第28話 学生の本分は勉強です その5
昼食を終え、和久と部屋に戻って勉強再開。お次は英語と古文。
数学の時と同じように教科書に目を通し、マーカーを引き、練習問題を解く。
さらにプラスして実際に問題文を何度も読む。目、口、耳そして手を使った学習タイム。
空腹を満たした春がゆらゆらと頭を揺らすたびに、和久は声のボリュームを上げ、春の頭を軽く叩く。
「飯食ったら眠くなるのは人として当然……」
「試験が終わったらゆっくり寝ような」
「……厳しい」
マンツーマンの試験勉強は途中で休憩を挟んでひたすら続く。
そして気が付いたら――
「……もうこんな時間か?」
「随分集中してたからなぁ」
ぐったりとした春がテーブルに倒れ込んだ。
脱力してぐでんと転がるその姿を見て、和久は軽くため息ひとつ。
「お前は結構寝てたんだが」
「堅いこと言うなよ。オレにしては頑張ったよ」
「はいはい」
時計の針は午後5時を過ぎ、6時に近づいている。
外では太陽が西に傾いて日差しの色が変わってきている。
「そう言えば、晩飯はどうするんだ?」
「う~ん、ピザでも頼むか」
「は?」
晩飯にピザ。
想像もしていなかった言葉に思わず体を跳ね上げる。
「……え、ピザでよくないか? お前だって好きだろ、ピザ」
親友の豹変に驚きを隠せない和久。口から零れる言葉に自信が感じられない。
らしいと言えばらしいし、らしくないと言えばらしくない。
「好きか嫌いかっつったら好きだけど……おばさんがいないからってピザなんていちいち頼んでんじゃねーよ。勿体ない」
そもそも昼飯ならともかく、晩飯にピザってどうよ?
春の反論に和久は眉をしかめる。
「じゃあ、どうするんだ?」
「オレが作る」
「春樹が? 冗談だよな?」
『こいつはいったい何を言っているんだ』
和久の顔にはそう書いてあった。隠す気がなさすぎてちょっとムカつく。
「冗談じゃねーし。普通に作れるし」
「おい春樹、待てって」
疲れた体に鞭打って立ち上がり部屋を後に。追いかけてくる和久をスルーしつつドアを開けて一階へ。台所に足を踏み入れて炊飯器をチェック。
「む、飯がない」
今からご飯を仕掛けると炊きあがるまで時間がかかってしまう。
『困ったな』と眉を潜めつつ、この問題は後回し。冷蔵庫を開けて中を物色していると……
「えっと……ジャガイモ、ニンジン、玉ねぎ、豆腐、キャベツ……おお、豚バラ。ご飯もあるじゃん」
「春樹、春樹?」
「えー、どうしたの? なんかあった?」
和久、そして騒々しくする兄の様子を不審に思ったらしい織枝。
江倉兄妹が春の背中から尋ねてくる。
「春姉ぇ、何やってるの?」
「晩飯作るつってんだよ」
さっきと同じことをもう一度繰り返すと、織枝も目を丸くしている。
「え、晩ご飯? ピザ頼めばよくない?」
織枝の声から『めんどくさい』と副音声が聞こえてくる。
――このふたり、ピザ好きすぎだろ。
「兄妹ともども同じこと言いやがって」
「春樹、無理しなくていいんだぞ」
「ええい、黙れ黙れ。今日の晩飯はオレが作る!」
グダグダ言ってないで黙って待ってろ。
訝しげな視線を向けてくる江倉兄妹に、春は堂々と言い放った。
★
「と言うわけで、今日の晩飯は豚肉の生姜焼きな」
「本当に作れるのか?」
なおも言い募る和久。
「手伝わねーなら座ってろ」
「お、おう」
和久も織枝も、春の剣幕に押されて大人しく椅子に腰を下ろす。
――こいつら……手伝う気ゼロかよ。
呆れたのはほんの一瞬。気を取り直して料理開始。
髪を後ろでひとまとめにしてゴムで止める。おそらく和久の母のものと思われるエプロンを借りて身につける。
よく手を洗ってから、スライスした玉ねぎを電子レンジで加熱。
薄切りの豚バラ肉に薄力粉をまぶし、熱したフライパンに投入。
