53話 しかるべき結末を迎える
「はーちゃん」
複雑な表情を浮かべるウーリが、俺を呼んだ。
その意識は混沌としていた。疑念、戸惑い、迷い、理解、感謝……様々な色が混じり合っている。
ウーリにとってもナイトメアの真意は寝耳に水だっただろう。気持ちの整理がついていないようだ。
「ウーリ、今は答えを出さなくてもいい。俺も、感情の整理がついていないからな。……敵のくせに、本当はウーリの味方でもあったんだ。アイツは、最後まで厄介なヤツだったよ」
「……コワイノは、本当にウーリの味方だったんだよねぇ?」
探るような声でウーリは問うた。俺は顔をしかめながらそれに答える。
「ああ、それは確かだ。ナイトメアは嘘をついていなかった。ウーリを害したくせに、究極的にはウーリのために行動していたんだ。アイツはウーリの味方だったわけだ」
「そっかぁ……」
ふわりとうなずいたかと思えば、途端にウーリは大きな薄紫の瞳に決意の光を宿し、両手をきゅっと握りしめる。
「ウーリ、お礼言ぅ!」
「……お礼?」
「今まで、ウーリのためにありがとぉって!」
「ッ、ウーリ……」
俺はウーリの心意気に飲まれて二の句を失った。
どうして、自分を殺した相手に感謝できる……? どうして、そんなにも純粋な謝意を抱ける?
おまえには、アイツに対する恨みや嫌悪感がないのか……?
疑問に思いウーリの本心を探るが、出てくるのはナイトメアへの労いと感謝のみ。それ以外の負の感情はどこにもない。根がさっぱりとした気質なのか、それとも現実的な性分なのか。
……なにはともあれ、これは一つの証だろう。ウーリはナイトメアの恐怖をすっかりと乗り越えられたのだ。それはとても喜ばしい。
「だがウーリ、お礼を言うにしても……アイツはもう、消滅したんだ」
そっと、さとすように言えば、ウーリも納得するだろう、そう思った。
「復活させるぅ!」
「え……?」
ウーリの力いっぱいの宣言に俺はしばし呆気に取られた。
「――待て待て!? 確かにウーリなら曲がりなりにも復活させられるかもしれない。だが、復活したナイトメアがまた襲ってこないか? いや、さっきはウーリを守り通すと言ったが、わざわざアイツを復活させてまた襲われるのはごめんだぞ!?」
「うーん、大丈夫だと思うよぉ?」
俺の必死の訴えにもかかわらず、ウーリはふわりと言った。
「え、それは……どうして?」
「なんとなくぅ?」
「なんとなくって……いや、まあ、ウーリがそう思うなら、そうかもしれないが……」
どこかふわふわとしたウーリには確たる根拠がなさそうだが、これまでのことを思い返すと夢界でウーリができると思ったことはことごとく実現している。ウーリはどこまでも感覚派だ。俺が情報をもとに未来を予知するなら、ウーリは直感をもとに未来を見る。そのウーリが大丈夫だと思うのなら、そうなる可能性は高い。
だとすれば、ウーリの行動を止める理由はないのかもしれない。ウーリの読みどおり、ナイトメアは襲ってこないとも考えられる。それだけの信頼を俺はウーリに寄せている。
……そもそも、お礼を言うためだけに消滅した相手を復活させるなどあまり褒められた行為ではないが、しかし、今回は事情が事情だろう。
「……よし、わかった、ぜひともアイツを復活させてやれ! “母”のお礼も聞かずに満足して勝手に消えるようなヤツは、勝手に復活させられればいいんだ」
何が悪夢だ、何が役目を終えた、だ!
ウーリの子どもなら、ウーリのためを思うなら、ウーリを置いて勝手に消えるなって話だ!
