28話 刀の公魔と出会い
二キロメートル先の丘の上に姿を現した人影を認めた途端、背筋が震えあがった。
「――ははっ」
なぜか、笑えてくる。
あるいは、笑わずにはいられない。
この距離からでもわかる。
一目見ただけで理解した。
彼は、俺のこれまでの人生の中でもずば抜けて……強い。
いや、認めよう。彼が……最強だと。
視認する前から薄々感づいてはいたが、今やハッキリと感知できる。静かで、落ち着いているが……そこだけ歪むかのような底なしの魔力密度。
そもそも、モジャモジャの魔物やツリ目男といった大魔ですら俺ではその魔力を測れなかったが、それでもこれだけはわかる。彼の魔力は大魔の比ではない。数倍、いや数十倍か、そんなレベル。
間違いなく、それこそが公魔。まさに魔物の王とでもいうべき存在。その魔力を感じるだけで、脱力して膝をついてしまいたくなる。
しかし、しかし……それだけなら、まだやりあえたかもしれない。今までだって、魔力で負ける相手に勝ってきた。野魔にも、大魔にも。それなら公魔が相手でも、怯む理由にはならなかった。
なにより、魔術では負けても武術では勝てるという自信が俺を支えていた。
だが……。
彼の歩みは、自然で優雅な足取りながら、一切の隙を見いだせない。ただ歩くという所作が、彼が武術の達人だと証明している。まるで歩いてくるだけで壁が迫って来るようなプレッシャー。それは前世の老公と同等……いや、それを超えている。これほどの使い手がこの世に存在していたなんて、と畏怖にも似た気持ちとともに感動すら覚えてしまう。
彼の隣に浮遊している、反りのある細長い鞘に入った得物を見るに、おそらく刀を使う剣士だろう。隙がないというのはつまり、斬られるというイメージしか湧かないことを指す。浮遊して手元から離れているにもかかわらず、いつでも抜刀できるという直感。いくら高速で近づこうが体勢を崩せる気がしない。気がつけば斬り捨てられている。そのイメージだけが脳裏を埋め尽くす。
武術においても、最高峰なのだ。
魔物であるなら魔物らしく、その莫大な魔力と強大な魔術を武器とするものではないのか?
なぜ魔物の中でも化け物のようなあれが、最高峰の武術すら身に着けているんだ?
魔術と武術の両方をそれぞれ最高レベルまで極めている彼を相手に、俺はどう戦えばいいというのだろう。
数分前にウーリが、強そうだから逃げるかと聞いてきたのもよくわかる。こんなことなら逃げるべきだったのかもしれない。
何かあってもウーリの転移で逃げればいいかと思っていたが、果たしてそれが通用するかどうか。
あっと思ったときには刀で首をはねられているということも充分にありうる。俺の[意識感知]があっても不安だ。それほどの相手なのだ。
口内が乾くのでつばを飲み込み、口を開く。
「……ウーリ。あれは俺たちに危害を加えると思う? つまり、逃げたほうがいいかウーリの考えを聞きたい」
空になっているウーリへと俺は尋ねた。
今すぐ転移で逃げるべきか、判断がつかなかったのだ。
確かにあれは強い。寒くもないのに背筋が震えるほどだ。
だが……相手に敵意は微塵もなかった。
俺が視認すると同時に、向こうからもこちらへと向けられた意識。
しかしそこに含まれる感情は、少しの喜色と期待だけだった。
敵意や害意などは全くない。
……警戒心すらないのはそれだけ俺たちのことを脅威に思っていないということなのだろうが、まあそれはいい。それだけの実力差があるのは俺も認めるところだ。
その雰囲気も、よく見れば優男のそれ。
長めの髪は無造作に整えられていて、その表情は穏やかなもの。
すらりと背の高い二十代後半といった印象で、そのゆったりとした歩きは彼の穏やかさを表しているようだ。そもそも武術を修めている者はどこかストイックで真面目なところがある。好戦的なタイプも確かにいるが、彼はそれとは異なるように見受けられる。
それに、彼は黒いコート……それもスーツのような正装を思わせる意匠のものを身に着けている。戦闘を目的にしているというより、なんらかの事務的な用事があって、恐ろしいことにあれほどの使い手が出張ってきているという印象だ。
それだけ理知的な人物だろうし、話も通じるだろう。
少なくとも獣とは決して違う。強いから逃げると判断するには理由が乏しかった。
ただ、俺だけでそう判断するのは不安が残る。
万が一があっては怖い。
その点、ウーリの人を見る目は信頼できる。俺に対する初対面の対応しかり、なによりあのラウレを見出したことが大きい。
ウーリの判断次第では、すぐに転移で逃げようとは思うが……。
