33話 悪夢と刀の魔王の戦いの結末を知る
(2017/12/14 誤字修正)
「恐怖の魔物に勝てなかった!」
俺は逃走と恐怖による動悸が治まるのを待つことなく、ウーリに頭を下げる。
無我夢中で駆け抜ける最中に転移を受け、ウーリたちと合流した直後、呼吸が落ち着くのも待ってはいられなかった。俺が無事に帰ったことで、俺の勝利を信じるウーリをぬか喜びさせたくなかったし、それに、俺を信じてくれたウーリの期待に応えられなかったのだ。その申し訳なさを吐き出さずにはいられなかった。
俺は頭を下げたまま、言葉を続ける。
「あとの戦闘はミィクに任せてきたが、彼で勝てるかは怪しい。実力的に、あれはミィクより上だった。たぶん彼でも勝てないだろう。……倒すと言っておきながら、逃げ帰ってきて、本当にごめん」
俺はウーリから失望の意識が飛んでくることを覚悟し、顔を上げるとすぐに今後のことを説明する。
「だが、あれに勝てるように強くなって、必ず再戦……」
「うりぃっ」
しかし、ウーリは俺の説明など聞いていないかのように抱き着いてきた。
彼女から向けられてくる意識は安堵や感謝だけで、失望などどこにもない。
「はーちゃん、生きてて良かったぁ……っ!」
そのくぐもった声には心の底からの喜びがにじみ出ていた。背中に回された腕の力強さとともに、俺への信頼や好意が少しも変わっていないことが否応なしに伝わってくる。
ドキリとした。
あれを倒せなかった俺でも、当たり前のように受け入れてくれるのかと。
そんなウーリの思いに応えたくて、俺は抱き締め返しながら改めて決意を口にする。
「あれに勝てるように俺は強くなる。そして、再戦して、必ず勝つ。だから、どうかそれまで待っていてくれ」
すると、ウーリは悲痛に顔を歪めて俺を見上げてきた。その感情は、俺にとって予想外のものだった。
「怖くなぃ? 勝てないなら、もういいよぉ?」
「……ッ」
俺は万感からウーリを強く抱き締める。
ウーリの指摘は事実だった。もうあんなのとは戦いたくない。どうやったら勝てるのかもわからない。やめたいという心の叫びは確かにある。
だが、そんなことよりも、あれに狙われ続ける恐怖を棚に上げて俺を心配してくれるウーリの優しさが切なかった。自分だってつらいはずなのに、俺のために諦めていいと言ってくれるその心が尊かった。
だからこそ、俺がおまえを絶対に助けてやるという思いがこみ上げた。
「ふぁ……っ」
俺の決意が伝わったのか、ウーリは安心したような声を漏らすと、身体から力を抜き、俺の腕の中で匂いを嗅いでくる。今だけはその行為が信頼の証だと強く感じられて、嬉しい。
「でも、ミィクが勝つ可能性はないのかな?」
俺とウーリのやり取りを見ていたラウレが、恐怖の抜けきっていない強張った表情で希望的観測を口にする。
ラウレはあれを見ていないから、そう思えるのだろうが……。
俺は冷静にナイトメアとミィクに対する戦闘勘を思い起こし、それからゆっくりと首を横に振る。
「期待しないほうがいい。ミィクに及ばない俺ですら、二人の力量差がわかるほどだ。
それに……ラウレ。七対の黒い翼に心当たりはない?」
「七対の黒い翼? ……えっと、魔界王シテアハネもそうだったと思うけど……?」
「地面から竜の長い首を作って、竜の頭で相手を突く攻撃方法は?」
「……待って、それも聞いたことあるよ。でも……そんなはずないよね?」
半笑いで尋ねてくるラウレに、俺は首肯を返す。
「ああ、シテアハネ本人ではない」
「そうだよね。うん。ちょっと心配しちゃったよ」
「だが……ウーリも聞いてくれ。あれの正体がわかったんだ」
俺はウーリを抱擁から離し、まだ物足りなそうにしているウーリと、それから緊張気味のラウレをそれぞれ見て、持ち帰った情報を共有する。
「あれの正体は、ナイトメア……つまり、ウーリの悪夢だ。ここがウーリの夢の中だから、ウーリの悪夢が具現化したんだと思う。
そして、その悪夢のベースとなっているのが、シテアハネだ。つまり、恐怖の魔物はシテアハネのコピーというわけだ。……より厳密には、そこに悪夢の能力も加わっているが」