「じゃぁ、行くよぉ!」
「ああ、任せた!」
――そして、俺の興奮は一瞬で冷めさせられた。
暴風が。
いや、魔力の奔流が。
恐ろしいまでの量と密度で、死を幻視するほどに、吹き荒れる。
慌てて踏ん張りをきかせた。気を抜けば怒涛のごとく押し寄せるそれに身体が吹き飛ばされそうになる……!
あまりに濃密すぎる魔力が雷雲のようにチカチカと発光し、同時に雷鳴のような破裂音をかき鳴らす。
「……は、ははっ」
変な笑いが漏れた。
というより、笑わざるをえなかった。
ナイトメアが消えた場所へと、次元の穴が空いたように殺到する魔力の渦。
それを一言で示せば……深淵。
俺の【天上察知】をもってしても、底が知れない。
この感覚、これはまさしく、ナイトメアの最後の試練で感じた絶望の魔力にも匹敵している。
思わず身構えてしまったのは仕方がない。
害意はないとわかっていても、身体の芯からこみ上げるゾクゾクが止まらない。
理性ではウーリを信頼しているが、俺という存在をかき消してあまりある星のような質量の魔力に本能が命の危機を訴えかけてくるのだ。
俺がおののいているうちにも、その天井知らずの魔力が収束する。
その密度たるや、まさに、ナイトメアそのもの。
これほどの魔力、しかし発生源は、ウーリ本人ではない。
どこからか……。
どこからともなく、周囲から際限なく。
いや、【天上察知】によれば、夢界からとめどなくあふれている。
疑問には思っていた。なぜ、ウーリの身体からあまり魔力を感じないのか。
少なくとも公魔級であるはずなのに、それこそ野魔や大魔程度の魔力しか感じなかったのだ。
だが、なんのことはない。
夢界そのものがウーリの魔力貯蔵庫か、あるいは魔力発生機関だったのだろう。
そして信じがたいことだが。
ウーリもまた、ナイトメアと同量の魔力を操れるのだろう。
薄々考えてはいた。
ナイトメアがウーリの悪夢から生み出された事実。
それが指し示すのは、生みの親であるウーリがナイトメアと同等以上の存在であるということ。
悪夢という負の性質上、ナイトメアが生みの親を超えている可能性もあったが、そうではないことは、こうして一目瞭然だ。
目の前でナイトメアの本気に勝るとも劣らない魔力がウーリの意思で操られ、曲がりなりにも、と言えばおこがましいほどの魔力密度で、ナイトメアそのものが再構成されようとしているのだから。
もちろん相性的には悪夢優位だろうが、存在の格となると話は別だろう。
まぎれもなく、ウーリはナイトメアと同格以上……。
ふと、ある記憶が脳裏をよぎる。
ウーリが公魔最強という噂。
今考えれば笑い話だ。そんなの、絶対にありえない。
これほどの魔力を操れるウーリが公魔などと、悪い冗談でしかない。
ウーリはまさしく、魔物の最上位階――君魔。
それ以外に表現のしようがない超越者なのだ。
「来てぇ」
と、鈴の鳴るような可愛い声でウーリは言った。
……風が、ぱたりとやむ。
静寂の中に残るのは、空間が歪むほどに凝縮した魔力。
それが、形をなす。
――うずくまるナイトメアへと。
七対の黒翼はカラスの濡れ羽のように美しく。
かすれ傷どころか、ローブの砂ぼこり一つ見当たらない。
戦う前の万全の状態がそこにはあった。
俺はすぐさま敵意を探る。
……しかし、ない。
そもそも、さらけ出されたナイトメアの表情は硬直し、驚愕を張りつけている。こちらに意識を向ける余裕もないらしい。
ホッと胸を撫でおろす。
最悪、先の戦いを忘れ去った以前のナイトメアが復活することも考慮していたが、どうやらコイツは消滅したナイトメア本人のようだ。
「ど、どうなっておる? これは、いったい……? 余は、確かに消えたはず。使命を全うして……」
自分の身体を見下ろしながら、呆然と言うナイトメア。
