」
「ひどい。アタシは孤独じゃん……」
「なんでお前らはそんなに仲が悪いんだ……」
春の眼から見る限りでは、十和はあまり敵を作る人間ではないし、織枝はコミュ強者だ。
空気も読めるし、無意味に波風を立てる人柄でもない。
このふたりがここまで揉めるとは想像していなかった。
ひょっとして十和も織枝も裏では他の女子とも色々あるのだろうか?
何だか心配になってきてしまう。何もないと信じたい。
「それは、その……」
織枝はチラチラと春と和久、そして十和の顔を順に見やる。
「その?」
「な、なんでもないし! 仲良くすればいいんでしょ、もう!」
「まぁ、そらそうなんだが……」
織枝本人が『仲良くする』と言ってしまえば、それ以上突っ込んで話をすることは躊躇われる。
十和の方を見やると、彼女はそれほど気にしていないように平然としていた。
朝方は、これまで見たことがないくらいカッカしていたくせに。よくわからない。
男子だったころは『女子のことはよくわからん』と常々思っていたものだが、女子になってもわからないものはわからなかった。
単に春が鈍感あるいは想像力が貧困なだけなのだろうか? それはそれでショックだ。
何か言うべきではないかと口を開こうとしたタイミングで、ホームに電車がやってきたことを知らせる放送が鳴り響く。
口をパクパクさせた春をあざ笑うかの如く、電車がホームに滑り込み、開かれたドアからたくさんの人が吐き出される。
「ボーっとするな、春樹。はぐれるぞ」
「小日向さん、しっかりして」
「……おう」
左右から叱咤されて、戸惑いながらも電車に乗り込んだ。
★
バスと同じく電車も座席は空いていなかった。ツイていない。
……いや、休日のこの時間帯を鑑みれば仕方のないことだろう。
そう自分に言い聞かせて、春は窓の外の景色を見やる。
少しずつ太陽の光が傾いていく中で、赤く色づいていく街並み。
『きれいだな』と普段はあまり抱かない感想が豊かな胸の奥に宿る。
「もうすぐ夏だよなぁ」
「その前に梅雨だろう」
「そうね、仕方がないとは言え鬱陶しい季節よ」
深く考えずに零れ落ちた呟きを和久が拾い、十和が繋ぐ。
彼女が不快感をあらわにするのは珍しい……ような気がしていたが、今日一日付き合ってみた結果、別にそんなことはないような気がしてきた。
「鬱陶しい?」
憂鬱げな十和の声に、思わず問い返す。
『ええ』と頷いた十和は、
「じめじめするし、髪はまとまらないし……」
「へぇ」
思わず見やった十和の髪は、春と同じく腰まで届くストレートの黒髪。
温和な彼女が『鬱陶しい』なんて愚痴るということは、必然的に春にとっても『鬱陶しい』ことになる。
TSしてから初めての梅雨は、始まる前から春の心に影を落とした。
ただでさえ雨と湿気で煩わしいのに、さらに厄介てんこ盛りとは……
「ですよねぇ」
口論が絶えなかった織枝が十和に賛同するあたり、相当なものなのだろう。
「でも、そこを抜けたら夏だぜ」
夏。
その響きは春の心を浮き立たせる。
高校生。夏。夏休み。考えただけでも面白イベントの目白押し。
これでテンションの上がらない高校生がいるだろうか。いや、いない。
「その前に期末試験があるがな」
「そうね、期末試験ね」
「……ふたりとも、そういうこと言うなよ」
残念なものを見る眼差しを向けてくるふたりから視線を外す。
いたたまれない気分で胸がいっぱいになった。
「まぁ、その……何だ、期末の時も頼むわ」
「普段から勉強しろ」
さりげなく『勉強助けてくれ』と話を振ってみたが、返事はいつものとおり。
春が和久の忠告を右から左に聞き流して、直前になって助けてもらうのもいつものとおり。
多分、次もそうなる。これまでの経験が春に未来を予知させる。
「そんなこと言うなよ。また飯作ってやるからさ」
「……飯?」
春の言葉に十和が反応した。
「ええ。今回は春姉ぇが泊まりがけで勉強しにきてたんですよ」
すかさず言い放つ織枝。
『泊まりがけ……泊まり!?』
ブツブツと口の中で繰り返される声。そして――十和の眉がもの凄い角度で吊り上がった。
どうやら『泊まり』がNGワードだったらしい。
突然の豹変に慄く春は、しかし十和から逃げられない。
和久の様子を窺ってみるも、こちらも十和から距離を取ろうとして失敗している。
狭い電車の中、大勢の客が詰め込まれた空間は密室に近い。状況は最悪だった。
――織枝ェ!?
