43話 新生して
2018/01/09 タイトル変更しました。「新生して」←「覚醒して」
「……ああ、ウーリ、その思い、受け入れよう」
俺は枷を脱ぐような気持ちでつぶやく。
途端、“信念”の縛から解き放たれたように心が軽くなる。視野が広がり、様々な情報が入ってくる。
ふと、開けたくない記憶の引き出しにしまわれていた言葉が思い起こされた。
それは、前世の記憶。十一も年の離れた妹の声。
『お兄ちゃん、もうやめて。自己犠牲なんてバカだから。そんなんで守られても迷惑だから』
……そうか、ウミの言っていたことが、今わかった。迷惑という言葉。あれは、俺に傷ついてほしくなくて出た言葉だったんだな……。
心の奥底にあったわだかまりが溶けていく。
これまでになく清々しい。まるで生まれ変わったような気分だ。さっきまでの恐怖や怒り、焦燥などを切り離して冷静に頭が働く。
今なら、何かが掴めそうな気がする。
俺は感知に集中する。以前よりも、感知精度が高まっている。
周囲を取り巻く魔力の流れ。ナイトメアが操る八つ首の動き。その根元の地形のうねり。恐怖の密度、寒さの度合い、重力の大きさ、酸素の薄さ。全身の痛みの発生源と負傷の具合。ありとあらゆるものが鋭敏に感じられる。
……ああ、こいつ、手加減していたのか。と、悔しいことにナイトメアが本気ではないことを理解する。
止まらない八つの竜頭の連続突き。だが、ウーリを回り込んで俺を狙ったり、ウーリの頭部を集中攻撃したりせず、あくまで単調にウーリの背中へと攻撃を当て続けている。もし本気で潰しにかかられていたら、俺の命はもう終わっていただろう。
とはいえ、それは決して優しさからくるものではない。見方を変えればなぶり殺しでもある。結局のところ、ナイトメアは期待しているだけだ。俺たちが這い上がれるかどうか。這い上がれなければ、このまま殺される運命であることは変わらない。
そもそも、竜頭の攻撃だって生半可ではない。ただでさえ俺より大きな竜頭が、まるで鞭をふるうように首をしならせて高速で振るわれるのだ。どんなハンマーより重く、鞭並みに速いそれは、普通であれば必殺の一撃。それを耐えているウーリがすごいだけだ。
ウーリが耐えられているのは、ひとえに能力で衝撃を殺しているため。そうでなければ、ウーリの小さな体躯で踏ん張れるわけがない。
だが、ウーリは衝撃を殺しきれているわけでもない。悲鳴の合間に息を詰まらせたり、体内で痙攣を起こしたりしている。ダメージが内部に浸透している。心拍数も異常に高い。俺に覆いかぶさる小さな身体は、びっしょりと脂汗をかき、腕の力も弱々しい。俺を支えにして引っかかっているような状態で、いつ倒れてもおかしくない。むしろなぜ倒れていないのか疑問に思うほどの衰弱具合だ。身体の限界はとっくに超えている。腹立たしいことに、俺以上にウーリは瀕死の状態なのだ。
それなのにまだ倒れていないのは、その意志によるものだろう。ウーリから俺に向けられる意識だけが、その強さを失っていない。守るのだという決意。その裏には、絶大の好意と生きてほしいという懇願。それが今のウーリを支えている。
それだけしかわからなければ、俺はウーリの思いによって奮起することしかできず、状況は何も変わらなかっただろう。
精神力だけではどうしようもないほど、現状は詰んでしまっているのだ。
しかし、今の俺は、さらに別次元の奔流を感じ取れた。
……ウーリから俺に向けられる何か。
それは吸い上げられる魔力のように、俺の身体へと一直線に流れ込んでいる。
だが、魔力ではなかった。
初めて感じ取る力。
それは、意味が与えられる前の無色の力か。あるいは、ウーリの意思そのものが具現化したものか。
しかも、それはすべて俺に流れ込んでいるわけではない。
俺が無意識に拒絶しているのか、半分以上、俺の身体に跳ね返されたあと行方を失って消えていた。
……なんだ、これは? ウーリの力の源か?
