40話 ナイトメアと相対し
2018/01/03 誤字修正
2018/01/02 イスハの心情描写を追加(話の展開に影響はありません)
前)「……ッ! 問題ないわけないだろうが!」
↓
後)「……ッ!」
ふざけるな! 夢界だからウーリが死んでも生き返ることは可能性の一つとして予想していたんだよ! だが――!
「――問題ないわけないだろうがッ!」
「ウーリ!」
這いつくばうウーリの姿を見つけるや、俺はナイトメアへの警戒も疎かに、ウーリのもとへと駆け寄った。
「ひぅっ……ぅぅっ……ふぐぅっ……」
小さな身体をさらに縮こまらせてウーリは震えていた。むせび泣く声も聞こえるが、ひとまずは生きていてくれたことに俺は安堵する。
「ウーリ! 大丈夫かっ?」
俺はウーリの横でしゃがむと、翼でウーリの肩に触れる。
ウーリの頭部は砂ぼこりで汚れ、ふわふわの白い髪は乱れている。だが、特に外傷は見当たらない。あとは、心の傷の問題だが……。
ようやく俺の存在に気づいたのか、ウーリの肩がビクっと震え、ぐすんぐすんとしゃくる声がやむ。
「……は、はーちゃん?」
か細い鼻声のあと、ウーリがおもむろに顔を上げた。
……見ているこっちが泣きたくなるような、くしゃくしゃに憔悴しきった表情。
ウーリからごちゃ混ぜになった意識が俺に向けられる。後悔、罪悪感、不安、期待、自責……。
ウーリ自身もどうしたいのかわからないのだろう、視線が定まらずに薄紫色の瞳が大きく揺れている。
だが、その感情はなんだっていい。たとえ弱々しくても、ウーリがこうして反応を返してくれることがなによりなのだ。
身体が無事でも、心が死んで無反応だったらどうしようもなかった。
「生きていてくれて良かったっ……」
俺はウーリを翼で包むようにして抱きしめる。
ウーリを失わずに済んで本当に良かった。あるいは信念を破らずに済んで、と言うべきかもしれないが、この際どちらでもいい。とにかく、ウーリの無事に俺は感謝した。
すると、抱きしめる翼の中でウーリは力なく声を震わせる。
「はーちゃん……ウーリ、ダメなのぉ。コワイノを倒せないのぉ……」
懺悔するような、自責の声。
どうやらウーリは、ナイトメアを倒せなかったことで自分を責めているらしかった。ナイトメアを倒せない自分はダメな奴なんだと。
だが……ウーリがナイトメアを倒せないことはわかりきっていた。いきなり元凶を克服できるわけがないのだ。そんなことで自分を責めてほしくはない。
「……何がダメなもんか。ウーリじゃもともと倒せないって話だっただろ。俺が倒してみせるから、ウーリは待っていてくれればいい」
「でもぉ……それじゃあはーちゃんが死んじゃぅ……」
ようやくウーリは俺の身体にしがみついてくる。その力は弱々しく、すがりつくようなそれだ。
だが、その意識には頼ろうとする色がなかった。
あるのは、好意と決意。それは俺を守ろうとする覚悟だ。すがりつくような仕草は、俺が行ってしまわないように引き止めるためだろう。
……これほど弱りきっているのに、まだ俺を守ろうというのか。いや、あるいはその意志だけがウーリの心の支えになっているのかもしれない。その支えを失わないように必死なのかもしれない。
だとしても……初めから、俺こそがウーリを守るつもりだったんだ。俺の太ももにすがるようなこの小さな手をどけるのはつらいが……この引き止めに応えるわけにはいかない。
「……悪いが、ウーリに無謀なことはさせられない。俺には信念がある。これは俺がやるべきことなんだ」
「でもぉ……はーちゃんが死んじゃ……」
「だからといってウーリが死ぬのもダメだ。俺は、ウーリに生きていてほしい」
俺の言葉にウーリは弱々しく顔を上げると、懇願の意識を向けてくる。
「ウーリだってぇ……ウーリだって、はーちゃんにぃ」
「ありがとう。その思いだけで充分だ。……とりあえず、この場は任せてくれ」
俺は会話を打ち切った。
これ以上問答を続けても、俺ではウーリを納得させられないだろう。俺が死なないことは、信念に従う限り確約できることではないのだから。
ウーリから手を放して立ち上がると、ナイトメアに向き直る。
ナイトメアの表情は黒いモヤに隠されてわからないが、先ほどから興味の意識が向けられていた。そこに敵意は見当たらない。
しかし、それは必ずしも戦闘の回避を意味しない。前回は敵意なく試練として攻撃を受けたのだ。このまま穏便に終われるとは思えない。