最後の最後に特大の爆弾を投げ込んできた妹分に恨めしげな視線を向けようとしたが……そんな場合ではなかった。
今、この瞬間、十和から視線を切るのは無謀に等しい。眉間に銃口を突きつけられているようなものだ。
「小日向さん、江倉君のお家に泊まったの?」
「あ、ああ……」
コクコクと頷いてしまった。
頷きながら『これはマズい流れなのでは?』と頭のどこかが警鐘を鳴らしている。
ゴクリと唾を飲み込む。口の中がカラカラだ。
「江倉君、あなた……」
「誓って言うが、おかしなことは何も……」
そこで和久が口ごもってしまう。
「『何も』どうかしたの、江倉君?」
「何にもなかったって。ほら、落ち着けよ、十束」
猛獣を刺激してはならない。誰が猛獣かは……あえて言うまい。
車内は冷房が効いているものの、混みあう人々のお蔭でまるで涼しいという感じはしなかったのだ。さっきまでは。
しかし……今、この瞬間、春は、春と和久は極寒の地に放り込まれたかのような錯覚に陥っている。
物理的にではなく精神的に凍り付きそうな感覚、夏向きの薄着に包まれた春の身体に白い雪が降り積もるような幻覚。
――何とかしろよ、和久!
親友を睨み付けると、バッチリ視線がぶつかった。
ひと目で理解した。
この男、春に面倒を押し付けようとしている。
なぜわかったか?
簡単だ。春も同じことを考えていたからだ。
「ゆっくりお話ししましょうか、小日向さん、江倉君」
「は、はひ」
「……ぐぬ」
十和の笑顔が……怖かった。
★
「江倉君を信用していないわけではないけれど、小日向さんはもう少し自分を大切にするべきだと思うの」
細かいところ(何となく十和に話しづらいアレコレ)を避けて一泊二日の勉強合宿について説明したところで、十和が降りる駅に電車が到着した。
十和はまだ話を続けたいようではあったが、さすがにそれだけのために乗り越すつもりもなかったようで、ひとことだけ言い置いて電車を降りた。
ただ――
「あれ、月曜日にメチャクチャ怒られるんじゃね?」
「お前がな」
「ズルくない、お前?」
「十束とクラスが別でよかったと、心の底から学校に感謝しているところだ」
「お前だけ逃げるの、ほんとズルくない!?」
その声は悲鳴に近かった。
春と十和は同じクラスなのだ。
さすがに教室で今の話の続きをするとは思えないが、どう考えても逃げ場がない。
『十束 十和』からは逃げられない。魔王か。
「大体、元はと言えばお前のせいだぞ、織枝!」
「え?」
すっとぼけた風を装ってはいるが……どう考えてもこの女、確信犯であった。
「お前、何であんなこと言ったんだよ!?」
「べっつにいいじゃん。疚しいことは何もなかったんでしょ?」
「それはまあ、そうなんだが……」
あざとい。胡散臭い。
そう思っていても、しれっと言い返されては追及することもままならない。
元々頭の回転も舌の回転も、春は織枝に遠く及ばないのだ。
「わざわざ隠すから揉めるんじゃん? 最初からオープンにしておけば、突っ込まれても『それがどうした?』で済むし」
「……済むのか?」
最もらしい言い分ではあったが……和久は妹に対して懐疑的だった。
「ま、どっちにせよアタシが怒られるわけじゃないし」
「お~ま~え~な~」
「痛い痛い痛い痛い」
ひとり蚊帳の外を決め込む織枝のこめかみをグーで挟んでぐりぐり。
こんなことをしても何の解決にもならないとわかっていても、やらずにはいられなかった。
「春樹、月曜までに言い訳考えておけよ」
「お前もな」
互いに顔を見合わせて、大きな大きなため息をついた。
最後の最後でトンデモナイ宿題を押し付けられてしまった。
いったいどうしてこうなった!?
『そうだ、買い物へ行こう』はこれにて終了となります。
次は……次は、どうしましょう?
最初に考えてたイメージでは、次の話は絶対に必要だと思っていたのですが、ここまで書いてみた感じだと別にいらないような気がしてきてるんですよね……
やり方としては、
1.当初の予定通り書く
2.圧縮して書く
3.飛ばす
の3パターンになりそうなんですが、う~ん……
しばらく考える時間を頂くことになりそうです。
ご面倒をおかけいたしますが、これからも『さよなら、春樹』の応援をよろしくお願いいたします。




