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49話 天地が逆転し

「――天地崩壊(コラプスワールド)


 天地が、逆転した。

 上下の感覚がひっくり返っている。

 突然のできごとに、俺は思わず体勢を崩す。


 そして、[抜踏ぬきふみ]への一歩を踏み外した。


「っ……」


 慌ててその場から退避。

 間一髪、ナイトメアの意識をかわす。

 [火花]を続けながら、改めて接近の機会をうかがう。


 ……何が起きた!? 視界の反転?

 いや、それより先にナイトメアだ。あれを倒せばこの現象も収まるはず。


 俺は再び[抜踏ぬきふみ]に移行しようとする。

 だが、頭上から巨大な何かが迫って来る。


 それは、割れた地面の大きな断片。


「っ!?」


 十メートル以上はある。

 俺はナイトメアのいる方向へと回避。


 その間、地面の断片の向こう側にナイトメアの姿が隠れる。

 なぜかナイトメアの意識が俺の周囲から消失。

 これは、ナイトメアが移動している……?


 疑問に思いつつ、一歩の[爆肢はぜあし]で巨大な落下物を回避。

 すぐにナイトメアの動きを確認しようとする。


 だが……今度は頭上いっぱいに砂利の雨。

 それも大量に。際限がない。

 見渡す限り……といっても薄暗いので感知によるものだが、途切れも見当たらない。というか、これ……。


「ッ……」


 息を飲む。

 自動感知によれば、この現象の正体は、重力の反転。

 それによる、天地の逆転。

 頭上が大地で、足元が空。

 俺は“空に”落ちないように[爆肢はぜあし]で滞空している。

 今迫ってきている土砂降りのような砂利は、もともと悪夢の区画の地面に落ちていたもの。天地が反転したからこその結果。

 それだけなら、まだわかる。

 高重力を実現できるなら、重力の反転もできるだろうと理解できる。

 だが、この魔術の範囲。

 想像を超えていた。

 あるいは、これこそがナイトメアの本気の証か。

 その範囲は、この悪夢の区画において……つまり半径十キロメートルの半球内において……。


 その全域に及んでいた。

 

 …………広すぎだろ!?

 と驚愕に浸っている暇もない。字面通りの『土砂降り』が迫ってきているのだ。


 俺は頭上を見据える。

 今からこれを突破しなければならない。

 というのも、【天上察知】によれば、ナイトメアはこの砂利の雨の中を移動している。能力で砂利をどけながらすいすいと移動しているのだ。

 追いかけるには、この砂利の雨を突破するのが早い。


 逆に、突破しないという選択肢もないわけではない。だが、それは迂遠だ。

 悪夢の区画全域に及ぶこの砂利の雨から逃げ続けるとなると、眼下の空に落ちながら、区画の外に一度脱出しなければならない。

 それは遠回りにすぎる。やはり砂利の雨を突破するのが良いだろう


 ただ、まともに突っ込むわけにもいかない。

 少量の砂利ならそれもできたが、これは量が多すぎる。この砂利の雨の厚さは見当がつかない。現在も大地にあった砂利が落ち続けているのだ。これを突っ切るのはさすがに無謀だ。

 それに、[風啼かぜなき]をもってしても、“正面からの石”は防げない。[風啼かぜなき]はあくまで圧縮空気による風よけだ。空気なら切り開けるが、それ以外だと厳しい。


 ……だが、方法がないわけでもなかった。

 [風啼かぜなき]は、“側面の石”なら吹き飛ばせるのだから。


 俺は瞬時に判断すると、行動に移した。


 砂利の雨を撫でるようにして、その場でぐるぐると駆け回る。

 [爆肢はぜあし]の高速走行と[風啼かぜなき]によって、暴風をまき散らす。


 ……そう、俺の走りは風を巻き起こす。速ければ速いほど、その風は強くなる。

 正面は無理でも、側面であればいける。

 それに足の近くでは、[爆肢はぜあし]の爆風もある。


 そうして俺は、降って来る砂利の雨を吹き飛ばしていく。掘り進むようにして、空白地帯を作っていく。

 目指すは、ナイトメアのいる方角だ。

 俺は着実に砂利の雨の中を進んでいく。


 しかし……ナイトメアのほうが速い。

 悔しいが、いかんともしがたい。俺は砂利を吹き飛ばすためにぐるぐると周回しなければならないが、ナイトメアは能力で砂利をどけられるため直進できる。その差は大きい。


 ……くそ、さっき攻撃できていれば……と、後悔する。

 重力反転で体勢を崩したのが痛かった。絶好の攻撃チャンスだったのに、それを逃してしまった。

 もし[予知]のビジョンで見えていれば対応できたのだが……。


 どうやらビジョンは、命の危機に関わらなければ発動しないらしかった。

 重力の反転は命の危機ではなかった。だから無反応だったのだ。

 まあ、常時発動されても困る。ビジョンをずっと見続けることになれば、現実の行動に支障をきたすだろう。

 とはいえ、もう少し使うタイミングを選べれば……。


「っ!」


 ふいに、直感が反応。

 危険が近づいている。

 俺は気持ちを切り替える。……さすがにこのまま安全にはいかないらしい。


 俺の起こす暴風とは別に、外部から風が吹き始める。

 それは砂利の雨に影響を与える。

 真っ直ぐに降ってきていたのが、横降りへと変化。


 とはいえ、これなら大したことはないが……!?


