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第31話 学生の本分は勉強です その8

日間ランキング85位に入ってました!

みなさま、応援ありがとうございます(≧▽≦)


 朝食を終えたふたりは、部屋に戻って早々に勉強に取り掛かった。

 泣いても笑っても残された時間はたった一日。

 途中で織枝(おりえ)が来襲したり、江倉(えくら)家のみんなと昼食を食べたり、はたまたケーキを奪い合ったり。

 色々とイベントはあったものの、ひたすら勉強は続き、時は過ぎてゆく。

 和久(かずひさ)の教え方は丁寧かつ要領を得ており、これまでさんざんサボってきた(はる)にとっては本当にありがたいものだった。どれだけ礼を言っても足りないくらい。

 そして――


「春ちゃん、また今度ゆっくりね」


 夏に向けて徐々に遅くなってくる日暮れ頃、ひととおり試験範囲を網羅し終えた春は、江倉家を後にする。

 さすがに今日は夕食をご馳走になるつもりはなかった。親しき仲にも礼儀あり。そこまで厚かましくはなれない。

 二日間の猛勉強は春に相当の疲労を与えており、肩に食い込むバッグが重い。


「和久、アンタちゃんと春ちゃんを送って行きなさいよ」


「言われなくてもわかってる」


 母親に何度も念を押されて、和久は少々ウンザリしている様子。

 和久もまた春に付き合う形で二日間みっちり頭を使わされている。

 顔色が悪く見えるのは、日が暮れてあたりが暗くなってきたからだけというわけではない。

 いつものこととは言え、春の胸の奥に罪悪感がうずく。だからと言って和久に迷惑かけないよう日々まじめに勉強できるかと問われれば、それはまた別の話。


「それじゃおばさん、またな!」


 和久に対する申し訳ない気持ちをぐっと飲み込んで、明るい声で別れを告げる。

 玄関を出てドアを閉める直前まで、胸のあたりで軽く手を振って江倉家を辞した。

 見上げた空は薄暗く、チラホラと星が瞬く空を半分ほど雲が隠してしまっている。

 街灯の明かりがちらつく道を和久とともに歩く。日曜日のこの時間帯、夕暮れに沈む住宅街は物寂しさを感じさせる。


「家に帰ったらちゃんと復習しろよ。俺が見たところ、物理と化学がヤバそうだ」


 物思いにふけっているところに、和久が横合いから口を酸っぱく注意してくる。耳タコだった。

 心配性に過ぎるのではないかと思わなくもないが、和久がそう言うのなら春の仕上がり具合には不安が残っているのだろう。

 春自身にはイマイチ自覚はないけれど、こういうところは和久の忠告に従っておいた方が無難であることは経験上理解している。

 帰宅して飯を食って風呂に入って、眠るまでの数時間。和久の言うとおり勉強に費やした方がよさそうだ。

 家に帰ってまで勉強なんて気が重くなる一方だけど、ここまで付き合わせておいて『補習になりました』では合わせる顔がなさすぎる。

 そこまでわかっていても唯々諾々と従うかと言うと、そんなことはないわけで――


「……文系に進んだら物理とかいらねーよな?」


「そういう理由で進路を決めるのはどうかと思うが」


 ボヤく春に生真面目に答える和久。

『苦手な科目をやらなくて済む進路を選ぶ』と考えて文系にしてしまうと、今度は文系で難問にぶち当たったときに逃げ場がなくなる。

 今の段階では振り落とされないように食らいついて、進路選択の幅を狭めないようにしておいたほうが良い。和久はそう続けた。

 まったくもってその通り。正論過ぎてぐうの音も出ない。言われっ放しはモヤモヤするので攻める方向を変える。


「そりゃそーだけど……進路っつったらよ、お前どうすんの?」


 和久が口走った『進路』と言う単語が耳に引っかかったのだ。

 この件に関しては、残念成績の春よりも和久の方が厄介な問題を抱えている。

 二日間みっちり扱かれた怨みと言うわけではないが、気になっているところではあった。


「どう、とは?」


「惚けんな。美大受けたいって、ちゃんとおじさんやおばさんに伝えたのかってこと」


「それは……まだだが……」


 沈痛な面差しで答える和久を見て、『だろうな』と口に出さずに呟いた。

 江倉家の面々を観察&推測した限りでは、和久が進路の話を切り出していないことは明白だった。

 10年以上も家族ぐるみの付き合いをしてきたのだ。ある程度は雰囲気で察することができる。


「オレの進路を心配する前に、お前は自分の進路のことを考えろ」


「……すまん、わかってはいるんだが、なかなか踏ん切りがつかなくてな」


 八つ当たりに近い春の詰問に対する和久の口調は冴えない。ちょっと言い過ぎたかなと思いはするが……心配していること自体はウソではない。

 和久の将来の夢は画家。そのために高校卒業後は美大に通いたいと考えている。

 だけど……美大と言う進路が両親に反対される可能性は高い。和久はそう考えているし、春もそう思っている。

 春が中学校時代に『サッカー選手になりたい』と夢を語ったとき、両親はいい顔をしなかった。

 夢がかなう可能性が低いこと。そして夢がかなってプロのサッカー選手になれたとしても、生活していける保証がないこと。

 輝かしい成功者はごく一部だけ、大半は夢破れて……などなど。

 両親は滔々と春を説得せんと試みてきた。お互いにインターネットを駆使して具体的な情報を交えつつ、当時の小日向家の家族会議は幾度となく紛糾したものだ。

 結局その話は春がTSしたことで立ち消えになったが……江倉家で和久が自分の希望進路を口にすれば、おそらく似たような展開になることは容易に想像がつく。


 美大に合格したからと言って、全員が全員画家になれるわけではない。仮に画家になれても、一生涯絵で飯を食っていけるかどうかはわからない。

 画家になれなかったら、美大を卒業した人間はどういった職業につくのだろう? 

