現れたのは女神様!?
泉からすーっと姿を現したのは……タクト……ではなかった。なぜか顔には能面のような仮面が着けられている。艶々した黒髪が伸び、後ろ髪は首元で束ねられひとつに纏まったまま腰まで伸びていた。そして薄絹のように見える白装束を纏った豊満な姿態の女性であった。背丈はタクトと同程度に見えた。手足はほっそりとしている。たわわに膨らんだ双乳はリーチのそれより大きく、ヘカトンケイル級はありそうに見えた。
その女性は泉の上にまるで足場があるかのように立ちつつ、リーチに話しかけた。
「わたくしは泉の女神」そう彼女は名乗った。まるで鈴を鳴らしたかのように可憐な声であった。井上喜久子の声質に似てると、リーチは思った。女神だけに。
「女神様? あの~タクトと言ってオレの連れがここの泉に落ちたんじゃないかと思うんですが?」リーチが尋ねると
「はい。確かにその者はこの泉に落ちました」
「えっ? なんてドジなんだよ……それでタクトは無事なんですか?」
「ええ、死んではいません」
「良かった~、女神様が助けてくれたんですか?」
「いいえ。わたくしはその者を助けてはいません」女神はふるふると首を振った。
「じゃあ、自力で這い上がったのかな?」
「いいえ、その者はこの泉の中にいます」
「泉の中? って、それじゃあ、溺れてるんじゃ!?」リーチは血相を変えて女神に詰め寄った。
「いいえ。溺れてはいません」
「そ、それじゃ、タクトを返してください」
「わかりました」女神は膝を折り、前屈みになって両手の手のひらを広げてから泉の中へそっと差し入れた。
次の瞬間、泉の中からたくさんの気泡がブクブクと音を立てながら水面に現れた。その気泡が全て消えると、女神はゆっくりと直立した。それに合わせるように泉の水面へとふたりの人物が浮かび上がり、そして佇む女神の左右に浮き上がってそのままの位置に固定された。それはふたりに増えたタクトだった。いや正確にはタクトの顔をした何かであると言ったほうが正しいだろう。
女神の右側にいるのはタクトの顔を持った女性だった。黒髪は肩口で切りそろえられ、胸はフェンリル級ぐらいあった。背丈はタクトそのままだったが、女性特有の丸みを帯びた姿態で、なぜか忍び装束を身につけ忍者刀を握っている。そのタクトはやや低めの女声で「リーチ、俺だ。なんでかしらねえがクノイチになっちまったが、俺は間違いなくタクトだ」とリーチに声を掛けてきた。
女神の左側にいるのもタクトの顔を持った女性で、背中には一対の白い翼が生えていて、頭の上には白い輪が浮かんでいた。「リーチ、俺だ。なんでかしらねえが女性型のエンジェルになっちまったが俺は間違いなくタクトだ」エンジェルタクトは優しげな女声でそう言った。
「汝に問います。あなたが探しているのはこちらのクノイチタクトですか?」女神はそう言いながら右側を指し示した。そして
「それともこちらのエンジェルタクトですか?」と女神は左側を指し示しつつ、リーチにそう尋ねてきたのだった。
「えっと……探しているのは、普通のタクトです……けど」
しかし女神はリーチの言葉を無視して再度尋ねてきた。
「改めて汝に問います。あなたが探しているのはクノイチタクトですか? それともエンジェルタクトですか?」
「ですから違います! そのふたりじゃありません!」リーチが叫ぶと
「リーチ、俺はそっちのニセモノと違い本物だぜ」とエンジェルタクトが返し、さらに
「リーチ、ニセモノの言うことは気にせず俺のほうを選べよ」クノイチタクトが手を合わせて懇願してきた。
「リーチ……このふたりのどちらでも好きなほうのタクトを差し上げると言ってるのですよ? 不服なのですか?」女神がそう尋ねる。
「オレはやっぱり普通のタクトを返してほしいです!」リーチは言い切った。
「そうですか……仕方ありません」そう言いながら女神はエンジェルタクトとクノイチタクトを水の中に沈めた。
「あの?」
「はい? あのふたりのどちらかを選ぶ気になりました?」
「いやそうじゃなくて、水の中に沈めてしまっても大丈夫なんですか?」
