第23話 放課後モデル その8
翌日からも放課後になると美術室に足を運んだ。不意打ち感はあったものの、一度引き受けた以上は途中で『やっぱりやめた』とは言いづらい。
逃げ出してしまうと和久の顔を潰すことにもなる。美術部に通っているうちにわかってきたが、和久は先輩方に可愛がられているようだ。
わけもなくイライラさせられることもあったが、以前懸念していたようなサボり要因があるわけではないらしい。自分の目で確かめてみて安心した。
モデルを引き受けている間にも下駄箱に手紙が入っていた時があった。そういう日は、あらかじめ和久に連絡を入れておいて遅れていくことになる。
残念なことに、告白はいずれも春の心を動かしはしなかったため、モデルをキャンセルする日はなかった。
モデルを続けているうちに、3人の要望にこたえる形で様々なポーズを取ることになった。
和久に懸念されていたスカートの丈については譲らなかったが、隙を見せることはなかったように思う。
大雑把な傾向として、和久と美佐希は割と無難なポーズを要求するのに対し、美優希はちょっとアレな指示が多かった。
美優希自身も(自主規制)なポーズを取ることがしばしばあり、シュールな空気が美術室を支配することがままあった。
そんなこんなで2週間あまりが経過して――
「よし、とりあえずはこんなもんだろう」
放課後の美術室に、美術部員3人が描いた春の絵(まだ下描き段階)のものが一堂に会している。
美優希の言葉どおり、油絵を描くには時間がかかる。
てっきり色を塗るところまで一気にやるのかと思っていたのだが、先にいくつもの下描きを作成しておいて、その中から色を付けるものを選ぶらしい。
つまり、春の手伝いはまだ終わらないということ。
これまでずっと3人からの視線にさらされ続けていた春は、彼らがどんな絵を描いていたのかを知らない。
今日になってようやくその出来栄えを目にすることになったのだが……
「これは……」
絵心のない春だが、ひと目見ればわかってしまう。
3人の中では美優希の絵が突出して上手い。
まだ下描き段階だというのに、その精緻にして大胆な描画は目を見張るものがある。
平面のはずのキャンバスの中に立体的に描かれた春の存在感が段違いだった。一枚一枚の絵から息を呑むほどの迫力を感じる。
何となく橘姉妹は双子だから技術的にも同レベルだとばかり思っていたが、並べてみると両者の絵はかなり違う。
もちろん美佐希の絵も下手と言うわけではない。ただ、妹のそれと比較してしまうとどうにも物足りなさが浮き彫りになってしまっている。
――双子でこれはキッツいな……
何とコメントすればいいのか迷わされる。姉の方が優れているのであれば素直に褒められようものだが、双子とはいえ妹の方が素人目に見ても上となると……
……橘姉妹の絵に関する品評は後回しにする。迂闊なことを口走るとトンデモナイことになりかねない。そんな気がした。
と言うわけで視線を和久の絵に走らせると、
「うん?」
何だろう、違和感がある。
チラリと横を見てみると、美優希と視線が合う。
美優希も首をかしげている。
「江倉君、これはどういうこと?」
「は……と言いますと?」
問い返す和久に、橘妹はどんな言葉をかければよいか暫し思案していた風であったが、蒼く輝く瞳に手を当てて、
「えっとね……君の絵、何だか捻れてるみたいなんだけど」
――捻れてる……捻れてる絵ってなんだよ?
美優希の表現は要領を得ない。感覚的過ぎる。
ただ、なんとなく彼女も春と同じ違和感を抱いているのではないかという気はする。
捻れている……言葉にしてみると、なるほど和久の絵から感じる違和感はそう表現するのが相応しく思えてくる。
「美佐希先輩はどうですか?」
「え……そうだなあ……う~ん」
春に促された美佐希は和久の絵をひとつひとつ見比べて行って、腕を組んで首をひねる。
「美優希の言ってることはさっぱりだが、前に江倉が描いていた絵と比べると、何だか妙な……ひどく落ち着かない気持ちにさせられる、とでも言えばいいのか……」
妙。落ち着かない。
美佐希の言葉は春の心にすとんと落ちた。さっぱりと言いつつも美佐希も妹と同じような印象を和久の描いた絵に対して抱いているように聞こえた。表現の仕方が違うだけだ。言い回しとしては美佐希の方がわかりやすい。
春は幼いころから今までに何枚も何十枚も、下手したら何百枚も和久の絵を見てきている。
それらはいずれも春の眼から見て充分に上手いと、親友としての贔屓目抜きで褒め称えることができるものばかりだった。
しかし……今この美術室に並べられている絵――春を描いた一連の下描き――は、そうはいかない。
どこがダメと具体的に指摘することはできないが……このまま色を付けても満足できる作品にならないのではないかという気がする。
姿かたちは春を適切に捉えているように見えるのに、描かれている少女が春に見えない。橘姉妹の指摘は多分そういうこと。
モデルである春が実在しているがゆえに、オリジナルとの差異が強調されてしまっている。
「ダメ、ですか……」
和久は頭を抱え込んでしまった。
本人に自覚はなかったようだ。
気づいていれば途中で修正するだろうから、当然と言えば当然だ。
「江倉、最近何か気になることでもあるのか?」
「……と言いますと?」
美佐希はゴホンと咳き込んでから、
「いや、何か悩み事を抱えていて、それが無意識のうちに作品に影響を及ぼしているのではないか、とか?」
