原点
「まずは小手調べと行こうか」
三陰さんの妖力が高まり、片腕に集中する。
それは半妖が有する固有能力の発現動作。
妖力は思い描く形を現世に映し、顕現させる。
彼の場合は、荒れ狂う風だった。
風纏う腕は手刀のように振るわれる。
その動作に合わせて風が吹き、それは幾つもの刃となって迫る来る。
「やっぱり、そうですか」
飛来する風刃を硬化させた狐尾で捌きながら、彼の正体に当たりをつける。
風を操り、自在に刃とする妖魔となれば、特定も用意だ。
恐らく、彼の正体は。
「――鎌鼬」
彼が鎌鼬の半妖ならば、納得がいく。
三匹の妖魔が一組となり、一匹目が対象を転ばし、二匹目が斬りつけ、三匹目が傷薬を塗って去って行く。
思うがまま人に害をなし、好き勝手に振る舞う、自分勝手な妖魔。
なるほど、三陰さんの人物像によく当てはまる。
「この程度ではもう傷も負わないか。ならばっ」
今度は彼の手元に風が集う。
それは形をなし、一つの得物を形作る。
真っ直ぐに伸びた柄に、なだらかに曲がる刃。
その名に相応しい、大鎌を彼は握りしめた。
「男らしく、肉弾戦と行こうじゃないかっ!」
後ろへと伸びる腕、背後を差す大鎌。
それは攻撃の予備動作。
直後には、その刃は弧を描く。
虚空を引き裂いて、それは僕へと迫りくる。
「――」
彼の攻撃は、死を振るうかのようだった。
大鎌の軌道が死線となり、一閃が死を連想させる。
即座に見極め、打ち返し、狐尾で死線を歪めなければ命はない。
彼は一ヶ所に留まることなく、常に攻めの方角を変えてくる。
一瞬の判断ミスが命取り。
思考は巡り、目は常に彼を追い続ける。
堪え忍び、虎視眈々と好機を窺う。
「どうやら防戦一方のようだねっ!」
僕の現状は、誰がどうみても不利だった。
大鎌に翻弄され、反撃の手を打てずにいる。
完全に封殺されているように見えていたはずだ。
「これで、とどめだ!」
だからこそ、好機は訪れる。
「――なっ!?」
勝敗を決するための一撃。
その大振りを誘い、半歩間合いから退くことで回避した。
大鎌の先は喉を掠め、空を斬る。
三陰さんは最初の一撃。
不意を打つような風刃で、僕の首を刎ねようとした。
彼が勝利を決めるとき、首を狙ってくることは予想できていた。
だからこそ、回避は最小限の動作で済む。
僕の読みは正しかった。
振り抜けた彼よりも一手はやく、僕は反撃に移れる。
「尾刀」
繰り出すのは、狐尾の一振り。
右足を軸に回転を掛け、遠心力を乗せる。
妖力の高まりによって硬化し、鋭さを得た狐尾は、彼を斬り裂かんと五閃を引く。
「――くっ」
三陰さんは、苦し紛れに大鎌の柄を盾代わりにした。
それを押し潰すように狐尾を振るい、その衝撃をもって彼を吹き飛ばす。
勢いに攫われて大きく後退した三陰さんは、それでも踏み止まった。
地面に電車道を刻み、なんとか勢いを殺してみせる。
けれど、当然ながら無傷とは言えない。
防ぎ切れなかった分の攻撃は、彼の身にしっかりと刻まれている。
「……驚いたよ」
乱れた髪を正しながら、彼は体勢を正す。
「尾を使った五回にも及ぶ多段攻撃。一撃目を受けても二撃三撃と残りの尾が追従するとは驚きだ。衝撃が一度で終わらないのは、思う以上に厄介だね」
「……そうですか」
僕は先の一撃で勝負を決めるつもりだった。
だが、結果は負傷を負わせただけ。
加えて、彼には僕の手の内を冷静に分析するだけの余裕もある。
彼は変人だが強い。
かつての僕なら手も足も出なかったと思うほどに。
「うん。肉弾戦は止めだ」
そう言って、あっさりと大鎌は風へと帰される。
「男らしく、肉弾戦をするんじゃあなかったんですか」
「なにも肉弾戦だけが男らしい戦い方じゃあないだろう。分の悪い勝負からはすぐに下りるべきだ。意地の張りどころには見極めが寛容さ」
本当に、厄介な人だ。
引き際を弁えた者ほど、戦場では優秀だ。
無駄な意地を張らず、あくまでも勝つことに執着する。
相手をしていて、一番疲れるタイプの人だ。
「だから、今度はボクが優位に立てる舞台を用意しよう」
その宣言のもと、彼は風を身に纏う。
否、それだけに留まらない。
風は渦を巻き、彼の身体を持ち上げる。
三陰さんは、実に優雅に飛翔した。
「――飛べたんですか?」
「飛べたんだ、ボクは」
そして、と彼は続ける。
「この位置こそがっ! ボクに相応しい舞台っ!」
妖力の高まりを感じ、即座に身構える。
「さぁ、はじめようか。一方的な解体ショーを」
浮遊する彼から放たれるのは、自身の体長をはるかに超える巨大な刃だった。
それを目視し、咄嗟に防御の態勢を取る。
狐尾で檻を模し、硬化させた五本で風刃を受けた。
「――くっ」
先ほどまでの攻撃とは訳が違う。
