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6話 信念を思い出す

 ハッと目覚めた俺は、瞬時に羊毛から飛び出して身構える。

 

 見れば、ゆるふわ幼女は、俺に手を伸ばした状態で固まっていた。

 彼女は白い髪をふわりと揺らし、首を傾げる。


「……あれぇ? おはよぉ?」

 

 幼女は手を引っ込めると、俺をうかがうようにして見上げてくる。

 ……もしかして、俺を起こそうとしていた?  だとすると、警戒して飛びのいたのは悪かったか。


「ああ、おはよう? 起こそうとしてくれてありがとう」

「身体は痛くなぃ?」

「身体? ……ああ、身体は痛くない。おかげさまで、寝心地は最高だった」

「良かったぁ!」


 幼女は無邪気に嬉しがった。その健気さに思わず和んでいると、幼女は羊を指さして言う。


「今度からはぁ、羊さんで眠るといいよぉ」


 ……えっと、これは、貸してくれるということか?


「そうだな……そのときは頼む」


 寝心地は本当に過去最高だったので、機会があればと思い返事をする。

 幼女はもちろんと首肯した。


 俺と幼女は見つめ合う。


「……」

「……」


 えっと、何を話そうとしていたんだっけ……?

 ……そうだ、思い出した。どうして俺を見ていたのか、俺を転移させた本人なのか、などだ。


 俺は口を開こうとして、しかし幼女の口が開くのが先だった。

 幼女は不安そうな面持ちで上目遣いをしてくる。


「鳥さんは、ウーリを襲わなぃ……?」


 鳥さん? 鳥さんって誰のことだ? ――ああ、俺か。

 『鳥さん』呼びはなんか嫌だな……。『人鳥ハーピーさん』なら妥協できるんだが。


「俺は、まあ鳥ではあるが、イスハっていう名前だ」

「すは……?」

「イ、ス、ハ」

「はーちゃん!」


 幼女は嬉しそうに声を上げた。

 はーちゃん呼びはなぜかくすぐったかったが、彼女の喜びようを見るに訂正しづらかった。

 相手が健気な幼女でなければ、容赦なく訂正したのだが。


「うん、まあ……それでいい。きみは、ウーリ?」

「ウーリトゥーリだよぉ」

「ウーリトゥーリ。じゃあ、ウーリって呼ぼう」


 さて、互いの呼び名が決まったところで話を戻そう。

 確か『鳥さんはウーリを襲わない?』だったか。

 ここは慎重にいきたいところだ。もし怖がられて転移で逃げられたら、せっかくの会話のチャンスが消えてしまうのだから。


「ウーリの質問に答えると、俺はウーリを襲わない。もしウーリが俺を襲うなら話は別だが、そんなことはないだろう?」

「ないよぉ。ウーリははーちゃんを襲わないよぉ」

「なら、俺もウーリを襲わない」

「ほんとぉ……?」

「ああ、本当だ」


 ゆるふわ幼女、もといウーリは俺をじっと見上げてくる。

 その意識にはまだ少し不安が残っていて、そのためだろう、念押しで聞いてきた。


「ウーリを襲って、食べようとしたり、毛を剃ろうとしたり、しなぃ?」

「ああ、もちろん、食べようとしたり、毛を剃ろうとしたりしない。というか毛を剃るってなんだ?」


 思わず聞き返す。

 幼女を襲って毛を剃る? いや、意味がわからないんだが……。


 ウーリは自分のふわふわの髪を隠すように手で押さえると、それから隣で地面を嗅いでいる大きな羊を見た。


「白くてふわふわの毛は剃られちゃうのぉ……」

「……いや、剃られるのは羊の毛だからだろ。ウーリの髪は大丈夫だと思うが」

「えぇ? どういうことぉ……?」


 思いもしない連想ゲームに俺は脱力しつつ、説明を続ける。


「羊の毛は、外の世界では服の素材になるんだ。あ、魔界でもそうなのか? とにかく、羊の毛は剃られるものだ。でも髪はそうじゃない。ウーリの髪も、実際に剃られたことはないんじゃないか?」