俺の言葉にウーリは恐怖を思い出したのか、身体をぶるりと震わせて俺に抱き着く。……あれの正体がわかってもウーリの態度に変化はないようだ。まあ、ウーリにとってあれの正体はどうでもいいのだろう。なにせ、あれの恐怖も強さもウーリにとっては初めから最上級で、正体がなんであろうとその事実は変わらないのだから。
しかし、シテアハネについての知識があるラウレはそうもいかないようだった。
ラウレはしばらく硬直し……ふいに半笑いを浮かべる。
「嘘、だよね? だって……そんなの、勝てるわけないよ?」
ラウレの気持ちは痛いほどよくわかる。俺だって、何かの間違いだと言ってほしい。
「嘘だったらどんなにいいか……。残念ながら、ミィクのお墨付きだ。七対の翼と攻撃能力、あと体格は本人と同じだと言っていた。口調や性格、それから恐怖の能力は本物と別だが、それはウーリの悪夢だからだろう。あれがシテアハネのコピーであることはほぼ確定だ。まあ、あれ自身はナイトメアと名乗っていたが」
「ナイトメア……シテアハネの悪夢……はぅ」
ラウレはよろめくと、へたり込む。意識が途切れていなかったので、気絶ではなく立ちくらみだろうと判断し、そっとしておく。
ラウレにはシテアハネの能力の詳細について尋ねたいが、今はやめておくべきだろう。
俺も気を休めたいところだが……。
俺は恐怖の方角を見やる。……ナイトメアがいるであろう恐怖の位置は変わっていない。戦闘が続いているのかまではわからないが、胸騒ぎが収まらないので続いているような気がする。今もミィクが戦っているのだと思うと、俺だけリラックスする気分にはなれない。
それに、一瞬後にはナイトメアが傍に現れる恐怖もある。あれの移動は転移だろう。予兆がないぶん、気が抜けない。ナイトメアの戦闘が終息し、あれが休止状態に入ったと確信できるまでは、警戒を解く気にはなれなかった。
俺はじっと、何をするでもなく嵐が通り過ぎるのを待つかのように戦いの終息を待つ。
……それほど長い時間はかからなかっただろう。胸騒ぎが収まり、そうして恐怖の位置が移動する。
おそらくナイトメアが元の場所に帰ったのだろう。
つまり、戦闘は終息し……ナイトメアはまだ健在というわけだ。
そして、ミィクは勝てなかったということ。
果たして、ミィクは無事に逃げられたのか。それとも……。
結果を確かめたくないと思う臆病な心を認めながらも、俺は覚悟を決め、腕の中で安心しきってうとうとしているウーリに頼む。
「ウーリ」
「ふぁ? はぁぃ……?」
「戦いがあった場所の様子を確認してくれる? 大丈夫だと思うが、ナイトメアがいなくなっていることを確認してほしい。それから、危険がないかどうかも見てほしい」
「わかったぁ」
ウーリが黙りこくってそちらに集中したあと、俺はラウレにも声をかける。
「ラウレ、俺はあそこに戻って戦闘の痕跡を確認したい。……ミィクがどうなったのか確認する必要があるし、それに、どのような戦闘が行われたのかも調べておきたい。それで、ラウレの意見も聞きたいから、一緒に来てくれる?」
「もちろんだよ。ボクは今回役に立てなかったからね、これくらいは手伝わなきゃ」
まだ恐怖心は残っているのだろう、尻尾をピンと緊張させたまま、しかしやる気を見せてくれるラウレ。
嬉しく思う反面、無理をさせているのではと心配になる。
「……ありがとう。だが、役に立つとかそういうのは気にしなくていい。もともとこちらの事情なんだ。きついようだったら、ここで待っていてくれても構わない」
俺があくまで気遣うと、ラウレはすねるように口を尖らせる。
「そんな薄情なことできないよ……。ボクだって、その、仲間でしょ? それにナイトメアを倒すことは、ボクにだって関係あるよ。ナイトメアを早く倒せたほうが、すぐに解毒に向かえるでしょ? だから、ボクもできるだけ協力したいんだ」
「……そうか。ありがとう」
確かに、ラウレにも関係のあることかもしれない。
だが、それだけであのナイトメアに関わろうと思えるほど、あれの恐怖は生易しくない。
