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第34話 そうだ、買い物に行こう その3


 幸いというべきか、十和(とおわ)織枝(おりえ)の一触即発じみた緊張感は長くは続かなかった。

 これは仲裁に入った(はる)の功績というよりも、ふたりともTPOをわきまえていたことが大きい。

 公衆の面前でバチバチと火花を散らし続けることの虚しさをよく理解しているというか……とにかく一同はホッとした。

『だったら最初から揉めるな』とか『出会い頭にこれでは……先行きが不安過ぎる』という点については、みんなしてスルーした。


「それじゃ、そろそろ行こうぜ」


 お互いにはぐれないよう注意しつつ、ひとの溢れる休日のショッピングモールに足を踏み入れる。

 暖かいを通り越して暑く感じられた空気が、空調の利いた爽やかなものに代わって一同の肌を撫でる。

 先頭を行くのはいつの間にかすっかり打ち解けて仲良くなっている織枝とみちる。

 その後ろに太一(たいち)がつき、春と十和、そして和久(かずひさ)が続いた。何となくそれっぽい組み合わせであった。


「悪いな、十束(とつか)


 十和と織枝の距離が開いた隙に、頭を下げておく。

 織枝に気付かれると、またややこしいことになりそうだったから。


「……何のことかしら?」


「いや、その、織枝の奴、いつもはあんなじゃないんだけど……今日のことを伝えるの忘れててさ」


 予想外だったから反発しているみたいなんだ。

 春はそんな感じで言いつくろってみたのだが……


「別に小日向(こひなた)さんが気にすることではないわ」


 十和の反応はこれまた想定外なほどにつっけんどんだった。

 室内の空気よりも、十和が纏う雰囲気の方が冷たい。

 薄手のブラウスに覆われた春の背中を、コールドな汗が一筋流れ落ちた。


「そう言われてもなぁ……」


「私と江倉(えくら)さんが揉めるのも今に始まったことでもないし」


「そうなのか?」


 思わず十和と距離を詰めてしまう。十和は少し仰け反ってしまっている。

 春と親しく関わりを持つふたりの仲が悪いなんて聞いたことがなかった。

 そもそもこの超絶優等生はそういった噂とは縁がない人物だと思っていたのだが……


「まぁ、色々あるのよ。さっきはいきなりだったからやっちゃったけど……お互い空気は読める方だと思うから心配しないで」


「はぁ……和久、お前知ってた?」


 後ろを歩く和久に話を振ってみるも、和久は首を横に振った。

 眼鏡の奥の瞳にはありありと困惑が浮かんでいる。

 和久の眼から見ても織枝は人当たりの良い性格をしているし、十和に至っては言葉を重ねる必要性を感じない。

 自分の妹の知らない一面を見せつけられて、どうすればいいのかわからないといった様子であった。


「アイツのことはよくわからん……」


「江倉君、お兄さんがそんなこと言ってはダメよ」


「それを十束に言われると……困るな」


「……確かに、揉めた当人の言葉ではないわね」


 和久の返しに十和はグッと言葉を詰まらせた。


「しかし……十束の言うとおりではある。善処する」


「春! 十束さん、こっちこっち!」


 いつの間にか少し距離が離れてしまっていたみちるが呼んでいる。


「この話はここまでね。さ、行きましょう」


「お、おう」


 軽く頭を振って切り替えたらしい十和が春の手を取って歩みを進める。

 十和の白い手、少し冷たくて滑らかな肌触りにドキリとさせられる。

 手を引かれるままにみちるの方に向かう春と、ふたりの後を追う和久。

 互いに顔を見合わせて、『まぁ、なるようになるか』と目と目で語り合った。



 ★



「すげぇな」


 水着売り場に足を踏み入れた春は、眼前に広がる光景に『ほう』と感嘆のため息をついた。

 毎年夏が近づくたびに、見目麗しいモデルが水着を身にまとった宣伝ポスターの類はよく目にしてきた。

 それは、このアレオンに限らずどこに行っても似たようなもの。華々しくて眩くて、そして直視することは咎められるようなドキドキ感を伴って。

 しかし男だった『小日向 春樹(はるき)』にとって、このブースは憧れの地ではあっても決して足を踏み入れることはできなかった。

 だが――今は違う。女になった自分にとって、ここはもう禁足地でも何でもない。ここは……この水着売り場は自分のために存在する。

 堂々と睥睨し、品定めし、存分に試着することができる。その事実に感動した。


「春がなんかおかしい」


「放っておいてやれ。そういう季節なんだ」


 こそこそと言葉を交わすみちると和久の声は耳に届いているのだが、怒りは湧かない。

 男の和久にも、女のみちるにも、この胸の内に溢れる感情を理解してもらえるとは思っていないのだ。

 こればっかりはTSした人間でないと賛同は得られないだろう。一抹の寂しさを覚えなくもない。

 ……傍から見ていると、『小日向 春』はちょっと残念な美少女であった。


「で、これからどうすればいいんだ?」


 辛抱たまらなくなってみちるに尋ねると、


「どうって……自分が欲しい水着を選んで試着かな? でもその前に……」


 みちるは和久と太一に人差し指を突き付けた。

 ビシィっと音が聞こえてきそうな勢いで。


「男子はあっち行って」


 その宣言を耳にした男どもの反応ときたら……

 和久は無言だった。『まあ仕方がなかろう』とでも思っているようだが、チラチラと向けられる視線がむっつりスケベだった。

 太一は盛大に肩を落とした。こっちはわかりやすくオープンなスケベだった。

 

