第18話 放課後モデル その3
「今回もダメでした……と」
放課後、校舎裏からグラウンド脇を通って昇降口に戻りつつ、春は独り言ちた。
またもや下駄箱に入れられていた封筒の持ち主から告白されて、今までと同じように断ってきたばかりだ。
制服の胸に手を当ててみるも、春の心臓は相変わらずの平常運転で、本人の期待とは裏腹に動じる様子を見せない。
――金曜日に断って今度は月曜日って、ペース上がってないか?
入学してからこちら、告白される回数は増加の一途。さらに告白ごとのインターバルが狭まってきている。
『付き合うか断るかは直に会ってみないとわからない』とは言うものの、待ち合わせ場所に足を運ぶだけでも手間がかかる。
これからも告白頻度が加速するとすると、想像しただけでもウンザリしてくる。
「これは……なんか考えないとマズいかも」
このままエスカレートすると、春の青春は告白お断りで丸ごと潰されてしまうかもしれない。
華やかに見えて灰色な高校時代を過ごすことになりそうで、危機感を覚えるレベルだった。
『たまにはオッケーしてみても良くない?』
先日のみちるの言葉が思い出される。
あの時はNOと答えたものの、心のどこかではみちるの言に一理あると認めている。
例えば――太一だ。以前の自分だったらあまりお近づきになりたくない……と言うか波長の合わない人物。
でも、みちるを通じて話してみれば、意外と普通に関係が続いている。
もちろん、交際がどうとか言うとまた話は別なのだろうが……挨拶してダベったり愚痴ったり、友人として付き合う分には全く問題ない。
第一印象だけで人を判断していては、もっと大切な何かを見落としてしまうのではないか。
自分は何か重大なミスを犯しているのではないかという不安が頭をもたげてきている。
「せめてデートぐらいしてみてもいい? でもなぁ……」
両腕を組み首をひねる。左右から腕に挟まれた大きな胸が中央に寄せられるようにたわむ。
自慢の黒髪がサラサラと肩口を流れて背中に落ち、風に揺られてふわりと浮かぶ。
たまたま近くをランニングしていた男子が春をガン見して――そのまま教師に体当たりしてしまった。
歩き去った春の後ろで何やら揉めているが……まぁ、知ったことではない。
「そう言えば……っと」
今日のお務めはこれで終わりではなかった。
和久に頼まれて美術部でモデルをやることになっていた。ちょうど先週末に告白を断って、この辺に戻ってきた時に聞いた話だ。
ただ――朝にちょっとトラブってしまったせいで、今は和久と顔を合わせにくい。
いっそサボってやろうか……などと言う邪な考えが頭をよぎりはしたが、事は春と和久ふたりの問題ではない。
既に一度OKを出しているし、和久は美術部の部長に春の意向を伝えている。
ここでドタキャンするとなると……待たせている美術部の面々を困らせることは本意ではない。
ついでに美術部における和久の立場を悪くすることも。口には出さないけれど。
「まぁ……モデルだろ。座ってりゃいいか」
別に喋る必要はない。むしろ黙っていた方がいいまである。
美術室で和久とふたりきりになるわけでもない。
あまり細かいところまで気にしなくてもいいのではないかと思えてきた。
そこまで考えてから、ひと息ついてスマホを取り出し、和久にメッセージ。
――――
和久
――――
春
『終わったけど、今から美術室に行けばいいか?』
和久
『ああ。迎えに行こうか?』
春
『いらねー。ガキじゃねぇんだから』
和久
『わかった。面倒をかけるな』
春
