32話 逃走し
「おまえ、ウーリの悪夢か!?」
俺の叫びに、ナイトメアは表情を黒いモヤで隠したままうなずく。
「諾」
聞きなれない言葉を返してくるが、おそらく承諾の意だろう。
だとすれば……俺はどうすべきだ?
おそらく、ウーリの思い描く悪夢が具現化したものがあれだろう。
ウーリの悪夢だから……恐怖をばらまき、ウーリを襲う。それは決して許せることじゃないが、理解できる。
問題はそのあとだ。結局どうすればいいのか? ウーリの悪夢を克服するには、あれを倒すしかないのか? それとも他に方法があるのか? それがわからなければ、ウーリの悪夢だと判明しても前進がない。
……せっかくの機会だ、あれに直接聞くのもアリか。
「ウーリが悪夢を克服できれば、おまえは消えるのか?」
「諾」
「どうすれば悪夢を克服できる?」
「余に打ち克つのみ」
「……つまり、おまえを倒すしかないと?」
「諾」
「それ以外に方法はないのか?」
「余は知らぬ」
「……そうか」
悪夢の克服方法としては、シンプルでありがたいのかもしれない。
本来、他人からすれば悪夢の克服方法を見つけることすら困難だ。俺が前世でトラウマを克服するために信念を掲げて強さを求めたように、本人なりの方法を見つけて長い時間をかけて取り組むしかない。その過程においては、他人の助力など限定的なものでしかない。
その点、ナイトメアの打倒というのは極めて単純。それだけで完結し、しかも他人の手で遂行できる。これほど単純化された、悪夢の克服方法はないだろう。
ただ……結局、俺がナイトメアを倒すという構図は変わらないらしい。
そして、ナイトメアが強すぎるという問題も。
……いや、前進ではあるのだろう。
あれが悪夢の具現化だとすれば、その元となったオリジナルがあるはずだ。それを知ることで、あれを倒すヒントが得られるかもしれない。
「悪夢としてのおまえには、オリジナルとなった人物がいるのか? それとも、ウーリのイメージの集合体なのか?」
「それは余の生まれる前のこと。知るはずもなし」
「……そうか」
それなら、ウーリに尋ねてみるか? 確か以前、外からやってきた魔物が怖かったと言っていた記憶があるが……。
「……私に、心当たりがあります」
ふと、隣にいるミィクから言葉がある。まさか彼から情報が出るとは思わず、ナイトメアから視線を外して彼を見る。
ミィクは凶報を告げようとするかのような苦笑を顔に張りつけ、ナイトメアを見つめながら続けた。
「まずは礼を言います。貴女があれと一戦演じてくれたおかげで、私はここまで回復できました。時間を作ってもらいありがとうございます」
彼にしては珍しいことに、感謝の意識が込められていた。それだけ彼にとってもナイトメアの恐怖は苦しかったのだろう。
「……気にするな。ミィクの力を借りるためだ。
それで、心当たりというのは?」
ナイトメアに視線を戻しつつ、期待半分で問う。
もう半分は諦念だ。ウーリのことをほとんど知らないミィクが答えを外しても失望しないように。
だが、ミィクの返答には迷いがなく、そして、苦いものを含むようだった。
「ええ。まず間違いなく、あれは……あのオリジナルは、シテアハネさまでしょう」
「――!? シテアハネって、あの!?」
「はい。魔界王シテアハネさま。君魔であり、魔界最強の魔物と称される人物です」
俺はハッと息を飲む。
信じたくなかった。
しかし同時に、納得もしてしまった。
ナイトメアの強さはミィクより上なのだ。そのオリジナルがシテアハネだったとしても不思議ではない。
「……ちなみに、証拠は?」
「あの特徴的な七対の黒翼。なにより、竜の首を操る攻撃方法……。そういう目で見れば、体格も一致します。言葉遣いや性格は異なりますし、恐怖を強制するといった能力もシテアハネさまにはないものですが、それは悪夢でしたか? 別人であるのなら当然でしょう」
「なるほど……あの翼と、攻撃方法の一致か。偶然にしてはできすぎている。それなら確定とみるべきか」
あれのオリジナルがシテアハネという情報は嬉しくないが、しかし情報源が見つかったのは幸運だろう。
「あれの弱点を知りたいんだが、シテアハネに弱点はないのか?」
「……シテアハネさまに弱点はありません。近遠両刀、武術も能力も魔力もすべて最高水準です。私では手も足も出ません。シテアハネさまが相手では、諦めるほかないでしょう」
なかば予想はしていたが、やはりそううまくはいかないか。
俺が気落ちを隠せずにいると、ミィクは言葉を続ける。
「ただ――」
「余への問答は終わりか?」
それは、ナイトメアの無感情な声に遮られた。
「勇敢なる青き鳥よ。資格は認めた。されば力を示せ。アレを守らんと欲するならば、余の恐怖に打ち克ってみせよ」
ナイトメアの一対の黒翼が大きく羽ばたく。
そうして、ナイトメアの背後の地面から絶望が起き上がった。
さらなる竜の首がゆらりと持ち上がり……その数、最初の一本に加えて――七本。
