第25話 学生の本分は勉強です その2
本日2話目です。
「お前、勉強しに来たんだよな?」
翌日、つまり中間試験直前の土曜日午前10時。
約束どおり訪れた江倉家で春を出迎えた和久の第一声がこれであった。
「あったりまえだろ。昨日そう言ったじゃねーか」
疑われるなんて心外だ。勉強したいと言ったのは嘘ではない。
いや……本音を言えば勉強なんてしたくはない。したくはないけどやらなきゃならない。それくらいはわかっている。
そして『小日向 春』は、やらなきゃならない時にはやる人間である(自称)。
「しかし、その恰好は……」
腕を組んで眉を顰める和久の視線を胸を張って堂々と受け止める。
本日の春の衣装は白ブラウスにデニムのショートパンツ、足はスニーカー。
ここ最近は天気も安定しており実に陽気。夏向きの衣装が似合う頃合いであった。
朝起きるなりシャワーを浴びて汗を流し、髪を乾かしてから軽くメイク。
元の素材力が高いおかげで、春の化粧はいつも薄め。それでも男だったころとは比べ物にならないくらい手間はかかっているのだが。
真っ白な肩から下げたバッグには筆記用具や教科書、ノートが満載されている。あと色々と。
「変か?」
首をかしげると、動きに合わせて艶やかな黒髪が流れ落ちる。
そっと視線を逸らした和久は、口ごもるように言葉を続ける。
「いや、そう言うわけじゃないんだが……荷物多くないか?」
「そりゃまあ、着替えも入ってるし」
「着替え? なんでそんなものが?」
聞き咎めるような和久の問いに、不思議なものを見るような目つきで答えを返す。
「なんでって、お泊りだし?」
「お泊り? 誰が?」
「オレが」
右手の人差し指で自分を指さす。
「どこに?」
「お前んち」
右手の人差し指で和久を指さした。
「そんな話聞いてないんだが」
和久の声がボリュームアップ。
口調からは若干の焦りすら感じられる。
「それがさぁ、昨日織枝と話してたら『どうせ土日連続で兄貴に勉強教えてもらうんなら、いっそお泊りでいいんじゃない?』って言われてさ。なるほどなって」
「なにが『なるほど』だ、なにが!」
辛うじて感情を押さえていた和久が爆発した。
言われてみれば和久には伝えていなかったなと、今さらになって気付く春であった。
しかしその一方で、そんなに怒ることはないだろうという気持ちもある。
幼稚園の頃から今までの間に、お互いの家でお泊りした回数なんて、もう数え切れないほどなのに。
「大丈夫だって。織枝の部屋に泊めてもらうから」
親友とは言え和久は男、春は女。それくらいはわかっている。
だから和久の部屋に泊めろとまでは言わない。
さすがにそれくらいは空気が読める。
「そういう問題か!」
「そういう問題じゃね?」
身も蓋もないことを言ってしまうならば、和久がNOと答えても織枝がOKと言えば問題はない。
春と織枝のラインで既に話は通っているのだから。付け加えるならば――
「おばさんにも話してあるって言ってたぞ」
「織枝が?」
「織枝が」
和久は頭を抱え込んでしまった。
兄妹間で情報共有が行われていなかったらしい。
『微妙な年頃だしな』と春はひとり勝手に納得してしまった。
「いや、しかしだな……だからと言ってそんな格好で来なくてもだな」
つい零れた和久のボヤキが春の耳をかすめた。
イマイチ和久が何に対して苛立ちを覚えているのかわかっていなかった春だったが、このひと言は聞き逃せない。
春は大きくため息をつき、一段と深く和久の鼻先に人差し指を突きつけた。
「お前はマジでわかってねーな」
「……何がだ?」
「いいか、よく聞け。女ってのはな……一度サボるとすぐに錆びついちまうんだよ。癖になっちまうんだよ」
「だから?」
突然何を言い出すのか?
和久は親友に怪訝な表情を向けてくる。
「別に誰かに見せるつもりがなかろうと、外を出歩くときは手を抜いたらダメってこと」
「……それ、誰に聞いた?」
「織枝」
「アイツ……」
年頃の女子ふたりのやり取りを聞かされて、兄は黙って天を仰いだ。
一方春は腕を組んでうんうんと頷きつつ、
「まぁ、正直オレもよくわからんが、織枝の言うことも一理なくはないと思う」
「そういうもんか?」
「そういうもんだ」
なおも疑問を隠そうとしない和久に胸を張って答える。
その時、玄関口で向かい合うふたりの後ろから声がかかった。
「あらあらあら、春ちゃんお久しぶり。今日も可愛いわね~」
リビングから顔を出したのは、和久の母親だった。
年齢的には春の母親とほぼ同じ40代前半と言ったところ。
割と大きめの企業に勤めるキャリアウーマンだけあって、ほんわかした語り口とは裏腹に外見はビシッと纏まっている。
……と言うか和久の母親は自宅でスーツを着ていた。
「どうも、ご無沙汰してます、おばさん」
軽く頭を下げると、息子を差し置いて接近し、そのまま春を軽く抱きしめた。
昔から――春が男だったころから変わらないこの距離感。ちょっとくすぐったいような感覚。
『小日向 春樹』だったころには苦手だったハグも、『小日向 春』になってからはあまり気にならなくなった。
「ほんとにねぇ。高校に入ってから全然顔を出してくれなくて、おばさん寂しかったわぁ」
「それはまぁ、オレの方も色々とあって……おばさん、今日も仕事?」
「ええ、これから出勤」
軽い気持ちで口にした言葉をあっさり肯定されて、ちょっとびっくり。
まぁ、自宅でスーツを身につける用件なんて、他には思いつかないのだが。
「土曜なのに?」
「土曜なのに」
きっちりメイクを決めた顔に、僅かに陰りが生まれる。
学生にとって土日と言えば基本的に休みだが、社会人ともなるとそうはいかないらしい。
時々テレビで働き方改革がどうとか騒がれているが、一般人にとってはあまり関係なさそうであった。
「おじさんは?」
「もうとっくに家を出た」
「仕事」
「ああ」
「マジかよ……大変だな」
小日向家も江倉家も両親は共働きだが、春の両親はふたりとも本日は休みだった。
父はリビングでゴロゴロ、母は溜まっていた家事に奔走。
そしてふたりとも娘の試験勉強の進捗についてうるさく口を挟んでくる。
昨日のうちに小日向家か江倉家のどちらで勉強するかという話が出た際に、春がすかさず和久の家を選んだのは、実は両親がうるさいからだったりする。
和久は普段から勉強をこまめにやっている人間なので、あまり親から干渉されないのだ。
「織枝は?」
和久の両親は仕事へ行くとして、妹の織枝はどうしているのか?