「ッ」


 俺はナイトメアの追跡を中断し、進路を反対に取った。

 前方の“それ”から距離を取りつつ、他のものともバランスを取る。

 

 【天上察知】によれば、空気が渦を巻き始めていた。

 それはみるみるうちに勢いを増していく。

 あちらこちらで吹き荒れる暴風。

 そうして間もなく……竜巻が姿を現した。


 ……一つだけではない。

 悪夢の区画全域で発生する、竜巻の群れ。

 その数……百以上。

 しかもご丁寧なことに、一、二キロメートルの間隔で配置されている。

 つまり、竜巻の少ない場所はどこにもない。

 近くのものから離れすぎれば、他のものに近づいてしまう。前後左右の竜巻と距離を測り、バランスを取りながら逃げ続けるしかないのだ。


 ……あるいは、竜巻の中を突っ切る?

 脳裏の選択肢を即座に否定。

 無理だ。無謀すぎる。鹿鷲の魔物のときとはわけが違う。

 砂利の雨を取り込んでいるのだ。竜巻内部はさながら散弾の嵐。すり抜ける隙間はないし、こうして[風啼かぜなき]の暴風で吹き飛ばすことも間に合わないだろう。

 今回の竜巻は死そのものだ。


 俺はぐるぐると駆け回りながらも、周囲の竜巻の動向に注意を払う。

 一定の距離を維持する方向に、常に動いていく。


「……!?」


 ……それに気づいた途端、口元が引きつった。

 竜巻の余波により、砂利の雨が横殴りに悪化。

 周囲から、いろんな角度で無差別に襲ってくる。

 それも、竜巻で加速された凶悪な砂利を含んで。


 たまったものではない。

 竜巻で加速された砂利は、[風啼かぜなき]の暴風では吹き飛ばせない。回避行動を取らなければ、俺に直撃する。

 当たり所によっては致命的だ。頭に当たれば昏倒、足に当たれば走行困難に陥る。ひとたび体勢を崩せば終わりだ。次々と直撃を受け、あっという間にすり潰される。


 もしナイトメアの意図が込められていれば先読みできただろう。しかしこれは無作為だ。いちいち感知して回避する砂利を選択しなければならない。


 その難易度たるや、想像を絶する。

 【天上察知】で砂利の位置は一つ一つ把握できるが、周囲だけでも何千個、何万個と飛び交うのだ。

 もし一瞬だけでいいなら、全神経を集中させ、自動感知も使って俺に当たるものを導き出し、回避することは可能だ。しかし、常時となるとそうもいかない。俺の集中力が続かない。


 俺の処理能力を超えてしまっている。

 とても回避しきれない。


 直後、それを裏づけるかのように……[予知]が発動。

 殴殺のビジョン。

 一つの砂利に直撃して体勢を崩してからの、他の砂利による滅多打ち。


 ぞっとした。

 生き残るために、これから俺が取らなければならない行動。

 それは、ビジョンを頼りに、全神経を集中させて、無数の死を回避し続けること。

 竜巻に加速された砂利の回避、だけではない。降り注ぐ無数の砂利を駆け回ることで吹き飛ばしながら、四方を動く竜巻から一定の距離を取り続けることも並行しなければならないのだ。

 もはや、ナイトメアの居場所を把握する余裕など皆無。

 というか、生き残れるかどうかの瀬戸際だ。

 しかも分が悪い。ランダムの襲撃というのがきつすぎる。

 だが、やれるかどうかではない。やるしかないのだ。


 俺は覚悟を決めると、ビジョンに全意識を集中。

 こちらに直撃する砂利の回避に注力する。


 だが……。


 パパパパパ、と次々とビジョンが切り替わる。

 それらはすべて、異なるビジョン。

 ……つまり、その数だけ存在する死の未来。

 