計八本の竜の首がゆらゆらと俺たちを見下ろしたのだ。
「……冗談じゃない」
たった一本でさえ、もう避けることは難しいのだ。
それが八本。……不可能だ。
俺が呆然と見上げる中、ふいに尻ポケットに何かが入る感触がある。
「――え?」
「公魔の証です。預けるので、私が無事に帰還したら返してください」
俺が何か言う前に、目の前できらりと光が走る。
何かと思えば、抜き身の刀だった。
偽りの太陽の光を受け、鈍色に輝く刀身。
その刃文はおよそ真っ直ぐで、こんな状況でありながら見惚れるほどに美しい。
刀に明るくない俺ですらわかるほどの神々しさは、その刀が業物であることを如実に物語っていた。
「次は私が相手をしましょう。貴女はその間に逃げてください」
俺の前に立ち、背中で語るミィク。
しかし、あまりに無謀。あの数の竜の頭に、業物であろうと刀一本で対応できるわけがない。
「待て、死ぬ気か? まず公魔の証とやらは返す。こういうのは縁起が悪い。確か死亡フラグとか言うんだ。それに、二人で逃げたほうがいい。あれの狙いをばらけさせれば、生存率は上がるはずだ。八本の竜を相手に一人では、すぐ死ぬぞ」
俺の言葉に、しかし答えたのはナイトメアだった。
「否。汝に資格なし」
言うやいなや、七本の竜の首が後退し、一本だけがその場に残る。
「余に一撃入れてみせよ。されば、次の試練を与えん」
……どうやらミィクに対しては、竜の頭は一つだけになるようだった。
それなら、ミィクも戦いながら逃げるべきだろう。
そう提案しようとして、しかしミィクが肩をすくめる。
「やれやれ、私も舐められたものです。さっき言えなかったことを改めて言いましょう」
ミィクは鞘を浮遊させて遠くに置くと、刀の柄を両手で持ち、中段に構える。
途端、彼から戦意が吹き出す。当てられた肌がピリピリとひりつく。
直後、その刀気とでもいうべき戦意が彼の内側へと静かに収束していく。
……ぞっとするほど見事な構えだった。
背後に立っている俺ですら、彼の隙を見いだせない。俺の最速の走りであっても対応され、両断されそうな気がしてしまう。
何気ない立ち姿に、あらゆる刀技が集約されている。
今やその姿からはさっきまでの恐怖など微塵も感じさせない。彼の構えは穏やかでありながら、触れれば斬れるほどに研ぎ澄まされた刀身のようだった。
「確かに、私ではシテアハネさまには手も足も出ません。
ただ――あれは、過去のシテアハネさま。それもコピーときたものです。であれば、私が手も足も出ないのか、あるいはこの刃が届くかは、試してみなければわからないと思いませんか?」
……今の彼になら任せられるかもしれないと思った。
できれば公魔の証は返したかったが、ポケットに入れられたものは仕方がない。俺では取り出せないのでこのまま所持しておくとして、あとは俺だけで逃げるかどうかだ。
ミィクを見捨てるようなことはしたくないが、しかし彼には自信があるように見える。そもそも、彼が自分を犠牲にしてまで俺を助けようとするとは思えない。彼は自分の安全を最優先するに違いない人物だ。つまり、なんらかの策があるのだろう。
それに現状、八本の竜の首を相手にするよりはマシだ。八本を相手に逃げるとすれば、たとえミィクと半分に分けたとしても四本。避けられるとはとても思えない。それなら俺だけ先に逃げ、あとはミィクが一本の竜の首を相手にしながら臨機応変に後退するのがいいかもしれない。なにより、俺には見せたくない能力もあることだろう。
時間もない。俺は一瞬で判断すると、彼に声をかける。
「必ず戻ってきてくれ」
「ええ、そのつもりです。私もサミットで新しい刀を愛でるまでは死ねませんし、第一、安全に逃げる能力には自信がありますから」
どことなく死亡フラグのようなことを言ってくるが、彼は実力者だ、きっと大丈夫だと信じることにする。
俺は[風亡]を発動させると、すぐに駆けだした。
「……待たせました。それでは始めましょうか。旅は道連れ世は情け。たまにはシテアハネさまの幻影と戦うのも一興でしょう。
一応名乗っておきましょうか。第四公魔のミィクです」
「……余はナイトメア」
「では、行きます」
「――穿つ竜頭」
「――最速の斬撃」
駆ける俺の後方で、ズゥンと地響きが鳴り響く。
一瞬だけ振り返れば、丘の上で刀を構えたままのミィクと、その横で真っ二つに割かれて倒れ伏す竜の頭があった。
「……」
きっと、彼なら大丈夫だろう。
……いや、たとえ大丈夫でなかったとしても、ここで引き返すわけにはいかない。俺には、ナイトメアを倒してウーリを恐怖から解放するという信念がある。そのためには彼を見捨てることになっても立ち止まることはできない。優先順位を間違えてはいけない。ミィクよりウーリのほうが大事なのだ。
俺は自分の力不足を悔やみながらも前を向くと、脇目も振らず前方の警戒だけを行って全力で駆け抜けていくのだった。