つまり、個人的にも俺たちを助けてくれようとしているのだ。
不干渉を貫いても責めることなどできないのに、それでも協力してくれるラウレに俺は深く感謝し……もしかしたらウーリが俺に抱く信頼も同じような状況からきているのかもしれないと、ふと思った。
「はーちゃん、もう大丈夫だよぉ」
確認が終わったらしく、腕の中でウーリが教えてくれる。
俺は一度ウーリの頭を撫でたあと、ウーリに事情を説明し、三人でさっきの場所に転移する。そこはミィクと会話を交わした丘の上だ。
ウーリには空から周囲の警戒に当たってもらい、俺とラウレで周辺を調べることにする。
ミィクの死体がないことを祈りつつ、緊張しながら丘の下を見渡せば……そこには、順々に竜の長い首が倒れ伏し、真っ二つに割れた頭が一直線に並ぶ光景があった。
それらの竜の首の根元は一カ所に集まっていて、竜の頭の並びはそこへと続いている。そして、それらとは別に、離れたところから五つの竜の首が倒れ伏しているのも確認できる。
こうして見る限り、ミィクの死体はない。俺はとりあえず安堵する。
……それにしても、これほどわかりやすい痕跡はない。つまり、ミィクは襲い来る竜の頭をすべて斬り伏せ、一直線にナイトメアへと向かったのだろう。
そして、おそらくナイトメアのもとに辿り着いている。ナイトメアに一撃入れるという試練はクリアしたのではないだろうか。
「うわぁ……デカ。それに、綺麗に二つに割れてる。これ、ミィクが斬ったのかな?」
自分よりも大きな竜の頭を見上げ、形の崩れていない断面をまじまじと観察するラウレ。その声には感動と畏怖が込められているように感じる。
俺もそれに同意しながら返す。
「ああ、そうだと思う。この大きさの岩? みたいな竜を綺麗に斬る技量がミィクにはある。しかも……この竜の頭は決して遅くはなかった。俺の目でぎりぎり見える速さだ。人間の目じゃ反応できないだろう。それを、正確に斬るんだ。刀の魔王という二つ名にも納得する」
「……それでも、勝てなかったんだよね?」
勝敗の確認というより、その理由を問いたそうなラウレに、俺は翼で留める仕草をする。
「ああ、そうだ。経緯の想像はできるが……先に、ミィクがどこで戦闘を終えたのかを見ておきたい。それで裏付けが取れるだろう」
俺はラウレとともに、丘を下りながら竜の頭を辿っていく。そして、竜の首の根元……ナイトメアがいたであろう付近に到着すると、離れたところから五つの竜の首がこちらに向かって倒れ伏し、同様に斬られているのを観察する。
また、近くの地面が竜の頭の形に陥没している。重なっているものもあるが……その数はたぶん三つだ。
ということは……おそらく、ナイトメアはここでミィクに一太刀浴びせられ、転移によって離れた場所に退避したのだろう。そして、八つの竜の首を呼び出し、ミィクに攻撃した。
ミィクはこれに応戦し、信じられないことに五つの竜を斬り伏せた。だが……それでも八つには届かない。残りの三つの攻撃を受けたのだろう。
そうすると、この付近にミィクが攻撃を受けた証拠が残っていてもいいものだが……。
草に隠れていないかと念入りに見回せば、違和感のある場所を見つけた。
走っていき、そこを見下ろす。
「……ラウレ! 来てくれ!」
彼女に頼んで拾ってもらうと、それは小さな布袋だった。口を開けてもらい、中を確認してもらうと、液体の入った小瓶が二つだけある。俺はラウレと顔を見合わせる。
「……ラベルもない。中身はわからないな。ラウレは何だと思う?」」
「えっと、髪の手入れ用品とか?」
「……ウーリもだが、魔物ってそういうのは使わないイメージだな。身体を魔力で作るからか、いつも清潔で」
「そうだよね。あとは、大事な物の手入れ用? ボクだったら尻尾の毛繕いとか、イスハだったら羽繕いとか」
ラウレの言葉に、俺はピンとくる。
「あ、そうか。刀だ。おそらく刀の手入れ用だろう」
「ああ……確かにそんな感じかも」
「着の身着のままで逃げたってことだと思う。もう少し探してみよう」