「悩み事ですか? う~ん」
腕組みした和久は顎に手を当てて考え込んでいる。
しかし特に思い当たるところはないらしい。すぐ傍に居た春でもわからない。
まぁ、『悩み事はないか?』と問われて『あります。実は……』などと即答する奴は居ないと思うが。
春が思いつく範囲で和久を悩ませている問題があるとすると――
「織枝と仲直りできてないとか?」
「それは今更だな」
和久は苦い笑みを浮かべた。これまでにも春の見ていないところで兄妹喧嘩はあったようだ。
しかし、それらの喧嘩が絵に影響を及ぼしたことはないとのこと。
ひとりっ子の春にはいまいち理解できない感覚だけど、和久が嘘をついているようには見えない。
「わからん……俺の絵、そんなにおかしいですか?」
和久の問いに顔を見合わせる橘姉妹。
無言で肩を竦める美佐希、自信満々に頷く美優希。
同じ顔をした双子なのに、リアクションが異なる。
そんな美優希を見て美佐希は顔を微かに顰めた。
「なんだろう? 江倉君が見ているものが素直に描かれてない」
「素直に……ですか? 普通に描いているだけなんですが……」
「本当に? 江倉君には春ちんがこういう風に見えているの?」
美優希の言葉に思い悩む和久。
美術に疎い春は、こういう時に掛ける言葉が見当たらない。
親友と悩みを共有できないことが、苦しい。
「まぁ、今すぐ答えを出すこともなかろう。文化祭まではまだかなり時間があるから、そこまで焦ることもない」
「え、これ文化祭用なんすか?」
春の問いに美佐希は頷いた。
当初から『美術部員は普段何のために絵を描いているのだろう?』という疑問はあった。
発表するあてのない絵を延々と描き続けるというのは精神的に負担になりそうなもの。
外部の人間から見るとモチベーションが続かないのではないかと思っていたのだ。しばしば和久が『気が乗らない』などと口走っているのも頷けるほどに。
そんな春の脳内疑問はさて置いて、美佐希は説明を続ける。
「うちは人数が少ないだろう? 文化祭直前になると室内の準備もあるし、早いうちから描き始めておかないと当日寂しいことになりかねないからね」
美佐希の言葉で思い浮かんできたのは、3枚だけ絵が飾られた美術室。
机も椅子も、そして床も茶色の部屋の中、中途半端な飾りつけのガランとした侘しい光景。
祭りという言葉のイメージとは正反対の廃墟的なナニカ。
――うん、ちょっと引くな。
そう言えば『部員数に比して部室が広すぎる』と生徒会から睨まれているなんて話を聞いた気がする。
文化系の部活動としては数少ない活躍の場を盛り上げるために、日々の努力が必要になるというところだろうか。
それにしても5月のうちから秋の文化祭に向けて作品作りに取り組むというのは……春の理解を超えている。
何はともあれ――
「ま、まあいいじゃん。ちょっとぐらい不調でもすぐ取り戻せるって」
難問にぶち当たった風に考え込んでしまっている親友を元気づけるべく、背中をバンバンと叩く。そうやってエールを送るぐらいしかできない自分が歯がゆい。
いつの間にやらガッシリしてしまった和久は、か弱い春に叩かれたところでどうということもなさそうだが。
……おそらく何か問題はあるのだろう。芸術に詳しくない春の眼から見ても、和久は十全に実力を発揮できていないことがわかってしまうのだから。
しかし原因さえ取り除けば、きっと以前と同じかあるいはそれ以上のクオリティの作品を生み出すことができるということでもある。
問題は、どうすればよいのかわからないところだが……まぁ、ここでずっと悩んでいても解決しない気がする。
こういう時は気分を変えるか、日を改めると案外上手く行ったりするものだ。
「あ、ああ、そうだな」
自覚があるのかないのかは定かではないが、和久もひと息入れて気分転換を図ろうとしているように見受けられる。
美術芸術に関しては協力できることが限られているが、それ以外なら……いや、勉強も除く。
とにかく親友として力を貸すことに否やはない。
絵のモデルだって頼まれなくてもやってやろうという気になる。
「だろ? オレも結構暇だし、これからもモデルやってやるから」
「それは……どうかと思うが」
和久は部活にも入らずフラフラしている春にいい顔をしない。
事情を理解しているからあまり口は出さないが、何か熱心に打ち込めるものを探してほしいと考えているようだ。
だからこそ、春がモデルとしてずっと美術室に詰めるような事態を避けたいと考えている。
「水臭いこと言うなって。何かやりたいことを見つけたら、そっち頑張るし」
思い返せば借りだらけの春としては、ここらで親友相手にいいところを見せておきたい。
そうでなければ男が……否、女が廃る。
「そうか? ……すまんな、春樹」
「いいってことよ」
幼いころからずっと続く、いつもと変わらぬ友情。
その発露をじっと見つめる蒼い瞳が、すぐ傍で煌めいていた。
これにて『放課後モデル』は終了となります。ここまでお読みいただきありがとうございます。
自分で書いておいて何ですけど、ほとんどモデルやってない……
次の話は一応流れは書けているのですが、ちょっと糖度を上げただけで途端に手が動かなくなって苦戦中です。
恋愛書いてるほかの作家さんは、どうやってるんだろう?
そんなこんなで暫くお待たせすることになると思われますが、気長にお待ちいただければ幸いです。




