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38話 ウーリを追い

「………………――ハ。おーい、イスハったら」

「ッ!?」


 一気に意識が覚醒した。

 慌てて布団羊から跳ね起きると、隣にはビクリと肩を跳ねさせるラウレがいる。


「お、おはようかな? ごめんね、ボクがウーリちゃんに話したから喧嘩に――」

「ウーリ!? ウーリはどこだ!?」


 ラウレはウーリに信念を伝えたことについて負い目に思っているのか暗い表情だが、それに言及している場合ではない。


「えっ、ウーリちゃん? えっと……さっきどこかに行っちゃったけど」

「さっき行った? 本当にさっきなのか? 俺が寝ていたのはどのくらい?」

「数分かな? ウーリちゃんと言い争ったあとにイスハが寝たから、なんか早めに起こしたほうがいいかなって思ったんだけど……」


 恐る恐る伝えてくるラウレの肩を、思わず翼でバシバシと叩く。


「良い判断だ! ウーリは一人でナイトメアに戦いに行った! 俺は止めに行く! ラウレはここで待っていてくれ!」


 それだけ言い残して駆け出そうとすると、ラウレが慌てて俺の前に割り込んでくる。


「まままっ、待ってよ! ちょっと待って! えっと、ウーリちゃんがナイトメアと戦うってどういうこと?」

「今は説明している時間が惜しい! 事情は帰って話すから!」


 どのみちラウレにはここで待機してもらうことになる。ナイトメアとの戦いに巻き込むわけにはいかないし、そもそもナイトメアがいる場所まで向かうのにラウレは足手まといだ。目的地まで憶測だが100km以上離れていると思われる。広大な夢界の中で、ナイトメアを怖がるウーリが選んだ場所がここなのだ。少なくとも、近いなんてことはない。事態は一刻を争う。これから全力で走るので、ラウレはついて来られないだろう。


 俺の必死さが伝わったのか、ラウレは真面目な顔で端的に言った。


「絶対に、生きて帰ってきてね」

「……ああ、努力する」


 ……どうしてウーリもラウレも“絶対”に生きろとか死ぬなとか言うのか。いや、ラウレの場合は解毒の約束があるから当然ではあるんだが……。

 “絶対”という、守れるはずがない表現に俺は苛立ちを覚えつつ、解き放たれたバネのように飛び出す。今はそんなことに苛立っている場合ではない。


 ――潜在覚醒、身体操作、感知。

 ――風亡かぜなき


 空気抵抗を減らし、ただひたすら速く走る。

 目指すは恐怖を感じる方角、つまりナイトメアが存在する場所。そこに、ウーリは向かったはずだ。


 俺はさっさとトップスピードに達し、およそ時速150kmで走行を続ける。

 丘陵地帯を風のように走り抜け、ときに羊の群れを迂回しながら先を急ぐ。


 これでも速いほうだが……焦りが抑えきれない。

 瞑想して冷静を保ちながら考える。


 俺の到着は間に合うのか?

 ウーリは転移を使ったはずだ。ナイトメアの近くでは能力が使えないはずだから、ぎりぎりのところまで転移で移動したに違いない。

 仮にここからナイトメアがいる場所まで100kmだとすれば、時速150kmで走ると……40分。決して短くない時間だ。その間にウーリの戦いは始まってしまうだろう。そして、俺の到着が間に合わずに戦いが終わる可能性もある。それだけは避けたいところ。

 もっと速く走れたらいいんだが……これ以上は、地面に対して蹴る足が追いつかない。時速150kmで走るということは、俺から見て地面が時速150kmで過ぎ去っていくということでもある。もはや地面を後方へと蹴るというより、自分が真上に跳ねるような感覚。空中を行く[爆肢はぜあし]ならその制限がなくなってさらに速く走れるんだが……ないものねだりをしても仕方がない。間に合うことを祈りながらこの速度で走行を続けるしかないだろう。


