ハーレム
意図しない遭遇に、思考が鈍る。
妖魔に襲われていたのは、牙城さんだった。
その牙城さんの頭部には、人体にはない獣耳が生えている。
これが意味することは。
「冴島くんも……半妖なの?」
「はん……」
半妖。
人間と妖魔の子。
人間でありながら妖魔の血を引く者。
そうか。
牙城さんは、半妖だったのか。
「……そう、だよ」
半妖には、もう一つ意味がある。
人間から妖魔に転じた者。
その場合もまた、半妖と呼ぶ。
僕が半妖を自称しても、嘘にはならない。
「そうなんだ。知らなかったな、同じクラスなのに」
「うん。僕も驚いてる」
本当に、驚いた。
魔術師をしていた僕が、すぐ近くの半妖に気がつかなかったなんて。
どこまでも、僕は魔術師として平凡だった。
「あの……大丈夫? 立てる?」
「うん、なんとかね。よいしょっ――いたっ」
立ち上がろうとした際、どこかに痛みが走ったのか。
牙城さんは身を小さく縮ませた。
立ち上がれそうには、ないらしい。
「あははっ、ちょっとの間じっとしていれば、治ると思うんだけど」
半妖の治癒能力は人間のそれをはるかに凌駕する。
短時間でも安静にしていれば、立てるようにはなるだろう。
「じゃあ、それまで妖魔が来ても良いように――」
見張っている。
そう言おうとして、この耳に誰かの声が届く。
運の悪いことに、一般人がこの近くまで来ていた。
もしこの姿を人に見られでもしたら大事だ。
この狐尾は消えるのに時間がかかし、側には血だらけの牙城さんがいる。
それを見た一般人の反応なんて、たやすく想像がつく。
「……ちょっといい?」
「うん?」
牙城さんの前で膝を折り、視線を合わせる。
「痛むのはどこ?」
「えっと、お腹の辺りかな」
脇腹を押さえているあたり、そこの負傷が深いみたいだ。
外傷が原因で痛むなら、どうにか出来るかも。
「じっとしててね」
この身に宿る妖力を使い、魔術を構築する。
妖力で魔術が動かせるかどうか定かじゃないが、手段を選んでいる暇はない。
頭の中に描く構築式に妖力を流し、魔術――否、妖術を発動する。
「回式一号、白」
妖術は、うまく機能した。
白い粒子が牙城さんを包み、その傷を癒やす。
半妖の高い治癒能力も相まって、傷はすぐに浅いものとなる。
「なに……これ」
「話はあとだよ。いまは――」
すぐ近くで声がした。
もう側まで来ている。
その声は、牙城さんにも聞こえたことだろう。
僕たちは顔を見合わせ、地面を強く蹴った。
跳び上がり、降り立つ先は建物の屋根。
そこからそっと道路を見下ろすと、人が通り過ぎていくのが見えた。
どうやら気づかれずに済んだらしい。
ほっと安堵して、屋根に腰を下ろした。
「あの、さ……」
そんな僕に対して、牙城さんは言い辛そうに口を開く。
「冴島くんって、魔術師なの?」
半妖なら、魔術師の存在も知っていて当然か。
もう妖術を使って見せてしまったし、言い訳はできないかな。
下手に嘘をついても、誤魔化せる気はしないし。
「そうだよ。元、だけどね」
「元?」
「うん。資格を剥奪されちゃってね。いまはただの一般人ってことになってる」
本当に、ただの魔術が使える一般人だ。
驚くほど、制約がない。
普通、魔術界を追放されたら魔術が使えないように、構築式が凍結される。
けれど、僕にはその凍結が施されていない。
ここ一週間、周囲に目を光らせていたけれど、監視がついているようにも思えなかった。
まるで妖魔への転生など、なかったかのような静けさがする。
これにはきっと、なにか裏がある。
そうとしか、思えない。
いったい魔術界はなにを考えているのだろう。
気になるし、知りたいと思うけれど。
いまの僕に、それを知る術はない。
「じゃあ、冴島くんは私たちの味方ってこと?」
「味方? あぁ、うん。どうだろう? 僕はもう魔術師じゃないからね」
魔術界において半妖の扱いは、飽くまで人間だ。
血の半分が人間ではない性質上、半妖は妖魔に襲われやすい。
だから、魔術師が保護するべき対象だとも見做されている。
けれど、元人間で元魔術師である僕に、それに従事する義務はもはやない。
「でも、僕に敵意はないよ。襲ってきたりしない限りはね」
「……そっか。なら、よかったっ」
そう言って、牙城さんは僕の隣に腰掛ける。
「ねぇ、冴島くん。これから、ちょっと時間あるかな?」
「時間? うん、まぁ」
魔術師を止めてから、暇を持て余している。
帰ってすることもないし、時間なら腐るほどある。
「じゃあさ、私の家においでよ。お礼もしたいし」