「ああ、そのことですか。彼らはこの泉に内包されたエネルギーを使って瞬時に生み出したタクトの分身ですが、水の中に戻す際には彼らの身体は瞬時に分解されてエネルギーに戻るのです。だから心配は無用なのですよ」
「そ、そうなんだ……、それで今度こそタクトを返してくれるんですか?」リーチが女神に問いかけると
「はい、いいでしょう」
「やった!」リーチは喜んだ。
女神は先ほどと同様、優雅に見える動作でゆっくりと膝を折りつつ前屈みになり白魚のような両手を泉に浸す。そしてそのままゆっくりと立ち上がる。するとタクトが浮かび上がった。
女神の右側に立っているのはタクトの顔をした女性で、こめかみから黒光りする雄雄しい角が天に向かって30cmほど衝き上がり、そして背中にはリーチのそれより大きな翼が生えていた。「リーチ、俺だ。なんでかしらねえが女性型のデビルになっちまったが、俺は間違いなくタクトだ」デビルタクトはハスキーボイスでそう言った。
女神の左側に立っているのはタクトの顔をした女性で、純白の神官服を着ていた。やはり背丈はタクトといっしょだが、胸はケルベロス級ぐらいであった。ややウェーブかかった艶やかな黒髪が背中の中ほどまで伸びていた。「リーチ、俺だ。なんでかしらねえが聖女になっちまったが、俺は間違いなくタクトだ」聖女タクトは清楚な笑みを湛えつつソプラノボイスでそう言った。
「汝に問います。あなたが探しているのはこのデビルタクトですか? それともこの聖女タクトですか?」女神はリーチにそう尋ねてきた。
「だから! 違いますよ! さっきから言ってるでしょ!?」リーチはそうまくし立てたのだが、女神は涼しげな表情――かどうかは仮面のせいでわからないが、少なくともリーチにはそのように感じられた――で再度告げた。
「改めて汝に問います。あなたが探しているのはデビルタクトですか? それとも聖女タクトですか? もちろんエンジェルタクトかクノイチタクトを選んでも良いのですよ?」
「だ~か~ら~普通のタクトを返してくださいよ!!」
「う~ん、困りました。それでは……」女神はデビルタクトと聖女タクトを水の中に戻して……。
「汝に問います。あなたが探しているのはエルフタクトですか? それともブリュンヒルデタクトですか?」
今度、女神の左右に立つのはふたりともタクトの顔をした女性で、背丈も例によってタクトといっしょ。エルフのほうは笹穂耳で黒髪が肩のあたりで切り揃えられていた。皮鎧を身につけ弓を手にしている。そして皮鎧を押し上げるようにデュラハン級ぐらいありそうな胸が垣間見える。「リーチ、俺だ。なんでかしらねえが女エルフになっちまったが俺は間違いなくタクトだ」
ブリュンヒルデのほうは艶々した黒髪で、後ろ髪は首元で束ねられひとつに纏まったまま腰まで伸びていた。そしてたわわに膨らんだ双乳はリーチのそれより大きく、ヘカトンケイル級はありそうに見えた。身に着けているのは白銀色のローブで手には槍を手にしている。「リーチ、俺だ。なんでかしらねえが戦女神のブリュンヒルデになっちまったが俺は間違いなくタクトだ」
「えっと……女神様?」リーチが女神に問いかける。
「はい、6人の中からひとり選んで連れ帰ってください」
「そうじゃなくて、女神様はなんで仮面を被ってるんですか?」
「……理由あってわたくしは素顔を曝すことが出来ないのです」
「もしかして女神様の顔も……タクトそっくりなんじゃ?」リーチの問いかけに女神はしばらく無言だった。そして徐に問いかけた。
「………………なぜ、そう思うのです?」
「ブリュンヒルデのほう、もしも仮面を被れば女神様そっくりだと思ったんだ。だから仮面を外して!」そう迫るリーチに
「申し訳ありません。この仮面はわたくし自身は外すことが出来ぬのです」
「だったら」リーチは己の翼を広げて泉の水面の上を滑るように飛び、女神の眼前に赴くと女神の仮面に手を掛けて手前に引いた。
「なんだ簡単に外れるじゃん、ってやっぱりタクトか」リーチは女神の顔を覗き込んでそう言った。
