46話 空間の試練を乗り越え
「されど……第四の恐怖、空間の試練。
決して容易くはないぞ?」
その声を聞き終えるや、俺は駆け出した。
これまで乗り越えた試練は……三つ。
それぞれ決して簡単ではなかった。
さっきの八つ竜は言わずもがな。
残りの二つはおそらく、恐怖に屈することなくナイトメアに立ち向かうことと、ナイトメアに一撃入れることだと思うが……それぞれ死に物狂いだった。
いろいろなものを乗り越えてようやくここまでやってきたのだ。
それなのに……試練はまだ五つも残っているという。
ともすれば、それは絶望だ。
乗り越えられるのか? と自問したくなる。
だが……俺は迷わない。
ウーリの応援が、祈りが、行先を照らす。
ナイトメアを倒すということ。
そして、ウーリの信頼に応えるために、俺は前を向き続けていられる。
結局のところ、ナイトメアの試練にすべて付き合う義理はない。
この空間の試練で、ナイトメアを倒せばいいだけなのだ。
俺は[風啼]と[爆肢]で一気に加速し、空中を駆けていく。
薄暗く、迷路のようにぐにゃぐにゃと歪む空間。普通ならまともに立って走ることも難しいこれを、【天上察知】で読み解き、脳内で簡易マップを描きながら突き進む。
問題は、ナイトメアまでの間合いだ。
曲げられ、引き伸ばされ、永遠に遠ざかるナイトメア。
だが、俺はどんどん加速していき、じりじりと距離を縮めていく。
このままいけば辿り着けるように思える。
しかし……ナイトメアの試練が、そんなに温いはずもない。
つまり、まだ何かあるということだ。
そうして俺の予想に応えるかのように、事態は動いた。
果たして、ナイトメアから攻撃の意識が飛んでくる。
直後。
ぐにゃりと歪んで見えるナイトメアの一対の黒翼が羽ばたいた。
「――巨竜の咀嚼」
ナイトメアの背後にて。
地面が、ごっそりと起き上がる。
それはハエ叩きのように長い支柱で大地と繋がり、天高く持ち上がっていく。
見上げれば、峡谷の絶壁のごとくそびえ立つそれ。
ただでさえ薄暗い中、辺り一帯に影が差したように感じられ、息を飲む。
……待て待て。なんだ、あの大きさは……。
空間が歪んでわかりにくいが……一辺の長さが一キロメートル以上あるんじゃないか……?
俺はその馬鹿げた大きさに目を見開きながら、瞬時に計算する。
あれが振り降ろされる前に、ナイトメアの元までたどり着けるかどうか。
いや、計算するまでもなかった。
……無理だ! 間合いが引き延ばされている中では間に合うわけがない!
俺は即座に判断すると、急転換。
慌てて上空へと駆け上がる。
……あの巨大な壁がただ倒れるだけなら回避は容易い。現状、六秒もあれば、一キロメートルは移動できる。いくら巨大だろうと、今の俺なら範囲外に逃げられる。
もし、ナイトメアがあの壁と俺の距離を弄れるならきつくなるが、その可能性は低いだろう。それができるなら、そもそも空中を走る俺と大地との距離を縮めて墜落させられるはずだ。それがないということは、ナイトメアが弄れる距離は自分を起点としたものだと推測できる。つまり、あの壁がただ倒れるだけなら簡単に回避できる。
しかし……思い出されるのは八つ竜の動き。
歪曲の能力であれば、支柱を使って変幻自在にあの壁を振り回せるのではないか?
八つ竜と同等に、操れるのではないか? つまり、高速で俺を追尾してくるのではないか?
だとすれば……とにかく空に逃げないとマズイ!
大地との間に潰されることだけは絶対に避けなければならなかった。
直後、俺の危惧が現実となる。
ぐにゃぐにゃに歪んで見える広大な壁が、上空を行く俺に向けて振り下ろされた。
あまりに壁が大きいためか、その動きは八つ竜ほど速くはないが、それでも俺の速度に迫る勢い。
加えて、当然のように俺を追尾してきていた。
大きすぎてかわせない。
このまま逃げれば追いつかれる。
それなら……!
