第37話 そうだ、買い物に行こう その6
遅めの昼食を摂った後、一同は事前の話し合いのとおり書店に向かった。
それぞれ目的が異なるということで、店に入るなり散会。男女ともどもめいめいに本の海に消えていった。
特に見たいものがなかった春はふらふらと冷房の利いた店内を歩き回っている。
時おり周囲から視線を感じる。そちらに顔を向けると、視線の主たちは慌てて目を逸らす。
いつものことだ。気にしても仕方がない。そっとため息をついて歩みを進めた。
まず最初に目についたのはみちる。漫画雑誌のコーナーにいた。わかりやすい。
立ち読みしていたので声はかけずに背後を素通りし、さらにしばらく進むと音楽雑誌に熱心に目を通している太一を発見。
いつもの軽薄な空気とは全く異なる真剣な雰囲気を纏っていて、みちるとは別の意味で声をかけられない。
――やっぱ目標があるとマジになるって感じだよな。
ギタリスト志望の太一は日々ギターの練習に精を出していると聞く。
実際に見たことはないし、春には音楽の素養がないので、この男がどれほどの腕前なのかはわからないが……画業を志す和久同様、その未来はいばらの道と思われる。
畑違いすぎて応援することすら憚られるところだけれど……夢が叶えばいいな、とは思う。
十和は参考書のコーナーにいた。
目の前には真っ赤な表紙の分厚い本がたくさん並んでいる。
彼女以外の客は、いずれも少し年長者であった。見た感じも真面目そう。
……今は、その半分が参考書よりも十和に興味を惹かれているように見受けられるけれど。
「それ、受験対策か?」
「あら小日向さん」
彼女が手に持っていた問題集は、有名な大学受験の過去問集だった。
大学ごとに過去数年分の試験問題と回答をまとめたもので、十和が目を通していたのは――
「十束、T大行くのか?」
T大。
日本の国立大学の中でもナンバーワンとされる超難関。
高校一年生の段階からそんな大学の過去問にチャレンジしようだなんて、春としては信じられない思いで一杯だが、十和ならアリかもと言う気もしてくる。
「これは、まぁ……まだT大と決めたわけではないのだけれど」
苦笑する十和であったが、否定はしない。
浪人するのが当たり前と言われる最高学府でも、十和なら平気な顔で現役合格しそうだという妙な信頼感がある。
「小日向さんがどう思ってるのかは知らないけれど、私なら余裕なんてことはないわよ」
「……そうなのか?」
その言葉に意外さを禁じ得ない。
春が知る『十束 十和』と言う人間は完璧超人の代名詞のようなもの。
容姿端麗、才色兼備、文武両道。ありとあらゆる美辞麗句を当然のものとして受け止めて、その期待を裏切ることがない。
すぐ傍に居たとしても、距離を感じる。夜空に輝く星のような、決して手の届かないスペシャルな存在という認識だったのだが。
心の内が顔に出ていたのだろうか。十和は春を見て軽く肩をすくめ、指先で春の額をトンとつついた。
「私は確かに人から褒められることが多いわ。でも、まだ高校一年生に過ぎないのだから、わからない事やできないことの方がよっぽど多いのよ」
「そうなのか……」
十和でさえそんな有様だというのなら、春はいったいどうなるのだろう?
親友に面倒をかけてようやく定期試験を突破しているような残念な自分には、将来の展望なんてまるで見えてこない。
現状では進路を考える取っ掛かりすら掴めそうにない。
「十束は進路とか考えてるのか?」
「え?」
不意にそんな言葉が口を付いた。
泊りがけで試験勉強した江倉家で、みんなは進路についてどう考えているのか気になったことを思い出したのだ。
画家という目標に向けて一歩踏み出そうとして……でも、なかなか前に進めない和久。
ギタリストを目指し郊外で熱心に修練を重ねている太一。
春の身近にいる人間では、男子ふたりはすでに曖昧ながらも進むべき道を見出している。
対して春自身やみちるからは、まだまだそういった話は出てこない。
普段はバカやっている男たちに置いて行かれているような気がしてならない。焦りを覚える。
では――十和はどうなのだろう?
今もこうしてT大の過去問に興味を抱いているところから察するに、春たちよりは進路について考えているように思えるのだが……
何でもできそうな彼女は、いったいどういった未来像をイメージしているのだろう?