 それにしても……ウーリ、無謀すぎる。

 ナイトメアが怖くて、ナイトメアの近くだと能力が使えなくなるくせにどうやって戦うつもりなんだ。

 俺を守るために能力を使えるようにする? 無茶を言うな。ナイトメアが怖いという根本的な部分を放置していてはうまくいくわけがない。

 野菜嫌いが、いきなり野菜を食べたってどうにもならないのと同じだ。料理を工夫して段階的に慣れさせていくように、ウーリもナイトメアに対する恐怖を段階的に克服していかなければならない。その段階の初めとして、俺がナイトメアを倒さないといけないんだ。いきなり本人がぶっつけ本番で元凶に挑むなど、無謀の極みでしかない。


 俺だって、信念に頼って計画的に鍛錬を積んでいき、そうして時間をかけて慣れていったからこそ、学校にも普通に通えたのだ。それがなければ外出も難しかった。交差点を見るたびに、ソラを亡くした光景が脳裏をよぎっていたのだ。こういうのは、自分の力だけでどうこうできるものじゃない。時間と、場合によっては他人の力も必要だ。両方を欠いた今のウーリに、ナイトメアの恐怖を克服できるはずがない。


 そもそも……万が一、恐怖を乗り越えて能力が使えるようになったとしてもだ。魔界最強のコピーを相手にウーリは勝てるのか?

 勝てるのならいい。だが、負けたらどうする。ナイトメアに殺されたら終わりだ。

 ウーリは死なないと言っていたが……仮に夢界だから蘇生できたとしても、リスクはそれだけじゃない。

 最も怖いのはウーリの死だが、次に怖いのは失敗の反動だ。特に今回のような、無理して頑張ったときの失敗が怖い。無理をするだけでもストレスになるのに、そこに失敗のストレスがのしかかるからだ。そうしてストレスに耐えかねれば……いよいよウーリの精神が病む可能性だってある。あるいは魔物だからそうならなかったとしても、ウーリの恐怖が深刻化してナイトメアが強化されるかもしれない。とにかく、悪いことばかりだ。


 本当に、ウーリの挑戦は無謀なんだ。

 それなのに……どうして、俺はウーリを止められなかった?

 いや、わかっている。決断が遅かった。まさかウーリが本気で俺を眠らせてくるとは思わなかった。ウーリを相手に実力行使することをためらってしまった。

 その結果がこのザマだ。……最悪、俺の命と引き換えにウーリをナイトメアから逃がそう。それが、ウーリを止められなかった俺の責任でもある。

 俺に死ぬなとウーリは言うが、こればかりは譲れない。守るために死ぬのなら、信念を持つ俺こそがふさわしい。前世ではそうだったし、そしてこれからもそれは変わらないだろう。

 ……なにはともあれ、まずは間に合ってからの話ではあるが。


 丘陵地帯を抜けた俺は区画の境界を通過し、魔界の区画へと突入する。

 少しずつ恐怖の発信源に近づいている実感はあるが、まだまだ遠い。トップスピードを維持したまま辛抱強く走り続ける。


 警戒を怠ることなく岩の陰などに魔物が潜んでいないか注意していると、前方の浮遊岩に違和感を覚えた。

 注視すれば……いつか見た二人組が乗っている。ツリ目男と長髭親父だ。

 時間が惜しいので無視して通り過ぎようかと思ったが、俺に気づいたらしい彼らは浮遊岩を地上付近に下げて俺のほうに近づいてくる。何か用があるのだろうか。

 それにしても、なかなかの速度だ。今の俺よりは遅いが、[風亡かぜなき]未使用時の俺の最高速度くらいある。浮遊系の操作は速度を出しやすいのだろう。あれならもしかすると……。