『気にすんな』
――――
「結果がどうとか聞いてこないもんかね」
和久のメッセージには余計な文面は存在しない。
殊更に何か話したいわけではないが……だからと言ってここまでスルーされるのも、それはそれで腹が立つ。
「だいたい、オレが付き合うことになってたら、どうするつもりだったんだ、アイツ」
先週末に美術部のモデルの話を聞かされた際に、月曜日――つまり今日の放課後に美術室へ顔を出す約束はしていた。
しかし今朝になってまた告白の手紙が下駄箱に放り込まれていた。もちろん待ち合わせは放課後。
昼休みに話をしようかとも思ったが、なんとなく顔を合わせづらかったうえに、トイレに出たついでにB組の様子を窺うと和久は十和と深刻な顔で何か話していた。
これは邪魔をするべきではない……という最もらしい理由で告白の件を伝えることを先送りにしてしまった。
やむなく午後の休み時間に春は和久にメッセージを送り『また後日』と続けようとしたのだが、
『終わってからで構わん。連絡をくれ』
などと返ってきた。
授業の合間の5分休憩だったのだが、メッセージだけでなく通話しようとして……朝の件を思い出して手が止まってしまった。
しかし今になって考えてみれば、もし春が告白を受け入れたとしたら、当然その場で『はい、さようなら』などと言うことにはならないはずで。
多分出来立てほやほやのカップルはふたりで一緒に下校したり、どこかに寄り道したりするのだろう。
……と言うことは、和久は事前に春が告白を断ることを予見していたとしか思えない。
「あんにゃろ~」
見透かされているようで、なんとなくムカつく。
スマホを胸ポケットに戻し、グーに握りしめた右手を身体の正面でパーの左手に打ちつけて愚痴ひとつ。
ひとこと物申してやりたい気持ちを抑え込む。
どうせこれから和久のいる美術室へ行くわけで、文句はその時に言ってやればよかろう。
しゃべる気があるのやらないのやら自身でもよくわからなくなってきた。
春は足早に昇降口へ向かう。遠巻きに様子を窺っていた男子たちに気付かないまま。
★
「うい~っす」
美術室の前をウロウロしていた和久に声をかける。
その姿を見ると不意に今朝のことが思い出されてしまい、声から不機嫌さを隠すことができない。
「すまん、待たせた」
「いや、問題ない」
待たされておいて文句のひとつも返してこない和久に促されるまま、室内に足を踏み入れる。
佐倉坂高校の美術室は、他の教室とは異なり机も椅子も木製で、中に入ると木の香りが鼻につく。
そこにプラスされるのは、染みついた油絵の具の匂い。ガラス張りの窓から差し込む光によって室内は明るい。
授業で使っている机は後ろに寄せられており、前の方が開けていて、イーゼルに立てかけられたキャンバスと、据え置かれた椅子が3セット。
そのうちひとつの椅子に腰かけていた女子が立ち上がり、春に向かって大きく腕を開いて迎えてくれる。
「ようこそ、小日向君!」
ネクタイの色は真紅。二年生。見覚えのない顔だ。
ショートボブの髪は少し色の抜けた茶髪。そして黒縁の眼鏡。
チラリと隣の和久に視線を送るも反応がない。……誰だ? 春は訝しんだ。
「えっと、すみません。その……」
「ああ、自己紹介がまだだったね。私は『橘 美佐希 (たちばな みさき)』と言う。この美術部の部長だ」
胸を張って堂々とした答え。
誰かと話すことに慣れている人間特有のリアクション。
美術部よりも、演劇部とか生徒会と言った壇上向けの人間に見える。
――部長ってことは、この人が?
