第19話 放課後モデル その4
「それじゃ、早速始めようか」
美優希に追加で貰ったチョコを口に放り込んでいるところに美佐希から作業開始の声がかかる。
危うく今日ここに訪れた本題から逸れそうになっていたところだったので、春としては、まったくもって異存はないのだが……
「別にいいっすけど、どんなポーズを取ればいいんですか?」
その問いに美佐希は暫し思案する様子を見せた。
しかしあまり長く思考に嵌ることはなく、
「そうだな……まぁ、最初だし、楽な感じでいいよ」
「楽……ですか……」
美佐希からのオーダーを受けて、美術室を見回してみて、そして――
「それじゃベッドと枕、あとお菓子とジュースをお願いします」
「どれだけ楽する気だ」
軽い冗談だったのに和久に突っ込まれた。
「ベッドと枕は無理だ。お菓子とジュースだけで我慢してくれ」
「冗談のつもりだったんですけど」
チョコだけでも十分だったのだが……
美佐希が棚を開けると、その中には飴やらクッキーやらいろいろとカラフルな菓子類が顔をのぞかせている。
美優希が持ち上げた水筒には、察するにジュースが入っているのだろうか。
春も飴玉ぐらいは学校に持ってくることはあるけれど、これは明らかにやり過ぎだ。
職員室にバレたら叱責は避けられまい。
……今この場に教師に踏み込まれたら春も巻き込まれるわけだが。顧問はいったい何をやっているのだろう?
「芸術は頭脳労働だからな、糖分は常に用意してある」
「へぇ……」
女ふたりに男ひとりで甘いものに舌鼓を打ちながら和気藹々と筆を走らせる。
そんな姿が脳裏によぎって和久を見る目がジト味を増す。
――コイツ、ちゃんとやってんのか?
「言っておくが、俺は食べてないからな」
「何も言ってねぇよ」
憮然とした和久を置いて、窓際の席に腰を下ろす。
この件について問い詰めるのは後でも構うまい。
――自由にって言われてもなぁ……いっそポーズを指定された方が楽だったかも。
絵のモチーフとして映えるポーズと言うのがよくわからない。美的センスに優れているとは言い難い素人モデル(仮)である。
とりあえず座ってみたものの、さてこれからどうするか……と考えたところで頭に思い浮かんだのは――かつて見たグラビアアイドルの写真集だった。
雑誌に限らず写真集に限らず、グラビアは被写体が写真映えする構図が多い。さすがプロの仕事という奴だ。
記憶を頼りに印象的だった写真を思い出して再現を試みる。かつて自室に溜め込んでいたお宝は、TSしたからと言って捨ててしまったわけではない。
三角座りの要領で右脚だけを持ち上げて立膝に。両腕を組んで膝の上に。その上に軽く首をかしげるように頭を置く。
左足はそのまま緩く伸ばして――
「おい、春樹」
割り込んできた声に、脳内イメージがかき消された。
「なんだよ? こんな感じじゃダメか?」
眼鏡の位置を直しながらの和久の声には、若干の非難が混じっているように聞こえる。
カチンときた春の返事も自然と邪険なものになった。
せっかくいい感じになってきたのに横やりを入れられては気分も害する。
つくづく今日は和久が自分を苛立たせてくる。たまたまだろうか。
「いや、お前……はぁ、スカートがだな」
「スカートがどうした?」
和久の指摘は春の想定外のところに飛んだ。
「見えてる」
「何が?」
「何ってその……だな……パンツが」
春から視線を逸らせながら、もごもごと早口でまくし立てるという合わせ技を仕掛けてくる。
あまり和久らしくない物言いではあるが、問題は――
「はぁ?」
腕を解いて見下ろしてみると、胸のふくらみの向こう側で大胆に脚が露出している。
スカートが捲れ気味になっているので、和久の言うとおり下着が見えていてもおかしくはない。
と言うか、見えていた。
「お前……真面目にやれよ」
声に呆れが混ざることを止められない。
いきなりパンツに目が行くとか、それは美術部員としてどうなのかと。
わざわざモデルを買って出てやった自分に対する申し訳なさは無いのかと問い詰めたくなってくる。
それが理不尽な怒りであることに、当人だけが気づいていない。
「お前こそ、もう少し気を使ったらどうだ?」
「別に今さらお前にパンツ見られたぐらいで怒ったりしねぇよ」
「そういう問題じゃないだろ!?」
「じゃあ、どういう問題だよ?」
「どうって……お前、もうちょっと慎みをだなぁ……前から言おうと思ってたんだが、お前のスカート短すぎるだろう?」
「そうか?」
一度立ち上がって自分の制服をチェック。
ノーマルの制服に比べれば確かにスカートは短い。それは認める。短くしているのはワザとだ。だが、
「これは仕方がないんだ」
「……何が『仕方がない』なんだ?」
「だってスカートが長いままだとダサい」
親友からの詰問に毅然と答える。
胸を張って堂々と。何ひとつ後ろめたいことなどない。
自室でひとりきりというのならともかく、他人の目があるとこでダサい格好などできない。
ましてやここは学校だ。狭いフィールドに同年代の同性も異性も大勢詰め込まれている。妥協不可。
「ダサいって、お前……そんなことで」
「いや、わかる。わかるぞ、小日向君」
絶句する和久と賛同する美佐希。
美優希もうんうんと頷いている。
「江倉、よく聞いておけ。女子高生にとって『ダサい』は死活問題なんだ」