 俺は名案を思いつき、減速して浮遊岩と合流する。


「ちょっと頼みがある! 乗せてくれ!」

「……は?」


 あちらから敵意はなかったので、俺も敵意がないことを声ににじませつつ、跳躍して浮遊岩に飛び乗る。隠れられるようにか横に広いので、三人乗っても窮屈ではない。

 驚きにのけぞって変な姿勢で固まる二人に向けて、手短に説明する。


「悪い、急いでいるので運んでくれ! 恐怖の方角だ! 話は移動しながらで頼む! さあ早く!」


 ツリ目男と長髭親父は顔を見合わせると、呆然としながらも浮遊岩を動かしてくれた。急かしたのもあるが、すぐに協力してくれる程度には信頼があるというか、以前の別れ際の印象は悪くないようだった。

 浮遊岩は高度を上げながら、恐怖の方角に向けて滑り出す。俺は[風亡かぜなき]で浮遊岩を包み、空気抵抗を減らす。


「ガンガン飛ばしてくれ! 俺の魔術で向かい風は減らしてある! 出せるだけ速度を出してくれ!」


 俺の言葉を受け、浮遊岩は加速していく。そうして速度に対して空気抵抗を感じないことを実感したのだろう。浮遊岩の加速は止まらず、すぐに俺の最高速度を超えた。

 そのままドンドンと加速していき……時速300km? 時速400km? もう見当もつかないが、そのくらいの速さで景色が流れていく。


「うぇぇ、速え! つか怖え!」


 声を震わせながら、ツリ目男がへっぴり腰で長髭親父にしがみつく。どっかり座る長髭親父は操作に集中して気が紛れているのか、余裕はなさそうだが動揺は少ない。

 ツリ目男が情けなく見えるが、当然の反応でもある。空気抵抗が小さく吹き飛ばされにくいとはいえ、壁も柵もなく、ベルトもない。それどころか椅子もなく、無防備な状態でおそらく新幹線以上の速度が出ているのだ。俺だってかなり怖い。特に、自分じゃなくて人が操作しているのでなおさら怖い。もし長髭親父が急ブレーキをかけたら……そう思うとぞっとする。

 長髭親父もこれ以上の速度には恐怖を覚えるのか、あるいはここが操作の限界なのか、加速を止めた。たまに進路上に浮遊岩とか空を流れる川とかがあるので、それを避けるためにも、この速度に留めるのがいいだろう。


 思惑通り、俺より速く移動することができている。およそ俺の倍以上か。

 もっと速く走れればという焦りが溶けていくのを感じる。


「……ありがとう、助かった。おかげで予定より早く着きそうだ」


 視線を前方に向けたまま、[風亡かぜなき]の維持に気を遣いつつ話しかける。長髭親父はもともと喋らないので、ツリ目男に意識を向けながらだ。……あれ? そういえば。


「ところで息苦しくはない? 空気を薄くしてあるんだが」

「っ、テメエの仕業か! 今すぐ解除しろ!」

「解除したら、向かい風に吹き飛ばされるぞ? 悪いが、向かい風を減らすためには仕方がないんだ。というか、思ったより平気そうだな。呼吸はあまり必要ないのか?」


 そういえば魔物は魔力を食べるが、呼吸もそうなのだろうか。


「チッ。たぶん必要ねえが、息苦しさは感じんだ。テメエこそ苦しくねえのかよ」

「俺には鳥の呼吸器があるからな、苦しくはない」

「アア? 鳥の呼吸器?」

「空気が薄くても大丈夫なようにできているってこと。細かいことは気にするな。それより、先に俺の事情を説明しておく」


 そのまま俺は、ナイトメアという恐怖の魔物のこと、そこに大切な者が無謀な戦いを挑みに行ったこと、それを止めるために急いで向かっていること、ナイトメアは強いので、あまり近寄らずに離れたところまで運んでくれたら充分なことを伝えた。