豚肉からにじみ出る油でしばらく炒めてから、先ほどの玉ねぎを投入。
生姜、酒、みりん、しょうゆを混ぜて作ったタレを入れて、さらに加熱。
十分に火が通り、とろみが出てきたら生姜焼きは完成。
同時に味噌汁を作る。
豆腐は賽の目切り、長ねぎは小口切り。
鍋に水を張って豆腐を入れて火にかける。
水が沸騰して豆腐に火が通ったら一度火を止める。
出汁入りの味噌を溶き入れて、煮立たせないように注意しながら再び火を入れる。
沸騰する直前に長ねぎを入れて火を止める。
「あとはご飯をレンジで温めて、キャベツを千切り……と」
平行作業で鼻歌交じりに調理を進めていく間、ずっと背中に視線を感じる。
前方のフライパンが発する熱と、背後から感じる何だか熱っぽい視線に挟まれて、むず痒さを覚える。
ちらっと振り向いてみると、興味深そうにじっと見つめてくる織枝に対し、和久は慌てて視線を逸らしてくる。
そんなことをしてもバレバレなのだが……
――まぁ、いいか。
さして時間を置くことなく3人分の晩ご飯がテーブルに並べられた。
戸棚からコップを3つ取り出して麦茶を注ぐ。
「ほれ、できたぞ」
「あ、ああ……」
いまだ衝撃冷めやらぬ様子の和久を一瞥。
「いただきます」
「「いただきます」」
……なかなか料理に手を伸ばそうとしないふたりは放っておく。
アツアツの生姜焼きを口に運ぶと、甘辛いタレと生姜の風味が効いた豚肉が美味い。玉ねぎの甘味もマッチしている。
これはご飯が進む。あまり女子らしくない残念な感じでパクパクと白米が口に消えていく。
味噌汁を啜ると、こちらは小日向家とは少し味が違った。買い置きの味噌の種類が違っていたから当然と言えば当然。まあ、別におかしな味ではない。
「……」
「さっさと食えよ。冷めるぞ」
「あ、ああ」
ふたりとも恐る恐る生姜焼きを口にする。
――失礼な奴らだな……
ジト目で春が見つめる先、ゆっくりと咀嚼してゴクンと飲み込んだふたりは……ほとんど同時に口を開いた。
「……美味い」
「おいしい」
その短い言葉には確かに驚愕の感情が含まれていた。
さらに箸が伸びる。もう先ほどのような躊躇いはない。
生姜焼き、ご飯、生姜焼き、ご飯。
「そりゃどうも」
ネットで調べた時短レシピの簡単料理だが、褒められれば悪い気はしない。
「ほんとはもう一品ぐらい作りたかったんだがなぁ」
ご飯に味噌汁、豚肉の生姜焼き(線キャベツ込み)。
夕飯の献立としては、ちょっと寂しい気はしなくもない。
「いや、十分でしょ」
「春樹、いつの間に料理なんてできるようになったんだ?」
いまだ驚き冷めやらぬ和久の問いに、
「んー? 最近ちょっとな。オレ、部活に入ってねーから学校終わった後が暇だしさ」
「そんなことやってたのか……」
感心したような声。
春を見つめるその眼差しは……今まで見たことがないようなもので。
頬に熱を感じる。不快ではないけれど……照れる。
湧き上がる感情を誤魔化すように、慌て気味に言葉を紡ぐ。
「料理できると便利だぞ。授業中に『あ、ハンバーグ食いたい』とか思うことあるだろ?」
「授業に集中しろ」
「で、スマホでレシピを検索して、家の冷蔵庫をチェックするわけ。足りない分はスーパーで買ってくりゃいいし」
和久の無粋なツッコミはスルー。今、そういう話はしていない。
ちょっと自慢気に春が語っていると、俄かに玄関の方が騒々しくなった。
「あら、いい匂いがするわねぇ」
「おや、いらっしゃい、春君」
休日出勤していた和久の両親が帰ってきた。
家を出るときはバラバラだったけれど、帰りは一緒だったようだ。
今日は初めての顔合わせになる和久の父親は、和久をそのまま大人にしたような外見をしている。
生真面目そうな雰囲気に渋みが増していると言ったところ。眼鏡のフレームはブラック。