威力も、持続力も、鋭さも、まるで別物。
それでもなんとか狐尾を使い、風刃を砕く。
風の刃は霧散し、同時に尾で塞いでいた視界が開いた。
「――なっ」
開けた視界に映るのは、いくつもの風刃だった。
その一つ一つが先ほどの攻撃と同程度のもの。
到底、受け止められはしない物量だった。
「くっ――」
僕に考えている暇はない。
身体は即座に動き出し、回避行動を取る。
逃げる。躱す。いなす。
妖魔の肉体と狐尾によって、僕の命は繋がれていた。
だが、この脚力で逃げ、狐尾で捌いても、紙一重。
砕けた刃は身体を何度も掠め、地面に残る足跡を斬り裂いていく。
制服が血の赤に侵食されていく。
「はっはー、どうしたんだい。狐のキミィ!」
上空にいる彼の手が休まることはない。
攻めの手を緩めることなく、刃は風によって生成され続けている。
このままでは埒があかない。
どこかで反撃を試みなければ、勝ち目はない。
けれど、届かない位置にいる彼へ、どう手を伸ばせばいい。
「――そうか」
思考は巡り、答えにたどり着く。
それは僕のものではない記憶。
恐らくは、転生狐としての記憶の断片。
僕はその一旦に振れ、戦い方を思い出した。
「尾刀」
身に降り掛かる風刃を、尾刀にて両断する。
そして、そのままの位置に留まり、上空にいる彼を見据えた。
「観念した、という訳ではなさそうだね」
彼は片腕に風を纏わせる。
「いいだろう。なにか手があるのなら打つといい。僕はそのことごとくを打ち破って見せよう!」
腕は振るわれ、無数の風刃が放たれる。
視界を埋め尽くすほどの物量と、雪崩のごとき怒濤の勢い。
呑まれれば、為す術なく命は尽きる。
その様は、まさに鎌鼬。
僕はそれに迎え打つために、身に宿る妖力を高めた。
形作り、顕現させるのは、煌々と燃ゆる焔。
「狐火」
火球となり顕現した狐火を周囲に展開し、降り注ぐ鎌鼬を迎え打つ。
天を遡る狐火と、地へ下る鎌鼬。
二つは僕たちの狭間で衝突し、爆ぜ散りながら互いを喰らい合う。
「はっはー! いいだろう! 楽しいじゃないか、狐のキミィ! 互いに残弾尽きるまで、撃ち尽くそうではないかっ!」
鎌鼬は、更に苛烈となって降り注ぐ。
僕も負けじと狐火を遡らせ、一進一退の喰らい合いを演じた。
鎌鼬と接触するたびに、狐火はその場で爆ぜてしまう。
その衝撃で鎌鼬も霧散するが、狐火が彼の元まで届くことは決してない。
このままではダメだ。
更に次ぎの一手を打たなくては。
「――僕はあなたほど」
空が連鎖的に爆ぜていくのを見つめながら。
狐火の幾つかを後方に配する。
「強い人と戦ったことはありません」
そして、その狐火を爆破する。
「でも、いまは――」
爆風を背中に受ける刹那、渾身の力を込めて狐尾で地面を叩く。
身体は宙へと押し上げられ、爆風は僕の背中を押した。
跳び上がり、天を昇り、飛翔する。
狭間の爆煙を貫いて、彼の位置――舞台まで駆け上がる。
「僕のほうが強い!」
身体をひねり、回転を掛け、狐尾を振るう。
「――ッ」
咄嗟に、彼は鎌鼬を生成したがもう遅い。
一振りの刀となったいくつもの狐尾が、風を切って彼を引き裂いた。
鮮血が宙を舞い、対象的に彼自身は地へと落ちていく。
刻みつけた刀傷は、おいそれとは治らないほど深いもの。
加えて、落下の衝突を考えれば戦闘不能は免れない。
「――残念……だ。このボクが……負けてしまうなんて。あぁ、でも……」
彼は地面に叩き付けられた。
起き上がる様子は、ない。
遅れて着地し、衝撃を殺しきる。
立ち上がって見下ろした彼は、すでに意識を失っていた。
「……あなたのお陰で、気がついたことがあります」
聞こえてはいないだろうけれど。
この思いは、声に出して言葉にしておきたい。
「僕はやっぱり――」
邪悪から弱きを護る魔術師。
その理念、生き様に、幼少の僕は憧れた。
それはいまも変わらず、この胸に燃え続けている。
「魔術師を……諦め切れない」
独白のように口にして、自分の中で折り合いがつく。
もはや一般人で、SSレート妖魔だが、それでも僕は魔術師に返り咲きたい。
不可能だと、思考を停止させて諦めることは出来そうになかった。
「そのことに、気づかせてくれてありがとうございます」
勝手で一方的な感謝の言葉を吐いて、彼に妖術を掛ける。
「回式一号、白」
彼も自分勝手な人だった。
だから、僕もすこしだけ勝手にさせてもらおう。
彼は変人で、邪悪だが、なにも死ぬことはない。
「これでよしっ、と」
ある程度の治癒も終わり、完全に決着がついたことを実感する。
そして深い安堵と共に、僕は張っていた結界を解いた。
外界から吹く新鮮な風が、結界内の焦げ付いた空気を攫っていく。
頬をそっと、撫でていった。