不意打ち
大真面目にハーレムなんて言葉を口にする人に出会ったのは、これが初めてだ。
恐らく、今後の人生において彼以外とは遭遇しないだろう。
それくらいの衝撃が、僕を揺らしていた。
「ボクはこの国の法律というものに嫌気が差している」
衝撃が抜けきらないまま、彼は話を続けていく。
「なぜ! 人は一人しか愛してはならないのか! 人の愛に限りなどなく、尽きることなどない! だからこそ、ボクは思うんだ。ボクという巨大な愛は、幾人もの女性に行き渡るべきなのだと!」
なにを言っているんだ、この人。
言っていることの半分も理解できない。
「キミもそのうちの一人さ。愛海」
「気安く話かけないで」
「うーん。キミはいつも恥ずかしがり屋さんだね」
あぁ、この人。
人の話をまったく聞かないタイプの人だ。
相手をしていて、もっとも疲れる人種だ。
「あのさぁ、もういい加減にしてくれないかな? 私、そのハーレムって奴に微塵も興味ないんだけど」
「最初は誰もがそうさ。自身の常識、倫理観や道徳心によって、見慣れないものを嫌悪する。だが、だからこそ、一歩足を進めてほしい! 恐れることなく! そうすればわかる! ハーレムの素晴らしさが!」
熱弁を重ねる彼だったが、彼を見る目はひどく冷たいものだ。
ハーレムという言葉で隠してはいるけれど。
結局は、己の肉欲を存分に満たしたいという願望な訳で。
一夫多妻、多夫一妻が認めてられている国ならまだしも。
この国で、その理論は通用しない。
「あの人はいったい……」
「姉貴に付きまとってる厄介な半妖だよ。何回フっても、ああやってしつこく言い寄ってくるんだ。ま、ポジティブなストーカーだな」
「それはまた……」
陰湿なのも厄介だけれど。
ポジティブなストーカーというのも、それはそれで困りものだ。
しかも彼は人の話を聞かない。
始末が悪いにもほどがある。
「どうしてかなぁ。どうすれば、キミは素直になってくれるんだい? このボクが、こんなにも尽くしていると言うのに」
「お前のはただの押しつけだろうが」
「うるさいぞ、義弟風情がっ!」
対象が牙城さんから外れると、途端に彼は牙を剥いた。
豹変して暴言を吐いた。
そういうところが、牙城さんに好かれない理由なんじゃないのかな。
「おっと、失礼」
しかし、それも一瞬のこと。
すぐに彼は平静を取り戻して、口調を整える。
「ボクとしたことが、うっかり我を失ってしまっていた。すまないね、義弟くん。ところで……」
彼の視線が、今度は僕へと向かう。
「狐のキミ。キミは初めてみる顔だね。察するに、この孤児院に新たに加わった家族、と言ったところかな」
「あぁ、いや、僕は」
「んん? 違うのかい? なら、キミはどうしてここに?」
「えーっと」
どうするべきか。
ここに来た経緯くらいなら、話しても問題なさそうだけれど。
この人、変な人だしな。
出来るだけ、自分の情報を彼に与えたくない。
「――冴島くん、ごめんね」
小声で、牙城さんは僕に謝った。
その意味がわからずにいたけれど、直ぐに理解する。
「このさえ――透くんは私の彼氏だから」
牙城さんは僕の腕に抱きつき、そう宣言する。
突然のことで、僕の頭の中は真っ白になっていた。
いま、なんて言った? 彼氏? 僕が?