――わからなくもないぜ……


 餌につられてやって来たのに目の前でシャッターを閉められたような、とんでもない残念感が彼らの胸を満たして溢れようとしている。

 その胸中が容易に想像できてしまう。


「ええ~、そりゃないっしょみちるさん。俺たち何のためにわざわざ休日を潰してまで……」


「荷物持ちって言ったでしょ。このスケベ」


「兄貴もさっさとあっち行って、ほら!」


 みちると織枝に追い払われる男ふたり。

 なおも食い下がろうとする太一とは反対に、さっさと売り場に背を向けて歩き出す和久。

 これまで織枝に振り回されてきたせいで、耐性がついているのだろう。その背中から哀愁を感じるのは、春がもともと男だったからだろうか。

 もし自分が彼らと同じ立場だったらと想像すると、背筋に寒いものが走る。

 今は女子勢の一員である春としては、この場面における男子の存在を許容できるかと問われると首を横に振りたくなるわけだが。


「さ、邪魔者を追い払ったから、これからはアタシたちのターンだよ!」


「おー!」


 テンション高めのみちると織枝は、意気揚々と進んでいく。

 チラリと十和の方に視線を送る。気付いた十和は『処置なし』と言った風に力無く頭を振った。

 あのふたりについていくのは少々骨が折れそうである。6月でこの調子だと、夏本番はどうなってしまうのだろう?


――考えてもしょーがない。


「とりあえず、オレたちも水着を選ぼうぜ」


「小日向さん、あなたまで……いえ、わかったわ。元々そのつもりで来たのだったわね」


 気を取り直した十和と共に、水着売り場を見て歩くことにする。

 それにしても種類が多い。色とりどりだしデザインも様々。

 甘めのものからガチっぽいセクシー系までまさに百花繚乱。見ているだけで顔がカーッと熱くなってくる。

 チラリと横目で様子を窺ってみると……真面目そうに見える十和は普通にしている。

 前を行くふたりはハイテンションだが挙動不審ではない。おかしいのは春だけだった。


「小日向さんはどういう水着を選ぶつもりなの?」


「それなぁ……よくわからんのよ」


 十和の問いに微妙な答えを返す。

 織枝に誘われて以後、テスト勉強の合間に調べてはみた。

 昔から女子の水着姿には興味津々だったが、いざ自分が着る側に回ると……どうにも答えが出ない。

『小日向 春』に相応しい水着とはいかなるものか。イメージがまとまらない。

 現地に足を運べばピンと来るものが見つかるかと軽く考え、否、問題を先送りにしてきたが……まぁ、お察しの状態である。


「十束はどんな奴を買うつもりなんだ?」


 オシャレに関する春の知識は、主に十和と織枝からのパクリである。

 ふたりのセンスはほとんど真逆なので、彼女たちを参考にしている春のセンスはどこかチグハグで。

 結果として十和からも織枝からもしばしば突っ込まれる事態に陥っている。

 それでも……ほかに指針となってくれそうな同年代の同性が見当たらないので頼らざるを得ない。


「十束さんって、なんかあんまりこういうところで水着を買うイメージないなぁ」


 春たちのもとに戻ってきたみちるが言うと、


「十束先輩の場合は、むしろ業者を家に呼びつけるみたいな?」


「専門のデザイナーにオーダーメイドしてるとか?」


 織枝も追随して言いたい放題である。

 似たようなことを考えていた春は、しかし口を開くことはなかった。

 十和は『頭が痛い』というジェスチャーと共に、


「あなたたちが普段私をどういう目で見ているのか、よくわかったわ」


「見られる方もどうかと思いますケド?」


「……江倉さん?」


 十和と織枝が睨み合うと、春の首筋がチリチリしてくる。

 社会の授業でこういうシチュエーションについて習った気がする。

 ……バルカン半島だったか? 世界大戦始まりそう。


「ふたりとも、落ち着け」


 多分さっきと同じだ。このふたりは緊迫はするけれど爆発はしない。

 でも、大丈夫だと思っても口にせざるを得ない空気が存在する。

『火中の栗を拾う』気持ちで仲裁に入る春に向かって、


「落ち着いてるわ」


「落ち着いてるし」


 異口同音。

 仲が悪そうに見えて、十和と織枝の息はピッタリだった。

 その事実に気付かされたふたりは、ほんのわずかの間睨み合い、『フン』と互いに視線を逸らす。


「そ、それで何の話をしてたんだっけ?」


 不穏な空気の流れを読みつつ、慌てて会話に加わってきたみちる。

 肝心の十和は少し考えるそぶりを見せて、


「私だって、こういうところで普通に買うわよ」


「そうなんだ……ちょっと意外かも」


「湊さん、あなたね……」


「それで、十束はどんな奴にするつもりなんだ?」


 混ぜっ返されそうになったところに割り込む春。

 この話をこれ以上続けるのは、あまりよくない気がする。


「そうね……実は私もまだ決めてないのよ」


「そうなのか?」


 これこそ春にとっては意外な気がした。

 十和は何をするにも万全の準備を整えてくるものだとばかり思っていたから。

 そんな春の心の声が聞こえでもしたのだろうか、十和は軽く微笑んた。


「今年からは高校生だし、今までとは少し違う路線で選んでみたい気持ちがあるの」


「なるほど」


 よくわからん。

 本音は胸の内に秘めた。


「春姉ぇはどうするの?」


「う~ん、そうだなぁ」


 織枝に促されて、店内を軽く見まわす。

 どこもかしこも女性用水着ばかり。

 キラキラで華やかで、そして艶やかなものばかり。


「例えば、あれとかどうかな?」


 少し離れたところに目につくものが見つかった。


「あれ?」


「そう、これ」


 首をかしげるみちるたちを置いて目当てのブツに近づいて手に取ると――サッと3人の顔色が変わった。

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