俺は開き直って考える。
あの壁よりも速く、走ればいいだけだと。
トン。トン。
と、爆風を蹴り出し、俺はさらに加速した。
あまりに速すぎると小回りが利かなくなるので自重していたが、そんなことを言っている場合ではない。
[風啼]で暴風をまき散らしながら、これまでにない速度で上空を駆け抜けていく。
高速で追尾してくる巨大な壁。
しかし……小回りを捨てた俺は、その速度を上回った。
そして、俺は追尾を引き離す。螺旋を描くような回り道でナイトメアに迫っていく。
……気分が晴れ晴れとする。
こうして引き離すと気持ちがいい。
もはや、追尾してくるあの壁が俺に追いつくことはないだろう。
しかし、高速で振り回される巨大な壁が一帯の空気をかき乱し、乱気流を巻き起こす。
それらが俺の行く手を阻む。
だが、それも問題はない。[風啼]はどんな風も切り開く。【天上察知】で気流の動きを察し、それに合わせて姿勢を制御すれば体勢を崩すこともない。
結局、俺の走りを妨げるには至らなかった。
また、ナイトメアの意識は振りきれていないが……だからどうということもない。
どんな攻撃も、俺には追いつかない。
俺の走りは最速なのだ!
そう思うと、喜びがこみ上げてくる。
今の速さは、時速700km? 時速800km?
数値なんてどうでもいい。世界が瞬く間に流れていく。俺を邪魔するものを全て置き去りにしていく!
最高に、最高の気分だ!
もう誰も俺を止められない! 俺はいつまでも、走る続けることができる!
俺は歓喜に身を委ねる。
すると……ふいに、[爆肢]の制御が簡単になるのを感じた。
呼吸をするような自然さで、[爆肢]を使いこなせるようになっていく。
「ッ……?」
目を見開く。
いったい、何が起きている……?
ウーリの補助によるものか?
それにしては、急激な変化だが……?
戸惑う間にも、今度は[爆肢]と[風啼]の制御が一本化されていく。
集中力を分けることなく、それらをセットで制御できるようになっていく。
どうやら、空精魔術が最適化されていくようだった。
ついこの間まで[爆肢]すら成功していなかったのに、今や[爆肢]と[風啼]を使いながら他の魔術を使う余裕もできている。
……いや、それだけではない。
この人鳥の身体により適した走りの動作。
それが理解できた。
俺は、まるで初めからできていたかのようにその動作を取り入れる。
すると、走りそのものがさらに最適化される。
走りの質が変化し、さらに上の段階に押し上げられたのだ。
……俺は理解する。
自分の身体のことだ、さすがにここまでくれば何が起きているのかわかる。
走りを助ける空精魔術の最適化。
そして、走りそのものの最適化。
気づいてしまえばなんのことはない。
ただ、覚醒していただけだ。
新たな心象魔術に。
これは……十中八九、少女鳥の心象だろう。
走りを至上の喜びと定め、いつまでも走り続けたいと願う心の在り方。
それによって実現するのは、障害のことごとくが取り払われた永遠の走り。
――【永走】。
効果は、走りの最適化。
この対象には、走りを助ける空精魔術も含まれている。
ああ……、そうか。
と、これまで空精魔術の使用時に感じていた補助の感覚の正体を悟った。
てっきりウーリの力だと思っていた。
いや、確かにウーリの力によるものだろう。
だが……ウーリが意図したものではなかった。
ウーリの力によって、少女鳥の心象魔術が形成されかけていたのだ。そのなりかけの一部だったのだ。
「……はは」
苦笑が漏れる。
確かに、これはすごいことだ。
二つも心象魔術が覚醒したのだから。
しかし一方で、それがどれだけ不自然なことなのか理解できてしまう。
単に少女鳥に転生したから、二つの心象を持っているから、という理由だけで成立するものではない。
俺の本質は、どちらかといえば【天上察知】の心象にある。こちらはいついかなるときも俺の本心であるからだ。対して、【永走】の心象はオマケのようなものだ。走っているときだけ顔を出すが、それ以外では鳴りを潜める。
比重が違うのだ。エネルギーが異なる。存在の条件が異なる。
ただでさえ心象魔術に覚醒するのが困難であることを考えれば、【天上察知】に覚醒したあと、さらに【永走】に覚醒するなど普通ではありえない。
ウーリの力がなければ不可能だ。
そのことが、感覚的に理解できる。
まったく……と、呆れてしまう。
ウーリはどれだけ俺を強くすれば気が済むのだろうか?