春をモデルにするために和久を熱心に説得していたと聞いている。
なるほど、このテンションの高さにも納得がいく。待たせた割には随分と歓迎されている。
「そしてこっちが……」
「『橘 美優希 (たちばな みゆき)。よろしく」
椅子に腰かけたまま軽く会釈してきたその姿は、今しがた自己紹介があったばかりの美佐希に瓜ふたつ。
ただしこちらは眼鏡をかけていない。その代わりと言ってよいのか……右目だけが蒼く輝いている。おそらくカラーコンタクトだろう。珍しい。
こちらはテンション低めだが、声そのものはやはり美佐希と変わらない。
眼鏡とカラコン、わかりやすい特徴がなければきっと見分けがつかない。
「え、あれ……双子?」
「いかにも」「おういえ」
春の問いにふたりの橘は同時に頷いた。
外見はそっくりだが、受け答えは微妙に異なる。
美優希のキャラがいまいちつかめない。独特な人物のようだ。
「へ~」
「さて、ここに来てくれたということは専属モデルの件は了承してもらえたということでいいのかな?」
「専属?」
美佐希の言葉には聞き捨てならない単語が入っていた。
何やら不穏な気配が漂っている。とりあえず、普通の高校生活にはあまり縁がないような。
「初耳なんですが」
和久の方に視線を送ると、こっちも首をかしげていた。
「俺も今初めて聞いた」
「……だめ?」
美優希が可愛らしくおねだりしてくる。
整った顔立ちでそういうことをされると、つい頷きそうになってしまうが、これはどう考えても演技だろう。
はいそうですかと即答するわけにはいかない。正確にはYESと答える気にはならない。
「良いとか悪いとかいう前に、意味がよくわからないです」
「ふむ。要するに小日向君の肖像権の問題なのだ。我が校には写真部や漫研があるだろう? 彼らとは契約しないでほしいということだ」
「なんで?」
純粋に意味が分からなかった。
「なんでって……美術部に入ればあの『小日向 春』がモデルになってくれる、と言うアドバンテージがあれば、部員の増員が見込めるだろう?」
「帰ります。さよなら」
踵を返す。和久も春を止めようとはしなかった。
「待て待て待て待て。軽い冗談だ」
「そうは聞こえなかったんですけど。あと、手、離してください」
先ほどまで座っていたはずの美優希が春の左手にしがみついていた。
疾い。完全に先手を打たれている。目で動きを追うことができなかった。
文化系の部活だからどん臭いというイメージが先行してしまっていたが、このふたり――特に妹の方は相当なくせ者のように思えてきた。
「だめ。逃がさない」
「えっと……」
「まあまあ、今のはちょっとしたジョークだ。そう、美術部ジョーク」
「はぁ」
とりあえず撤退はストップ。
春が逃げる様子がないことを確認した美佐希は、机の上にひっくり返っていた椅子をひとつ床に置いて春に座るよう促してくる。
ずっと立っているままと言うわけにもいかないので、大人しく腰を下ろすとサッと差し出された美優希の手には――ひと口チョコが3つ。
「賄賂」
「ストレート過ぎませんか?」
「いらない?」
「いただきます」
即答した。ひとつ摘まんで口に放り込む。
口中に広がる甘味とカカオの風味が疲れを癒す。
朝からご機嫌斜めなうえに告白を断って、さらには橘姉妹の相手まで。
精神的な疲労には甘味がことさらに効く。
「しかし本当にかわいいなあ。江倉が隠すのもわかるわ」
近づいてきた美佐希が矯めつ眇めつ見つめながらそんなことを言う。
「隠す?」
春の問いに美佐希は頷き、
「ああ、コイツ……」
「部長、その話はモガ」
和久は口に唐突にチョコが放り込まれたせいで、喉を詰まらせている。
チラリと隣の様子を窺えば、春の傍に居た美優希がチョコを指ではじいて和久の口に打ち込んだらしい。
一瞬の早業だった。そんな技をどうやって習得したのか、謎は尽きない。
「私たちが君を連れてこいって何度も頼んでたのに、ず~っと拒否っててさぁ」
「でも納得。彼女をこんな危険地帯に連れてきたくない気持ち、理解できる」
美優希に言葉に聞き捨てならない文言が含まれている。
「いや、彼女ってなんすか?」
「……違うの?」
「違います」
「じゃあ、私と付き合う?」
「付き合いません」
「残念」
真顔のままでそんなことを言う。
ぼんやりした眼差しは、どこまで本気なのか。
蒼い瞳の奥、美優希の真意は窺い知れない。
――この美術部、本当に大丈夫なのか?
和久の方に目をやると、露骨に視線を逸らされた。
例え喧嘩していようとも幼馴染、何を言いたいのかはわかるようだ。
和久が美術部に入ってから初めて訪れたが、盛大に心配になってきた。
――いや、別にどーでもいいし!
ぶんぶんと頭を振ると、黒髪がきれいな円弧を描いて空を舞う。
そんな春を眩しそうに見つめる美術部姉妹は薄く微笑んだ。
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