裸の付き合い
「冴島くん!」
結界を解くと、すぐに名前を呼ばれた。
そちらに目を向けると、驚いた。
牙城さんが泣きそうな顔をしていたから。
「がじょ――」
「よかったっ!」
駆け寄ってきた牙城さんは、そのまま僕を抱きしめた。
あまりのことに思考が停止する。
頭は再び真っ白になった。
「ごめん。ごめんね。私のせいで、こんな傷だらけに」
涙のにじむ声音で、牙城さんは何度も謝罪する。
その言葉を聞いて、白になっていた頭の中に色が蘇る。
そうか。
僕は、僕のことしか、考えていなかったんだ。
「牙城さんのせいじゃないよ」
「でも、私があんなこと言わなかったら……」
自身の発言のせいで、同級生が死闘を演じた。
その罪の意識、自責の念は、察するにあまりある。
僕はこうなることを、微塵も考えていなかった。
三陰さんのことを散々、自分勝手と言ったけれど。
僕も彼のことを言えないくらい、自分勝手みたいだった。
「……僕は僕の意思で牙城さんの案に乗ったんだ。その時点で、この傷は僕以外の誰のせいでもないんだよ。たとえこれで僕が死んでいたとしても、牙城さんのせいじゃあない」
「でも……」
「その辺にしとけよ、姉貴」
見かねたように、弟くんが牙城さんに声を掛けた。
「せっかく男が格好つけてんだ。最後まで貫かせてやれよ」
「……わかった」
そう呟いた牙城さんは、ゆっくりと僕から離れる。
「なら、最後にこれだけ言わせて?」
服の袖で涙を拭い、牙城さんは笑顔を見せる。
「ありがとっ」
その言葉だけで、僕は報われる。
身体を張った甲斐があったというものだ。
「――見せつけてくれるね」
不意に声がして、すぐに背後を振り返る。
そこには、すでに立ち上がった三陰さんがいた。
「まったく、お人好しなことだ。自分の命を狙った相手だろうに、なぜ傷を治すような真似を?」
すこし妖術をかけ過ぎたみたいだ。
ここまで回復が早いとは。
半妖の治癒能力を甘く見すぎていた。
「なにも死ぬことはない。そう思っただけです」
変に繕うことなく、あの時に思ったことを口にする。
その間に自分の立ち位置を調節して、牙城さんを背中に隠した。
「ですが、まだ諦めないと言うのなら、お相手しますよ。何度でも」
「ふーむ、そうしたいのは山々なのだが」
そう言うと、彼が小刻みに震えだす。
「生憎と立っているのがやっとでね」
最終的に、生まれたての子鹿のようになっていた。
ぷるぷると震えている。
棒かなにかで軽くつつけば、それだけで倒れしまいそう。
相当、無理をしているようで、立っているのもやっとのようだった。
「できれば、迎えを呼ぶために電話を借りたいのだが」
「……ちょっと待ってろ」
流石に憐れになってきたのか、弟くんが孤児院へと戻っていく。
それからすこしして、電話の子機を持って現れた。
「ほらよ」
「感謝するよ、義弟くん」
「いらねーよ、さっさと連絡してとっとと帰れ」
三陰さんは子機で連絡を取ると、迎えがくるまで立ち続けた。
座り込むことも出来たのに、そうしなかった。
彼なりの意地が、あったのだろう。
「風太くーん」
しばらくして、迎えと思しき人たちがくる。
年齢層がそれぞれ違う女性が八名ほど。
それを見て、彼が口にしていた言葉を思い出す。
「あれがハーレム……」
まさか本当に三陰ハーレムが築かれていたとは。
「ふふん、羨ましいかい?」
「いえ、別に」
「素直になりたまえよ、ボクに嫉妬してるかい? ん?」
迎えの女性たちに抱え上げられた、みっともない体勢で自慢気になられても。
僕には微塵も羨ましくは映らなかった。
「さっさと帰れよ、往生際の悪い」
「ふん、義弟くんに言われなくともそうするさ。さぁ、行こう。ボクの愛しい人たち」
「きゃー!」
黄色い声に包まれて、彼はこの孤児院をあとにした。
どうでもいいことだけれど。