「そう。ダサい服を着るくらいなら死ぬ」
橘姉妹も春と肩を並べて援護射撃してくれる。
右から美佐希が、左から美優希が春の肩に手を置いた。
「そんなにですか!?」
何を言われているのかさっぱりわからないと言わんばかりの和久(この部屋唯一の男子)に向かって、
「「「ああ」」」
女子三人の声がきれいにハモった。
ついでにちらりと見てみれば、橘姉妹のスカートも短い。
「和久、お前先輩方のスカートを覗いたりしてないだろうな?」
「誰が覗くか!」
「……そこまで速攻で否定されると、それはそれでショック」
ぼそりと美優希が呟くと、
「江倉は女心がわかってないなあ。そんなことじゃ彼女のひとりも作れんぞ」
美佐希の言葉は痛いところを突いたらしく、和久は目に見えてうろたえている。
春の知る限りではあるが、和久は『年齢=彼女いない歴』のはずだ。
ちなみに春は『年齢=彼氏いない歴』ではない。だってTSしてからまだ1年たっていないのだもの。
「じゃあどう答えればよかったんですか! 春樹もどうにかならないのか」
「どうにもならん。これは生き様の問題だ」
ついに『生き様』などと言うワードを持ち出してまでスカート丈の短さにこだわる春に、説得は不可能だと悟ったか、
「……せめて下着が見えないポーズにしてくれ」
大げさにため息をついて頭を抱える幼馴染。
あくまでパンツNGを主張するところに呆れざるを得ない。
これから美大に進学して絵の勉強をしていくのなら、ヌードデッサンとかの授業があるかもしれないのに。
「お前……やっぱスケベだな」
『意識しすぎだろ』と大げさに肩をすくめてみせる。
「まあ、江倉君も男の子だから許してあげようよ」
春の肩に手を置いたまま優しく諭してくる美優希。
「何で俺が悪者扱いになっているのか、納得がいかないんですが……」
「いや~、小日向君とは仲良くやれそうだなぁ」
「コイツ、こんな見た目のくせにエロいですけど、見捨てないでやってくださいね」
「やっぱ、連れてくるんじゃなかった……」
弱々しい和久のつぶやきは、すっかり意気投合した春たちの耳には届かなかった。
★
結論から言えば、春が妥協した。
椅子を窓際に寄せて棚の上に肘を下ろして頬杖を突き、スカートの中が見えないように足を下ろした。
わずかに空いていた窓の隙間から吹いてくる風が、春の髪を優しく撫でていく。
時折ふわりと舞う髪をそのままに窓の外を眺める、そんなポーズ。かなり具体的に和久が指示を入れてきた。
いかにも深窓の令嬢と言った風情で、実に和久好みだと春は内心でため息をついた。
――こいつ、女に夢を見過ぎなのでは?
窓の外に視線を送ると、グラウンドのど真ん中ではサッカー部の連中が晴天の下でボールを追いかけている。
端っこのダイヤモンド周辺では野球部が、その反対側では陸上部が、そしてテニスコートではテニス部がそれぞれ青春の汗を流している。
言葉になる前のエネルギッシュな魂の叫びがそこら中から鳴り響いているその光景は、静寂に切り取られた美術室とは別世界のよう。
室内では無音の空気を微かに振るわせる鉛筆の音が、耳の端を擦っている。
チラリと目を横に向けると、先ほどまでふざけ合っていた橘姉妹がそれぞれにキャンバスと向かい合っている。美佐希の顔はシリアスで、美優希の顔は変化なく。
ただ、その眼の奥に宿す輝きは真剣そのもの。時おり春を見つめてくる視線も鋭い。
何となく『青春』と言うワードは運動部に相応しいとばかり思っていたが、それは春の勘違いだったようだ。
いざ実際に足を踏み入れてみると、文化系の部活動にもちゃんと『青春』は存在しているように見える。
美術部と言うのは、さっきまでの橘姉妹のような雰囲気で面白おかしく絵を描いたりしているのかと思っていた。
しかし……美佐希も美優希もすっかり雰囲気が一変している。おちゃらけたところはなく、まるでサッカーのPK戦のような緊張感を醸し出している。
これは紛れもなく『青春』のひとつのカタチの顕れであろう。
――偏見はよくないよな……
ついっと和久の方を見てみると、難しい表情で鉛筆を走らせていた。上手く描けているのかどうか、春の方からはよくわからない。
和久は中学校時代は美術部に所属していた。春はTSするまではサッカー部に所属していたので、和久が部活動の時間に何をやっていたのかほとんど知らない。
平日の放課後、どこにでもありそうな日常の中でこれだけ張り詰めた雰囲気を醸し出すあたり、さすが将来は画家になりたいと嘯いていただけのことはある。
――和久の奴、今までずっとこんな感じだったのかな?
モデルゆえに動くこともままならず、部室内のガチな雰囲気のせいで話しかけることもできない。
あまり空気の読めないアクションを取ると、和久の印象まで悪くなりそうで躊躇われる。
元々あまりしゃべる気分ではなかったことなど、もはやすっかり忘れ去ってしまっていた。
――これ、いつまでこうしてればいいんだ?
最初に聞いておくのを忘れていた。いくら座っているからと言って、いつ終わるのかわからないまま同じポーズでいるのは結構辛い。
沈黙したまま徐々に目蓋が落ちて行って、うつらうつらと揺れる頭の中、霞がかった思考の奥底で、春の思考は過去に遡っていった。
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