「……テメエでも、そのナイトメアってのには勝てねえのかよ?」

「ああ、今のままでは勝てない。本気でやれば、おそらく秒殺される」


 俺の説明を意外にすんなりと聞き入れたツリ目男は考え込む。


「……テメエの頼みは了解した。グドもそれでいいよな?」


 ツリ目男の問いかけに、長髭親父がうなずく気配がする。


「そういうわけだ。

 今度はこっちの話だが……テメエに負けたあと、オレら、考えたんだけどよ。強さを求めるのはなんか違えなってなった。こう言っちゃんなんだが、どうでもよくなった。テメエより強えっていうナイトメアにも、前ならムカついていたかもしれねえが、今はなんも思わねえ」


 強さを誇っていたはずのツリ目男のしんみりとした語りに、俺は意外な気持ちで耳を傾ける。


「で、何をするか考えたんだけどよ……何をしたいかわからなかった。やりたいことが見つからねえ。だから、オレらはテメエについていこうかって話をしてたんだ」

「……んん? 俺についてくる? いや、どうしてそうなった。やりたいことを見つけるために二人で旅をすればいいんじゃないのか?」

「テメエに会えなかったらそうしていたが、会えたことだしな。テメエについていけば、何か見つかるような気がしたんだ」

「……まあ、それもアリなんだろうが……」


 何か困る。少し考えて、すぐに思い当たった。


「あー、ラウレ、狐耳の少女が俺の仲間にいるんだが、男性恐怖症だ。おまえたちと一緒に行動するのは難しい」

「アア? なんだその、男性恐怖症っつうのは?」

「簡単に言えば男の外見が怖いってことだ。悪いが、おまえたちと一緒に行動はできない」

「……そうかよ」


 ぶっきらぼうに答えるツリ目男。反発してくるかと思ったが、随分と素直だ。

 彼らには浮遊岩で移動させてもらっている恩がある。このまま彼らの要求を突っぱねるのは居心地が悪い。


「……方向性の提案はできる。おまえたちは、それぞれ炎と金属を操れるだろ? それなら、鍛冶に興味はない?」

「カジ? カジってのはなんだ?」

「俺も教えられるほど詳しくはないが、金属を熱して武器や道具にすることだ。見本として、ちょうど折れた刀がある。人のものだから弄れないが、まあ、見て興味が湧くかどうかの判断にはなるだろう。今は手元にないから、あとで……俺が生きて戻れたら見せよう」


 長髭親父はいわゆるドワーフっぽい外見で、なんとなく鍛冶をしそうだ。ツリ目男は粗暴に見えるが、意外と策士なので研究とか好きかもしれない。

 すると、ツリ目男は吐き捨てるように答える。


「ハッ。せっかくだしな、その刀ってのを見てやるよ。だから、生きて戻ってきやがれ」


 俺の提案がまんざらでもないのか、どこか嬉しそうでもあった。

 こうして話がまとまったのは良いが……俺は、また生きて帰る理由ができてしまったと苦々しく思う。

 場合によっては、ウーリを逃がすために死ぬかもしれないというのに。


「……ああ、幸運を祈っていてくれ」


 俺は投げやりに答えて、前方に意識を集中させた。


 わかりにくいが、魔界の区画同士の境界が前方にある。

 この速度なので、すぐに境界を通過した。そうして次の魔界の区画を変わらぬ速度で飛行する。

 ……だんだん恐怖の強度が上がってきている。もう少しだろう。


 何か見えてこないだろうかと数キロメートル先を凝視しているときだった。

 胸騒ぎがして――。

 どこか遠くで、あるいは耳元で、不思議な距離感でそれが聞こえた。


「――アアアアァァァアアアアア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッ!」


 叫び声だった。

 それも、喉が擦り切れんばかりの悲惨なそれ。


 断末魔、あるいは命を絞りつくす行為を嫌でも連想してしまう。

 決して似つかわしくない。認めたくない。

 だが、聞き覚えのある声は間違えようもなかった。


 焦燥感で狂いそうになりながら、その声の主の名を呼ぶ。


「ウーリッ!?」


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