第32話 そうだ、買い物に行こう その1
今回は全8話になります。
「ねぇ春、何してるの?」
中間試験が終わった翌週、どうにかこうにか赤点を回避したみちるが、同じく赤点を回避した春に尋ねてくる。
時は昼休み。春は後ろに座っているみちるの方に身体を向けて、ふたりでランチタイムの真っ最中。
相変わらず春の弁当は昨晩の残りの詰め合わせ。みちるは総菜パン。色気どころか華やかさの欠片もない。
春は右手で弁当箱からウインナーを摘まみ上げつつ、左手でスマートフォンを操作していた。
目の前にみちるがいるのに、スマホに余所見をしているのは、あまり褒められた話ではない。
「ん~、ちょっと調べもの」
「調べもの?」
首をかしげるみちるに頷く。
黒髪がサラサラと流れ落ちる。
「この間、織枝――あ~、和久の妹と水着を買いに行く約束してさぁ、どんなのがあるのかな~って」
「なるほど。水着か」
『もうそんな季節だねぇ』と焼きそばパンを齧るさまを見る限り、みちるは春の答えに納得がいったようだ。
織枝に聞かされた時は『まだ早いだろ』と呆れていたのだが……この件に関しては春の方が間違っていたらしい。
ウインナーを口に放り込みながら通販サイトの水着をチェックしていく。想像していたよりもずっと種類が多い。
表示されている商品が全て店に並んでいるわけではないだろうけれど……事前にある程度あたりをつけておかないと、とてもじゃないが一日で決められそうにない。
「いつ買いに行くの?」
「今度の土曜」
「ね、アタシも一緒に行っていい?」
身を乗り出してきたみちるの顔が間近に迫り、春は思わず仰け反った。
大分慣れてきたとはいえ、この手の急接近には焦らされる。
……甘酸っぱいソースの匂いと口元の青のりがちょっと気になった。
「お前、大会はいいのか?」
中間試験の前にそんなことを言っていた気がするのだが……あの話はどうなったのだろう?
疑問に思って尋ねると、途端にみちるはぷーっと頬を膨らませた。
「もう負けたし……」
「正直すまんかった」
意気揚々としていたくせに何も言わないと思ったら……
知らなかったとはいえ傷口に塩を塗り込むような真似をしてしまった。
これ以上この話題を引っ張るのはよそう。
そう心に決めた春は、さっさと同行者の織枝にメッセージを投げることにした。
「ちょっと聞いてみるな」
――――
織枝
――――
春
『織枝、今ちょっといいか?』
織枝
『春姉ぇ、なになに?』
春
『今度の土曜に水着買いに行くって言ってたろ』
織枝
『うん、忘れちゃダメだよ、春姉ぇ』
春
『忘れねぇよ』
春
『それでさ。オレの連れが一緒に行きたいって言ってるんだけど』
春
『どう?』
織枝
『春姉ぇの友達? いいよ』
織枝
『どんな人?』
春
『さんきゅー』
春
『みちるっていう陸上部』
春
『めっちゃ元気な奴』
織枝
『りょーかーい。紹介してね、春姉ぇ』
春
『おう』
――――
「オッケーだってさ」
「やった! ね、江倉君の妹さんってどんな子なの?」
満面に喜色を浮かべながら尋ねてくるみちる。
腕を組んで天井を見上げてしばし黙考。
幼いころからのアレコレをひとつひとつ思い出し……脳内で過去の内気な少女と現在のアクティブリア充の整合性を取ろうと四苦八苦。
そして――
「いい奴だよ」
「それじゃわかんないって」
即答だった。
自分で言っておいて、圧縮し過ぎたかと思わなくもなかった。
逆の立場だったら、やはり同じツッコミを入れただろう。
「う~ん……明るくて、元気で頭もいい。運動神経もよかったはずだから、みちるとは話題が合いそうかな?」
「え、凄い子だったりする?」
つらつらと春が列挙した織枝の特徴を耳にして、みちるが怯んだ様子を見せる。
和久の妹と言うことは自分たちよりも年下というわけで……下級生しかも中学生相手にビビるほどのことは……
「凄い……う~ん、どうだろう? 凄いっつーか……いや、凄いのか?」
改めて考え直してみると……織枝のことが段々わからなくなってきた。
春の知る織枝は容姿端麗、成績優秀、運動神経も抜群でコミュ強者。
クラスの中心に位置するであろう、まごうことなくリア充に属する人物である。欠点らしきものが見当たらない。
……今も昔も春にとっては甘えたがりの妹分である点は変わらないのだが。
「何か十束さんみたいな完璧超人って感じがするんだけど」
「私がどうかしたかしら?」
「ひゃ!」
みちるの背中から唐突に割り込んできた声。
昼休みの喧騒の中でさえよく透るその響き。
「あ、十束」
現れたのは春と同じく腰まで届くストレートの黒髪が印象的な美人。十和だった。
「小日向さん、行儀悪いわよ」
春を見つめて眉を顰める十和。その視線の先は――春の左手。
食べながらスマートフォンを操作するのは彼女的にNGらしい。
――中学時代からこういうところにはうるさい奴だったな。
同じ真面目系でも和久なら許してくれるのだが、十和は許してくれない。
いったいどこが違うのだろう? 性格? 性別?
「悪い、ちょっと調べもの」
「それなら先にご飯を食べてからにすればいいと思うのだけれど」
「ごもっともで」
まったくもって正論であり、返す言葉もなかった。
弁当箱に残されていたご飯をポイポイ口に放り込んでお茶で流し込む。
その雑な食べっぷりを見て十和の顔が険しさを増す。
――どうしろってんだ?