それから俺とラウレはしばらく探し歩いた結果、刀の鞘の他に、中ごろからポキリと折れた刀を発見した。
ミィクほどの使い手が、その武器を折られてしまう状況。それはまさしく、さばききれなかった三つの竜の首の攻撃によるものだろう。咄嗟に盾にしたのか、それとも偶然当たったのか。なんにせよ、俺は推測がほぼ正しいことを確信する。
「……ラウレ、ミィクがナイトメアに勝てなかった理由を話そう。
あの竜の首、ナイトメアは一度に八本操れるんだ。ちなみに、俺は一本を避けることさえ難しい。この戦闘の形跡を見るに、八つの竜の首をミィクは五本まで斬ったが……残りの三本には間に合わなかった。迎撃に失敗し、そこで刀が折れたのだろう。あとは彼の能力で逃走したのだと思う」
死体がないことが唯一の救いか。
……もし、ナイトメアがミィクの死体を消したのでなければ、だが。
ラウレは重々しくつぶやく。
「こうして見ると……ナイトメアというか、この場合はシテアハネかな、魔術の技量の高さが窺えるよ。わざわざ竜の形にしてから突くんでしょ? しかもあんな大きいのを。それだけでもかなり難しいのに、イスハが避けるのが難しい速度だなんて。おまけにそれが八本。ボクの[静止の抱擁]とは比べ物にならないよ……」
「まあ、魔界王と比べるのが間違いなのかもしれないが。
ただ、厄介なのはそれだけじゃないことだ。魔術なのか、悪夢としての特質かはわからないが、ナイトメアには思考加速がある。おそらくこちらの動きが遅く見えるんだろう、あの竜の首はこちらを追尾してくるんだ。俺じゃ次は避けられない。速さが全然足りていない。まだまだ速くなる必要がある。
それに、馬鹿げた身体強化もある。俺の蹴りが通用しないレベルだ。おそらく生半可な打撃じゃダメージが通らない。ミィクの斬撃ならいけたのかもしれないが……なんにせよ、攻撃力を上げるのも課題だな」
「……努力したら、勝てるのかな?」
ふと、ラウレがぽつりと漏らす。それは俺へと問いかけというより、自問するような響きだった。
しかし、俺はハッキリと答えてやる。
「勝つんだ。たとえ相手が強くても、怖くても、関係ない。勝てるようになるまで、強くなるしかないんだ」
なかば自分に言い聞かせるように断言すると、俺はウーリを呼び出す。
「ウーリ、来てくれ」
「――はぁぃ」
「頼んでばかりですまない。ラウレが持っているミィクの装備だが、どこかに保管しておける? 盗まれないところがあるといいんだが……」
「うーんとぉ……ここかなぁ?」
ラウレの手から、ミィクの装備が浮かび上がる。
「よいしょぉ」
そして、転移したのだろう、姿を消した。
「ウーリ、ありがとう。ちなみにどこに保管したんだ?」
専用の空間でも作ったのかと思いながら尋ねると、ウーリの返答はある意味いつも通りだった。
「大きな羊さんの毛の中だよぉ」
「……そ、そうか。いや、確かにそこなら安全……か」
木を隠すなら森の中……ではないが、夢界にいる羊は本当に無数だ。しかも簡単に狩られる弱者ではない。そこらの魔物であれば返り討ちに遭うのだ。盗まれる心配はほぼゼロに違いない。
予想通りではあったがミィクの戦いの結末を知ったので、俺たちはここを離れてさっきの場所に戻ってくる。
それから俺はラウレに頼んで、シテアハネの能力について知っていることを教えてもらい、それが終わると[爆肢]や心象魔術の習得に努めた。
……正直なところ、ナイトメアとの再戦は怖い。
ミィクの折れた刀が頭から離れない。いつか自分もあのように、信念ごと心を折られてしまうのではないかと不安になる。
だが、信念はまだ折れていないし、ウーリを守る意志のほうが恐怖を上回る。
なにしろ、放っておけばウーリはまた襲われるのだ。たとえ襲撃を予知して逃げられるとしても、あれの恐怖が色あせることはない。時間によって劣化することなく、常にウーリを苦しめ続けるのだ。
あの恐怖を間近で体験したからこそ、俺はウーリがあれに苦しめられる状況がますます許せなくなっていた。
早くあれを倒さなければならない。
その焦燥を胸に、俺は追われるようにして鍛錬に没頭するのだった。