「牙城さんの家に?」
「そう。同じ半妖同士、仲良くしていけたらなー、なんて」
半妖同士で仲良くする。
それはこの人の世で助け合おうという意味だろう。
互いの正体を知ってしまった以上、ここは友好関係を築くほうが得策かな。
無碍に断って禍根を残すよりはいいと思う。
これじゃあ一般人の枠組みを、逸脱しているような気もするけれど。
「じゃあ、そうさせてもらおうかな」
「ほんとっ、じゃあついてきて! 屋根伝いにいけばすぐだからっ」
返事をすると牙城さんはすぐに立ち上がる。
僕もそれに続いて、牙城さんを先頭に屋根伝いに移動した。
「ふーむ」
流石は半妖とだけあって、牙城さんの身体能力は人間のそれ以上だ。
身のこなしが軽く、跳躍力も高い。
妖術で傷をある程度治しているとは言え、怪我人とは思えない動きだ。
それだけに疑問が残る。
「ねぇ、牙城さん。一つ質問してもいいかな?」
「うん? なに?」
「あの妖魔たちが、牙城さんを追い詰められるとは思えないんだ」
妖魔の数は四体だった。
だが、どれもそれほど強い個体とは言えないもの。
魔術師として平凡だった僕でも、十分に対応可能な数。
妖魔の身体能力を持ってすれば、返り討ちも容易だったはず。
なのに。
「どうしてあんな重傷を?」
「あー、それはね」
屋根を踏みしめて跳躍し、次ぎの屋根へと移る。
「あの妖魔の中に、ちょっと強いのがいてさ。刺し違えるみたいになっちゃったんだよねー」
「そういうことだったのか」
紙一重で妖魔を討ち取ったものの。
その取り巻きまで相手にする余力は残っていなかった。
だから、まともに動けなくなるほどの重傷を負い、追い詰められていた。
なら、牙城さんの実力は、果たしてどれほどのものなのだろう。
魔術師だった名残で、そういうことに敏感になっちゃうな。
「――見えてきたよ。あそこ」
その指先に示されたのは、広いグラウンドを持つ建物だった。
隅のほうにはちょっとした遊具があり、幼い子供たちが駆け回っている。
保育園かな?
いや、でも、それにしては子供たちの年齢が合わない気がする。
それに牙城さんは、ここを自分の家だと言っていた。
つまり。
「ここが私たちの家、秋月孤児院だよ」
それを聞いて、ふと思い出す。
半妖には孤児が多いのだと。
親を妖魔に殺された子が、多いのだと。
そうか、彼女も。
彼女も僕と、同じだったのか。
「おっとっと、そうだった」
孤児院の近くまで来たところで、牙城さんは足を止めた。
懐からハンカチを取り出し、乾き始めていた血を拭っていく。
「どうかな?」
「うん、大丈夫だよ。綺麗になった」
「えへへ、よかった」
破れた制服に染み込んだ血まではどうにもならないけれど。
せめて、拭えるところは拭って、すこしでも心配を掛けないようにしている。
顔を綺麗にして元気な姿を見せれば、子供たちはそれだけで安心するだろうから。
「あっ、おねーちゃん!」
「おかえりー」
屋根からグラウンドに降り立つと、子供たちが駆け寄ってくる。
随分と慕われているようで、すぐに取り囲まれてしまった。
「ねー、このおにーちゃんだれー?」
「かれしー? かれしー?」
「あははっ、お姉ちゃんのお友達だよ」
子供たちに囲まれながら、僕たちはグラウンドを横断する。
そうして孤児院の玄関口までたどり着いたところ。
「よう、姉貴」
ちょうどよく孤児院から人が出てくる。
僕たちよりすこし歳下の少年だ。
彼は険しい顔をして、牙城さんを姉貴と呼んだ。
「……と、誰だ?」
彼の視線が僕へと向かう。
「それは後で説明するけど……なにかあったの? 凜」
「あぁ、厄介ごとだ」
そう言って、手紙のようなものが牙城さんに渡される。
それを読んだ牙城さんは、その手紙をびりびりに破り去った。
「まったく、あの人はっ……それで、いつ来るって?」
「それが――」
凜と呼ばれた少年が口を開いたと時を同じくして、背後に人の気配を感じる。
振り返ってみると、その先に大学生くらいの青年が立っているのが見えた。
今どきドラマでも見ないような、真っ赤な薔薇の花束を抱えて。
「もう来ているよ、愛海」
「げぇ」
牙城さんとは思えないような声が、彼を見た途端に発せられた。
至極、迷惑そうな顔もしているし、どうやら心から会いたくなかった人みたいだ。
まぁ、あの大仰な薔薇の花束を見れば、推して知るべしと言った所だけれど。
「そろそろ観念して加わってくれないかな? ボクの――」
彼がその次ぎに紡ぐ言葉は、僕を震撼させた。
「ハーレムにっ!」
なんなんだ、この人は。