「あぁっ、な、ないよぉ! そうだったんだぁ!」


 ウーリは両手を叩くと、薄紫の瞳をキラキラと輝かせる。


「毛を剃るのはぁ、羊さんを虐めるためじゃなかったんだねぇ! 教えてくれてありがとぉ! うりぃ!」

「どういたしまして。うり?」

「はーちゃんは、ウーリを襲わないしぃ、いい鳥さん! 好きぃ!」


 言い終える間もなく、ウーリは俺に抱き着いてきた。

 とっさのことで、俺はうまく拒絶することもできず、されるがままに抱き着かれてしまう。


 幼いとはいえ、初対面の可愛い幼女に抱き着かれるのは気恥ずかしいものがあった。本当にいろいろと可愛いのだこの子は。

 そんなわけで顔が赤くなりそうになってしまう。……落ち着け、俺。幼女に抱き着かれて赤面するなんてマズイ。ロリコン疑惑は勘弁だ。

 冷静になろう。――瞑想。あるがままに受け流す。

 そう、抱き着かれたからといって慌てることはない。この子は可愛い。なら、良かったじゃないか。そのまま受け入れればいい。それだけだ。

 …………すぅ、はぁ。よし、落ち着いた。


 俺は改めて現状を確認する。


 ウーリに抱き着かれているところが、柔らかくてふわふわして、温かい。なんとなく、さっきの羊の感触を思い出す。

 似たもの同士というか、ウーリも羊っぽいよな。そう思っていると、ウーリが抱き着いたまますんすんと鼻を鳴らした。……えっ、においを嗅がれている?


「いや、ちょっと……え、臭かった?」

「はーちゃんを覚えるのぉ!」

「……ああ、そういうこと。においで覚えるのか」


 犬っぽい。いや、これも羊っぽいのか? わからないが、しかしこんなに人懐こくて大丈夫か? 簡単に魔物に食われそうで不安になる。

 ……いや、あるいは、彼女と言葉を交わせる存在が稀ということなのかもしれない。だからすぐに人を信用するのかもしれない。無邪気な子どものように。だったらなおさら、注意しておいたほうがいいだろうな。


「ウーリ、気を付けてほしいんだが、あまり簡単に人を信用しないほうがいい。悪い人……じゃないか。悪い魔物に襲われてしまうかもしれないから」

「悪い魔物ぉ? 悪い魔物ははーちゃんみたいに優しくないよぉ?」


 ……やっぱり、魔物ならいきなり襲ってくるのだろうか。

 それでも、警戒心は持っていてほしいものだ。


「そうだな……魔界にはいないかもしれないが、外には、優しくしておいて騙そうとする悪い人がいるんだ。ウーリだっていつか外に行くことがあるかもしれない。やっぱり今のうちに気をつけておいたほうがいい」

