第38話 そうだ、買い物に行こう その7
「やったことあるから」
みなの視線を一身に集めた十和は、憮然とした表情を浮かべながら断言した。艶やかな黒髪を撫でつける手が微妙に震えていた。
アレオン内部のボーリング場の入り口にて、威圧感を醸し出す十和を囲んで一同は互いに顔を見合わせている。
書店で各々が本を探して、集合したのが午後3時。
『このまま帰るのはもったいないから、どこかで遊ぼう』と騒ぎ立てるみちるに促される形で一同がやってきたのが、ここボーリング場だった。
他にも様々なテナントがあったし、イベント広場ではヒーローショーの真っ最中だったし、映画館ではいくつもの映画が上映されていたのだけれど、店を歩き回るのは男性陣が首を振り、ヒーローショーは十和が拒絶し、映画はみちるがダメだった。暗いところにいると眠たくなるらしい。
候補を選別していった結果、残されたのがボーリングだったのだが……ここで問題になったのが十和だ。
春と和久、そして織枝は中学校時代に何回か来たことがある。その時はお互い家族ぐるみだった。
みちると太一も、それぞれ友人たちとやったことがあるという。
では――十和は?
全身からお嬢様オーラを発しているこの同い年の少女が、重いボールを抱えてレーンに立っている姿が想像つかない。
そもそも全く興味なさそうに見える。
十和を除いた全員の意見は一致し、不安からみなの視線は自然と十和に集中した。
言葉はなくとも意図を察した十和はちょっとイラっとした感じで冒頭のとおりに答えたのだった。
そういう風に見られているという自覚はあるんだなぁと想いはしたものの、さすがにそれを口に出すことは憚られた。
代わりに、一応気遣ってみる。いつも世話になってるから、これくらいは気を利かせるべきだろうと春的には思うのだ。
「別に無理しなくてもいいんだぞ?」
「小日向さん、あなたね……」
せっかくみんなで遊びに繰り出してきたのに、無理をさせるのは申し訳がない。
春としては空気を読んだつもりだったのだが、どうやら逆効果だったようだ。
「とにかく、私は大丈夫だから。やりましょう、ボーリング」
「そ、そう? それじゃ行こっか?」
「お、おう」
誰も彼も思うところはなくもないが、これ以上十和を刺激するのもマズいという点では見解が一致している。
本人が大丈夫だというのであれば、きっと大丈夫なのだろう。大丈夫じゃなかったらどうしよう?
期待よりも不安が大きく占める胸の内はさて置いて……レーンをふたつ占領しチームをふたつに分けることに。
厳正なるじゃんけんの結果、『春・織枝・十和』『和久・みちる・太一』の組み合わせになった。
「んじゃオレから」
「春姉ぇ、がんばってー」
妹分の声援を背中に受けつつボールを選択。
以前に来た時は13ポンドのボールを使っていたはず。
その記憶をもとにボールを選んでみるも、どうにもしっくりこない。と言うか重い。
別のボールを選んでみる。今度は軽すぎる。
いくつかのボールを持ってみた結果、9ポンドのボールに決定。
穴に指を差し込んでレーンに向かう。何となく……微妙な感覚。
ピラミッド状に並べられた10本のピンがやけに遠く感じられる。
軽く助走をつけて腕を振りボールを投じた。違和感。
春の手から離れたボールは勢いよく転がってピンに向かい――途中で右側の溝に落ちた。ガーター。
「あれ~?」
「残念!」
「小日向さん、どんまい!」
納得がいかない結果に首をかしげつつ席に戻ると、座っていた織枝と十和が出迎えてくれた。
ふたりとも、春のガーターを見て茶化すでもなく、心の底から残念がってくれている。
春は腰を下ろして、右手のひらをグーパーさせてみる。
「どうかしたの、小日向さん?」
腰を下ろしてコーラをひと口啜ると、十和が覗き込んでくる。
その黒い瞳の奥に気遣わしげな光が見えた。
「いや、う~ん……何か違和感が」
「違和感?」
「ああ。でも、最近全然やってなかったから、こんなもんかも」
「そう……」
会話を打ち切って横のレーンに視線を向けるよ、あちらの第一投は和久であった。
大柄な身体から投げ放たれたボールは弧を描いてピンに向かい――快音。
「江倉君、惜しい!」
一本残ってしまった。
あっちだって久々のボーリングのはずなのに、和久はなかなか調子がよさそうだ。
親友として、今はライバルとして忸怩たる思いがある。
「じゃあ、次は私ね」
隣に座って一緒に和久を眺めていた十和が席を立つ。
隣のテーブルも含め、空気がわずかに緊迫感を孕んだ。
「おう、頑張れ、十束!」
「十束先輩……いえ、なんでもないです」
「江倉さん、あなたね……」
軽く肩をすくめた十和は、春と同じ9ポンドのボールを手に取って――きれいなフォームでボールを投じる。
ボールは和久の一頭目と同様にカーブを描き、レーンの右端をかすめて中央に向かう。そして――また快音。
「おお!」
ピンは全て倒されていた。ストライク。
「ナイス十束、上手いじゃねーか」
「だから言ったでしょ、できるって」
十和にしては珍しく、心なしか胸を張っているように見える。
――ほんと、コイツなんでもできるんだな……
似つかわしくなさそうなジャンルでも、十和はあまり苦にしていない。
得意げな十和を見て鼻を鳴らした織枝は、8ポンドのボールを選んで助走――こちらもストライク。
先ほどの十和とは異なり、織枝は『できて当たり前』と全身で物語っていた。
なぜ織枝はイチイチ十和に対抗意識を燃やすのだろう? 春にはよくわからない。
「織枝もやるじゃねーか」
「ふん、十束先輩には負けませんから」
「あら、可愛いこと言うじゃないの、江倉さん」
バチバチと火花を散らす十和と織枝。
ただ遊んでいるだけのはずなのに、この緊張感は何だろう。
なまじニコニコと笑みを浮かべているのが恐ろしい。ふたりとも器用なものだと感心……できるわけがなかった。
ここは戦場、あるいは地雷原だった。ほんのわずかな油断で粉々に吹っ飛ばされそうな危険地帯だ。
助けを求めて隣のテーブルに視線を送ると、あちらの3人は露骨に目を逸らせた。
『関わりたくない』
春はそこに不可視の壁を幻視した。
――アイツらァ!