「は?」
ばさりと、薔薇の花束が地面に落ちる。
わなわなと身体を震わせ、目は信じられないものでも見るようだった。
「な、なにを言っているのかな? 愛海……ボ、ボクというものがありながら……」
「私が誰と付き合うかは私が決めることなのっ、これでわかったでしょ? もうここには来ないで!」
あまりのことに面食らってしまったけれど。
ようやく状況が飲めてきた。
つまり、僕を彼氏ということにして、この場を乗り切ろうとしているんだ。
すでに恋人がいるのなら、諦めてくれるだろうと。
そのための謝罪の言葉だった。
「き、狐のキミ……それは、本当なのかい? 冗談なんだろう? そうさ、そうに決まっているっ!」
「えーっと」
ちらりと、牙城さんのほうを見る。
牙城さんは、小さく頷いた。
「そう……ですよ。僕は、がじょ――愛海の恋人です」
ここは話を合わせるのが無難だと思う。
こう言うことで彼が大人しく帰ってくれるなら、面倒がなくていい。
半妖同士、助け合うなら、これくらいのことには協力しないと。
「そんな……」
ひどく動揺した様子で、その場から何度か後ずさった。
よほど打ちのめされたのか。
彼の視線は足下を向き、真っ直ぐな姿勢は折れ曲がり、力なく両手がだらりと下がる。
「……のか?」
そんな中で、彼がなにかを呟く。
「なに? 聞こえな――」
そして、それは大声となって響き渡った。
「――もう身体を重ねたのかと聞いているんだァ!」
「なっ――ななっ!?」
なんだ、あの人。
いったいなにを口走っているんだ。
いくら動揺しているからと言って、言っていいことと悪いことがあるぞ。
「――ふー、その初心な反応からして、どうやらまだのようだね」
「……さいってい」
きっと話の内容がわからない子供たちと、彼自身を除いて。
この場にいる誰もが同じことを思っただろう。
この人は本当に、手の施しようがないほどに、他人に対する気遣いがない。
「なんとでも言いたまえ。肉体関係がないのであればそれでいい」
先ほどから態度を二転三転とさせながら、彼は落ち着きを見せる。
「キミはまだ汚れを知らない綺麗な花だ。しかし、綺麗な花ほど寄りつく虫は増えてしまう」
彼の視線が僕を射抜く。
それには明確な怒りと憎悪が含まれていた。
「虫は、駆除しなければならない」
そう言って、彼の右手が僕へと向かう。
「こんな風に」
彼は指先で虚空を弾く。
瞬間、身体は反射的に防御の体勢を取った。
直感とも、悪寒とも言える、なにかを感じとったからだ。
「――」
狐尾を積み上げ、身を覆うように盾となす。
そうすることで障害物を配置し、彼の射線を切った。
その直後、狐尾に衝撃と鋭い痛みが走る。
刃物のような何かで、斬りつけられた感覚がする。
表面がすこし斬れた。
黒の狐尾から赤い雫が滴り落ちている。
「ほう、なかなかやるものだ。首を落とすつもりだったのだがね」
「――三陰! あんたっ!」
「愛海は黙っていてくれたまえ。これは男と男の勝負だ」
狐尾を治癒させながら、ゆっくりと盾を解く。
尾の隙間から見えた彼は、不適な笑みを浮かべていた。
一歩間違えば、子供たちに当たっていたかも知れないのに。
「――牙城さん。狙いは僕だけだ。今のうちに子供たちを中に」
このままだと子供たちを巻き込みかねない。
「……わかった、でも冴島くんは」
「僕はここで彼を引き付けておくよ。幸い、彼は僕に用があるみたいだしね」
「……ごめんね、こんなことになるなんて」
「いいよ。質の悪い半妖の相手をするのも、僕の役目だったから」
僕はもう魔術師ではないけれど。
その理念まで、捨てたつもりはない。
魔術師とは、邪悪から人々を護る存在だ。
僕のまえに立つこの人は、邪悪以外のなにものでもない。
「それに――」
ゆっくりと歩いて、三陰と呼ばれた彼のまえに立つ。
「僕はすこし怒っている」
僕を取り巻くしがらみは、一先ず隅へと追いやろう。
うだうだと、小難しいことを考えるのはあとだ。
いまは彼を、一発殴らないことには気が済まない。
「いい度胸だ。這い蹲らせたくなる」
妖力を高め、頭の中に構築式を描く。
「這い蹲るのはあなたのほうです」
完成した式に、妖力を流し込む。
「こう見えて、元魔術師なので」
妖術は、形となって顕現する。
「護式二号、虎狼双門」
前門と後門。
二つからなる結界が、僕たちを外界から隔離する。
「ほう、これは?」
「結界ですよ。周りに被害を出したくありませんから」
これで周囲を気にすることなく、暴れられる。
「それはそれは素晴らしい。棺桶を自ら用意するとはね」
「あなたのために用意しました。遠慮はいりませんよ」
「はっはー――いらないお節介だ」
彼は――三陰さんは地面を蹴る。
開戦の狼煙は、静かに立ち昇った。