第1話 ある女子高生(?)の日常 その1
TSが好きです。
以前掲載していた同名小説の連載版となります。
応援いただければ幸いです。
下駄箱の蓋を開けると、上履きに封筒が乗せられていた。
長方形の白が、薄暗い立方体の闇をぼんやりと照らしている。
『小日向 春 (こひなた はる)』さま
自分――春宛てである。今どき珍しい肉筆で、几帳面な印象を与える文字が並んでいる。
封筒を指でつまんで裏返すと、そこにはしっかり差出人の名前が記載されている。春の記憶にない名前だった。
そのまま軽く振ってみても、ほとんど重量は感じられない。いかがわしいものが封入されている様子もない。
時は5月。ゴールデンウィークが過ぎ、夏に向けて太陽のウォーミングアップが煩わしくなる頃合い。
県立佐倉坂高校に入学してから1か月と少々、そろそろクラスメートの顔と名前が一致してきた。
それでも記憶にないということは、きっとこの手紙を春の下駄箱にいれた人物はクラスメートではない。
そこまではわかる。
「おはよっ、春!」
突然のハグ。背中に当たるのは暖かく柔らかい女子特有の感触。
前に回された両腕は健康的に日焼けしており、耳に届いた声は溌剌とした印象を与える。
そして鼻先をくすぐる僅かな汗の匂い。太陽と大地、そして命の匂い。
「おはよう、みちる。暑いから離れてくれ」
「もう、春はつれないなぁ」
ぶー垂れつつも『みちる』と呼ばれた少女はあっさりと春から身体を離す。
振り向くと、そこに立っていたのは春と同じ制服(白のブラウスとチェック柄のスカート)に身を包んだ少し背の低い少女。
軽く色の抜けた茶髪はショートカット。くりくりとした瞳は朝も早よから爽やかにきらめいて、その顔には満面の笑みが浮かんでいる。
可愛らしい顔立ちだ。友人の欲目を抜きにしても、大抵の人間に好印象を与えることが容易に想像できる。
『湊 みちる (みなと みちる)』
高校に入ってから出会い、そして早々に仲良くなった。春の大切な友人のひとり。
小柄な体に爆発的なパワーを溜め込み、いつも朝からフルスロットル。
傍に居るだけで勝手にエネルギーが充填されていくような、そんな親友。
対する春はあまり朝に強くない。以前はそうでもなかったのだが、最近は毎朝やや気だるげな雰囲気を漂わせている。
長いまつ毛に縁どられた大粒の瞳は夜の海を思わせる深い黒。今はあくびのせいで眦に涙が浮かんでいる。
すっと通った鼻梁と可愛らしい小鼻。桜色にしっとりと色めく唇。ひとつひとつのパーツが完璧な設計図に基づいて配置されている。
腰まで届くストレートの黒髪は艶やかで、差し込む光を反射してキラキラと輝いている。
高校生らしい『可愛い』と大人を感じさせる『きれい』が程よくブレンドされた、10代後半に特有の美貌。
すらりと伸びた背丈は女子にしては高い。先日の身体測定によると、身長は162センチと記録されている。
顔から下に視線を落とすと、制服を内側から盛り上げる豊かな胸元に目が引き寄せられる。
腰の位置は傍目に見ても明らかに高く、丈を短くしたスカートから伸びる白く長い脚が眩しい。
完璧なルックスと完璧なスタイルの組み合わせは、ただの一瞥で見る者の記憶に深くその存在を刻み込む。
決して自意識過剰と言うわけではない。現に、みちるが春に抱き着いたあたりから周囲の注目を思いっきり集めている。
視線の主はほとんど男子ばっかり。朝の昇降口というテンションの上がらない空間がすっかり様相を異にしている。
そんな空気に気付いていない振りをしつつ(みちるは全く気付いていない)、ようやく離れてくれた友人に語り掛けた。
「みちるは今日も朝練か?」
「うん、朝に思いっきり走るの、気持ちいいよ」
タンタンタンタンとその場で軽やかに足踏み。短めのスカートが舞い上がった。
みちるは陸上部に所属している。期待のルーキー(自称)だそうだ。
エネルギッシュは結構だが、スカートの裾をもう少し気にしてほしいと思わなくもない。
「春も入らない、陸上部?」
「遠慮しとく。朝早いのはもう無理」
右手で軽く口を押えてあくびの仕草――をしつつ左手で封筒をバッグにしまおうとして――みちるの瞳がその封筒をロックオン。
「おっ、また来たの!? 懲りないなぁ」
みちるの声には好奇心と多少の冷やかしが入り混じっている。
下駄箱に入れられた恋文は、いつだって年頃の男女の興味を惹く。
「ねぇねぇ、今度は誰?」
「知らない名前」
ウザげに答えてみても、みちるはまったく怯まない。
めげない、怯えない、物おじしない。
そういう友人であった。
「ひゅーひゅー、モテる女は辛いのぉ。で、何人目だっけ?」
「さぁ、3人目ぐらいまでは数えてたんだがなぁ」
促されて指折り数えてみても、どうにも記憶があいまいになっている。
まだ入学して一か月と少ししか経過していないというのに。
『いつの間にやらすっかり偉そうになってしまったなぁ』と自嘲の笑みを浮かべてしまう。
「……もう少し頑張って覚えておいたらどうだ?」
みちるとじゃれ合っていると背後から声がかかる。
声変りを経た低くて深みのある声。聞き慣れた声。
「和久」
「あ、江倉君、おはよー」
「おはよう、湊」
振り向いた先に立っていた男は、身長162センチの春より頭ひとつ背が高い。
顔立ちは整っているものの、乱雑に切り揃えられた短い髪が残念な印象を与えてくる。