正体がわからず、疑問が生じる。しかし……不思議と嫌な印象は受けなかった。それどころか、温かいものを感じた。
そもそもウーリから俺に流れ込んでいるものだ。俺にとって害のあるものではないだろう。
むしろ、半分以上もその流れを受け入れてあげられていないことに心が痛む。この流れはおそらくウーリによるものだ。それなのに、あたかも健気なウーリの奉仕を拒絶しているように思われて、切なくなる。
だから、俺はその流れをすべて受け入れたいと思った。
具体的な手段は思いつかないが、とにかく受け入れようと意識する。
その瞬間。
――変化した。
俺に跳ね返されていたものが、すべて俺の中へと流れ込んでくる。
すぐにも、身体がぽかぽかと温かくなる。ぬるま湯に浸かるような気持ち良さに満たされる。
……この感じは、ウーリの治癒か。
俺の予想に応えるように、身体の痛みがたちどころに消えていく。
麻酔を打たれて手術でも受けているかのように骨折した部位が痛みなく正常の位置へと戻っていき、それ以外の外傷も治っていく。
なぜ、と深く考えるまでもない。
おそらく……俺がナイトメアの攻撃に直撃してからずっと、ウーリは俺を治そうとしてくれていたのだろう。[爆肢]の練習のときに俺のケガをあれほど強く心配していたウーリのことだ、重傷の俺を見れば懸命に治そうとするに違いない。
だが、ナイトメアの恐怖によって能力に制限がかかっているウーリでは、いつものように俺を治せなかったのだろう。
タイミングもあったかもしれない。俺とナイトメアはウーリを残して場所を移していた。ウーリは立ち上がるのも困難な様子だったから、きっとここまで浮遊してきたのだろうが、それでも移動に時間を要したはず。ぎりぎり俺をかばうことに間に合ったあと、ナイトメアの攻撃に耐えながら並行して俺を治そうとしてくれていたのかもしれない。だが、ナイトメアの攻撃は苛烈だ。ウーリは俺を治す余裕がなく、治癒がまったく機能していなかったのかもしれない。
だからこそ、俺のほうからも意識的にウーリの治癒を受け入れる必要があったのだろう。そんな気がする。
……まったく、本当に俺はウーリに守られてばかりだな、と嘆息したくなる。
しかし、すぐに思い直す。ここは感謝をするところだろう。互いを思い、互いに守り合う関係であるのなら、守られることを嘆くのは筋違いだ。
ウーリには感謝を。
返礼には、ナイトメアの打倒を。
もう身体は完治する。
感知精度も高まった。
さあ、ナイトメアとの第二ラウンドを始めよう。
そうして、立ち上がろうとしたときだった。
……ウーリの力の流入が止まらない。
傷が治ったあとは、今度はときおり感じていた不思議な補助の感覚が強まっていく。
ああ、そういうことだったのか……と気づく。
空精魔術の開発のとき、なぜか急に[風亡]使用時の魔力回復効率が改善されたり、[負爆]の爆風に乗るコツが唐突に理解できたりというように、不可解な補助の感覚があったが、あれらもウーリの力の一部だったのだろう。普段のウーリはそんな素振りを見せていなかったから気づかなかったが、もしかしたらウーリも無意識だったのかもしれない。なんにせよ、ウーリの力であることは間違いない。
そうであるのなら、体内で膨らんでいくこの補助の感覚を受け入れない道理はない。異物だと警戒する必要はないのだ。
そう判断した俺は、それに身を任せることにした。
すると……身体が内側から作り変えられていく。
体内を弄られているようでくすぐったく、どこか気恥ずかしい。
だが俺は、ただじっとして耐えた。目をつぶり、静かに受け入れる。
力の持ち主はウーリだ。新しく生まれ変わっていくことへの期待感だけがあり、不安は微塵も感じなかった。
その変化の最中……俺は自然と理解した。
この変化後の俺こそが、ウーリが無意識に思い描く俺の理想像であり、そして、俺が求めてやまなかった成長後の姿なのだろうと。
「……ウーリ、ありがとう」
身体の再構成が終了すると、やまない感謝の念が口からこぼれ出る。
力が身体の内から満ちあふれるようだった。
俺は、ゆっくりと目を開ける。
「……すさまじいな」
いろいろと思うところはあるが、なによりも。
これがそうなのか、と感動を覚える。
……覚醒していた。
天上から地の果てまで、すべてが見通せるようだった。
闇に覆われているはずの“悪夢の区画”の全容が掴める。およそ……半径十キロメートルの半球状。俺とウーリとナイトメアを除いて、他に生物はいないらしい。
まるで、遠くの情報がおのずから俺に向かって流れ込んでくるように思われる。
この感覚は、懐かしい。
そういえば……そうだったな、と、俺は過去の自分の在り方を驚愕とともに思い出す。
