第35話 そうだ、買い物に行こう その4
春が一着の水着を手に取った瞬間、一緒に買い物に来ていた3人の顔色が変わった。
織枝は目をキラキラと輝かせ、みちるは戸惑いの色を隠せず、そして十和の顔からは表情が消えた。
三者三様の変化に驚いた春は、もう一度自分が選んだ水着に視線を落とした。
ごく普通の三角ビキニだった。
色は青。爽やかな夏の青空を思わせる。
柄はなくデザインはシンプル。
サイズはまだ合わせていないけれど……見た感じだと少し小さい気がしなくもない。
まぁ、春の身体に合わなければ別のものを選べばいいだけ。
そのはずだったのだが……
――あれ、オレ、なんか間違えた?
割と自信あったので、この反応は困る。
やはり自分のセンスはどこかおかしいのだろうか?
口には出さないが結構ショックだった。
「いい、さっすが春姉ぇ!」
織枝は両手をぐっと握りしめて賛同してくれた。
春のセンスの半分は織枝でできているので、ちょっとホッとした。
「え~、それは大胆じゃないかな?」
みちるは頬を赤らめてビキニを凝視している。
大胆?
そうなのだろうか。
「ダメ」
十和は一刀両断に否定してくる。
身も蓋もなかった。取り付く島もなかった。
「え、なんで?」
「『なんで?』じゃないわ、もう! 肌を見せ過ぎなの!」
こめかみのあたりをピクピクさせながら、十和は声を荒げる。
彼女のその口調はとても珍しいもので、同時に深い本気を感じさせる。
そんなにヤバいものだったのかと改めて水着を凝視してしまう。
しかし……どれだけ自分の記憶にあるイメージと照合させてみても、そこまでおかしなようには思えないのだけれど……
「大体さっきから気になってたけど、今日の格好もそう。もう少し人の目を気にしなさい」
十和の説教は水着を飛び越えて春の衣装にまで及んだ。
その言葉に自分の姿を見下ろすと――確かに露出度は高い。
しかし、この服はここまで怒られなければならないものだろうか?
こう言っては何だが売り場にいるほかの客――十和の声に驚いて注目を集めている――の中にも似たり寄ったりの格好をしている女はいるし、露出という点だけを見ればみちるや織枝とも大差ないと思う。
『夏ってそういう季節なのではないのか?』『なぜ自分だけが?』疑問が頭の中で埋め尽くされる。
訳が分からなくなって無意識のうちに視線をほかのふたりに走らせる。
「あ―もう、十束先輩硬すぎ、ウザすぎ」
うんざりした声は織枝のもの。
その文面と声に秘められた感情が癇に障ったようで、十和は織枝をキッと睨む。
先ほどまでのギリギリでギリギリしていた感覚とは違う。これはもう喧嘩の一歩手前。
「江倉さん、あなた……」
「せっかくの夏なんだからパーッと開放的にした方が楽しいし、春姉ぇは子どもじゃないし、あんたの言うことに従う必要もないし」
なんでいちいちダメ出しするの?
十和に睨まれた織枝は、まったく怯む様子を見せずに反論を繰り出す。
春としてはそんな織枝に驚かされてしまう。
まさか十和相手にここまで真正面から立ち向かうとは……
たまさかTSしただけのなんちゃってリア充もどきな自分とは違い、織枝は明確な自覚を持って十和と対峙している。
あのいつも和久の後ろに引っ付いていた少女がこんなに立派になって……ホロリと来た。
「いくら夏だからと言っても限度があるし、高校生はまだ子どもよ。それに……」
「これだからババァは」
「なんですって!」
ただのひと言で十和が限界を超えた。春は織枝がちょっと怖くなった。女子怖い。
これまでにない剣幕で織枝に詰め寄る十和の間に割って入ったのは――みちるだった。
春としてはみちるの勇気に敬意を表せざるを得ない。まさしく勇者であった。みちるが男子だったら惚れていたかもしれない。
「まぁまぁ十束さん、落ち着いて……でもね、春、アタシもいきなりそんなの見せられたら驚くよ」
みちるは十和を止めつつも、意見自体は十和よりだった。
大抵のことでは自分を立ててくれる友人の言葉に、ただでさえ根拠薄弱だった春の自信はグラグラだ。
何かが致命的なまでに噛み合っていない。十和の反応は極端すぎるにしても、みちるまであちら側に回るとなると……これはきっと何かある。そう思わざるを得ない。
「そうかなぁ……普通だと思うんだけど」
「その『普通』ってどんな基準?」
思わず零れた愚痴をサッと拾われた。
そこに反応されると思っていなかったので、春としては戸惑いを覚えてしまう。
「どんなって……グラビアとか見てたらもっと大胆なのもあるしさ?」
みちるの声が真剣な色合いを帯びていたので、できるだけ誠実に答えようとした。その結果がこの有様。
『女子』『水着』というワードから春が想定するのは、主に少年誌を飾っているグラビア特集である。
一般的な男子――春の場合は元男子――としては、それこそごく『普通』だと思うのだが……
「う~ん、そういう水着って遊んだり泳いだりするときには着ないんじゃないかな?」
大胆なデザインの水着はきっと撮影専用。
そんな格好で泳ごうとしたら色々解けて大変なことになる。
みちるがそう説明を続けると、後ろで気色ばんでいた十和が賛同するように大きく首を縦に振った。
「そうなのか?」
春は一年前までは男子だったので、その辺りの事情には詳しくない。
同い年の女子ふたりにこうもはっきりと否定されると自信がなくなってくる。
『泳ぐときに着用しない水着』というものが、そもそも理解の範疇の外であった。
というか、そんな服っていったい何のために存在しているのか、疑問すら覚える。
「でも、デザイン自体はいいと思うんだがなぁ」
「そうなの?」
自分の意見が不利であると認めつつも、あくまで抗戦の意思を見せる春にみちるが尋ねると、
「ぶっちゃけフリルとか花柄とか、ああいう方がピンと来ねぇ」
デザインはシンプルに。
身体の線を魅せる方が絶対にウケる。
余計なものがついていると邪魔にすら思える。
春がそう続けると、
「え、フリル可愛いよ? ……可愛くない?」
今度はみちるの方が自信なさげに首をかしげた。
問いの後半は、後ろの十和に向けられたもの。
「私は可愛いと思うけど……小日向さんは違うの?」
十和の言葉に、春は首を横に振った。
――あわねぇ……どうなってんだ?
