第33話 そうだ、買い物に行こう その2
本日2話目になります。
十和の言葉に誤りはなく、週末の土曜日の朝は雲ひとつない青空だった。
「いってきまーす」
返事を待たずにドアを閉め、春は家を後にした。街を征く春の服装はガッツリ夏仕様。
空を見上げ、太陽の眩しさに目を細める。テスト前に江倉家を訪れた時よりも肌に熱気を感じる。
6月に入っているものの、今のところ湿度はそれほどでもないのが救いか。
ただ、これから夏本番に向かっていくにつれて気温は上がっていく一方。
男だったころはそれこそパンツ一丁でも問題なかったが、女になった今となっては……
TSしてから家に戻った直後、風呂上がりに下着だけで家の中をうろつきまわっていたら、母親に思いっきり怒られてしまったことがある。
『めんどくせぇな』というのが本心ではあるが、和久と十和に話したところ思いっきり頭を叩かれたので、この件についてはきっと春が間違っている。
女になってから初めて迎える夏は、色々と厄介事が待っているような……楽しみでもあるが不安もある。元々夏というのはそういう季節である気もする。
――どうなんだろうな?
何はともあれ、今日の春は上機嫌。調子はずれの鼻歌交じりに早足で駅に向かう。
駅前10時集合だったところを、現地に10時集合に変更したため、タイムスケジュールが繰り上がっている。
言い出しっぺのくせに遅れてみんなを待たせるのは申し訳ないので、春はさらに少し早めに家を出ることにした。面子の中に怒らせると怖い誰かがいるからではない。
……それはともかく。駅についてあたりを見回してみても……織枝の姿は見当たらない。
しばらくここで待ってみるかと考えはしたものの、『まあいいか』と改札を通る。どうせ現地で合流する予定なのだから。
休日の駅は、平日ほどではないもののそれなりに混んでいた。そして相変わらず春の容姿は衆目を引く。夏が近づくにつれて注目度が高まっている気がする。
この季節にありがちなクーラー利き過ぎの電車を降りてバスに乗り換え。無事座席を確保。
程なくして窓の外に大型ショッピングモールの姿が見えてきた。
バスを降りると、そこはもうすでに大勢の人、人、人。
このあたりの人間は、休日に暇ならアレオンに足を運ぶ習性がある。
――休日のアレオンはマズかったかな……
その人いきれにちょっと圧倒されてしまった春だったが、他に行くところがなかったと開き直る。
「小日向さん!」
溢れかえった人混みの中でも聞き違えることのない、よく透る声が耳朶を打った。
そちらに視線を向けると、そこにはいつも見慣れた黒髪の――
「十束、早いな」
「小日向さんこそ」
器用に人の流れをかき分けて近づいてきたのは、毎日教室で顔を合わせている十和だった。
春が違和感を覚えたのは、彼女の私服姿を見るのが初めてだったからだ。
基本的に春の脳内フォルダに記録されている十和は制服や体操服姿が大半。
……休日に顔を合わせるのは今日が初めてなのだから当たり前だった。
中学時代に散々お世話になっておきながら、この有様である。申し訳なさすぎて、本人にはとても言えない。
今日の十和は白のブラウスに淡い緑色のカーディガン。下はゆったりしたシルエットのパンツルック。
ごく普通のコーデに見えながらも、実に新鮮な感じがする。
十和は常にスカートをはいているイメージがあったので、パンツは少し意表を突かれた。似合ってるからいいのだろう。
春のクローゼットには見当たらない組み合わせなので、参考にさせてもらうことにする。写真を撮りたいが……嫌がられそうか。理由をつければ行けるか?
「意外かも」
小さな十和のつぶやきを拾った春が問い返す。
「……何が?」
「えっと……気を悪くしないでほしいのだけれど、小日向さんがこんなに早く来るなんて思ってなくて」
手櫛で髪を整えながら十和が軽く微笑んだ。
スマートフォンを取り出して時計を表示させると、『9:40』だった。
待ち合わせは10時だから、確かにかなり早く着いてしまっている。
「十束こそ……いや、十束は早く来そうだよな」
「何それ?」
途中で言い直した春の言葉に思うところでもあったのか、十和は軽く頬を膨らませた。
そのまま十和は春の頭の先から足のつま先まで視線を走らせ、
「小日向さん、その恰好は……」
「ん? 変かな?」
「変と言うか……肌を出し過ぎではないかしら?」
眉をひそめて苦言を呈する十和。『そうだろうか?』と自分の姿を見下ろす春。
ロングストレートの黒髪という共通点を除けば、どちらも美少女であることに変わりはないのだが、ふたりの外見はかなり異なる。
露出控えめな十和に対し、春はと言えばノースリーブのブラウスからは剥き出しの両腕が、デニムのホットパンツからは両脚が大胆に衆目に晒されている。
言われてみれば……思い当たるところもなくはない……気がしなくもない。
「いや、でも……ほら」
軽く顎で示した先には、おそらくカップルと思われる男女が一組。
女性の方は春に負けず劣らずの夏向きの装いに身を包んでいた。
テレビや雑誌をチェックしても、こういうコーデは散見される。
実際は他の組み合わせも普通に存在しており、その中で春が自分好みのものをピックアップしているだけだったりするのだが……
「な、フツーだろ」
「……そうかしら?」
実例を見せられても十和の声は懐疑的だった。
しかしそれ以上突っ込んでくる前に――
「春! 十束さん!」
大きな声でふたりを呼ぶ声がする。
すわ何事かと道征く人が注目する中、まっすぐこちらに向かってきた人影ふたつ。
休日とは言え朝も早よからハイテンション。エネルギッシュな小さいボディ。
「うっす」
「おっはよー。ふたりとも早いね」
アタシが一番だと思ったのに。
やってきたみちるが残念そうに口を尖らせた。
明るいショートカットの髪。胸のあたりに大きなヒヨコがプリントされたTシャツに、軽めのキュロットスカート。
シャツの柄の好みは人それぞれとして、可愛いとは思う春だった。
自分が着たら似合うだろうかと想像してみて……ちょっと微妙かも?