「ッ――」


 悪態の言葉すら、頭から消え失せる。

 想像を絶するビジョンの乱舞。

 思考はすべて、情報の処理へ。

 極限の集中状態。思考の加速。

 ビジョンと自動感知だけが、情報を入力。

 回避のための動きだけが、出力される。

 駆け回る動きはそのままに、直撃する砂利をミリメートル制御の動きで回避。

 視界はビジョンで埋め尽くされ、現実の風景は見えていない。

 ビジョンを頼りにして、わずかに身体を動かすだけの連続。集中地獄の始まり。

 

 ……まず、身体をわずかに傾ける。ビジョンが一つ消失。

 次に、わずかに加速。ビジョンが一つ消失。

 そうしたら、わずかに早く方向転換。ビジョンが一つ消失。

 それから、わずかに加速。ビジョンが一つ消失。


 だが、消すたびに次々と新たなビジョンが現れていく。死のいたちごっこ。


 わずかに身体を傾ける。ビジョンが一つ消失。

 わずかに首をそらす。ビジョンが一つ消失。

 わずかに加速。ビジョンが一つ消失。

 わずかに早く方向転換。ビジョンが一つ消失。

 

 わずかに翼を開き、すぐに閉じる。

 わずかに加速。

 わずかに早く方向転換。

 わずかに身体を傾ける。

 わずかに加速。

 わずかに早く方向転換。

 わずかに加速。

 わずかに身体を傾ける。

 ビジョンが一つ消失。ビジョンが一つ消失。ビジョンが一つ消失。ビジョンが一つ消失。ビジョンが一つ消失。ビジョンが一つ消失。ビジョンが一つ消失。ビジョンが一つ消失。


 わずかに、わずかに、わずかに、わずかに、わずかに、わずかに、わずかに、わずかに……。

 消失、消失、消失、消失、消失、消失、消失、消失……。


 一秒の間に、五回から十回の間の微調整。

 次々とビジョンを消していきながら、同じくして現れる新しいビジョンに次々と対応していく。


 十秒……二十秒……三十秒……。

 しかし、まだ終わらない。

 たまに竜巻に近づきすぎて、ビジョンが一気に増える。

 そのときには竜巻から距離を取り、ビジョンを一気に消す。


 極限の集中状態を保ったまま、ビジョンの回避を何十、何百、何千と続けていく。


 ……。


 …………。


 ……………………。


 ……そしてビジョンの出現が、止まった。


 ビジョンを消し終わったあと、ようやく現実の風景を意識に戻す。

 ……すると、砂利の雨が降り終わっていた。


「ッは! はぁ……! はぁ……!」

 

 危険がないことを確認すると、いつの間にか浅くなっていた呼吸をやめ、喘ぐようにして深呼吸を繰り返す。

 それから減速し、[爆肢はぜあし]でジャンプしながらその場で滞空。

 

 精神の休息を図りながら頭上の大地を見上げれば、岩盤がむき出しになっていた。

 ……どうやら、砂利がすべてなくなるまでひたすら回避させられたらしい。こんなことなら一度区画から脱出すれば良かったか……。


 正直な話、今の回避が一番しんどかったかもしれない。

 注意点が多すぎた。ビジョンが多すぎた。取るべき動作が多すぎた。

 そして、時間が長かった。

 もう、二度とやりたくない……。


 そうして疲労を回復させていると、ふと、ウーリから安堵の意識が飛んでくる。

 あっ……と、今更ながらウーリの安否に気づく。

 幸い、ウーリに負傷はないようだ。というか、ウーリの意識にはだいぶ余裕がある。何かしらの方法で今の攻撃をしのいだのだろうが、おそらく俺よりも楽な方法だったに違いない。その気になれば透明化とかできそうだから、そういう感じだろうか。

 なんにせよ、ウーリならこれからも大丈夫だろう。俺は自分の戦いに集中しよう。


「……ふぅ」


 ……さて。

 辺りはすっかりと、静まり返っていた。

 

 砂利の落下もさることながら、先ほど死にかけた元凶である竜巻の群れもきれいさっぱり消えている。

 まるで何事もなかったかのような、不気味な静寂。

 あるいは、ようやく試練が終わったのか。

 

 ……そう思えたら、どんなに良かったか。

 だが、それは明らかに、嵐の前の静けさだった……。


 俺は疲れを癒す間だけ努めて意識から追い出していた光景に、ようやく目をやる。


 ……眼下のそれ。

 砂利の雨が落ちた先。

 そこにあるものは……そう。

 まさに、今の攻撃が前哨戦であることを……そして、この試練の本番がこれからであることをありありと示していた。


「……は、はは」


 笑わずにはいられない。

 それほどに、眼下の光景はどうしようもない。

 過去最大の悪寒が背筋を駆け抜ける。


 これまで降った砂利の土砂降り。

 それも、悪夢の区画全域のもの。

 かつ、長時間に渡るもの。

 それらがすべて、眼下の空で……台風のように渦巻いていた。


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