「たぶん大丈夫だと思ぅ。あまり興味がなさそぉ」
「……そうか。それなら、このまま会おう。相手の目的も聞いておきたいしな。ウーリはそのまま空で待機で。もし万が一、危ない状況になったら転移で俺たちを逃がしてくれる?」
「わかったぁ」
興味がなさそうという言葉には首を傾げそうになったが、きっとウーリ独特の感覚があるのだろう。
俺は決断してウーリとの会話を終えると、俺の後ろで緊張しているラウレへと顔は向けずに声をかける。
「強者特有のプレッシャーもあるが、男だしな。ラウレは対応しなくていい。できるだけ俺だけで話はするから」
「……ありがとう。申し訳ないけど、そうさせてもらうね」
「ああ、気にしないでくれ。逃げずに会うと決めたのは俺だからな、もともとの責任は俺にある」
「ううん、目的を聞くのは大事なことだよ。公魔がウーリトゥーリの領域を訪ねるという話は聞いたことあるけど、でもその目的はウーリトゥーリと戦うためとか、木材や羊毛の採集とか、そこらへんだからね。単身で、あんな格好で来るのはボクも疑問だから、確認する必要はあったと思う。その役割をイスハに押しつけちゃってごめんね」
「単に適材適所だ。気にするな。それよりも……」
ラウレの気を逸らすため、ではなく単純に疑問に思ったので尋ねる。
こちらに歩いてきている彼を前にして、公魔最強という言葉が脳裏によぎったのだ。
「ウーリって、公魔最強と噂されていたんだよな? もちろんウーリの真骨頂がこの夢界で、その万能性にあるのはわかっているんだが、純粋な強さなら彼のほうが上に思える。彼みたいなのがいて、どうしてウーリが公魔最強と噂されていたんだ?」
考えてみれば……ウーリの万能性はある程度知られているのだから、その強さまで最強とみなされるのは少し不自然だ。万能かつ最強なんて、どれだけウーリを持ち上げるのかということになる。
もちろん彼のことを世間が認識していなかったという可能性はあるが、しかし公魔最強と噂される理由が他にあってもおかしくない。
ラウレのことだからその理由も知っているのではないかと思ったが、果たしてラウレは淀みなく答えた。
「確かに、強さでいえば他に候補はいるよ。えっと、“魔界王シテアハネ”の配下が有力で、その一番手か二番手が公魔最強なんじゃないかって言われていたかな」
「魔界王シテアハネの配下? それなら配下じゃなくて、その、シテアハネってのが公魔最強じゃないのか?」
「シテアハネは君魔なんだ。えっと、公魔の上で、前にも説明したけど魔物の階級の中でも最上位の存在だよ。だから、そもそも公魔最強の議論には入っていないんだ。ちなみにシテアハネは、魔界の中で一番強いって噂だよ」
「……マジか」
そりゃあ、上には上がいるだろうが……現実として、今もこちらに向かってきている彼より強いと思うとぞっとする。さすがにそんなのが何人もいたらヤバすぎるが……。
「その君魔っていうのは、他に何人いるんだ?」
「ボクが聞いた話では、魔界王シテアハネの他には一人だけ。一人というか、一個体というか……群で一個体という“超個体ブブ”っていうのがもう一つの君魔だよ。人型じゃなくて虫型らしいね」
「……そうか」
――虫。生理的に俺とは相容れない生物。
君魔かつ虫で、しかも群とかヤバい。俺との相性が悪すぎる。あんな気持ち悪い見た目で、強くて数が多いなんて悪夢だ。史上最強最悪の相手だ。
いや、最強はシテアハネだったか。……ってそんなことは今はどうでもいいんだ。話を戻そう。
「それで、ウーリが……いや、彼に聞かれるのはマズイから呼び方を変えておこう。ウーリトゥーリが公魔最強と噂される理由は? シテアハネの配下が有力ってことだが、それならウーリトゥーリは公魔最強にはならないんじゃないか?」
いまだに一キロメートル以上離れてはいるが、着実にこちらへと歩いてきている相手を見つめたままラウレに問う。
「うん。普通ならシテアハネの配下が最強ってところで話は終わりだよ。特にウーリちゃ……ウーリトゥーリって正体不明だからね、具体的な強さがわからないのに、“最強”の議論の対象になるはずがないんだよね。
それなのに噂されているのにはちゃんと理由があってね……魔界王シテアハネが、ウーリトゥーリとの敵対行為、およびウーリトゥーリの領域への進入を配下に禁じたんだよ」
「それは……なぜ?」
「ハッキリとしたことはわかっていないんだ。だからこれも噂なんだけどね、シテアハネはウーリトゥーリを警戒したんじゃないかって。ウーリトゥーリの領域内では自分の配下すら負ける可能性があるとみて、進入まで禁じたんじゃないかって」