「あ、おばさん、豚バラ使ったけど、よかった?」
「え、春ちゃんが晩ご飯作ってくれたの?」
和久とは違い驚きを隠そうとしない江倉母。
その声は喜色に染められている。
「ああ、泊めてもらうから、それくらいは……何だったらふたりの分も用意するけど」
「本当? お願いするわ。私もうクタクタで」
「是非ともご相伴にあずかりたいね」
それはそうだろうなと思う。
せっかくの土曜日にわざわざ仕事だなんて、想像しただけでも疲れる。
……大人って大変だな。
「んじゃ作るから、ちょっと待ってて」
残っていたご飯と生姜焼きを掻きこんで席を立つ。
あまり待たせるのは悪かろう。
「それじゃ、お風呂沸かしとくわね」
和久の母親は荷物を置きに行くついでに風呂場に向かった。
目まぐるしく動く状況に江倉兄妹はまごつくばかりだった。
★
「美味しいわぁ」
「うん、美味しい」
幸い、春の生姜焼きと味噌汁は和久の両親にも好評だった。
「ありがと。ネットに転がってた時短レシピだけどな」
「ううん、十分よ。仕事から帰ってきた疲れ切ったところに、温かいご飯が用意されている、この贅沢に感動するわ」
和久の母親は、大げさに嘆いてみせる。
チラ、チラと息子たちに視線を送りながら。
う~ん、このわざとらしさよ。
「和久も織枝も、料理なんて全然してくれなくてねぇ。小日向さんちが羨ましいわ」
「お前ら、たまには晩飯ぐらい作ってやれよ」
母からの口撃に居心地悪げにしている子どもふたり。
「いや、料理は全然できなくてな」
「やってみないとできるようにはならないぞ」
一日中勉強で苦しめられた分、ここぞとばかりに逆撃を食らわせる。
「まぁ、こういうのは織枝がだな」
「ちょっと、変なこと言わないでよ、このバカ兄貴。『料理は女がするもの』とか思ってるんでしょ!? そんなの時代遅れだし」
火の粉が飛んできた織枝が迷惑そうに顔を顰める。
隣では『織枝が料理か~』などと江倉父が遠い眼をしている。
――娘がご飯を作ってくれたら嬉しいんだろうな。
春が初めて小日向家の夕飯を作ったときも、父親が似たような顔をしていた。
こういうところは、多分どこの家でも変わらない。
「お前もちょっとぐらいは練習しといたほうがいいんじゃね?」
「そうね。これから晩ご飯はみんなで当番制にしましょうか」
「え、お母さん、それはちょっと……」
春と妻が盛り上がっているところに水を注す江倉家の当主。
まさか自分も含まれることになるとは想像していなかったらしい。
「何か言ったかしら?」
「……毎日美味しいご飯作ってもらって感謝してます」
「『美味しい』なんて久しぶりに聞いたわ。ねぇ、春ちゃんはどう思う?」
普段は何も言わないのよ、この人達。
ここぞとばかりに家族に不満をぶちまける江倉夫人。
「そうっすねぇ。やっぱ料理作ったら感想は欲しいかなぁ」
「そうよねぇ」
ふたりで声を合わせて同意。
あとの3人は下を向いてしまっている。
このワンシーンだけで、普段の江倉家の様子が容易に想像できてしまう。
「ふたりとも勉強はできるんだけど、家事は全然なのよ」
「まあまあ、これから少しずつ覚えていけばいいじゃないっすか」
「それもそうね。和久、織枝、ふたりとも今の春ちゃんの言葉、ちゃんと聞こえた?」
「……聞こえてる」
「聞いてるし」
不承不承といった具合に息子たちが答えると、
「だったら、これから家事を手伝うように。……返事は?」
「「はい」」
「よろしい」
すっかり上機嫌になった江倉母は、鼻歌交じりで生姜焼きを口に運ぶ。
新しい仕事を押し付けられることになった和久と織枝は――しかし、春に恨みがましい視線を向けることはなかった。
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