45話 八つ竜の試練を乗り越え
疾走する俺の行く先で、ナイトメアが待ち構える。
八つの竜頭による防御陣形。それは、俺の接近ルートを阻む連続攻撃。
これを突破するには、【思考加速】を持つナイトメアの意識を振りきる必要がある。
対して、空中を疾駆する俺。
[風啼]で円錐状の風よけを作り暴風をまき散らしながら、[爆肢]で爆風を踏み、時速500kmとも時速600kmとも思える高速域で走っている。
この速度でもナイトメアの意識を振りきれていないのは、さすがナイトメアというべきか。
このままでは八つ首の防御陣形を抜けないだろう。
そこで……走術を使う。
どの技を使うべきか。
俺は既に取捨選択していた。
壱の[縮地]はダメだ。遠近感を狂わせるように相手の意識を誘導するこれは、【思考加速】で認識速度が加速しているナイトメアには通じない。
弐の[残影]はタイミングが良くない。こちらの動きを予測させて幻影を見せるため、今の俺の速度に慣れさせておかないと効きが悪い。
肆の[抜踏]はナイトメアへの攻撃専用にするべきだ。竜頭にも使えないことはないが反動によるダメージが大きすぎる。
そうなると……必然的に参が残るのだった。
俺は一直線に駆けていく。走術の参は単調な動きから使ったほうが効果的だ。
瞬く間に、ナイトメアへの間合いが削れていく。
距離が百メートルほどになったとき。
すなわち、残り一秒を切ったとき。
ついに、鎌首をもたげていた八つ首が飛び出してきた。
同時、俺は【天上察知】でナイトメアの防御の意識を読み取る。
八つ首の迎撃ルートを割り出す。
これまでは避けようとしてもナイトメアの意識に補足され、接近ルートを先回りされていた。どうやっても、それを突破することができなかった。
だが……この速度で、この走術。
果たしてどちらが上か。
武者震いがする。
ここまでくると未知の領域だ。
俺にも結果が想像できない。うまくいくかもしれないし、失敗するかもしれない。綱渡りの感覚。
しかし緊張と期待を飲み込みながら、努めて冷静さを保つ。毎日の反復練習で身体に染み込ませた動作を思い起こす。
……このまま走り抜けろ。
もう、ナイトメアの前で立ち止まっているわけにはいかない。
これで、決着をつける!
俺は前方を鋭く見据える。
過去最高の速度とキレでもって、敢然と、その技を行った。
――走術の参:火花。
翼を広げて急制動。身体をよじる。
直後、爆風を蹴り、斜め上方へ急加速。
かと思えば、天井を蹴るかのごとく、下方へ急加速。
アクロバティックかつ変則的な動きに、ナイトメアの意識が俺から外れた。
くるりと身を翻し、翼で姿勢を制御して急加速。
八つ首の防御陣形の隙間をかいくぐる。
そのままナイトメアへ直進。
すぐさまナイトメアの意識が俺を追ってくる。
しかし俺は再び[火花]でナイトメアの意識を翻弄し、かわしていく。
……[火花]とは、回避の走術。変則的で予測不能の走り。
姿を捉えさせず、視界にちらちらと火花のように映すのみ。
これは初見こそ効果を発揮する。
そして相手の目が慣れてしまえば効果を失う。使いどころを選ばなければならない技だ。
この速度で、かつ立体的な動きだからこそナイトメアにも通じているが、もう追いつかれそうになっている。
あと数秒もすれば、完璧に対応されてしまうだろう。
……だが、一秒稼げれば充分だった。
俺は、ナイトメアの目前にいた。
既に八つ首の防御陣形を突破し終えている。
――抜踏。
[爆肢]のまま、俺はナイトメアに迫った。
爆風と合わせて、蹴り抜く心積もりだ。
それと前後して。
ナイトメアの一対の黒翼が羽ばたく。
他の魔術が……来る。
ナイトメアの意図は、攻撃ではないようだった。
直感によれば、危険は感じない。
……このまま決める!
なかば強引に、俺はナイトメアに迫った。
間近において。
黒いモヤで顔は見えないが、息を吹きつければ届くほどの至近距離で。
俺は視線が交差するのを感じた。
殺意を込めた俺の視線。
対して、ナイトメアから返ってくるのは……やるではないかというような、上から目線の評価の意識。
一瞬後には決着してもおかしくないこの場面。
ナイトメアは焦りの一つもないようだった。
泰然として、ナイトメアはつぶやいていた。
「――歪曲迷宮」
悔しいことに、認めざるをえなかった。
俺は、まだナイトメアに届いていなかったのだ。
蹴り出した足は、宙を切る。
そこに、ナイトメアの姿はない。
気づけば、はるか遠く。
いつかのように、ナイトメアは瞬間移動していた。
「……くっ」
空振りした俺は、くるりと身体を翻す。
異変を感じていた。
ナイトメアからは攻撃の意識を感じない。
俺は[爆肢]で減速し、地面に降り立つ。
警戒を維持しながらも立ち止まり、不可思議な光景を見回す。
……こんなの、アリか。
俺は苦々しく口元を歪める。
その間も、【天上察知】でこの現象を探る。
見たままを言えば、世界が歪んでいた。
薄暗い視界の中、地面が陽炎のようにぐにゃぐにゃと揺れ動いて見える。
遠くのナイトメアの姿が、波打つ水面のようにめちゃくちゃに動き、あちらこちらを行ったり来たりする。
幻影か?