「……なるほど、一応筋は通っているか」
飛躍した考えではあるが、しかし不干渉を貫く理由として警戒というのは納得できる。
「もしそれが本当なら、過去にシテアハネとウーリトゥーリの間に何かあったのかもしれないな」
「うん。まあ、真意はシテアハネ本人に聞かないとわからないけどね。
とにかくそういうわけで、シテアハネの配下でもウーリトゥーリには敵わないんじゃないかっていう噂があって……公魔最強っていうのはそこからきているよ」
なるほど、理解はした。だが……。
「結局、憶測を根拠にした噂か。彼を見るに、ウーリトゥーリより強くても不思議じゃないな」
「うん……そうだね」
「というか、彼に関する情報はない? 彼ほどの使い手なら有名になっていそうだが」
「えっと……ごめんね、もしかしたら名前を聞いたらわかるかもしれないけど、容姿まではあまり記憶していなかったから……」
「いや、聞いてみただけだ。気にしないでくれ」
俺は軽い調子で伝え、それから口をつぐむ。
ラウレも伝えることがなくなったのだろう。沈黙を守った。
……もし戦闘になったら。
その不安を、瞑想と信念で受け流す。
幸いにも、彼の様子からしてただちに戦闘になる気配はないが、しかしだからといって戦闘の可能性は否定できない。これからの会話で彼の様子が急変しないとも限らないのだ。
そのときは……もちろんウーリの転移を頼りにするが、俺も動かなければならない。少なくとも初撃はかわさなければ、即死してもおかしくない。
できれば[負爆]のために圧縮空気を用意しておきたいところだが、それをすると戦意ありとみなされても文句は言えない。すなわち、魔術の発動待機は厳しい。
まあ、それは相手も同じだ。魔術の発動の兆候があれば、俺も感知して対応できる。
最も警戒しなければならないのは、純粋な武術による奇襲。
そうなれば、俺が頼れるのは[意識感知]のみだ。
そして、それはこれまでと変わらない。
……大丈夫だ。今まで通りで、問題ない。
俺はそのことを確認すると、身体の震えが弱まるのを感じた。
……まあ、信念を掲げれば、恐怖があろうと身体を動かせる。わざわざ慰めるまでもない。
俺のやることは同じだ。信念的に、そして臨機応変。
願わくば……ウーリの敵にはなってくれるな。
刀を浮遊させてゆったりと歩く黒服の公魔が到着するまで、俺たちは緊張感を保ったまま、さらさらと風に吹かれる草の音を聞きながらただじっと待つのだった。
三メートルほどの距離までゆったりとした歩調を崩さずに歩いてきたその公魔は、ピタリと立ち止まるとかすかに微笑み、柔らかな声で話しかけてくる。
「警戒させてしまい申し訳ありません。戦闘の意思はないので、どうぞ気楽に」
彼は優雅に、自然な振る舞いで両手を広げてみせた。
そこに見下したり蔑んだりといった意識はなく、騙そうという感じでもない。
しかしその一方で、声音ほど思いやるような意識でもなく、淡泊なもの。どこか儀礼的な印象を受ける。
処世術の一つなのかもしれないが、なんにせよ警戒を解く理由にはならない。
たとえ戦闘の意思がないのだとしても、見知らぬ者同士、いきなり信頼できるわけもなく、彼にしたところで隙を見せてはいない。
俺は警戒したまま、しかし表面上は気さくに見えるように返答する。
「その言葉、信用しよう。俺たちも戦いは望まないからな。
それで、目的を聞かせてほしい。こちらに一直線に向かってきたってことは、俺たちに何か用事があるんだろう?」
俺の言葉に彼は穏やかな表情を変えないまま、しかしわずかに満足そうな意識を向けてきた。
「ええ。話のわかる方で助かります。
私は第四公魔のミィク。このたびはウーリトゥーリさまと交渉したく、この地を訪れました」
「……フォースロード?」
直訳すれば、四番目の公魔だろうか?
その疑問を大げさに表現するように、首を傾げてみせる。内心では、ウーリトゥーリとの交渉と聞いて少し動揺していた。
彼の強さばかり警戒してしまい、ウーリ本人との交渉の可能性を考えていなかった。驚きの色が目に表れそうになったが、うまく隠せただろうか……。
俺の心配をよそに、彼、ミィクはゆったりとした調子で続けた。
幸運にも俺の不自然さには気づいていない様子で、しかしそれ以上に……俺を驚愕させる言葉をはらんで。
「おや、第四公魔では通じませんか。それならこちらの通り名のほうが、有名かもしれません。
私、辺境ではこう呼ばれています。――刀の魔王、と」