「リーチ、助かったゼ。おまえが見つけてくれなければ俺は未来永劫この泉の女神として留め置かれていたに違いない。ありがとうな、リーチ」女神タクトはにっこり笑ってそう言った。
「それにしてもタクト。なんでさっきまで女言葉でしゃべってたんだ?」
「おまえに外してもらった仮面のせいだ。アレがつけられている間は俺の心は女性化しちまうンだ」
「へえ、そうなのか? じゃあ」リーチは手にしていた仮面を再びタクトの顔にはめた。
「だから言ったではないですか! わたくしは仮面をつけられると心が女性化してしまうと」
「この仮面はタクトには外せないのか?」
「この仮面を外せるのは清らかなる乙女だけです。わたくしは身体は女性化していますが、DNAは男のままなのだそうです。それゆえ、わたくしには仮面を外すことが出来ぬのです」
「そうなんだ。わかった」そう言ってリーチは再びタクトの仮面を外した。
「わかったか。俺は仮面が外されている間は男の心を取り戻すことが出来るんだ」
「良くわかった。ところでタクト、おまえ、この先も女のままなのか?」
「いや」そう答えた女神タクトは下を向いて「俺は試練に打ち勝った! 元に戻してくれるんだろ!?」と泉そのものに問いかけた。
泉の表面に大量の泡が浮かんできて、そしてまるで煮えたぎるかのように泉の表面が波打った。
<<オノレ、マダダ。ソノムスメヲナキモノニシテシマエバ……ソナタハワレニチュウジツナメガミニモドル>>泉の中から男の声と女の声が入り混じったような声が発せられた。
「やはり約束を守る気などなかったと言うことか」
<<ヤハリ、ダト? ソナタ、マサカキヅイテイタノカ?>>
「ああ、だから対抗手段は考えておいた」
<<フハハ、ワスレタノカ? ソナタハワタシニハ……ケッシテサカラエヌコトヲ>>
「ああ、逆らうわけじゃねえよ。ちゃんと女神の務めを果たすだけだ」女神タクトは『泉』との会話を打ち切りリーチに向き直って言った。
「リーチ、もう一度その仮面を俺にはめてくれ!」
「どうしてだよ?」リーチは怪訝そうな口ぶりだった。
「泉の主、俺を女にした張本人と最後の決着をつけるためには、心の底から女神にならないと勝てねえンだ」
「わかった」リーチは今一度、タクトの顔に仮面をはめた。
「さてリーチ。あなたは見事に本物のタクトを見つけ出しました。その褒美としてこれまでのタクト、全員あなたに差し上げましょう」女神タクトは弾むような声でそう言い放った。
「えっ?」リーチはとまどった。しかし女神タクトはそんなリーチを一顧だにせず、優雅にしゃがみつつ両手を泉につけた後、その手を上方に向けて差し伸べる。すると、先ほど泉の中に消えたエンジェル、デビル、クノイチ、聖女のタクトたちが姿を現し、女神タクトの周囲に浮かんだ。
<<グゥアアア……ワタシノチカラガ……ウシナワレル……ソナタ、ナニヲシタ?>>泉の声が問うてきた。
「簡単な話です。この泉は古より湧き続け大量のエネルギーを内包していた。その結果、泉の意思たるあなたが生まれた。そうですね?」
<<グウウ……ソノトオリダ。シカシ、ワタシガイシヲモッタダケデハ……ドウニモナラン。シュゴシャガ……ヒツヨウナノダ>>
「ええ、そのためにわたくしを泉を守護するための女神にした。ただわたくしを女神にする過程で泉が内包するエネルギーの3割ほどが失われました」
<<ナ、ナント、キヅイテイタトハナ……>>
「そのうえでわたくしの分身を生み出す際に使用されるエネルギーを感じ取り、6人全員を顕現させると泉のエネルギーが枯渇することがわかりました。そして、今行使したのです」
<<アアア……モウナニモカンガエラレヌ……ソナタノカチダ……ワレハネム……ル>>泉は沈黙したのであった。
女神のタクトと6人の分身たちとともに泉の岸辺に移動したリーチは、改めて女神のタクトに話しかけた。
「さっきの泉の中の声はなんだよ?」
「泉の意思、とわたくしには名乗っていました。その名の通り、泉自体に意思が宿っていたのです」
「で、なんでタクトが女神にされたんだ?」
「はい。それは――――」女神のタクトはここに至るまでの経緯を話し始めた。