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第27話 学生の本分は勉強です その4


 数学の復習をひととおり終える頃に、ちょうど腹の虫が騒ぎ出した。

 時計を見ると勉強を開始してからすでに2時間が経過している。


「なぁ、おばさんいないってことは昼飯はどうなるんだ?」


 わざわざ家に押しかけた上に勉強を教えてもらう身でありながら、食事を催促するのはどうなのかという気もしなくはなかったが、人前で腹を鳴らすのはよろしくないと方々から聞かされている。

 どちらにせよ恥をかくのなら、せめてダメージが少ない方を選択したい。(はる)和久(かずひさ)の間柄では今さら取り繕う必要もなかろうが。

『飯にしようぜ!』的に問いかけてみると、和久は短く刈り込まれた後頭部をボリボリと掻きむしった。


「どうするって言われてもな。買い置きのカップラーメンがあるだろ、多分」


「あいよ」


「次の教科に移る前に飯にするか」


「おう」


 しばし休憩。身体が凝り固まってしまっていたので両手を汲んで思いっきり背伸び。

 テーブルの上はそのままに、ふたりとも1階の台所へ移動。

 やかんに水を入れてコンロに掛け、お湯が沸く前に籠の中に詰め込まれたカップラーメンを物色。


「じゃあオレはこの塩ラーメンで」


「俺はとんこつにするが……春樹(はるき)、塩でいいのか?」


「ん?」


 ふいに尋ねられた言葉の意図を計りかねる。

 互いが掴んでいるラーメンを見比べ、買い置きカップラーメンが入っていた籠を見た。

 ついで、軽く首をかしげながら問い返す。


「塩でいいけど、なんで?」


「いや、お前、味噌が好きじゃなかったっけ?」


「うーん、そうだっけ?」


 和久の右手にはとんこつラーメンが、そして左手には味噌ラーメンがある。

 言われてみると、確かに味噌ラーメンが好きだった……ような気がするのだが。

 人差し指を唇に当てながらチラッと天井に視線を送り、和久を見つめ直す。


「最近はあっさりした塩の方が食べやすい」


「年寄り臭いな」


「今何つった、お前?」


「何でもない」


 険のこもった春の声に、慌てて首を振る和久。問い詰めるのは止めておく。

 そんなことよりも今はラーメンだ。

 蓋を開けてかやくや粉末スープを取り出し、お湯を注いで3分間。


「……なんか、忘れてる気がする」


「そうか?」


 待っている間にコップと麦茶、それから箸を用意してダイニングテーブルにつく。

 お湯は沸騰していたし、カップの中から袋は全て取り出している。

 

「ん~?」


 頬杖を突きながら悩ましげな声を上げていると、唐突に玄関が騒がしくなった。

 ドアが開き人の気配が家の中に入り込んでくる。

 そして――


「たっだいま~」


織枝(おりえ)?」


 台所に踏み込んできたのは、春より頭ひとつ小さい少女だった。

 ふわふわの短い髪は色を抜かれた明るめの茶色。左右で髪留めで止められている。

 両の目蓋はやり過ぎない程度に盛られたまつ毛に縁どられており、唇には薄い桃色のリップ。

 春と同じく夏を意識した軽装に身を包んでおり、手には可愛らしい箱を持っている。

 