わからない。
個人の趣味の問題なのか、それとも男子的視点を持つ春ゆえの問題なのか。
答えを得るには――
「じゃあ、外で待ってる兄貴たちを呼んできて聞いてみたら」
「それはダメ」
「ダメに決まってるでしょ」
織枝の提案にみちると十和は真っ向から反対した。
即答だった。このふたり息ぴったりだなと感心させられるほど。
「……やっぱオレがおかしいのか?」
みちると十和の結束具合を見せつけられて、ポツリと呟いた。
春自身が考えているよりも、その声はかなり寂しげに響いた。
「春姉ぇはおかしくないって!」
「『変か?』って言われると困る……」
「小日向さんの趣味を否定したくはないけれど、さすがにこれは許容できないわ」
「……だからババァに許してもらう必要とかないっての」
三者三様の意見をぶつけられて、思いっきり混乱してしまう。
みちると十和が自分を心配してくれているというのは感じる。
しかし、自分が気に入ったと思うものを引っ込めて、別の水着を買うというのは気が乗らない。
「じゃあさ、ここはひとつ折衷案ということで」
硬直してしまった場にみちるの言葉が差し込まれた。
「春はその水着が気に入ったんでしょ?」
「ああ」
「アタシと十束さんは、その水着は大胆過ぎると思う」
みちるの言葉に十和が頷いた。
「だから、アタシと十束さんで別の水着を選んで春にプレゼントするってのはどうかな?」
「え?」
「ああ……それはいい考えね、湊さん」
ごく当たり前という風に頷く十和だが、春としてはその展開には頷けない。
唐突過ぎる。話の流れがおかしすぎる。展開に繋がりがなさすぎる。
なぜこのふたりは『いいアイデア』みたいに話を進めようとしているのか、それがわからない。
「いやいや、なんでいきなりオレが服を買ってもらうって話になってんの?」
「だって、春が自分でほしいと思えない水着を着せようとしてるんだから、春のお金を使わせるわけにはいかないじゃん」
「でもよぉ……」
水着のタグに視線を走らせると……値段は安くはない。
特に深い理由もないのに、ふたりに買ってもらうのは気が引ける。
「やっぱダメだ。そんなことさせるくらいなら、この水着を買うのは止める」
「ええ、それは」
「それもダメかな」
「え? 湊さん?」
再びダメ出しするみちるに十和も疑問を隠せない。
十和としては春に翻意させることができればよかったようだ。
自分の味方だと思っていたみちるが、更にダメを重ねてきて戸惑いを隠せていない。
「春は自分が着たくてその水着を選んだんだから、買うのを止めたら後悔すると思う」
「そりゃまあ……」
みちるの言い分はわからなくもない。
ここで妥協してみちるや十和が選んだ水着を買っても、きっと後悔が残る。
その時に抱くネガティブな感情がふたりに向いてしまうことは――怖い。
「だから、春は自分が選んだ水着とアタシたちが選んだ水着を両方持っておけばいいんじゃないかなって」
今はまだ6月。
実際に水着を使用するまでには時間がある。
それまでにじっくり考えて答えを出せばいい。
みちるはそう続けた。
「それは……そうね」
十和もそこまで聞くと大人しく矛を収めた。
「私の趣味を小日向さんに押し付けるのも良くない。そうね……ありがとう、湊さん」
己の性急さを素直に認め、みちるに感謝を春に謝罪を。
十和とみちるにここまで言われたら、春としても否と言うことはできない。
「……わかった、でも」
「水着の代金のことを気にするんだったら、今度は春が何かアタシたちに奢ってよ」
「……おう」
みちるの提案に頷く春だったが、
――ヤバい、金がないぞ……
その内心をこのタイミングで表に出すことは憚られた。春にもプライドというものがある。
最後まで不満を隠そうともしなかった織枝も、他の3人の合意が固まってしまったところを混ぜっ返すようなことはしなかった。
「さ、春の水着はこれでいいとして、アタシたちも早く探さなきゃ!」
「そうね、それじゃ私も……」
「は~い」
思い思いに散っていくみちるたちの背中を目で追いつつも、
「……この水着、そんなにダメなのか?」
空色ビキニに視線を落としつつ自問自答。
自分的には割と会心の選択だったのに。
春の疑問に答える者は、誰もいなかった。