そう……あれは、前世のトラウマが形成される前のこと。
三つ年下の妹の手を引いて、交差点を渡っているときだった。
当時にして既に、俺はこの境地に足を踏み入れていた。もちろん感知範囲は今よりも小規模だったし、幼さゆえに危機感に欠け、どう立ち回るべきかもわからなかったが、それでも、こちらに向かってくる車のことを視認せずとも把握できていたし、それがこちらにぶつかりそうなこともぼんやりとわかっていた。
そして、だからこそ、対処できずにソラを目の前で交通事故で失ったことが怖かった。感知できていた自分ならソラを助けられたはずなのにと絶望し、俺は自分を否定した。自分の在り方から目をそらし、そうして信念にすがるようになったのだ。
俺のもともとの在り方は、受け入れること。
体質でもあったのだろうが、俺は先天的に外界のあらゆる情報を知ることができた。
自分の在り方を否定して信念にすがるようになったあとも、【瞑想】や【感知】に秀でていたのはその名残だったのだろう。
そりゃあ、自分の心の在り方が見つからないわけだと納得する。
自分から信念で覆い隠していたのだから。
そして……今。
今度は信念を捨てて過去の自分の在り方をようやく取り戻したのだ。
……感知だけなら見渡す限り。
察するだけなら雲の上まで。
――【天上察知】。
ただ知ることを是とする。それが俺の心象だ。
なんというか……心の在り方に気づいたから覚醒したのではなく、ウーリの補助を受けて覚醒したから自分の心の在り方に気づいた感じだな。自分一人ではここまで来るのにどれだけの時間を要したことか。
本当に、ウーリには感謝が尽きない。
……さて、ここからは俺がウーリを助ける番だ。
八つの竜頭はその動きを止めていた。
俺が覚醒したとき、ナイトメアは興味の意識とともに攻撃を中断していたのだ。ナイトメアは鋭敏に俺の変化を感じ取ったのだろう。
ナイトメアは倒すべき相手だが、しかしここまで本気で来なかったことには少しだけ感謝してもいい。おかげで、信念を捨てて強くなれたのだから。
俺はぐったりしているウーリを両翼で支えてお姫様抱っこすると、ゆっくりと立ち上がる。脱力した身体は重く感じるものだが、ウーリが羽のように軽く感じる。
まあ、それもそうだろう。俺の身体は完治しているうえに、ウーリの力で強化されてもいる。何もしていなくても俺の全力の[身体強化]がかかっているような状態だ。さすがに俺の[抜踏]に耐えるナイトメアほどではないが、それでも普通に強い。
加えて、さきほど覚醒した心象魔術の【天上察知】に、おそらく空精魔術の使用時にかかるだろう強い補助の力。ハッキリ言って、もうナイトメアに負ける気がしない。……とはいえ、圧倒できる気もしないのは、さすがナイトメアといったところか。俺の勘では、これでやっと対等のステージに立てた感じだ。
俺は【天上察知】でナイトメアの挙動を警戒しながら、抱えているウーリを優しく見下ろす。
ふわふわだった白い髪は汗で顔に張りつき、ウーリの表情は衰弱しきっている。こちらを見上げてくる薄紫色の瞳にも力がなく、焦点が少し合っていないようだ。もしかすると、俺の強化にも気づいていないのかもしれない。すべてはウーリの力によるものなのだが、ウーリは本当に無意識でやっていたのか。
「……ウーリ、ありがとう。おかげで強くなれた。覚醒できたんだ。だから……あー、このへんの地面は固いからな、俺ではベッドを出せなくて申し訳ないが……せめて横になって休んでいてくれ。あとは俺が片づけるから」
もう大丈夫だと伝えるために軽い調子で言ったのだが、言葉が不十分だったのか、ウーリは俺を守るという意志を弱めない。それどころか拒絶の意思を返してくる。しかし大声を出す力もないようで、うわごとのように弱々しく言うのみ。
「めぇぇ……はーちゃんが、死んじゃぅ……」
俺はここまでウーリを追いこんでしまったことに胸が痛んだ。もっと早く信念を捨てていれば……と考えてしまう。
だが、それは意味のない想像だ。後悔する暇があるのなら、さっさとナイトメアを倒してウーリを楽にしてあげたほうがずっといい。
俺は心を切り替えると、ウーリの心配を解くように言葉を選ぶ。
「……もう、大丈夫だ。信念に頼るのはやめた。死んでもいいなんて、もう思わない。ウーリのためにも、俺は“絶対”に死なないと約束する。これからは信念の対象などではなく、ただ、大切な……家族の一人として、ウーリを守ることをここに誓う。
死なないように戦うから、だから……俺がナイトメアを倒すところを見ていてくれないか?」
決意を込めて真摯に言葉をかけた。
すると……。
「絶対に、死ななぃ……? 家族ぅ……?