そうではない。
視覚だけの話ではない。
すべての情報が、同時に、見当違いの方向から届いていた。
風が、曲がって届く。熱が、曲がって届く。音が、曲がって届く。意識が、曲がって届く。重みが、曲がって届く。
【天上察知】がなければ、真っ直ぐ立つこともできなかっただろう。
自分の身体さえも、歪んで認識させられている。
ダメージがあるわけではない。
ただ、歪んでいるだけ。
しかし、尋常ではない。人間業から逸脱している。
これが……“歪曲”の能力。
魔界王シテアハネをオリジナルとする力。
そのでたらめさに、思わず身震いする。
この不可思議な現象の正体には気づいていた。
歪まされているのは、空間そのもの。
ナイトメアが瞬間移動したように見えたのは、俺との間の空間を伸ばしたから。
……お手上げというほどでもない。
【天上察知】で逆算すれば、だいたいの距離は掴める。
それに結局、ナイトメアが見える方向に進めば辿り着く話。
ナイトメアまでの距離を曲げられるというのが厄介だが……それも、何か対処法はあるはずだ。
驚くべきは、こうも容易く空間を曲げられるその力。
いよいよラウレから聞いた話が現実味を帯びてくる。魔界王シテアハネは、光や重ささえも曲げられるという。
ナイトメアもそれができるとみたほうがいい。
その自由度は、ウーリの夢界にも匹敵するかもしれない。
少なくとも、まだ手札は残っているだろう。
さっきの余裕の態度からも確信できる。
希望を言えば、八つの竜頭で終われば良かった。
戦闘前にナイトメアが“八つの恐怖”と表現していたが、それが八つ首を指していればいいと思っていた。
だが、悪いことにそれは、そのままの意味なのかもしれない。
恐怖に値する何かが、八つもあるという……。
「……ふぅ」
今更怯むわけにはいかない。
負けるつもりもない。
だが、がむしゃらにぶつかれば勝てるという相手では決してない。
ここはいったん落ち着こう。
俺は瞑想と深呼吸を挟む。
そして、自分の体調を確認する。
体力は……問題ない。もともと【持久】は身に着けていて、一日の間ならある程度走り続けることはできる。しかもウーリに強化された身体の底は見えていない。このまま[爆肢]で飛ばしても息切れすることはないだろう。
魔力のほうも……問題はなさそうだ。俺の小さな器には、さっきから魔力があふれ返っている。ウーリの力の流入とともに、魔力も補給されているように思われる。
まあ、俺の魔術は俺個人に対する小規模なものだ。性能は高いが、大規模魔術に比べれば消費は少ない。たとえウーリからの補給がなくても、周囲から魔力を取り込めば走りながらでも回復できる。いずれにしても、魔力切れの心配は不要だろう。
と、ふいにウーリから激励の意識が飛んでくる。
脳裏で勝手に、はーちゃん、頑張れぇ、という声が想起される。
俺は微笑を漏らすと、翼を上げて応える。
……ウーリのほうも問題はなさそうだ。
戦いの継続に支障はないだろう。
だが……長引くのもマズイな。
地力はナイトメアが圧倒的に上。要素ごとに見れば、身体能力も魔力量も魔術の幅もナイトメアに軍配が上がる。こうしてやりあえているのは、これが戦いであり、俺が感知と速さに特化しているから。
できれば短期決戦が望ましい。持久戦になれば、先に力尽きるのは俺のほうだ。
……さて、情報収集もしておくか。
全体が見えないまま闇雲に戦えば消耗が大きくなる。少しでも、ヒントは得ておきたいところだ。
そう判断した俺は、歪む空間の中、ナイトメアに向けて声を張り上げる。
「八つの竜の首は突破した。
ナイトメア、“八つの恐怖”とはあれのことか?」
あえて想像がつくことを問う。答えやすいところから情報を引き出す。
果たして、ナイトメアは抑揚のない声で告げた。
「否。八つ竜の試練とは、八つの恐怖の一つに過ぎず。
よもや……余の恐怖、そこまで温いはずもなし。残り五つの恐怖、乗り越えてみせよ」
「…………」
やはりか、と思うと同時。
改めて試練の大きさを認識させられ、閉口した。
残り、五つ。
八つのうちの、五つ。
まだ半分もきていない。
簡単ではないとわかっていたが……それにしても、その試練のなんと理不尽なことか。
一つ一つが重すぎる。
そして、数が多すぎる。
俺は、そのすべてを乗り越えることができるのか……?
足がずんと重くなったように感じた。
悪態をつきたくなる。
そのときだった。
どこからか。
怯えながらも俺への祈りを捧げるウーリの意識を感じた。
……自分の弱さに苦笑を漏らす。
ウーリのように真っ直ぐでありたいと思う。
ナイトメアがどれだけ強かろうが、その試練がどれだけ理不尽だろうが、関係ない。
俺はウーリを守るために、ナイトメアを倒す。
それだけだ。
俺はネガティブな感情を追い払い、腹に力を込める。
そうして、高らかに告げた。
「誰がおまえの試練に付き合うと言った」
「……ほう」
「残り五つだろうが……次の試練で、おまえを倒せばそれで終わりだ!」
ナイトメアの意向を無視する宣言。
これに対し、ナイトメアから怒りや呆れといった感情が返ってくるかと予想した。
だが……揺るがない。
ナイトメアは興味深そうに、相変わらず期待するように。
抑揚のない声で、そして、どこか楽しそうにこう返してきた。
「……良かろう。できるものなら、やってみせよ。
されど……第四の恐怖、空間の試練。
決して容易くはないぞ?」
「……」
それは、余裕の裏返しか。
だったら……俺はその上を行くまでだ。
言葉は返さない。
行動で示そう。
俺は即座に駆け出した。
――それが、第三ラウンドの始まりの合図となるのだった。