思うところはなくもないけど、口にするのは止めておく。
火薬庫で火遊びをする趣味はない。
「それで、何の話をしていたの?」
「え? ああ、週末にみちると水着を買いに行くって約束を……」
春は最後まで言葉を紡ぐことができなかった。目の前で十和の顔が何とも表現しがたいことになっていたから。
表情、顔色、目の光などなど、その秀麗な顔に浮かんでいるありとあらゆるモノがとっ散らかって入り混じって大変なことになっている。
例えるならば……喜怒哀楽の全てを混ぜ込んで、そこに赤を一滴垂らすとこんな感じになるのではないか。赤は危険信号的な意味。
とてもではないが胸中を推し量ることはできず、どんな言葉をかければよいのかも判断できない。
ごくありふれた日常会話のはずだったのに、いつの間にか地雷原に足を踏み込んでいたような、理不尽な緊張感が漂ってくる。
「そうだ、よかったら十束さんも一緒にどう?」
唐突にみちるが口を開いた。勇者か、この女。
春も十和も驚愕に目を見開いて元気溌剌ショートカット少女を凝視してしまった。
「……私も、一緒に?」
辛うじてそれだけを口にする十和に、みちるは大きく頷いた。
「中間試験の時に勉強教えてもらったし、今度は一緒に遊びに行きたいな~」
「遊びに……私が?」
『何を言われているのかよくわからない』十和の顔が雄弁に語っている。
しばしの間、何度も同じ言葉を反芻し……そして困ったような――捨てられた子犬のような眼差しを春に向けてくる。
見たことのない顔だった。正直、反応に困る。
春はさっさとみちるに同調することにした。先ほどの得体のしれない顔よりは今の方がマシに見えたから。
「オレは別にいいけど」
「アタシは一緒に行きたい!」
「そう? 私と一緒で……迷惑掛からないかしら?」
「ないない。十束さんなら大歓迎!」
両手をバタバタさせながらみちるがテンションを上げていく。
よほど一緒に遊びたいらしい。
チラリと十和の様子を窺ってみれば、彼女の方もまんざらではなさそう。
ちょっと前までは『みちるは苦手』とか言っていたくせに……いや、いい方向の変化なのだから、歓迎すべきなのだろうけど。
何となく釈然としないままの春を放置して、ふたりの会話が進んでいる。
「それじゃ、小日向さん、集合場所と時間はどうするの?」
「ああ。えーっと、朝10時に駅前に集まってアレオンに行こうと思ってたんだけど」
アレオンは郊外に大型のショッピングモールだ。
買い物に迷えばとりあえずアレオン。
テレビで大々的にCMを打っているだけあって、内部のテナントは豊富。
他にも多数の飲食店や映画館、ゲームセンターやボーリング場まで取り揃えられている。
あそこに行けば間違いはないだろう。アレオンなら大抵の問題は解決する。
「そう……アレオンだったら現地集合の方が良いのではないかしら?」
「だよなぁ」
割と近くに住んでいる春と織枝だけなら、駅に集合して一緒に電車に乗ればいいのだが、みちると十和は逆方向になってしまう。
目的地がアレオンならば、十和の言うとおり現地集合の方が無駄がない。
「じゃあ、現地……正面入り口前に10時でいいか?」
「うん!」
「ええ」
賛同の意を示すふたり。
そのうちの片方、十和はスマートフォンを弄っている。
さりげない仕草すら上品。それが『十束 十和』という少女だ。同い年には見えない。
「ちょうど良さそうね」
「何が?」
「天気。土曜日は晴れだそうよ」
気象庁の週間天気予報のページを見せてくれる。
土曜日の降水確率は0%と表示されていた。
「やったー!」
「……そこまで考えてなかったわ」
せっかくみんなで出かけても、天気が悪かったら色々と台無しだ。
アレオン自体は屋内だから、辿り着きさえすれば雨のことは気にしなくてもよいのだが、それでも晴れているに越したことはない。
電車やバスの乗り降りの際に少しずつ蓄積される不快感は、休日にネガティブな記憶を残しかねない。
「それじゃ、土曜の10時ってことで」
「了解!」
「わかったわ。小日向さん、寝坊しないでね」
「しねーよ」
くすくすと笑うみちると十和に憮然とした表情で答えた。
ちょうど昼休み終了を知らせる予鈴が鳴り響き、十和は自分の席に戻って行った。
「……あれ?」
弁当を片付けながら前に向き直り、遠ざかっていく十和の背中を眺めていると……何か大切なことを忘れているような、そんな不安が脳裏によぎった。
「どうしたの、春?」
背中を突っつくみちるの指がくすぐったい。
「いや、何でもない」
「そう?」
頭をかすめた奇妙な感覚を振り払うように、軽く頭を叩く。
忘れてしまうようなことなら、きっと大したことではないのだろう。
前髪を軽く払って――ふと気づく。
――そう言えば、十束と出かけるのって初めてだな。
中学時代も世話になっていたけれど、それはあくまで学校での話。
プライベートで顔を合わせる機会はほとんどなかったと記憶している。
今回にしても、みちるが言い出してくれなければ、十和と一緒にお出かけなんて想像もできなかった。
「さんきゅーみちる」
「え、何が?」
「何でもない」
窓の外を見上げると、ちぎれた白い雲が青空に広がっている。
もうすぐじめじめした梅雨の季節がやってくるけれど、しばらくの間は好天が続いてくれるだろう。
土曜日が待ち遠しい。つい調子はずれの鼻歌を奏でるほどに。
本日、あと1話アップする予定です。