「外ぉ……?」

「ああ、魔界の外だ。現界とも言うが、まあ、ここではない場所だな」

「…………」


 ウーリは黙り込んだ。

 少し難しい話だったか? そう思ったが、違うようだった。

 ウーリの表情は何かをこらえているように見える。その意識には、いろんな思いが錯綜していた。空気が重い。……地雷を踏んだかと心配になってくる。


「……たぃ」


 ウーリは迷いながらも、ぽつりと漏らした。


「え?」

「外に行きたぃ」


 どうやら、ウーリは外に行きたくて何かを悩んでいるらしかった。

 それならと、俺はいくつか選択肢を提示ししようとして、しかし先にウーリが首を横に振る。


「でも、めぇぇ。怖いのぉ……」


 ウーリは身体の向きを変えると、両腕を抱いた。それはちょうど、ある方向に背を向けていた。

 その方向には、今もなお、じわじわと恐怖を発している何かがある。いわば、恐怖の元凶だ。

 おそらくウーリは、恐怖の元凶と何かしらの因縁があるのだろう。ウーリがこの近くで生活しているのだとしたら、充分に考えられる可能性だ。


「ウーリ……」


 怖がる幼女の姿に、俺は心を動かされ、ウーリの正面に回り込む。

 そして……いや、何かをしたいと思ったはずだが、それがわからなかった。

 どうしていいかわからない。ただウーリを見つめることしかできない。


 すると、ウーリが顔を上げた。


「……――てぇ」


 ドクン、と心臓が跳ねあがるのを感じた。

 ウーリは恐怖に歪んだ顔で、すがるように俺を見上げてくる。


「はーちゃん……お願ぃ……」


 なぜこんなにも心が震えるのか。

 理由はわからないが、しかし、俺がそれを求めていたことだけはすぐにわかった。

 俺は、こちらをすがるように見つめてくる薄紫の瞳から目が離せなくなっている。


「……助けてぇ……」


 その一言が、トリガーだった。




「――っ」


 『幼女を守る』という前世の信念を思い出すと同時――ハッと目の覚めるような感覚。

 心のモヤが取れて澄み渡り、世界が唐突に色づいたように思える。


 これまで感じていたむなしさが、吹き飛ぶようだった。


 俺はずっとモヤモヤしていたのだ。

 なんのために強くなるのか? なんのために生きているのか? 


 前世の信念から解放されて自由になったはずなのに、どうして心が浮かないのか。

 だがそもそも、前提から間違えていたのかもしれない。


 俺は前世の信念をリセットできていたのか? 

 あの、幼女を守るという信念を。


 リセットできていたというのなら、どうして俺は今、ウーリから助けてという言葉を受けてあの信念を思い出している? 

 まるでそれが俺の本望だというように……心がそれに応えたがっている。


 ウーリを助けよう。いや、助けたい。


 だったら――前世の信念に従おう。

 信念を引き継いで、俺は幼女を守るのだ。


 ……ふと、心に引っかかりを覚えた。


 信念に対してこれほど期待感があるのは妙だ。

 俺にとって信念とは、トラウマから逃れるためにすがるものであって、掲げたいものではなかった。

 どちらかといえば、負の遺産だったはず。


 転生して、心境の変化があったのか?

 ……わからない。


 だが、これだけわかっていればいいだろう。

 俺にとって、あの信念は生きる道しるべなのだ。

 おそらく俺がここまで強くなったのも、幼女を守るためだった。


「……ああ、ウーリを助ける」


 俺がそう答えると、ウーリは薄紫の瞳を見開いた。

 そして無言で俺に抱き着いた。


 いろんな感情がない混ぜになっているらしく、その小さな身体はただ小刻みに震えている。

 俺は思わず、翼で包み込むようにして抱きしめ返す。


「はーちゃんっ……あのコワイノを、やっつけてぇ……!」


 ウーリの懇願に、俺は息をのんだ。

 『コワイノ』とは、十中八九、恐怖の元凶だろう。

 今の俺では絶対に勝てないとわかる、圧倒的強者。

 戦えば、負ける。それはおそらく死ぬということだ。


 ……しかし、だからといって、俺の答えは変わらない。

 信念を抱いた俺に、躊躇などない。


「ああ、任せろ」

「はーちゃんっ」


 俺の信念は揺るがない。

 幼女を守るということは変わりようがない。


 今の俺では敵わない?

 だからなんだ。


 勝てるように強くなればいいだけのこと。


 幸い、俺には魔術という未習得分野が残されている。

 身体能力と走術はもうほぼ完成に近く、伸びしろは少ないが、魔術だけは、まっさらな状態だ。魔術にはむしろ伸びしろしかない。

 

 ……これからの方針は決まった。

 魔術を習得し、極めること。


 そして恐怖の元凶に打ち勝ち、ウーリの願いを叶えるのだ。


 もしかしたら、力及ばず死ぬかもしれない。

 だが、それでも悔いはない。

 この胸のぬくもりを失いたくないのだ。

 前世の最期にはなかった、このぬくもりを……。


 俺は決意を心に秘め、胸に抱くウーリをさらに強く抱きしめるのだった。

 


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