江倉えくら 織枝おりえ


 和久の妹で中学3年生。今は春たちが卒業した久瀬川中に通っている。

 クソ真面目な堅物と言ったイメージが先行する兄とは正反対で、織枝はかなりイマドキJC感が強い。

 元々は兄の後ろにくっ付いて回っていた内気な少女だったのだが、いつの間にやらすっかり垢抜けてしまった。

 さすがに性別そのものがひっくり返ってしまった春ほどではないものの、昔の織枝を知っている人間が今の織枝を見ても同一人物と判断できるかは微妙だ。


「いらっしゃい、春()ぇ」


「おう。邪魔してるぞ」


 織枝は春のことを『春姉ぇ』と呼ぶ。

 TSする前は『春()ぃ』だった。

 春と江倉兄妹はもう10年来の付き合いで、感覚的には家族も同然。


「織枝、お前なんで黙ってた?」


 憮然とした口調で和久が割り込んでくる。

 織枝の方はと言うと、そんな兄の様子を特に気にしたようでもなく、


「え、なにが?」


「何って、春樹がうちに泊まるなんて聞いてないぞ」


「別にいいじゃん。子どものころからよくあることでしょ」


「いや、あのな……」


「そんなことより、ふたりともこれからご飯? アタシもお腹空いた~」


 なおも言い募る和久を華麗にスルー。


「お前も食うか、ラーメン?」


 籠を指さすと、織枝は軽く眉をしかめた。


「もっとオシャレなのがいい」


「じゃあ……うどんだ」


「……ラーメンでいい」


 織枝が籠の中から取り出したのは、春と同じ塩ラーメン。


「ところで、お前どこに行ってたの? あとその箱」


「これ? 春姉ぇが来たら一緒に食べようと思って買ってきた」


「ほう」


 織枝が持ってきた箱をテーブルに置き、蓋を開ける。

 春は腰を浮かせ、身を乗り出して箱を覗き込む。

 そこにあったのは――


「おお!」


 色とりどりのケーキだった。

 真っ赤なイチゴが眩しいイチゴショート。

 チョコレートの色が渋いザッハトルテ。

 そして栗色のモンブラン。

 三種三様の甘い香りが台所に漂ってくる。


「これおいしいんだってさ。クラスの子に教えてもらった」


「さんきゅー! これ、いくらした?」


「え、なんで?」


「自分の分は自分で払う」


 妹のような存在である織枝に奢ってもらうというのは、何と言うか……沽券にかかわる。


「いいっていいって、兄貴の奢りだから」


「……織枝?」


 突然話を振られた和久が剣呑な声色で妹に相対する。


「え、まさかアタシたちに払わせるつもりだったの、兄貴?」


 そんな甲斐性のないこと言わないでよ。

 織枝はあからさまに残念なものを見る目つきを和久に浴びせかける。

 妹の視線に押された和久は、軽くため息をついた。


「わかった。奢るから」


 結局、兄はあっさり降参した。

 この男、昔から何だかんだで妹に甘い。



 ★



「しっかし、久しぶりだね、春姉ぇ」


「そうだな。いつ振りだっけ?」


「う~ん、高校に入ってから初めて?」


「つ~ことは二月ぶりくらいか」


「そうだよ。寂しいよ~」


「お前ら、麺が伸びるぞ」


 姦しい女子ふたりに挟まれた和久が、とんこつラーメンを啜りながらそんなことを言う。春も織枝も聞いていないが。

 織枝はそれほどがっついて食べたりはしないけれど、麺を啜る速度は意外と早い。そして音がしない。とてもきれいな食べ方だと感心させられる。

 春は織枝ほどきれいにラーメンが食べられない。どうしても男子時代の食べ方を引きずってしまうのだ。


「それでさぁ、春姉ぇ、食べ終わったら買い物行かない?」


「行かないから」


 即答した。和久が。


「兄貴に聞いてないし。ねぇ、春姉ぇ~いいでしょ~?」


 織枝は兄に対しては冷淡だが、春に対してはかなり甘え気味だ。

 春としても可愛い妹分のお誘いに乗りたい気持ちはある。だけれど……


「すまん、織枝。今は勉強しないとマジでヤバいんだ」


「そんなに?」


 キョトンとした表情で尋ねてくる織枝。

 神妙な表情で頷く春。


「だいたいお前だってテスト近いんじゃないのか?」


「テスト勉強とか楽勝だし」


 苦言を呈する兄をあっさり切り捨てる。

 その余裕っぷりに恥じないだけの成績を常に叩き出していることは、春も和久も重々承知しているから、何を言っても説得力がない。

 織枝は見た目こそ軽いが頭の中はみっちりと詰まっている。


「どうしても?」


「どうしてもだ。補習はマズいんだ」


 単純に放課後残って勉強させられるのは嫌だ。

 更に親から小言をグチグチネチネチされるのが嫌だ。

 補習を食らっていいことなんてひとつもない。

 春だって本音を言えば遊びたい。でも、今は我慢の時。


「しょーがない。アタシも春姉ぇが補習とか嫌だし」


「わかってくれたか、織枝」


「そのかわり、試験が終わったらお買い物行こ?」


「え、ああ、それは別に構わんけど。何か買いたいものでもあるのか?」


 尋ねた春にチッチッチッと人差し指を揺らして、


「別に欲しいものがなくったって買い物行くのは楽しいの」


「そういうもんか?」


「そうだよー。あ、でも、欲しいものあるよ」


「え、なに?」


「水着!」


「水着? まだ5月だぞ?」


 水着なんて夏に買うものではないのか。

 春が言葉を発するよりも早く織枝が畳みかけてくる。


「もう5月だよ! いい奴から売れちゃうんだから、早めに買っとくの」


「そういうもんか?」


「そうなの! そう言えば、春姉ぇって水着持ってるの?」


「え、水着……授業で使う奴なら」


 高校に入学するに際して、学校指定の水着を購入していた。

 まだ水泳の授業はないから身につけたことはない。

 購入してからたいして時間は経っていないものの、授業の前に一度着ておいた方がいいかもしれない。

 前日になって何かのトラブル――サイズが合わない、すなわち太(以下、自主規制)


「そんなの学校の外で着たらダメだからね」


「お、おう」


 織枝のマジ声にたじろいでしまう。年下ではあっても織枝は女子の先輩だ。忠告には従っておいた方が無難だろう。

 しかし、そうなると……春は腕を組んで天井を見上げた。

 春がTSしたのは昨年の夏だが、意識を取り戻したのは8月の下旬。そこから色々あって退院できたのは11月。

 季節はすでに冬に向かっており、プライベートで水着が必要になることはなかった。つまり、水着なんて買っていない。


「持ってねぇな」


「やっぱり……じゃ、一緒に買いに行こうよ!」


「そうだな……水着、水着か……」


 ラーメンを啜ると白いスープが跳ねる。男子だったころは全く興味はなかった話だ。

 女子の水着には興味があったけれど、自分が着る方に関してはまるで頓着していなかった。

 大体の中学生男子なんてそんなものだろうという気がする。男の水着なんてどうせ海パンだ。

 しかし、今の春は女子だ。自分が着る水着……興味はある。


「なぁ、和久はどう思う?」


「ブッ!?」


 黙ってラーメンを啜っていた和久は、突然話を振られて盛大にむせた。


「ちょっと、やめてよ兄貴。汚い!」


「お、お前な、そういうことをわざわざ俺に聞くな」


 ティッシュで口の周りを拭きながら答える和久に、すかさずふたりから追撃が入る。


「とか言いつつ興奮してるし。このスケベ」


「おっぱい星人が水着に興味ないわけないわな。すまん、変なこと聞いた」


「お前ら……」


 大柄な身体をわなわなと震わせても、全く迫力がない。

 何を口にしても2対1の数的不利が形成される。

 それを理解させられた和久は、再び沈黙し麦茶を喉に流し込んだ。

 堅物兄貴をやり込めてニシシと笑う春と織枝。

 春と和久と織枝。久方ぶりの交友は、以前と変わりないものだった。

ここまでお読みいただきありがとうございます。

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既に応援いただいている方にもお楽しみいただけるよう、引き続き頑張ります。

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