まあ……ナイトメアを倒すためには、もっとやってくれてもいいのだが。
「ふぅ……」
走りながら、一息つく
そうして現状を再確認する。
【永走】に覚醒し、走りが最適化された今、余裕を持った走りができるようになった。
それによって、[風啼]と[爆肢]を使いながらでも、走術に集中したり、[爆撃]を併用したりできるようになった。いや、[爆撃]を使うくらいなら[抜踏]を使うだろうが、とにかく戦術の幅が広がった。
それを踏まえたうえで……目の前の問題をどうするか。
俺はナイトメアとの距離を改めて計算する。
……およそ一キロメートル。
つまるところ、ほとんど距離が縮まっていない。
追尾してくる巨大な壁から逃げながらナイトメアを目指したのでは、最短距離を行けない。
すると、ナイトメアの空間操作が、俺の接近を上回る。
結果、間合いを縮めることができていないというわけだ。
攻略法は……ないこともない。
ナイトメアの意識を振りきること。つまり、俺を補足させないこと。
それによって、ナイトメアの間合いの操作を妨害できると思われる。
ただ、これにはネックがある。
ナイトメアの意識を振りきるには走術を使えばいいのだが、方向転換がほとんど使えなくなるのだ。
方向転換すれば、移動速度が落ちる。俺自身の速度というよりは、背後から迫る壁との相対速度が問題だ。
速度が落ちれば、追いつかれてしまう。
たとえナイトメアの意識を振りきっても、一辺が一キロメートル以上という巨大な壁には当たってしまう。それが厄介だった。
こうなったら……方向転換を使わずに行くしかない。
これまで方向転換を多用してきたためこの制限はつらいが、やるしかない。
俺は気持ちを切り替える。
そして、一定のペースで走り続ける。
これが準備となる。
しばらくして。
その姿をナイトメアの目に焼きつけたあと、何の前触れもなくそれを行った。
爆風の強化。
姿勢を変えないままの、加速。
その一瞬、ナイトメアの意識を振りきる。
だが、すぐに追いついてくる。
それに合わせ、今度は爆風の場所を前にずらす。
足の角度をわずかにずらしての、減速。
それによってナイトメアの意識が俺を通り過ぎる。
減速とはいっても、背後から迫る巨大な壁には追いつかれない速度だ。
つまり、追いつかれない速度を維持したまま。
直進での加減速のみでナイトメアの意識をかわす試み。
あるいは、[火花]の変則版といったところだろう。
ナイトメアの意識は、俺の身体を何度も通過する。
完全に振りきっているわけではないが、捕捉されているわけでもない。
すると、ナイトメアとの間合いが縮まっていく。
やはり……俺の目論見どおり、対象が捉えられないと間合いの操作がうまくいかないのだろう。
俺は喜ぶというより、ホッと胸を撫でおろす。
今回のやり方は[爆肢]の性質を利用したもので、ぶっつけ本番だった。自信はなかったが、うまくいったようで良かった。
……さて、そろそろ勝負を決めよう。
もう間合いの操作は充分にさせてやらない。
空間の試練はこれで終わりだ。
俺は【天上察知】でナイトメアの意識を正確に察知し、爆風を使った加減速だけで翻弄していく。
一キロメートルあった間合いが、着実に削れていく。
そうして、ついに半分まできた。
そのときだった。
俺は一瞬、バランスを崩す。
歪んでいた空間が、元に戻ったのだ。
俺はすぐに体勢を立て直すと、背後から迫る壁に追いつかれないよう走りを再開する。
だが……壁の存在が俺から急激に遠ざかっていく。
ちらりと振り返れば、制御を失ったように巨大なそれが地面に落下していくところだった。
自分から試練を取りやめたような動きに、俺は悟る。
このままではマズイと、慌ててナイトメアへと直進していく。
直後、ナイトメアとの間合いが引き離される。
あと四百メートルほどだったのに、再び一キロメートルに戻されてしまう。
しまった……! ナイトメアの意識をかわし忘れた! というか、空間の試練終わってもそれ使うのか!? ズルいなおい!?
悪態をつきつつも、今度は通常の[火花]でナイトメアの意識を翻弄していく。
移動速度が落ちてしまうが、着実に距離を縮めることを優先する。
俺は焦っていた。
早くしなければ、次の試練が始まってしまう。
その前にナイトメアを倒さなければならない。
それなのに……俺の視線の先で。
無慈悲にも、ナイトメアの一対の黒翼が羽ばたいた。
上空から、きらきらと光が差し込む。
薄暗い景色の中、ナイトメアの周囲だけが明るく照らされる。
あたかも次の試練の始まりだと言わんばかりに、ナイトメアの意識に攻撃の意図が含まれる。
……もう、間に合わない。
俺は焦りを飲み込むと、瞑想する。
今回はダメでも、次がある。それよりも、焦ってミスをすることのほうが痛い。
俺は冷静に、ナイトメアの意識を翻弄していく。
たまにナイトメアの意識に当たりはするものの、完全に捕捉させることはない。間合いの操作を封じ、距離を縮めていく。
そして……。
ついに、それが来た。
「――発火魔眼」
直感が、警鐘を最大限に打ち鳴らす。
それが意味するのは、死の気配。
……何か、ヤバい!
俺は迷わず、直感に従い身を翻した。