目元に光るシルバーフレームの眼鏡が冷たい輝きを放っているが、見た目ほど冷徹な人間ではない。
夏の制服から覗く細身の身体は色白だが、よくよく見ると意外とがっしりしている。
『江倉 和久 (えくら かずひさ)』
春の幼馴染にして親友。1年B組所属。高校に入ってクラスが別になってしまった。
なお、幼稚園で出会って以来、ずっと同じ教室で過ごしてきた和久が離れてしまい、入学式当日に教室でひとり心細くなっていた春に声をかけてきたのがみちるである。
その日から、春とみちるは友人となった。みちるがいなかったら、春は1年A組の教室でボッチになっていたかもしれない(と自分だけは思っている)。
春を介して和久とみちるも友誼を結んでいる。友情の輪はこうやって広がっていくのだろう。あまり友人のいない春にとっては、新鮮な体験だ。
「ねーねー江倉君、春ったらまた告白されるんだよ」
「そのようだな」
親友の色恋沙汰に対する和久の声は冷淡だ。
春が告白に慣れてしまったように、和久もまた春が告白されることに慣れてしまったらしい。
和久がラブレターを貰ったことはないので、逆のパターンが発生した場合はどうだろうと首をかしげることもある。
「で、また断るのか?」
「どうすっかな」
和久に問われて答えを濁す。
手紙を置いて行ったのがどこの誰かはわからないが、まだ封を開けてすらいないのに早々に結論を出すことはできない。
「と言いつつ、今まですべての告白を断ってきた小日向さん的に……ズバリ今回は脈アリですか?」
みちるはさらに一歩踏み込んできた。
「だからわからねーって」
「たまにはオッケーしてみても良くない?」
みちるの問いに含むところはない。比較的ライトな質問に過ぎない。
入学以来数多くの男子から告白されて、その全てを断っている春に対する純粋な疑問だった。
おそらく同じ疑問を学校中の男子が抱いている。いつの間にか下駄箱に静寂が訪れていた。
誰もが息をひそめて、次に春が放つ言葉を待っている。
「ひょっとしたら付き合うことになるかも」
「マジすか!?」
みちるは身を乗り出しつつ声のボリュームを上げてきた。
「それ、いつも同じこと言ってないか?」
「そうだっけ?」
「そうだな」「そうだね」
左右からのツッコミから視線を逸らすべく、腕を組んで天井を睨む。
腰まで届くストレートの黒髪が軽く揺れ、両腕に挟まれた豊かな胸がたわんで持ち上がる。
おとがいに右手の人差し指と親指を這わせつつ、春は言葉を紡ぐ。
「別にワザと言ってるわけじゃないんだがなぁ」
初めてラブレターを貰ったのは、高校に入学して10日ほどたった頃。
下駄箱の中に入っていた手紙に驚いたことを鮮明に覚えている。こういうのはフィクションの話だと思っていたから。
その日を皮切りに頻繁に告白されるようになって……春も何もしなかったわけではない。
恋愛の教科書と言えば――少女漫画。後はドラマとか。そう言ったもので勉強などしてみたり。
みちるに勧めてもらった作品に登場するヒロインは、恋が始まると大体ドキドキしている。
頬が赤くなったり、挙動が怪しくなったり、ふわふわと足元がお留守になったり。恋とはそういうものだと描写されている。
今のところ、春にはそういった兆候はない。イコール春は恋していない。恋していないから告白は断る。完璧な三段論法であった。
だいたいいつもそんな感じ。別に最初から断ると決めているわけではない。結果としてすべて断っているだけだ。
「ためしに付き合ってみれば? 何事も経験だよ」
「う~ん、そりゃ一理あるけど……な~んか気が乗らねぇんだよ」
みちるの言葉に一定の理解は示しつつ、感情が付いて来ない。
告白からの交際、そういったものをもっと大切にしたい。
「でも、ちゃんと直に会って断るんだよね。そこは律儀だと思う」
「そうか?」
「だってさ、全然知らない人に一方的に好意を押し付けられてるんだよ。興味ないなら無視すればいいじゃない」
「無視って……お前、怖いこと言うなよ」
約束の時間になっても、意中の相手が待ち合わせ場所に現れない。
進むも退くもままならず、その場に立ち尽くす男子。
やがて太陽は西に傾き、影は長く地面に伸びる。
学校から人の気配は消えて、それでも一縷の可能性に賭けて待ち続ける。
その寂しい光景を想像してしまい、春は思わず身震いした。
周りを遠巻きに囲んでいる男子一同が首を縦に振った。
「怖いって、そうかなぁ?」
「そうだよ。男の身になって考えてみろよ」
『なぁ』と和久に振ると、親友は眼鏡の位置を指で直しつつ言葉を濁す。
「……さぁ、どうだろうな?」
「あれ、オレの方がおかしい?」
今さらながらではあるが、春の一人称は『オレ』だった。
可憐な容姿に似つかわしくないその呼び方は、しかしまったく違和感がない。
無理している、あるいは演技している様にも聞こえない。
人称以外の言葉遣いも、どちらかと言えば乱暴と言うかガサツであった。
「いや、そう言うわけじゃないんだが……すまん、俺にはよくわからん」
親友の詰問に対し、和久はあっさり両手を上げて降参のポーズ。
ジト目で睨み付けてくる女子ふたりに辟易した様子で言葉を付け足した。
朝の昇降口において、最も適切と思われるひと言を。
「なぁ春樹、とりあえず教室に行かないか」
「そうだな」「そうだね、教室だね」
和久は、春のことを『春樹』と呼ぶ。
それを不審に思う者は、ここには誰もいない。