――ッ! うりぃっ! はーちゃんと家族ぅ!」
急に喜びにあふれたかと思えば、息を吹き返して嬉しそうに俺に抱き着いてくるウーリ。そのまま俺の首元に顔を埋めてすぅはぁと匂いを嗅いでくるが、気のせいだろうか、そのたびにウーリの体調が回復しているようだ。わけがわからない……いや、俺の匂いに包まれる安心感によりナイトメアの恐怖が薄れ、能力で自分を治癒することができるようになるのだろう。きっと、おそらく……。
それにしても、家族という言葉がよほど嬉しかったようだが……あれ? そういう話だったか? 死なないことが焦点だったような……。まあ、ウーリが回復したのならなんでもいいか、と、ウーリが喜んでくれたことで頬が緩むのを誤魔化しながら俺は思うのだった。
その間、ナイトメアはその背後に八つ首を揺らめかせながら、ウーリの様子を興味深そうに見ている。まだ攻撃を仕掛けてくる様子はないようだ。
俺はウーリが落ち着くまで待ったあと、その場にウーリを下ろす。
「じゃあ、行ってくる。ウーリは……自分の身を守れる? 難しければ、いったん二人で逃げるのもアリだが」
「はーちゃんが死なないなら、ウーリも大丈夫ぅ。少しだけ能力使えるからぁ」
それは、俺が死なない限り、ウーリは安心して能力が使えるから大丈夫ということだろうか。
まだ傍にナイトメアがいるにも関わらず、だいぶ緊張感の抜けた笑顔を浮かべるウーリ。その心から恐怖が完全に消えているわけでもないようだが、一方で俺の様子から何かを確信しているのか、心配の欠片もない、絶大の信頼だけを向けてくる。
俺はそれに応えるように、自信を持って頷いてみせる。
「もちろんナイトメアには勝つつもりだが……万が一負けてしまっても、そのときは生きて逃げてくる。絶対に死なないように立ち回るから……それならウーリも大丈夫そうか」
「そぉ!」
「よし、じゃあ俺は戦いに集中しよう。ウーリは……」
「ウーリ、はーちゃんが勝つところ見てるぅ」
「そうか。じゃあ、俺が勝つところを見ていてくれ」
「はぁぃ」
……ウーリには、この悪夢の区画から離れて休んでいて欲しいとは思う。
だが、ウーリにはナイトメアに勝つところを見届けて欲しいとも思う。
この戦いは俺のものだけでなく、ウーリのものでもある。ナイトメアがウーリの悪夢だからというのもあるが、俺の強さは今やウーリに支えられている。いわば、俺の力とウーリの力が合わさったものが、今の俺の強さなのだ。ここからは二人の力でナイトメアを倒すことになるので、ウーリにも見届けてもらえると嬉しかった。
それに、仮にも消耗しきった小さな身体で八つ首の連続攻撃をある程度耐えられたウーリのことだ。俺の匂いで回復……いや、俺への信頼感で回復した今なら、これからのナイトメア戦で流れ弾があっても問題なく対処できるだろう。戦場から避難させなくてもウーリなら大丈夫に違いない。ウーリが俺を信頼するように、俺もウーリを信頼することができた。
俺はウーリと頷き合うと、ついにナイトメアへと向き直る。
心に余裕ができたので殺意や怒りに身を任せる必要はなくなった。だが、これまで抱えてきた殺意や怒りは心の奥底に残っている。
それらにようやく報いることができるという喜び。
また、ナイトメアと戦う力を手に入れられたことへの嬉しさ。自分の強さを試したいという衝動。
俺が這い上がることを期待して手を抜いていたナイトメアを見返してやるという企み。
そしてなにより、ウーリにこいつを倒すところを見せ、こいつへの恐怖心を薄めてやるんだという思い。
それらを胸中に秘め、万感を込めて俺は口を開く。
「待たせたな、期待公。望み通り、“八つの恐怖”だか八つ首だか知らないが、それを乗り越えて、おまえを打ち倒してみせよう」
「……言うは易し。その力、見せてみよ」
相変わらず期待の意識を向けてくるナイトメアへと、俺はようやくその一歩を踏み出したのだった。
……もう、信念にはすがらない。
――ただ大切な者を守るために、おまえと戦うぞ、ナイトメア。




