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5話 幼女と出会って

 迷子になった。


 ……いや、俺は悪くないはずだ。すべてはあの鹿鷲の魔物のせいだ。

 竜巻に追われて切羽詰まるのは当たり前だし、しかも、最終的には竜巻に飲まれて前後左右がわからなくなる始末。

 結果、目印のない魔界で迷子になるのは当然の帰結なのだ。


 なんか、魔界堕ちしたあたりから運が悪い気がする。魔物に襲われるわ、迷子になるわで……まあいい、嘆いていても始まらない。これからの行動を考えよう。

 

 単純な二択だ。

 この場に留まるか、動くか。


 俺は自慢である綺麗なチェック模様の翼をパタパタと振り、気休め程度に砂ぼこりを落としつつ考える。

 そうして、ふと、思う。

 

 ……走りたいな。


 いつもなら鍛錬の一環で森の中を走っている時間だ。

 それに、鹿鷲との戦いでは風が邪魔で満足に走れず、走りの熱が不完全燃焼だった。

 クールダウンもかねて、軽く走りたい。


 べつに悪手というわけでもない。

 魔物との遭遇率は、この場に留まろうが動こうがそれほど変わらないだろう。

 遭うときは遭うものだ。さっきもそうだった。

 むしろ、動いているほうが、警戒する方向を前方に狭められるので有利かもしれない。


 また、救助を待つという意味では、実はどちらもそう変わらない。

 たぶん養母ちゃんには俺の位置を知る能力……というか魔術がある。

 養母ちゃんが俺を探しに少女鳥ガーリッシュハーピーの森に入るとき、迷いなく俺のところにやってくるのだ。

 魔界の奥深くへと入り込まない限り、養母ちゃんは俺を見つけてくれるに違いない。多少動こうが問題ないだろう。


 理屈をつけた俺は、すぐにも走り始めた。

 もう、大変な目には遭わないだろうと信じて……。




 ぶわっと鳥肌が立った。


 それはなんの予兆もなかった。

 魔界の荒涼とした大地を、軽く流すつもりで走っていた最中のことだった。

 

 普段は森の中でしか走れないから、広々としたフィールドを走れる心地良さを噛みしめながら、一方では索敵をきちんと行っていた。

 視覚での探索は言わずもがな、隠密対策に音と熱にも気を配っていたし、空精魔術エアリエッティによる奇襲に備えて気圧の変化にも注意していた。

 それでもなお、異常はなかったはずだった。


 唐突だった。


 魔界堕ちしたときの浮遊感に似た感覚があった。

 気がつけば、景色が変わっていた。


 魔界の中で、さらに魔界堕ちしたような気持ち悪さ。


 いや、しかし、魔界ではあるのだろうか。

 荒野であることも、虹色の空であることも変わらない。

 ただ、地形や空の模様、浮遊物の配置が変わっているのだ。


 魔界の中で、場所だけ転移させられた?


 それを悠長に考えている余裕はなかった。


「――っ!?」


 地平線の向こうに、何かがいる。


 何がいるか、わからない。


 それなのに……恐怖した。


 ……怖い、嫌だ、近寄りたくない。

 無条件にそう思う。


 俺はすばやく気配を絶ち、身をひそめる。


 ――瞑想。

 恐怖する心を受け入れ、あるがままに受け流し、頭を冷静に保つ。

 動機を感じながら、意識して深呼吸を繰り返す。


 ……本当に、驚いた。これほど信じられない気持ちになったのは、初めてだ。

 この距離で恐怖を感じるなんて、ありえないだろ。


 元凶に近づけば、発狂すると思わせるレベル。

 しかも、恐怖の理由がわからない。


 通常、恐怖するには理由がある。

 見た目が気持ち悪い、怪我をしそう、失敗しそう、得体のしれない、など何かしら見つかるはずだ。


 しかし、これにはそれがない。

 純粋な恐怖。


 何が怖いのかよくわからない。とにかく怖い。

 まるで恐怖という概念そのものだ。

 つかみどころがなく、対処のしようがない。耐えるしかないのだ。


 これは自然のものではない。

 おそらく……魔術。そして特定の個人を標的にしているとは思えない。

 つまり広範囲かつ無差別に恐怖をふりまく、大規模魔術というわけだ。


 その理由は? 元凶の傍に、近寄らせたくない何かがある?