それは感情のこもった声音だった。以前の無機質な声と異なり人間味にあふれている。にじみ出るような恐怖感もない。
……ああ、変わったな、としみじみ思う。
もしかしたら、恐怖を与えるという悪夢の使命から解放されたのかもしれない。
「悪夢さん」
と、ウーリがふわりとナイトメアに近づいた。
ナイトメアは慌てて背筋を正すと、片膝をついたままこうべを垂れる。
「偉大なる母よ……余を蘇らせたのは、御主であろうか?」
「おんぬしぃー? わからないけどぉ、復活させたのはウーリだよぉ?」
「やはり……。して、余の次なる使命はいかなものか?」
「使命ぃー? 使命はぁ、ないかなぁ?」
「……ッ? な、なれば、なにゆえ、余を……っ?」
ナイトメアはひどく焦った声で聞いた。
ウーリは相変わらずふわりと笑って、言った。
「悪夢さん。ウーリのために頑張ってくれたんだよねぇ? 怖かったけど、今までありがとぉ」
「……!? ッ!?」
うろたえるナイトメア。
いや、それは俺も同じだった。
感謝の言葉も確かに驚きだろう。
とはいえ、強張った笑みならまだわかる。あれだけ恐怖を植えつけられたのだ、わずかなりとも思うところはあるだろうし、それが普通だろう。
だが、あろうことかウーリは、純真な笑顔を浮かべていたのだ。
ナイトメアはしばらく絶句したあと、ウーリの視線から逃げるようにうつむいた。
「……偉大なる母を、数えきれぬほど殺した余には……余りにも過ぎたる言葉」
「過ぎたるぅー? うーん、悪夢さんの言葉はウーリには難しいよぉ……」
「……余を、恨まぬのか?」
ナイトメアはうつむいて視線を合わせないまま聞いた。
ウーリはきょとんと首をかしげる。
「恨むぅ? どぉしてぇ?」
「……本心から、であるか。能力のみならず、器もこれほどに偉大であったとは……」
「うーん……?」
ナイトメアはしみじみと漏らすと、覚悟を決めたように顔を上げ、切れ長の目で力強くウーリを見据える。
「偉大なる母よ。余を蘇らせたのは、礼を言うためであったか?」
「そぉだよぉ?」
「……身に余る心遣い、謹んで受けよう。なれば、余の使命もおのずと決まろう」
「……?」
使命というものにこだわりをみせるナイトメア。ウーリに生み出された意味を求めてしまうのは、被創造物の宿命なのだろうか。
彼はひざまずいたまま懺悔するような声音で、粛々と言った。
「偉大なる母を手にかけた大罪、その清算をここに。余の命をもってしても償えるとは思えず、偉大なる母がそれを望むとも思えず。
なればこそ……余の忠誠をここに。余の生をもって、余の能力すべてをもって、偉大なる母の力となることをここに誓う」
「えっとぉ……仲間になるってことぉ? うりぃ! それなら歓迎だよぉ!」
「あっ……」
危うく脱力しかけた。
ナイトメアの全身全霊の忠義の誓いは、過去の清算という重みをほとんど理解されずにウーリに受け入れられたようだった。
哀れナイトメア。
「……まあ、これはこれでアリか」
このあと俺はナイトメアから改めて感謝の言葉と、謝罪を受けた。
いわく、悪夢の使命とはいえ迷惑をかけたと。
俺はそれを受け入れた。
かつてのナイトメアには怒りどころか殺意も抱いていたが、今の彼を同一視することができなくなっていた。人間性がインストールされたとでも言おうか、いっそ誰だおまえはというレベルで心を入れ替えているのだから肩透かしをくらった気分だ。
それならば、これまでのことは水に流そう。彼が贖罪をかねてウーリの従者になるのは俺にとっても喜ばしい。彼ほど味方になると頼もしい者もいないだろうから。
ウーリのために生まれた悪夢は、ウーリを害するモノからウーリを守る存在へと転身。
こうしてナイトメアとの一件はしかるべき結末へと落ち着いたのだった。




