36話 ラウレの過去を聞き
「ボクの種族、焔狐人については知っているかな?」
自身の昔話をするというラウレとともに丘の斜面に並んで座ると、遠くに群れる羊を眺めながらラウレがおもむろに口を開いた。
……フレイムフォクシーか。聞き覚えのない単語だ。
「悪いが、知らない」
「じゃあそこから説明するね。こんな、狐っぽい耳と尻尾がある人を狐人って言うんだけど、その中でも体毛が赤い狐人を焔狐人って言うんだ。まあ、そのままだと長いから普通は“焔の狐”で焔狐人って呼ぶけどね」
焔の狐。なんとなく、字面的に火精魔術が得意そうなイメージだが……。
そんな俺の予想は当たっていたらしく、ラウレは自分の尻尾を前に持ってきて撫でながら続ける。
「焔狐人はね……種族的に好戦的で、だからか、火精魔術の扱いが得意なんだ。焔狐人のお家芸に、[尾炎術]っていう火精魔術があるんだけど、それは腰にくくりつけた紐の先を燃やして、第二の尻尾のように自由に操るんだよ。
焔狐人はみんなそれができる。それができて当たり前で、できなければ仲間として見られない。できなければ第二の尻尾がない“一尾”なんて言われて、差別されるんだよ」
ラウレの説明は淡々としているが、その内容から嫌な想像ができてしまう。
「だが……ラウレの親和精は水精のはずだ」
「うん。そしてボクの不和精は火精だよ。それだけじゃなくてね……ボク、そもそも火が嫌いだったんだ。触れるものを無差別に傷つける火が嫌いだった。それもあってか[尾炎術]は全然上達しなくてね……まあ、そもそも使うのも嫌だったんだけど。でも、それを他の焔狐人は良しとはしなかった」
自分で昔話と称したように、おそらくラウレにとっては過ぎたことなのだろう。その声音は穏やかなもので、あまり苦い感情が含まれていなかった。
「焔狐人は焔狐人だけの集落を作るんだけど、ボクは里のみんなから酷い扱いを受けたよ。蔑まれ、嫌味を言われ、笑われ……ときに暴力を振るわれた」
「それは……酷いな」
「でも焔狐人は好戦的だから、それが当たり前だったんだ。ボクだって、当時はそういうものなんだって受け入れていたよ。火が嫌いなのは焔狐人として失格だから、そういう扱いは当然だってね。
家族からは勘当されて、ろくな食事もできなくて……でも、中にはボクの味方をしてくれる人もいて、クナのところがそうだった。おかげで最低限の生活はできて……そこでクナと親友になれたから、すべてを否定する気にはなれないかな」
あはは、とラウレは乾いた笑いを漏らす。
そうして表面上は変わらないまま、ふいに不安の意識を向けてくる。……ここからが本番なのだろう。ラウレは少しトーンを落とした声音で話を続ける。
「里での底辺の生活が何年も続いて……そこで、ボクは自分の心の在り方に気づいたんだ。みんなとは違う。みんなは火を激しく燃え上がらせるような心の在り方をしているのに、ボクはその逆。火を消して、静けさを好むんだって。特にきっかけはなかったと思うよ。ぼんやりと、ただそうなんだってふと気づいたんだと思う。
それからは、ボクを差別するみんなが燃え盛る火に感じたよ。攻撃する意思とか、言い争いとか、競争とか、そういうことが全て火に感じた。ボクを殴る手も、蹴る足も、狙い撃ちする[尾炎術]も、そういう攻撃の手段も火に感じた。……言ってみれば、何かを傷つけるものすべてがボクにとっては火なんだと思う」
「……そうか」
攻撃の概念を宿すすべてを火に感じる固有の感覚。それこそが、ラウレの心象風景であり、心の在り方なのだろう。
それは言葉によって想像できても、本当の感覚は本人にしかわからない。以前、ラウレがそのように言っていたことを思い出す。
果たして、俺にはそのような感覚があるのだろうか。ラウレほど特殊な感覚が……いや、今はそれを考えている場合ではない。心の在り方を話すのは初めてなのか、少し声を震わせながらも話してくれるラウレに意識を戻す。
「ボクが心象魔術に覚醒したのはさらに数年後かな。……あれはクナと一緒に里を抜け出した直後だったよ。
そのときのボクはいろいろあって、[尾炎術]の火……ていうか、火精魔術の火を消す魔術を身に着けていたんだ。[火消]って言って、心象魔術じゃなくて火精魔術なんだけどね。火が嫌いだったから、それを消せる火精魔術を作ったんだよ。
でも、それを使って[尾炎術]の火を消してみせたら、攻撃してきた焔狐人が血相を変えて“害獣”扱いしてきてね。里から危険視されて……まあ今思えば、[尾炎術]を使えない“一尾”なのに、焔狐人の誇りである火精魔術を無効化できるのが許されないのは当たり前だったんだ。でも当時は“害獣”扱いされるまでそれに気づかなかった」
……人としては思いやりにあふれるラウレも、焔狐人としてはどこまでも異端だったのだろう。火精魔術が得意な種族だから、真逆の道はどれほど険しかったことか。