 なんにせよ近づこうとは思わない。触らぬ神に祟りなし。


「……ふぅ」


 分析しているうちに、恐怖にも慣れてきた。

 もともと恐怖の度合いは小さかった。射程の長さと恐怖の種類に戸惑っただけだ。


 恐怖に慣れたからこそ、見えてくるものもある。


 ……肌がチリチリと焼けるようなプレッシャー。

 あろうことか、前世での最強格、老公のそれをゆうに上回る。

 圧倒的強者の存在感。


 普通に……強い。

 恐怖なんて関係なく……いや、恐怖で動きが鈍るならなおさらだ。


 戦いたくない。

 そう思わずにはいられない。

 実力差がありすぎる。

 さっきの鹿鷲とは比べるのもおこがましい。


 確信できてしまう。

 この相手には、絶対に勝てないと。


 ……頼むから、俺の敵にはなってくれるなよ。

 俺は苦々しく思いながら、地平線の向こう側にある恐怖の元凶をしばらく見つめていた。




 それにしても、……さっきから視線を感じる。


 俺がこの場所に転移させられてから、ずっとだ。

 俺を転移させた人物……あるいは魔物だろうか。


 俺は首のストレッチでもするように首を傾け、空をぼんやりと視界に映す。

 視線の方角には顔を向けず、視界の端で捉える。


 ……相手が見当たらない。

 この目は数キロメートル先をも見通す。しかし、視線の方向に人影はおろか、目隠しになる浮遊物もない。虹色に光る空しかない。


 それでも、上空のその方向から視線を感じる。

 どういうことだ? まるで空が俺を見ているような……いや、光学迷彩で隠れているのだろう。魔術なら可能なはずだ。


 視線に敵意を感じないから、おそらく観察……いや、何かを期待しているような意識を感じる。

 なんだというのか。

 少なくとも敵対しているわけではないらしく、実害はないのだろう。


 とはいえ、見られていて良い気はしない。

 誘い出すのも一つの手か。


 この視線の主が凶暴な魔物だとは思えないから、知性ある存在だろう。

 それならば会話ができ、情報を得られるかもしれない。


 ここはどこか。転移させた理由は何か。元の場所に帰してくれるのか。

 ぜひとも誘い出して会話をするべきだろう。


 ……よし、隙を見せることにしよう。


 隙を見せるといっても、そのやり方は様々だ。

 背を向ける、食事をとる、作業に没頭する、など……。


 俺はしばらく考え、一番隙が大きいものを採用することにした。


 ……まず、手ごろな岩を探す。膝ほどの高さで、上面が平らに近いものだ。

 そして上面の砂を、気は進まないが翼を羽箒のようにして取り払う。


 羽は少女鳥ガーリッシュハーピーにとって顔よりも大切なものなので、砂で汚れるのは避けたかったが、この岩に顔を乗せて砂まみれになるよりはマシ……のはず。

 そうやって言い訳をしないといけないほど、少女鳥としての心が羽を汚すなと叫んでいる。

 俺はあとで羽の手入れをしようと固く決意する。このへんはすっかり少女鳥に染まっているが、まあ、折り合いというやつだ。


 さて、岩の上面の砂を掃けた。

 虫の気配もない。こんなところだろう。


 俺はその場にしゃがむと、翼を背中に畳む。そうして少女鳥ガーリッシュハーピーとして楽な姿勢を取る。

 羽を汚してまできれいにした岩の上面に頬を乗せ、脱力して頭を預ける。……悪くない。即席にしては上出来だ。


 俺は目をつぶると、感知に意識を集中させ、相手の出方を探る。

 ……ふと、相手に伝わっているか不安になった。


 これ、隙を見せているつもりだが……何をしているか相手にわかってもらえているよな?


 しゃがみ、頭を何かに預けるこの姿勢は、少女鳥として正式な、そして最も隙のある行為だ。


 その、つまり…………寝る姿勢なんだが。




 目をつぶって寝たふりをしていると、動きがあった。


 近くに、魔力が凝縮し、人型となったのだ。

 同時に熱や気配も伝わってくる。

 間違いなく、そこにいる。


 転移の類だろうか。

 いや、それよりも、その人型から何か強い意識が向けられている。何かを言いたそうな……。

 