十和と織枝、ストライクを連発するふたりに挟まれた春の成績は――散々なものだった。
「小日向さん、大丈夫?」
何投目かの戻りで腕をぐるぐる回していると十和が声をかけてくる。
別に身体に異常はない。春は健康だし、どこかが痛いということもない。
「ああ、別に大したことねーよ」
「そう?」
「ただ……」
「ただ?」
言うべきか言わざるべきか、迷う。
ほんの一秒ほどの沈黙の後、春は口を開いた。
「やっぱ色々違うな~って思う」
「色々……」
春が以前にボーリング場にやってきたときは、まだ男だった。
その時と同じ要領でボールを投げようとすると、どうにも上手く行かない。
先ほどからの違和感の正体は、おそらくそれだろうと推測している。
「違和感って、ボーリングだけ?」
そう尋ねてくる十和は、やはり鋭いと思う。
春はかすかに首を振った。横に。
「別にこれだけじゃねーよ。ただ、日常生活を送る分には問題ない」
病院でも念入りにリハビリした。最近でも通院するたびに、かなり詳細に報告は行っている。
この近辺におけるTSの権威でもある主治医の雅も『大丈夫』と太鼓判を押してくれた。
ごくごく普通のアクションについては、ほぼ『小日向 春』の身体にアジャストできているのだ。
「ボーリングに限った話じゃねーけど、普段やらないことをやろうとすると、な……」
『小日向 春樹』と『小日向 春』では背丈や手足の長さだけでなく、そもそも骨格や筋肉のつき方が違う。重心なんかも異なっている。
昔のイメージを引きずったまま女の身体を使おうとしても、思いどおりには動いてくれずにもどかしく感じることもある。
その反面、『小日向 春樹』だったころにやらなかったこと――たとえば料理をはじめとする家事全般――については、違和感がない。
頭の中に参考にするべき経験が存在しないからだ。春の胸中は……ちょっと複雑だった。さすがにこれについては誰にも言わないけれど。
「最近はもう大丈夫だろうって思ってたんだが……なかなか難しいな」
TSしてからもうすぐ1年が経過しようとしている。
にもかかわらず、まだ春は新しい自分の身体に適応しきれていない。
今日のように唐突にその事実を突きつけられてしまうと、苦笑するほかない。
「小日向さん……」
「そんな顔するなって、十束」
安心させるために笑みを作り、十和の頭をポンポンと叩く。
こんなに気安く十和に触れるなんて、それは『小日向 春樹』には決してできなかったこと。
TSしたことは決して悪いことばかりではないのだ。
「今すぐできなくったって、これから慣れていけばいいだけだろ?」
「それはそうだけど……」
「まぁ、ボーリングなんてそんなに何度も来るもんでもねーし。心配ないって、多分」
「……気になることがあったら何でも言ってね。協力するから」
「おう、頼りにしてるぜ」
その言葉とともに浮かんだ笑みは、作り笑いではないホンモノ。
春の笑顔を見てようやく十和も表情をやわらげた。
「あー、春姉ぇと十束先輩、なにやってるの!」
またストライクを取った織枝が戻ってくるなり頬を膨らませる。
めんどくさくて、そんなところが可愛らしい妹分。
「何でもねーよ。んじゃ、オレ行ってくるから」
「頑張ってね、小日向さん」
胸のあたりで小さく手を振る十和に見送られて、春は再びレーンに立つ。
――大丈夫なところ、見せとかないとな。
大きく息を吸って、吸って――吐く。
精神集中――目を閉じてイメージ。
『小日向 春樹』ではなく『小日向 春』の身体で、最適のモーションを。
助走をつけて投じられたボールは、イメージをなぞるようにレーンを走り抜け――快音。
全てのピンが倒れる一部始終を目に焼き付けて、豊かに膨らんだ胸をそっと撫で下ろした。