ウーリだけでも逃がしたいところだが、ウーリは俺と一緒でなければ動かない、あるいは疲労で動けないだろう。そしてナイトメアが攻撃してくる中では二人で逃げるのも難しい。あの竜頭の攻撃を避けられるとは思えないのだ。
このまま戦闘に入るのはマズイ。少なくとも、ウーリだけでも逃がせるように交渉しなければ……。
「……待たせたな。まずは、攻撃せずにいてくれたこと、感謝する」
「感謝など無用。勇敢なる者には、それ相応に遇するまで」
抑揚のない無感情な低い声が返ってくる。しかし声音とは裏腹に、言っていることは厚遇と同類だ。
どういうわけか、ナイトメアは恐怖に立ち向かう勇敢さに何かを期待する節がある。なぜ自分と敵対するような存在に期待を寄せるのかは不明だが、期待する相手からの言葉なら聞き入れられやすいだろう。これを利用しない手はない。
恐怖や緊張で声が震えながらも会話を続ける。
「……そうか。実は頼みがあるんだが、聞いてくれるか?」
「申してみよ」
「この場は見逃してくれ。いずれ、再戦のために戻ってくるが、それは今じゃない。時期尚早なんだ。
おまえの試練を受けるには、まだ強さが足りない。弱いまま終わっても意味がない。それは、おまえだって感じることじゃないか?」
俺に何かを期待するなら、弱さゆえの俺の敗北という呆気ない幕引きは望まないはずだ。きっと、俺が強くなることには賛成してくれるはず……。
俺が見守る中、ナイトメアは迷うように沈黙する。
……認めるのか、否定するのか。ナイトメアの返答に俺とウーリの運命がかかっている。
もろもろのプレッシャーを受けて生きた心地がせずに待っていると……ふいに、黒いモヤの向こうからナイトメアの声が返ってきた。
「しかり、汝の申し出は道理であろう。余とて待ちわびていた。恐怖に打ち勝つ勇敢なる者を。なれば、場を整えることは本望である」
「それなら……」
「されど、悪夢とは……それほど優しきものであろうか?」
その残酷な反語に、俺は二の句が継げなかった。
「余が悪夢たる流儀として、二つ。
一つ、……殲滅せぬこと。すべて死に絶えては、恐怖の伝播が途絶えるゆえ。
一つ、……すべてがすべては逃がさぬこと。死の恐怖を知らしめるゆえ。
して、汝らは二人であるが……どちらが残るか?」
……くそ、状況はふりだしに戻ってしまった。
片方だけ逃げられるとしても、ウーリは俺を置いて逃げてはくれないだろう。
こうなったら……。
「……俺が残って戦う。ただ……」
そのとき、後ろから俺の足に小さな手が触れた。……四つん這いになっているウーリの手だ。
「ダメぇ……」と弱々しく訴えてくるが、ろくに力がこもっていない。ナイトメアとの戦闘で精魂尽き果てたのか、もう立ち上がることもできない様子だ。
そんな彼女を守らないわけにはいかない。たとえ筋違いであっても構わないと、俺は意を決してナイトメアに頼み込む。
「……ウーリがこの場から離れられなかったとしても、戦闘後はウーリを見逃してくれ。その代わり俺はおまえと戦うから。頼む」
「ほう……? 見逃すとは?」
声に抑揚はないが、疑問の意識を向けてくるナイトメア。
しかし“見逃す”のどこに疑問を抱くというのか。
「……見逃すというのは、攻撃しないでくれということだが……?」
「なにゆえ?」
「っ……理由なんか、要らないだろ」
まるで攻撃するのが当たり前だとでも言わんばかりの物言いに、声を荒げそうになる。
ウーリの悪夢だからウーリを攻撃するのが当たり前ということなのか?
しかし、ナイトメアの返答は俺の想像以上に最悪だった。
「攻撃しないでほしいとは、異なことを。
――其れは、殺しても死なず、どこかで復活しように。なれば、攻撃しようが問題なかろう?」
「……ッ!」
ふざけるな! 夢界だからウーリが死んでも生き返ることは可能性の一つとして予想していたんだよ! だが――!
「――問題ないわけないだろうがッ!」
殺しても死なない? だからどうした!
殺しても死なないからといって、攻撃していい理由になるはずがない! そんな理由でウーリを殺されてたまるか!
「そんな理由なら、今すぐやめろ!」
「今更であろう。これまでに余が其れを殺すこと――幾百を数えるゆえ」
「……ッ!?」
「今更見逃す必要もなかろう」
……幾百殺した? …………おい。
その間に……ウーリの恐怖はどれだけ根付いた? どれだけウーリを苦しめれば気が済むんだ?