そしてその後ろに――
「みちるさん、あんまり大声出さないで」
「太一?」
みちるとともに姿を現したのは、教室で彼女の隣に座っている男にして同じ中学出身の太一だった。
顔には掴みどころのない笑みを浮かべて、軽くあくびをしている。見るからに寝不足っぽい。
「おはよ。春さんに十束さん」
「おう、おはよう?」
「おはよう、高坂君」
とりあえず挨拶を返したものの、なぜここに太一がいるのかはまったくわからない。
春と十和は視線だけで無言の会話。『なぜ、この男がここに?』
疑問がもろに顔に出ていたのか、太一は苦笑しつつ無言でみちるを指さした。
「ああ、コイツ? 荷物持ち」
「え、いいのか?」
「いや~、昨日の晩にいきなりメッセージ飛んできてさぁ」
「だってお買い物には荷物持ちがいるでしょ? こいつ暇だし」
「いや、俺は暇ってわけじゃ……」
「暇だよね?」
「……暇です」
太一はあっけなく言い負かされた。
この男は空き時間の大半をギターに注ぎ込んでいると認識していたのだが……いずれにせよ、せっかくの休日を潰すことになってしまって大丈夫なのだろうか?
ふたりのクラスメートから若干の申し訳なさを含んだ視線を受けて、太一は『気にするな』的に肩をすくめた。
「まぁ、みちるさんを放っておくと心配ってのはある」
「何それ、太一生意気!」
「まーまーふたりとも、落ち着けって」
『みちるは太一に当たり強いよな』と呆れつつも間に割って入る。
普段ならスルーで問題ないのだが、今日は周りに人が多い。
「しょーがない、春に免じて許してあげよう」
「さーせん」
腕を組んでうんうん唸るみちると、あっさり流す太一。
対照的なふたりだが、何故か息はぴったり合っている。コントかな。
合流するなり、十和が『ちゃんと勉強してる?』などとみちる達を問い詰めている。
先日の勉強会以来、妙な使命感に目覚めたのかもしれない。
みちるも太一も『頑張ってまーす』などと躱しているが、残念なことに顔が引き攣っている。
期末試験が近づいてきたら……それこそ『言わぬが花』という奴だろう。春は自分のことを棚に上げていた。
「さて、あとは……」
「おーい、春姉ぇ」
バスの停留所の方に視線を送ると、ちょうど最後の待ち人がやってきた。
後ろに見慣れた姿があるのは、なんとなく予想がついていた。
「おう、織枝!」
「あれ、アタシが最後……って」
ふわふわショートのヘアスタイルにうっすらメイク。黒のTシャツに白のショートパンツの織枝と、和久。
みちるが太一を荷物持ちとして動員したように、織枝も和久を荷物持ちにするつもりで連れてきたのだろう。
いつもと変わらぬ様子の和久を見つめてみると……無言でシルバーフレームの眼鏡の位置を直していた。
「ゲッ、『十束 十和』!?」
一同の耳朶を打つ織枝の口調は苦々しげだった。声に棘を感じる。
その声を聞いて、『そう言えば、十束も一緒に行くことになったって言ってなかったな』と気付かされた。
あの時の違和感の正体はこれだった。今となってはもう遅い。気にするほどのことかと思わなくもなかったが……今の声を聞く限りでは、どうやら気にするほどのことだったようだ。
「お久しぶりね、江倉さん」
対する十和は腕を組んで織枝を見つめる。
身長は十和の方が高いので、ナチュラルに見下ろすような角度になっている。
それはともかくとして……
――このふたり、なんでいきなり緊迫してるんだ?
春を挟んで睨み合う十和と織枝。
バチバチと不可視の火花が散っている。
ふたりを置いて和久に視線を送る。
『なんでこいつら喧嘩してんの?』
『知らん』
長年の親友同士だからこそできるアイコンタクトは、全く役に立たなかった。
春も和久も『十束 十和』と『江倉 織枝』のふたりに接点があるという話を聞いた記憶がなかった。
ただ……ふたりとも同じ久瀬川中で(十和は卒業しているが)学年を代表する成績優秀者であり、兎にも角にも人目を惹く存在であることは確かだった。
TSしたという一点を除けば地味な生徒だった春の知らないところで、ふたりに何かあったとしてもおかしくはない。
「年長者相手に呼び捨ては感心しないわね、江倉さん」
「呼んでないのについて来るなんて感心しないんですケド、『十束 十和!』」
「だから呼び捨ては止めなさいと!」
「ウザ」
「何か言ったかしら?」
「たった一年早く生まれただけで先輩面とか、マジでウザい」
ふたりの緊迫感に息を呑む一同の視線が春に向かう。
『何とかしろ』
無言の圧力に耐えかねた春が、やむなく仲裁に入る。
……本音を言えば今すぐ回れ右したかった。
それができたら苦労はしない。世の中とは何故にかくも侭ならないのだろう。
「えーっと、ふたりとも、ちょっと落ち着けって」
「春姉ぇ、この人が来るなんて聞いて無いんですケド!」
「小日向さん、これはどういうことかしら?」
「あー、そのだな……」
左右からキッツい視線で射すくめられて、言葉が続かない。
ふたりともなまじ顔面偏差値が高いせいで、威圧感が半端ない。
――おかしいなぁ、楽しい一日になるはずだったのに。
春は無言で空を仰いだ。雲ひとつない青い空が、何だか恨めしかった。