“害獣”扱いはその最たるものだろう。狐の特徴を備えるからこそ、害獣という言葉は相当の侮蔑に違いない。ラウレの[火消]がそれほど焔狐人の怒りに触れたのか、あるいは“一尾”というものがそれほど蔑みの対象になっていたのか……。
「それで里を抜け出したときに、追手が向けられてね。殺しの許可が出ていたんだと思う、いきなり奇襲を受けたよ」
「……問答無用なのか」
「まあ、“一尾”というだけでも人権が少ないっていうか、命が軽く扱われていたからね。 “害獣”扱いされたから、里からすれば殺処分みたいな感じだったんじゃないかな」
「悪い、説明させてしまって」
殺処分という悲しい言葉をラウレの口から言わせたことに、俺はすぐ謝罪する。
しかしラウレはただの事実だからいいよと軽く流し、いよいよ話の核心に触れるとばかりに低い声で告げる。
「奇襲を受けたときに、クナが、里の秘毒が塗られた矢に当たったんだ。里の秘毒っていうのは即効性の猛毒で……秒刻みでクナは衰弱していったよ。すごい顔でもがき苦しんで、今にも死んでしまいそうだった。その瞬間に、もう追手のことなんてどうでもよくなっていた。囲まれて武器を向けられたけど、それよりも、今すぐに死んでしまいそうなクナのことしか目に入らなかった」
……親友ということだったが、自分の命の危機が気にならなくなるほどに大切な存在だったのか。もしかしたらラウレの唯一の心の支えだったのかもしれない。追っ手の攻撃で心中してもおかしくない状況に、そう思ってしまう。
いよいよラウレは俺に語るというよりただ回想するように言葉を紡ぐ。
「そのときのボクには、時間の火がクナを苦しめているように感じたんだ。……だから時間の火を、消してしまえばいいと思った。それこそ、火精魔術の火を消すように」
「……っ」
「ボクは、それを実行した。クナの時間の火を消した。そしてクナは仮死状態になって、死を免れ、生き長らえたんだ」
……危機的状況と、それを心象の力で打開できること。以前教えてもらった心象魔術の習得方法を思い出す。
しかし……これほどなのか。これほど特異なものなのか。
とても真似ができるようなものではない。その感覚も、状況も、唯一無二だ。俺の想像以上に心象魔術の覚醒は特殊で、そして……ラウレの経験は重い。
「それが、ボクの心象魔術、【火消】が覚醒したときの話だよ。……昔話はおしまいっ。聞いてくれてありがとうね」
少しスッキリしたように、明るく振舞うラウレ。
秘めていた過去を打ち明けることは心を軽くする。その助けとなれたのなら嬉しいが……。
対照的に、俺は重たい口を開く。
「……追っ手は、どうなったんだ?」
「うん? ああ、追っ手はね、油断して近づいてきていたから【火消】で一網打尽にしたよ」
なるほど、覚えたてとはいえ、近距離であればその能力を十全にふるえただろう。……そのあとは殺したのだろうか? ラウレのことだからそれはなさそうだが、これ以上は興味の範囲になる。追っ手の末路を聞くのはよしておこう。
それよりも、あと一つ気になっていることがある。この機会を逃すと聞きづらくなるのでついでに聞いてしまおう。
「男性恐怖症は、どこかで関係していたりする?」
「え? あー、うん。里でボクに暴力をふるうのは男が多かったからね……追っ手も男だったし、だから、なんとなくまた危害を加えられそうで……」
「わかった。教えてくれてありがとう」
ラウレの抱えていたものをおおよそ聞き終えてしまうと、俺は心の中で溜息をつく。
……男性恐怖症もだが、ラウレの過去と、心象魔術覚醒の経緯。これらはラウレの心の裸の部分であり、人生そのものだ。それを打ち明けてくれた信頼に、どう応えればいいのかわからない。
そもそも、なぜ打ち明けようと思ったのか。確認したいところだが……それをそのまま聞くのははばかられる。遠回しに尋ねるとしよう。
「今更だが、良かったのか? 俺にそんな話をしても」
「うん。イスハになら話してもいいと思ったから。それに……イスハが自分を痛めつけるところをこれ以上見たくないんだ」
「…………」
それとラウレの告白とどう繋がるのか。
思わず黙り込んでいると、ラウレは羊の群れを眺めたまま続ける。
「長くなっちゃったけど、結局言いたかったのは、心の在り方を見つけるまでには何年もかかったってこと。イスハ、キミは……えっと、何歳かな?」
どうやら、もっと気長に取り組めということを言いたかったらしい。
だが、残念ながら期待には応えられそうにない。暗い気持ちになるのを隠して答える。
「一歳だ」
「え? ……うそ?」
思わずといったふうにこちらを見てくるラウレ。
しかし事実なので首肯を返す。
「本当だ」
「そんなに若いの!?」
「まあ……な。というか、ラウレも若いほうだろ? 十代前半だろうし」
何気なく言葉を返すと、ラウレは気まずそうに視線を逸らす。
「うっ……えっと、精神的にもそう見えるかな?」
