第36話 そうだ、買い物に行こう その5
「それで、どんなの買ったんスか?」
水着売り場から脱出した一行を迎えた太一は、開口一番こんなことを口走った。
もちろんこの男は先ほどまでのプチ荒れを知らない。
「エロ太一ウザ」
案の定、秒でみちるが拒絶する。
場の空気が荒れてようが荒れてなかろうが関係なかっただろう。
「いや、みちるさんのは別に。春さんとか十束さんのが知りたい」
「バカ! マジで死ね!」
言葉と同時にみちるのキックが太一に飛んだ。
陸上部で鍛えられた一撃を脛に受けて蹲る太一に注がれる、女性陣の冷たいまなざし。
なぜこの男はこんな余計なことを口にするのだろう?
この瞬間、きっと誰もが同じ疑問を抱いていた。
「兄貴、これ持って」
「あ、ああ」
一方、江倉兄妹は慣れた様子。
春の知らないところで、和久が何度も荷物持ちを務めてきたことが窺える。兄貴って大変だな。
その和久はチラリと春に目を向けて――しかし何も口にはしない。
「和久、オレのも持ってくれ」
「え? いいのか?」
水着を入れた紙袋を渡すと、いささか引き気味に訪ねてくる親友。
『いいのか?』とはどういう意味だ?
微妙に会話が繋がっていない気がした。
「ああ、そのための荷物持ちだろ?」
「……それはそうなんだが……」
和久は口ごもりながら春を見て、織枝を見て、そして十和を見た。
織枝はニヤニヤと笑みを浮かべ、十和はため息をついている。
親友の眼の動きに全く気付いていない春は、更に余計なひと言を付け足した。
「十束も持ってもらったらどうだ?」
春が話を向けると、十和は首を横に振った。
漆黒の髪がサラサラと揺れる。
「別に重いものでもないし、これくらい自分で持つわ」
「そうなのか、せっかくの荷物持ちなのに?」
「それはそれ、これはこれ」
十和の翻意は無理そうだった。声色は穏やかだが強い意志を感じる。
諦めてみちるの方に目を向けると、こっちは荷物を太一に押し付けている。
……さっきのやり取りは何だったのだろう?
太一は蹴られ損だったのではなかろうか?
疑問は尽きないが、トラブルがないのであれば口を挟むことでもない。
同じ中学校出身のふたり、自分の知らない付き合いがあるのだろう。春は強引に己を納得させた。
「さて、それじゃ次は……」
くぅ~
みちるが言いかけた瞬間、誰かの腹が鳴った。
全員が沈黙し、互いに視線を交わし合う。
誰もが息を潜める。唾を飲み込む音が、やけに大きく耳に響く。
「あ、アタシじゃないし」
「オレも違うし」
「私じゃないわよ」
「アタシのはずがないでしょ」
女子4人はほぼ同時に口を開いた。
そして、4人は同時に悟った。本能的に。
――この中に(最低でも)ひとり、ウソをついている奴がいる!
睨み合う4人。醸し出される空気がぴしぴしと緊張感を纏う。
今日ここまでのやり取りとは根本的に異なる。
本件については、4人は互いにライバルだ。助け舟を出し合うことはない。
各々の視線が厳しさを増す。様子を窺い、ウソを見抜くために牽制を交わす。
「あ~、腹減った。和さんはどうっす?」
「ああ。もう12時過ぎてる。俺も腹が減った」
「何食べます? みちるさんたちも、ホラ?」
男ふたりは空気を読んだ。
ここで腹減りの正体を暴くよりも、自分たちの欲求ということにしておいて昼食を摂ろう。
そう言うことで場を収めようとしてくれている。その配慮に女4人の空気が弛緩する。
自分が男のままだったら、こんな風に場を取り成すことができただろうか?
春は和久と太一を見て、心の中で独り言ちる。それが、あまりに無意味な問いであったとしても。
「そうだな。買い物に時間かかったし飯にしようぜ」
「だね。ご飯、なにがいいかな?」
「……そうね」「うん、どこにしよう?」
先ほどまでの一触即発の空気はどこへやら、姦しく笑い合う女子勢を見て、男ふたりは気づかれないようため息をついた。
★
昼食はアレオン内に出店されているイタリアンになった。全国的に展開しているチェーン店である。取り立てて敷居が高いというわけでもなく、高校生的にも気安い店である。
春はラーメン屋を希望していたのだが、十和と織枝の猛烈な反対(仲が悪そうなのに団結力が凄かった)に阻まれてこれを断念。
だったらどこでもいいやとなったので、太一の提案が通った形になる。別にイタリアンがダメと言う意見もなかった。
さすがに休日らしく店は満員状態ではあったが、タイミングが良かったおかげか、さほど待たされることもなくテーブルに通された。
ここで行列に並ぶ羽目になっていたら、腹を減らした誰か(追及はされなかった)はきっと耐えられなかっただろう。
4人掛けのテーブルをふたつくっつけて席を作り、腰と荷物を下ろしてからメニューを見比べる。色鮮やかなサンプル写真は見ているだけで食欲を突き上げてくる。
6人それぞれがパスタとドリンクバーを頼み、さらに全員でピザを2枚追加。ちょっと多い気がしなくもないが、食べきれなければ男ふたりが処理するだろう。
ショッピングモール内は概ね空調が効いているのだけれど、喉が渇くことは渇く。交代で飲み物を取りに行ってようやくひと息。
春はコーラ。江倉兄妹はウーロン茶。みちるはスポーツドリンクで太一はオレンジジュース。そして十和はアイスティー。