沸騰するように、脳裏が赤く染まっていく。
「……おまえは、絶対に俺が殺してやる」
普段なら吐かない呪詛を吐く。
そして、血が上った頭を努めて鎮める。
ナイトメアに勝つには、冷静さを失ってはならない。代わりに、心の内を怒りと殺意で埋め尽くす。
身体が震える。しかしそれは恐怖からではなく、激情からだ。
さっきまで恐怖と寒さに冷えていた身体は、熱をたたえている。身体がナイトメアを殺したがっている。
「……最後の確認だ。ウーリを逃がす気はないのか?」
「其れを殺すことが、余の意義なれば」
「そうか。……場所を移そう。それくらいは構わないだろ?」
「……好きにせよ」
衰弱したウーリを一人残すのもためらわれるが、戦闘に巻き込むわけにもいかない。
行かないでと懇願の意識を向けてくるウーリに背を向け、俺は決然と歩き出した。
俺の後ろをナイトメアがついてくる。
ウーリの姿はとっくに見えなくなったが、念のため一キロメートルほど歩いたあとに俺は立ち止まった。
「ここでいい」
「……良かろう」
俺はナイトメアと向かい合う。
距離は二十メートルほどだろうか。区画の薄暗さで見えにくくとも、その大きな七対の黒い翼と白いローブは見失わない。特に、ナイトメアは魔術の兆候として黒翼を羽ばたかせるようなので見逃すわけにはいかない。
逆に、黒いモヤに隠された顔は見ないようにする。モヤが恐怖を喚起してくるし、どうせ表情は見えないのだ。それなら見ないほうがいい。
「……汝にとって、あれは何か?」
ふいに、ナイトメアから問いが来る。
俺は咄嗟に答えようとして……考え直し、そしてやはり最初に浮かんだ答えを口にした。
「信念の保護対象だ」
「汝に、あれを守りきれるか?」
「守りきってみせるッ!」
俺は強く言い返す。それはナイトメアに勝てる見込みのない自分への言葉でもあった。
すると……ナイトメアの意識に期待がこもる。
「勇敢なる青き鳥よ。歓迎しよう。
余の恐怖に耐え、余の強さにくじけず、この環境をも乗り越え、よくぞ参った。
その屈さぬ心や良し。されど……力なくては道半ばで倒れよう。
あれを守り通すと申すならば、余に力を示せ。八つの“恐怖”、ことごとくに打ち克ってみせよ」
「そんなこと、言われるまでもない! ……だが、なぜ、俺を歓迎する? その理由はなんだ?」
気になるからというよりは、ヒントを求めて。
殺意は充分だが、このまま戦っても勝算がない。なんでもいい、勝率を一パーセントでも上げるためのヒントが欲しかった。
「歓迎の理由など些事であろう。余の試練を乗り越えよ。されば話さん」
教えるつもりがないとみて、俺はすかさず次の問いに繋げる。
「試練というのは、“八つの恐怖”というやつか? それは、竜の頭の攻撃か? それとも、他にもあるのか?」
シテアハネは、光や重ささえも操るという。ナイトメアもそうである可能性は否定しきれない。
……これがわかったからといってどうしようもないかもしれないが、とにかく探るしかなかった。
「試練を乗り越えればわかろう。――穿つ竜頭」
しかし、ナイトメアはもう答えるつもりがないらしい。
ナイトメアの一対の黒翼が羽ばたくと同時、背後の地面から竜を模した八つの長い首がゆらりと持ち上がる。ここの地面は一枚岩で固いはずだが、それをものともせず、ぐにゃりと簡単に引き延ばされていた。
……これが“歪曲”。魔界最強の君魔のコピー。
状況は最悪だ。この歪曲の能力だけならまだしも、ナイトメアには馬鹿げた【身体強化】と【思考加速】がある。どう攻撃すればダメージが通るのか、どう避ければ攻撃に当たらないのか、そんなこともわからないのだ。
仮にこの八つ首が“八つの恐怖”だとしても、乗り越えるビジョンが浮かばない。
もはや戦いの最中での劇的な成長を願うほかない。これを人は無謀やら自殺行為やらと呼ぶだろうが……もう他に方法がないのだ。
しかし、覚悟ならとうにできている。ナイトメアに挑むウーリを放ってはおけなかったのだから、こうなることは心のどこかでわかっていた。
勝っても負けても、ここが決戦。俺が死ぬか、ナイトメアが死ぬかのどちらかのみ。
そしてウーリを守るには、ナイトメアに勝つしかない。
俺にできることは一つだけ。
「――この命を使い果たしてでも、おまえを倒す!」
負の感情をすべて取り払うように俺が吠えると、ナイトメアが笑った気がした。
「余はナイトメア。恐怖をもたらす者。
勇敢なる青き鳥よ。……さあ、場は整った。されば、余の恐怖に打ち克ってみせよ」