「ん? いや、苦労のせいか、老成しているように見えるが」
「えっとね……【火消】って、自分のことだとかなり自由が利くんだ」
あはは、と誤魔化すように笑うラウレを見て、ピンと来る。
「まさか……身体の年齢だけを止めた?」
「……他の人にはできないけどね」
「ちなみに、実年齢は?」
「……二十一」
頬を赤くし、恥ずかしそうに答えるラウレ。
俺は愕然とすると同時に納得した。クナの解毒方法を探すだけでも五年ほど費やしたというラウレが、十代前半というのも変な話だったのだ。
「と、とにかく! まだ一歳なんだったら、もう少しゆっくりしてもいいとボクは――」
「異界人って、聞いたことは?」
年齢を暴かれた羞恥から慌てたように結論を告げようとするラウレを遮ると、ラウレは俺の意図に気づかなかったらしく、きょとんとした。
「えっと、聞いたことあるけど……?」
「俺は、異界人だ」
「……ぁ」
ラウレは得心したように声を漏らし、青緑色の目を見開いた。
「俺は異界で一度死んでいる。そこでは、二十七年生きた。この身体は一歳だが、心は二十七年と一年だ。そういう意味ではラウレよりも年上だな」
「それで、鳥なのに知性が……いや、それ以上に大人びていたのは……」
「ああ、異界、というか前世の記憶があるからだ。……ついでに、信念のことも話そう。前世の俺には、三つ下の妹がいたんだ」
俺は続けて、妹を亡くしたトラウマのこと、そのトラウマを乗り越えるために信念を掲げたこと、そして最期はトラウマに殉じたことを話した。
話の焦点は俺の年齢だったから、トラウマや信念のことまで話す必要はなかったかもしれない。しかしすべて打ち明けることが、ラウレのこれまでの告白に対する礼儀だと思ったのだ。
ラウレは聞き終えると、ウーリがいる方角をちらりと見た。
「ウーリちゃんは、このことを……?」
「……前世のことまでは話したが、トラウマのことや、信念のことまでは話していない」
ウーリと信念のことについては、前もラウレから言及されたことがあった。
そのときは、ウーリを助けるのが信念のためだと知られてウーリに傷つかれるのが怖く、信念のことはウーリには言えないと答えたが、結局そのままウーリに言えずにここまできてしまっている。
ラウレは神妙にうなずくばかりなので、俺は続ける。
「話を戻すが……俺は前世で二十七年生きた。その間も、自分の心の在り方は見つかっていない。代わりに俺は信念を頼りにしていたが、それは心の在り方じゃないだろ? だから……たぶん、俺に必要なのは時間じゃないんだ」
「……じゃあ、なんだと思う?」
「わからない。だから、焦っている」
「…………」
ラウレは沈黙した。俺も口を閉ざす。
沈黙の代わりに、さらさらと草を撫でる風の音だけが聞こえてくる。
……しばらくして、ラウレはためらうようにゆっくりと立ち上がった。
「ボクは……やっぱり、キミの信念に歪みがあるように感じるよ。だから……ウーリちゃんに、キミの信念のことを話そうと思う。ウーリちゃんにも知っておいてもらったほうがいいと思うから。……イスハは、それを止める?」
俺が見上げると、どこか揺れながらも見つめてくる青緑色の瞳と目が合った。
自分の判断に不安を持ちながらも前に進もうとするそれ。その勇気が眩しくて、俺のほうから視線を逸らす。
「……止めは、しない。いつかウーリに話すときがくるだろうと、覚悟はしていた。本当なら、俺からウーリに話すべきなんだろうが……まだ、そこまでの勇気は持てないんだ。すまない」
ウーリを守る理由が善意ではなく信念のためだと知られたとき……ウーリが俺をどう思うのか。あるいは、ウーリがどれだけ傷つくのか。それを想像すると、怖くて翼が震える。
もともとは俺の鍛錬の内容に関する会話だったが……しかしウーリと信念のことも避けては通れないことだ。むしろ、ゆっくり鍛錬に励むべきという、俺には同意できない提案よりよほど建設的な内容だろう。ウーリとの関係を思えば、ウーリには知ってもらうべきものなのだから。
「……わかったよ。じゃあ、ウーリちゃんが起きたら……」
「ああ。そのときに」
今は布団羊で眠っているウーリだが、あと一時間もすれば起き出すだろう。そのときに、ラウレは俺の信念についてウーリに話すに違いない。
きっとウーリなら受け入れてくれると思うが……そうならなかったときのことが本当に怖い。ウーリを傷つけてしまったら? 信頼関係にひびが入ってしまったら? 俺に向けられる好意に陰りが生じたら? ウーリがふさぎ込んでしまったら? 不安がぐるぐると胸中に渦巻く。
ラウレも自分の行動が正しいのか確信を持てないのだろう。去り際、俺に対して迷うような意識を向けながら、落ち着きなく尻尾を揺らしていた。
俺も同様の気持ちでその背中を見送る。
それからしばらく瞑想して心を整えると、気を紛らすように鍛錬を再開した。