 ……一般的な大学に進学するよりも潰しが効かない気がする。サッカー選手を志望して挫折するよりはマシだろうか?

 その辺りは春よりも和久の方が詳しかろう。和久はやみくもに夢だけを語っているわけではない。ちゃんと自分の進路について下調べはしているはずだ。

 親に進路を告げることができていないのは、きっと不安の裏返し。和久自身が誰よりも自分の将来に不安を抱いている。

 別にアンケートを取ったわけではないけれど……これは和久だけの問題ではないのだろう。『進路』というものは春たちと同じ年代の誰もが共通して抱く悩みだ。

 みちるだって、太一だって、そして十和だって。みんなはいったいどう考えているのだろう。唐突に尋ねてみたくなった。

 思わずスマートフォンを取り出そうとして――ストップ。歩きスマホ良くない。どうせ聞くなら試験後でよかろう。


「ま、お前がどういう進路を選ぶにしても、オレは応援してやっから」


 芸術に詳しくない春としては、そう口にするのが精いっぱいだった。

 春がかつてプロのサッカー選手になるという夢を見たとき、唯一味方になってくれたのは和久だった。

 凹んだときには愚痴を聞いてくれて、どうすれば両親を説得できるのか相談にも乗ってくれた。

 春の夢はかなわなかったが……事の成否は関係ない。今度は春の方が和久の力になる番だと思うのだ。


「……すまんな、変に気を遣わせて」


「気にすんなって」


 こうして隣を歩く春にしても思うところはないでもない。

 かつての小日向家の家族会議で、進路について両親とはかなり深く話し合った。

 ゆえに親の言い分もわかる。親ならば誰だって自分の子どもに苦労はさせたくない。江倉家も同じだろう。


 それでも……たとえ何があろうとも、春は和久を応援する。

 和久は親友であり、そして恩人でもある。春が辛くて苦しかった時、傍に寄り添い支えてくれた、一番の親友。

 それに――夢を追うことができるのならばチャレンジした方がいいと思うのは、春が子どもだからだろうか。

 TSしたことによって半ば強制的に夢を諦めざるを得なかった春にしてみれば、夢に向かって突き進もうとする和久の姿はとても眩しく映る。


――でも……


 その一方で、頭の片隅には『それだけでよいのだろうか?』と首をかしげる自分がいることも認めざるを得ない。

 ただ『応援する』と口にするだけでは無責任ではないか。本当に親友の助けになりたいのなら具体的な根拠を持って背中を押すべきであり、それができないのなら口を閉ざすべきだという思いもある。

 

――わからねぇ……どうすればいいんだ?


 頭がいいわけでもなく飛びぬけた才能があるわけでもない。そんな自分にいったい何ができるのか?

 思いつかない。自分をこれまで支えてくれた親友の力になれない、無力な自分が恨めしい。

 無言になってしまった春から何かを感じ取ったか、和久は不意に口を開いた。


「俺のことは自分で何とかするから、お前は……」


「……オレは?」


 してほしいことがあるのなら言ってほしい。

 絵のモデルでも、料理の差し入れでも、できることなら協力したい。

 そんな思いを込めて和久の顔を見つめる。

 シルバーフレームの眼鏡の奥、和久の視線と春の視線が絡み合って、そして――


「とりあえず、物理の公式と化学式をちゃんと丸暗記しとけ」


「はぁ?」


 耳を疑うようなセリフが飛んできて、全身から力が抜ける。ガクッと来た。

 たわわに実った胸が重力に引かれてひと際大きく揺れた。

 ずり下がった肩からバッグが滑り落ちそうになる。


「ちょ、おい、それは酷くね?」


「俺の進路よりも、お前は目先のテストの心配をしろ」


「今そんな話してなかっただろ。空気読めよ!」


 深刻な空気はどこへやら、春は思いっきり突っ込んだ。

 つま先立ちで無粋なことを口走った親友に詰め寄る。

 薄暗い街並みをチカチカと照らす街灯のもと、ふたりの顔の距離が近づいた。

 しかし――和久は表情を変えることなく、


「お前こそ状況わかってるのか? ここで頑張らないと補修だぞ」 


 そう返されると、ぐうの音も出ない春だった。

 勉強できない自分は、親友を応援することすらままならない。

 嫌な現実を突きつけられて目眩がしてくる。


「……わかってるし」


「わかってるのなら普段からちゃんと予習と復習をだな……」


「あーもう、うるせー! お前、そう言うところだぞ!」


 なおもグダグダと続きそうな和久の説教を力づくで遮る。


「そう言うところって……何の話だ?」


「あ―もう、あーもう! お前って奴はさぁ!」


 夜闇に包まれて静まりつつある住宅街に、春の声がことさら大きく響く。

 そんなことは言われなくてもわかっている。春はもう子どもではない。立派な高校生なのだから。


春樹(はるき)、静かにしないと近所迷惑だ」


 余韻もへったくれもない和久の言葉がザクザクと胸をついてくる。

 春は大きく息を吐き出して、星が瞬く空を仰いだ。

お読みいただきありがとうございます。

これにて『学生の本分は勉強です』は終了となります。

次の話は……苦戦中です。リアルも執筆も。

かなりお待たせすることになると思われますが、気長にお待ちいただければ幸いです。


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