それぞれの飲み物を見ているだけで、個性の違いを感じる。
「それで、飯食ったらどうする?」
「せっかくみんなで来たのに、買い物終わったらすぐ解散じゃつまらないよね」
「どこか行きたいところがある人はいないのかしら?」
「う~ん……」
このまま帰るのはもったいないというところまでは意見は一致している。
しかし、その後が続かない。
『さて、どうしたものか』と、みんなで首をひねっていると、
「すまん、本屋によっても構わないだろうか?」
和久がそんなことを言いだした。
アレオン内の本屋はデカい。
日頃の行動範囲――家と学校を結んだ経路+アルファの本屋よりも、ここの本屋の方が品揃えは充実している。
「別に構わねーとおもうけど、みんなは?」
「さんせーい。アタシ漫画読みたい」
「俺もおっけーっす。雑誌見てるわ」
「アタシは別にいいけど……兄貴、あんまり時間かけないでよ」
「言われなくてもわかっている」
特に反対は出なかったので、昼食後は本屋に決まった。
具体的なアイデアを持っている者はほかにいなかった。
「本屋だけだったら時間余りそうね」
「だったらしばらくブラブラすればいいじゃん」
「それもそうね」
十和とみちるの会話に口を挟む者もいない。
『ショッピングは買うものがなくとも見ているだけで楽しい』的なことを言っていたのは誰だっただろう。
春はストローでコーラを啜りながら、そんなことを考えていた。
待つこと暫し、店員がテーブルにパスタとピザを運んでくる。
広くしたはずのテーブルが瞬く間に皿で埋まっていく。漂ってくるチーズの匂いが堪らない。
「さ、冷めないうちに食べよー!」
「ピザ切り分けるわ」
「はーい。十束さん、ありがとー」
カッター片手に率先してピザを切り分ける十和を見つめる。
その視線に気づいた十和が不思議そうに春に視線を向ける。
怪訝そうな眼差しだった。
「どうかした、小日向さん?」
「あ、いや……なんか慣れてるなって」
「それ、驚くようなことかしら?」
心外だと副音声が聞こえてきたような気がした。
春的には割と驚くべき光景だったりするのだが、他の連中は何とも思わないのだろうか。
「うん、まぁ、そうなんだけど……十束って、あんまりこういうところに来ないイメージだったから」
「小日向さん、あなたね……」
軽いため息とともにジト目を向けられると、春としては恐縮する。
何となく『十和は特別』というイメージが抜けてくれない。
近しく付き合い始めてから、もうかなりの時間がたっているというのに。
「わかる! この前ファミレス行ったとき、アタシも同じこと思った!」
みちるが春を援護してくれた。
この件に関しては春は間違っていなかったらしい。
中学そして高校と、十和が団体行動しているところを見た覚えがない。
修学旅行の時はどうだっただろう? 残念ながら記憶にない。
「あなたたちが普段私をどういう目で見ているのか、本当によくわかったわ」
「いや、でも、なぁ……」
「私だってこれくらい予習して……あ」
うっかり口を滑らせた十和が硬直した。
――予習してきたのか……
その瞬間、5人の心がひとつになった。
沈黙がテーブルを支配する。
誰も迂闊に口を開くことができない雰囲気。
「じゃ、いただきまーす!」
その沈黙を破ったのは――みちる。さすが勇者。
空気を読めない振りをして、気づかない振りをしてピザを摘まんで齧り付く。
伸びるチーズと格闘しながら『おいしー』などと笑っている。
そんなみちるの姿を見て、誰ともなく笑みがこぼれた。
「そうだな。オレもひと切れもーらい!」
「俺、タバスコかけていいっすか?」
「私、タバスコはちょっと」
みちるのひと言で凍り付いていた場が暖まった。
めいめいに食事を楽しむ様子を見て、頬を赤らめていた十和もホッとひと息。
――食べ方って人それぞれだな。
フォークに絡めた自分のパスタを口に放り込みつつ、みなの様子をチェックする春。
食べ方には人の個性が出る。
例えば……十和と織枝は互いに反目しあっているものの、ふたりともテーブルマナーはレベル高い。割とよく似ている。
どこがどう、と具体的に指摘することはできないものの、きれいだと感じられる。滑らかと表現してもいい。
みちるはガッツリ行く方だが、下品なイメージはない。不思議だ。
春は――和久や太一と似たり寄ったり。我ながら男っぽい食べ方だと思う。
そんな自分の方にチラチラ視線を投げてくる十和がちょっと怖かったりする。
お小言が始まっていないからセーフ……と言うことにしておく。
「春姉ぇ、そっちのパスタひと口ちょうだい!」
「いいぞ、オレもひと口くれ」
考えごとをしてたところに、織枝の言葉で現実に引き戻された。
別に断る理由もなかったのでフォークにパスタを絡めて、
「はい、あーん」
「こっちもあーん」
互いに突き出したパスタを口に入れると、先ほどまでとは異なる味わいが口中に広がる。
こうしてみんなで料理をシェアすると、色々なものが食べられて面白い。
……春は気づかなかったが、ホクホク顔で笑みを浮かべる春を見つめる十和の瞳が、先ほどまでとは全く異なる光を放っていた。
フォークを握りしめた十和のたおやかな手が微かに震えていることに、誰も気づかなかった。