「そうね……進路。私も考えないといけないのよね」
高校はたった3年しかない。ぼーっとしていたらすぐに終わってしまうのだから。
十和の唇から零れた言葉は、春やみちるのそれと大差ない。その事実が意外だった。
言葉に含まれる現実味のなさや、切実な感じのなさまで似たり寄ったりだ。
「小日向さん?」
「え、ああ。何つーか、ちょっとびっくりした。十束はそういうことで悩んだりしないのかと思ってたし」
思わず零れた本音に、十和は苦笑を返す。
「私だって普通の女子高生なんだから、みんなと同じように考えたり悩んだりするわよ」
★
十和と別れてさらに店内をたむろする。
頭の中には先ほど十和と交わした会話がぐるぐると回っている。
――そっか、十束でも進路を悩んだりするんだ……
その事実は春にとってとても新鮮なものだった。
和久や太一を見てきたせいか、もっと進路というものについて、同年代の人間はみな切実に考えているものかと思っていた。
『十和が悩んでいるのだから』なんて言い草は免罪符にはならないだろうけれど、平凡な春にとっては心の負担を軽くする材料にはなる。
……それが良いか悪いかは別にして。
「和久」
「おう」
予想通りと言うべきか、和久の姿は美術関連のコーナーにあった。
ずらっと並べられた画集をひとつひとつ丁寧に眺めているのだ。
春にはその価値がいまいち理解できないが、和久にとっては自分が進むべき道の先を歩く先達の仕事。
ふたりで本屋に行けば、和久は大体いつもこのコーナーに足を運んでいる。今日だけが例外と言うことはないだろうと思っていた。案の定だった。
「お前、本当に絵が好きだよな」
「まぁな」
今さら過ぎてそれ以上言葉を重ねる必要性を感じなかった。
和久の返事もいつものとおりの気のないものだった。
それを咎めようとも思わない。
春に美術芸術の良し悪しはわからない。だから、目の前に広げられているプロの作品と和久のそれを比べることもできない。
後ろ手に腕を組んで矯めつ眇めつ眺めてみても……サッパリだった。
我が事ながら、ここまでセンスがないのは珍しいのではないかという気もしてくる。
「そう言えば、お前スランプはどうなったんだ?」
前に美術部のモデルをやったときに、凄腕の先輩である美佐希から指摘されていたことを思い出した。
美佐希に限った話ではなく、美佐希の姉である美優希も、そして春自身もあの時の和久の絵には違和感を抱いていたのだ。
あれからしばらく経つが、和久は復調できたのだろうか。そのあたりの話は全然聞いていないのだが。
インターネットで軽くさらった程度の情報だけど、美大を目指す人間というのは、かなり早くから色々と受験対策をするものらしい。
自身の不調を含め、和久はそのあたりどう考えているのだろう? 春から見ればほんの少しの出遅れでも、親友的には……
「……」
和久からの返事はなかった。
ただ気まずそうに視線を逸らし、わざとらしく眼鏡の位置を直している。
その姿を見るだけで、問題がまるで解決していないことは容易に想像がついた。
「オレはその、何と言えばいいのか……絵についてはまるで門外漢だから、アドバイスとかできねーけど」
自分の口から漏れるその言葉は、春自身を苦しめる。
親友の窮地に手を差し伸べることができないという現実を突きつけられるたびに、胸が締め付けられそうになる。
「美術部の先輩とか、あと……えっと、誰だっけ、他にいねーのか……誰でもいいや、信用できる奴に相談してみたらどうだ?」
「それはまぁ、そうだな」
春の無責任な言葉に、和久は曖昧に頷いた。
和久にそういう相手――師と呼べる存在はいるのだろうか?
親にすら進路について相談できていないのだから、表立って誰かに師事することもできていないのではないか。
美大を目指すほかの連中は、こういうスランプに陥ったときにどうしているのだろう?
――予備校とかか?
頭によぎったアイデアは、口にすることなくゴミ箱へ。
和久を取り巻く現状を鑑みるに、そんなことできるはずがない。
春の推測に間違いがなければ……だが。
「美佐希先輩とか、どうなんだ?」
「あの人はなぁ……天才肌だから……」
顎を撫でながらコメントする和久の言葉は、えらくオブラートに包まれていた。
ごく短い期間であったが美術部に足を運んでいた頃を思い出すと、美佐希はなかなか難しい相手に思える。
たった一枚絵を見ただけで、彼女に秘められた才能には驚かされたものだ。
その反面、会話ひとつとってみても、とても奇矯で――言葉を選ばずに表現するならば変人の類である。
ひとに物を教えることが向いているようには見えない。
もちろんこれは部外者である春の勝手な想像であって、美佐希が実は優秀な教師である可能性もある。
……和久の態度を見ている限りは、ちょっとそうは思えないが。
「ともかく……オレに出来ることは何だってやってやるから、相談くらいはしてくれよ」
「頼りにしてるつもりだがな」
「そうか? ならいいけど」
そう言い置いて和久に背を向ける。これ以上この場に留まっていても、あまりいいことはなさそうだったから。
最も信頼する相棒から信用のおけない言葉を貰ってしまい、どうにも雰囲気が悪い。
スマートフォンをタップすると――まだ集合時刻までは時間がある。
――さて、オレはどうすっかな?
みちるを除く他の3人は、それぞれ進路について模索している。
春ももう少し自分の将来についてしっかり考えてみてもいいのではないか。
そんな気がしてきた。
しかし目指すべき未来はあまりにも曖昧模糊としたもので、いったいどこから手をつければいいのやら……
「どうすりゃいいんだ、マジで……」
休日の書店でひとり天井を仰いだ。
涼しげな風が肌を撫でて、少し身体が震えた。