 とりあえず誘い出すことには成功したので、俺は寝たふりをやめようと目を開けた。

 念のために警戒はしつつ、立ち上がり、その人型へと視線を向ける。


 ……ゆるふわっとした可愛い幼女がいた。


「――っ」


 話しかけようとしていたのに、思わず息をのんでしまう。

 こんな、魔物の徘徊する殺伐とした荒野にいていい存在ではなかった。


 淡く儚げで、良家のお嬢様のような気品のある子。


 ただ……体内魔力は俺には測れない濃さで、魔物並み。

 そして側頭部には、短くてゴツゴツとした巻き角が生えている。


 でも、それだけだ。


 それ以外は、幼女なのだ。


 年のころは十歳くらいだろうか。

 くるくるふわふわの白い髪と、おっとりとした目元の可愛い顔立ちが、ゆるふわっとした印象を与えている。


 服を見れば、成長途中の小柄な体躯には、ベージュ色の、ワンピース形のコートを身に着けている。

 白いもこもこが手首や裾を縁取っていて、首元には大きなリボンがあり、ゆるふわの彼女にはよく似合っていた。


 白くてゆるふわっとしているからか……なんとなく、全体的に、羊っぽい感じがする幼女だった。


 しかし、彼女の可愛らしい顔は、悲痛に歪んでいた。

 どこかミステリアスな薄紫の瞳がこちらをじっと見つめていて、目が離せなくなる。


 一瞬呆けていた俺は、羊っぽい幼女がついにその小さな口を開くのを眺めていた。

 そうして、子どもらしい高い声で訴えられる。


「――寝ちゃ、だめぇっ!」


 それは完全に幼女の声で、一瞬呆気にとられた。

 しかしすぐに目を瞬いて気を取り直す。


 ……どうやら寝る体勢だと気づいてもらえていたらしい。

 ホッとするとともに、幼女の助言――魔物に襲われるから寝たらダメだという言葉に、彼女の優しさを見た。

 だから俺は、隙を見せるためだったことには触れず、素直にお礼を言おうとしたのだが……しかし幼女の言葉が続く。


「そんなところで寝たらぁ、首が痛くなっちゃうよぉ……!」


 ……いや、確かに、首が痛くなるかもしれないが。

 もしかして、まさか、首が痛くなるから寝るなと? 魔物に襲われるからではなく? ……いや、まさかな。


 俺が自己解決していると、幼女はさらに言葉を続けた。


「寝るならぁ、こっちぃ」


 ふいに、瞬間移動したかのようになんの前触れもなく、幼女の横に大きな羊が現れた。

 その大きな羊は体高だけで二メートルあり、俺の背丈を大きく超えている。


 俺は反射的に身構えるが、敵意は微塵も感じられない。


 幼女はその大きな羊にしがみつくと、「んふぅー」と気持ちよさそうに頬ずりをした。


 羊の全身には、ふかふかと柔らかそうで、もこもこと気持ちよさそうな白い羊毛がそれはもう天然のベッドになりそうなほど搭載されている。

 人生で最も安らかに眠れるのではという思いが頭に浮かぶ。

 見れば、羊に身体を預ける幼女の全身が羊毛にふかっと埋もれていて、全身を丸ごと包み込む羊毛の感触をつい想像してしまう。あれは絶対に気持ちがいい。


 俺はつい、その羊の羊毛に触れた。

 身体が吸い込まれそうになり、瞑想しながら理性を総動員して手を放し、一歩下がる。


 ……危なかった。眠気が少しでもあれば、吸い込まれて捕らわれていたに違いない。これは危険だ。冬のコタツを超える脅威度だ。

 思わぬ伏兵に戦慄しつつ、幼女を見れば、埋もれた身体が規則的に上下している。……寝ている。


 そういえば、この幼女は俺の寝る姿勢に意見があって姿を現したんだっけ。なんという睡眠への思い入れか。

 そして納得だ。睡眠に一家言ある彼女が使う寝具、もとい羊が気持ち良くないわけがない。彼女は本当に気持ちよさそうに眠っている。見ているこちらまで眠たくなってしまう。


 ……ああ、この手触りは極上だ。さぞかし気持ち良く眠れることだろう。肌がとろけて幸せになっていくような……。


 ……ん? いつの間に俺は羊毛を触っているんだ?

 いや、それより羊毛の壁がこちらに迫ってきている。違う、俺の身体が傾いている?

 おかしい、まるで身体が勝手に動いているような……。


 抗えないとはまさにこのことだろう。

 あっという間に身体がふかっと羊毛に埋まる。


 もしかしたら、幼女も眠ったことで警戒心が薄れていたのかもしれない。

 俺は甘美な睡魔に襲われると、抵抗する気力も湧かず、そのまままどろみに意識を落としたのだった。


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