春の問いに和久は首を横に振った。
「知らん。朝早くにどこかに出かけた」
「あいつも中間テストの時期だろ?」
中学校も高校も定期試験の時期にそれほど大きな違いはない。
織枝は春たちが通っていた久瀬川中に在籍しているので、試験のスケジュールは把握できている。
ゆえに織枝がこのタイミングで家を空けていることに違和感を覚えたのだが……
「さあ」
和久は肩をすくめ、母親は苦笑する。ふたりとも年頃の娘の扱いに苦労しているのだろう。
それでもあまり織枝についてどうこう言わないのは、娘のことを信頼しているからだ。
そんな江倉家をちょっとうらやましく思う春だった。
春は普段の勉強への取り組みをもう少し見直す必要があるのではないか、と言う疑問はスルー。
「和久、私そろそろ出るから」
「ああ、後は適当にやっておく」
「お昼ご飯、ちゃんと食べるのよ」
「大丈夫だから」
「あと、ついでに夕飯の支度もお願い」
「え、それは……」
母親のしつこい言いつけに辟易していた和久は、適当に話を流そうとして最後に言葉を詰まらせる。
いきなり仕事を押し付けられて反論を試みようとする息子を置いて、腕時計に視線を走らせた。
「和久、可愛い春ちゃんとふたりっきりだからって変なことしないように」
「するかッ!」
中傷にも似た母親の言葉に、和久は思わず声を荒げてしまった。
基本的に温和な人間だけに、こうも怒りの感情を表に出すことは珍しい。
「それじゃ、ごゆっくり~」
「あ、おい、ちょっと……」
和久の制止もむなしく、母親はドアの向こうに姿を消した。
暫くの間、閉じられたドアをじっと見つめていた春と和久。
先に口を開いたのは春だった。
「……どうすんだ?」
「勉強だろ?」
「いいのか?」
と言いつつ身体を抱いて距離を開けようとすると、和久は戸惑いを露わにする。
「あのな、春樹……お袋のアレはただのジョークだから」
「そうかなぁ……そうだよなぁ」
警戒する素振りもただのジョークだったのだが、想像以上に傷ついた様子を見せる和久に、少しやり過ぎたかと内心で反省。
「ほら、飲み物持って行くから、先に部屋に行ってろ」
「はいよ」
急き立てられて二階にある和久の部屋に向かう。
階段を上る途中で一度だけ、誰もいない玄関の方を振り向いた。
★
久しぶりに足を踏み入れた和久の部屋は、以前とあまり変わりなかった。
和久の母親の言葉どおり、春が江倉家を訪れたのは高校に入学して以来初めて。
単純に数えても約二か月ぶりである。
「変わってねぇなぁ」
考えてみれば、当たり前と言えなくもない。
和久は中学校でも高校でも美術部で、生活が大きく変わったわけではない。
美術関連のアレコレ――絵具やらスケッチブックは元からあるし……追加されたものと言えば高校の参考書ぐらいか。
――さて、それでは早速……
荷物を下ろした春は床に這いつくばってベッドの下に腕を伸ばす。
光が差し込まないその空間は、立ったままの目線では死角となっていた。
「あれ、ないぞ」
「何をやっている?」
振り向くと、開けっ放しになっていたドアから部屋の主である和久が室内に入ってきていた。
手にはコップふたつとペットボトルの麦茶を載せたお盆。お菓子を載せた皿も見えた。
四つん這いになってベッドの下を漁っていた春は、そんな和久を下から見上げる形になる。
「お前、エロ本の隠し場所変えた?」
完全に不審者ムーブをかましておきながら、春は平然と問いを放つ。
「部屋に入るなりそれか!」
お盆をテーブルに置いた和久がいきり立つ。
「いや、だって探すだろ、普通?」
「あのな……」
和久は何かを堪えるようにわなわなと震え、大きく……大きく深呼吸した。
「それで、実際のところどうなんだ?」
「……勉強しないなら帰れ」
「ちぇ、なんだよケチ」
「春樹、お前な……」
「ウソ。お願いします。助けてくださいって、マジで!」
「わかったから、さっさとやるぞ。時間があまりない」
「そうだな……ところでさ」
「……何だ?」
「今日のこの格好、どう思う?」
「どうって……」
床に腰を下ろした春の姿を頭のてっぺんからつま先までじっくりと眺めて……
「何か言うことないのかよ」
軽くにらみつつ催促してみると――
「……似合ってる、と思う」
「おう、そうか」
ぶっきらぼうではあったが称賛の言葉を頂いて満足気味な春。
テーブルを挟んで向かい側に立ち尽くす和久はと言うと、視線を逸らせて頬を赤らめている。
褒められてご満悦の春は、そんな親友の微妙な表情を気にも留めなかった。
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