彼はあの女性たちに抱え上げられたまま、家まで帰るのだろうか。
公道を通って、人目に晒されながら。
「なにはともあれ、一件落着かな」
敵と呼ぶべき存在は、もうこの場所にはいない。
撃退に成功し、防衛はなった。
こちらの損害も軽微なもので、大勝利と言っても過言ではないはずだ。
「……日が落ちてきたね」
気がつけば空は茜色から、透き通る黒に変わろうとしていた。
もうすぐ夜がくる。
「じゃあ、僕もこの辺で帰るとするよ」
平和が訪れたことだし、長居する理由もない。
僕も三陰さんのように帰路に付こう。
そう思い、一歩目を踏み出したところ。
「ちょっと待ったっ」
ぐいっと、手を引かれた。
「ど、どうかした?」
思いの外、強く手を握られてすこし驚く。
「どうかした? じゃないよ。帰せるわけないじゃん、まだお礼もしてないのに」
「そうだぜ。ここで帰しちゃ、秋月孤児院の名折れだ。飯くらい食ってけよ」
「いや、でも……」
「つべこべ言わない!」
牙城さんに手を引かれ、弟くんに背中を押され、僕は孤児院へと連行された。
僕は元魔術師として戦った訳で、それは自分のためだ。
最初に牙城さんを助けたときもそう。
いま半妖という繋がりを得られた以上、だからべつにお礼なんてしなくていいのだけれど。
それでは彼らの気が治まりそうになかった。
「じゃあ。私、夕飯の支度してるから」
「おう。じゃあ、こっちはまず風呂だな。風呂入ろうぜ」
「お風呂? いや、そこまでは」
「いいじゃねーか、裸の付き合いと行こうぜ」
「あっ、ちょっ、待って」
そのままの流れで、今度は風呂場に連れ込まれた。
弟くんは脱衣所に入ると、有無を言わせず服を脱ぎ始めた。
こうなってしまうと、僕も観念するしかない。
諦めて制服を脱ぐと、思いの外、それが血で汚れていることに気がついた。
僕、こんなに血塗れだったんだ。
道理で僕を帰さないわけだ。
二人の気遣いに、口元がすこし緩んだ。
「――ふぃー」
身体を洗い、湯船に身体を沈めた。
この孤児院の風呂場は、ちょっとした銭湯のように広い。
グラウンドで遊んでいた子供たちくらいなら、一度に入れてしまうくらいだ。
そんな広い湯船を、二人だけで独占していると思うと、すこし気分がよくなった。
傷もすでに回復しているので、湯が沁みることはない。
気兼ねなく、ゆっくりと暖まることができる。
思えば、こうして足を伸ばして湯船に浸かるのは何年ぶりだろう。
「なぁ、あんた。冴島だっけ? 下の名前は……えーっと」
「透だよ。冴島透」
「そっか。俺は牙城凜って言うんだ。凜でいいぜ」
「じゃあ、僕も透でいいよ。凜くん」
「おう」
なんだか、こういう雰囲気ははじめてだ。
風呂場で誰かと話すってことが、僕にはあまりない経験だからか。
すこし、そわそわしてしまう。
「なぁ、一つ聞いていいか?」
「うん。なんだい?」
「姉貴のどこに惚れたんだ?」
「うえっ!?」
あまりのことに、妙な声が出てしまった。
「いやー、ついに姉貴にもそう言う時期が来たかと思うと、しみじみするな。弟ながら、このまま行き遅れるんじゃないかといろいろと心配して――」
「ちょ、ちょっと待って、凜くん!」
そうか。
凜くんは僕のことを牙城さんの恋人だと思っているんだ。
それが三陰さんを追い払うための嘘だと知らずに。
だから、僕は必死にことの経緯を凜くんに説明した。
「――なーんだ、そういうことかよ」
説明の甲斐あって、なんとか誤解は解ける。
ほっと胸をなで下ろした。
「じゃあ、姉貴のことどう思ってるんだ?」
「どうって、普通だよ。クラスメイト」
「ふーん、そっか」
なぜか、すこし残念そうに凜くんは言った。
「じゃあ、学校での姉貴のこと教えてくれよ。本人は話したがらないんだ、なぜか」
「学校での牙城さんか……」
とはいえ、僕もそれほど牙城さんに詳しい訳でもないけれど。
「人気者だよ、牙城さんは。月に何度か、告白されるくらい」
「告白? 月に何度か? マジか、それ。そんなにモテるのか? 姉貴」
「知らなかったの? あっ」
だから、話したがらないのかも知れない。
「……凜くん、お願いなんだけど。いまのはここだけの話に……」
「あー、まぁ、色々と察しはついたよ。そんなラブコメみたいなことになってたら、そりゃあな。身内には話辛いはな」
意図しないことではあれど、牙城さんが秘密にしていたことを暴いてしまった。
もっと周りに気を使える人にならないとな。
「……もうすこししたら出ようか」
「だな」
それからしばらくして、僕たちは湯船を出た。
「あれ、僕の服……」
脱衣所にて着替えようとしたところ手が止まる。
血塗れの制服が、新品の衣服に替わっていたからだ。
「あぁ、それたぶん姉貴だろ。流石に、風呂上がりにあれをまた着るのは忍びねぇだろうからな。今頃、洗濯機の中で転がってるだろ、たぶん」
「そっか」
ありがたいことだと思いつつ、用意してくれた衣服に袖を通した。
着慣れない滑らかな生地が、僕の心を更にそわそらさせる。
落ち着かないけど、それが嫌じゃなかった。
「――あっ、冴島くん」
凜くんと居間へいくと、とても良い匂いがした。
その匂いのもとを辿ってみると、台所に立つ牙城さんの姿が見える。
エプロン姿の牙城さんは普段と違って、どこか現実じゃないように映った。
「冴島くんの制服、いま洗濯してるから。勝手にごめんね」
「いや、いいよ。むしろ、助かってる。ありがとう」
あの血みどろの制服で帰路に付いていたかと思うとぞっとする。
それを引き留めてくれて、その上、洗濯までしてもらえたんだ。
これほど助かることはない。
「そうだ。今日、泊まってくだろ? 透」
「あー……」
どうしようか。
もう夜も遅いしな。
「ここに来て遠慮すんなよ」
「ははっ、じゃあ、凜くんの言葉に甘えさせてもらおうかな」
あれよあれよと言う間に、泊まることになってしまった。
この二人には敵わないな。
いつの間にか引き寄せられて、離れがたくなってしまう。
「ちょっと目を離した隙に、ずいぶん仲良くなったんだね。二人とも」
僕と凜くんのやり取りをみて思ったのか。
牙城さんは不思議そうにしていた。
「まぁ、これが裸の付き合いってもんよ」
「そうかもね」
身も心も開放的になって、距離がぐっと縮まる感じがする。
心なしか打ち解けるのも、早かったように思う。
「ふーん……ねぇ、私も冴島くんのこと、透くんって呼んでもいい?」
「え? あぁ、うん。もちろん。だけど、どうして急に?」
「なんか、姉として弟に負けた気がするから」
「そうなんだ?」
理屈としては意味がわからないけれど。
それは僕に兄弟がいないからかも知れない。
姉弟とは、そういうものなんだろうか。
「あっ、じゃあさ。私のことも愛海でいいよ」
「じゃあ、愛海……さん?」
「さん付けもいらないよ。透くん」
「うん。じゃあ、わかった。愛海」
それがすこし照れ臭くて、視線を明後日の方向へと向けた。
「――さて、できたよー!」
それから僕は、非常に美味しい料理をいただいた。
なんというか温かくて、こんなに食べ物を美味しいと思ったことはないほどだった。
食事が終わると、今度は子供たちから贈り物をもらった。
折り紙で造られた色んな動物たち。
それらをありがとうの言葉とともに渡してくれた。
それがとても嬉しくて、僕はこの日のために魔術師を志したのだと。
そう、思わずにはいられなかった。
この場所は、僕の原点をたくさん見せてくれる。
許されるなら、ずっとここにいたい。
思わず、そんなことを思ってしまうほど、この場所を気に入っていた。
自分でも不思議なほどに、いつの間にかここが好きになっていた。