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1話 信念に殉じて

 それはため息が出るほどに静かな敵意だった。


 シンと音の消えた道場。

 国中から集まった名だたる師範が壁際に立ち並ぶ中、俺は老公と対峙していた。


 枯れ木のようでいとも容易く折れそうな身体。

 その外見からは想像しにくいが、彼はとある古武道の有名人で『生ける伝説』やら『生ける達人』やら呼ばれている。


 古武道の流派は技術漏洩を防ぐために他流試合を禁じることが多いのだが、彼はその逆、古武道の再興のために積極的にメディアに露出し、現代武道の世界一を取った選手などと試合して全勝している猛者だ。

 負けた対戦相手のコメントをテレビで見たことがあるが、それによればまるで自然と戦っているようだったという。呼吸が読めず取っ掛かりがつかめず、気がつけばやられていたと話していた。

 不敗の老公は達人の中の達人で、世界最強といっても過言ではないかもしれない。


 俺は力の誇示に興味はない。

 高校生のときに全国大会で優勝して以降、ひっそりと自分の力を磨き続けてきた。


 世界最強の達人と戦うつもりはなかったのだが、どこからか俺のことが彼に漏れたらしい。

 うちの道場は特殊で定期的に他流試合を組むのだが、そこで快勝しかしない俺のことは一部では有名らしく、あれよあれよと場が整ってしまい、こうして老公と立ち合っているわけだ。


 開始の合図があってから、俺と老公は動かない。

 技術は老公が上だが俺もそれなりだ。技術が一定値を上回ると、技を見てからの回避はできなくなる。

 そうなると重要なのは『読み』だ。

 達人同士の戦いでは技術の差ではなく読みの差で勝負が決まる。


 だからいかに相手の“意”つまり意識を読むかにかかっているのだが……なるほど、老公は意識をよく隠している。

 まるでそこに存在しないかのような自然体。これではどこから攻めればいいかわからない、と思うだろう。

 そしてこちらの呼吸が乱れた瞬間、虚をつかれて負けるというわけか。


 ただ……残念ながら、俺にそれは通用しない。いかに意識を隠そうと無意味だ。


 俺は意識を感知・・できる。

 老公の拡散された敵意を肌で感じ取れる。


 読み合いの舞台に俺は立っていない。

 俺だけが相手の意識を読まずとも知ることができる。

 こうなると反射神経の問題だ。技を見てから回避はできないが、意識を知ってから回避はできる。


 とはいえ、老公からのプレッシャーに汗がにじむ。

 不動の崖を前にしているような圧迫感。経験と技術の差で、攻めの取っ掛かりを見いだせないのだ。


 ただ……俺に焦りや動揺はなく、隙はない。

 俺だけ一方的に相手の心を読めるようなものなので、落ち着いていられるのは当然なのだが、老公もさすが年季が入っているだけあって、我慢強く、乱れがない。

 ゆえに場が膠着する。


 ……ああ、こんな実もない戦いはさっさと終わらせよう。

 俺は冷めた気持ちでそう思った。


 俺は起こりを見せずに踏み出した。

 身体に最適化された動きで間合いをつめる。


 筋力のリミッターは外さない。無駄を省けば人間の力でも充分に速いからだ。


 一瞬で老公の懐に潜り込んだ。この時点で俺に攻撃の意識はない。

 それならなぜ近づいたかといえば、あくまで“崩し”のためだ。

 この近距離において、膠着はありえない。交差する互いの意識。老公はカウンターを意図し、俺はそれに合わせてカウンターを入れる。


 老公の驚愕。

 それでも俺の技が綺麗に決まらなかったのは経験の差か。

 老公は後方に大きく吹き飛ぶが、打点をずらされている。実戦だと致命傷にはならない。

 だがこれは試合だ。今ので一本。この試合は二本先取なのでまだ続く。


 互いに距離を取って再開する。

 技術も読み合いも老公が上。しかし意識感知により読み合いを反射神経の勝負に入れ替えて上回る俺。

 

 二本目は、老公が観察のためか守りに入ったため打ち合いが続くも、老公が仕掛けた死角からの攻撃を俺が意識感知で正確に避け、カウンターを決めたことで終わった。

 そのときも打点をずらされたのはさすがとしか言いようがない。

 まあ、意識感知があるとはいえ俺はまだ二十七歳だし、八十歳を超える老公に完勝できなくてもしょうがないだろう。

 ともかく、二本。試合は俺の勝ちだった。


 礼の作法のあと、久方ぶりにかいていた汗をぬぐう。

 同時に、ドッと周囲から歓声が湧き上がる。


 無敗の老公に無名の若輩である俺が勝ったのだ。俺は自分の強さを実感して少しだけ達成感を味わい、そして……無感動に周囲の称賛を受け流した。


 こんな……大切なものが懸かっていない戦いで勝ってどうなるというのか。

 俺は下の妹ウミが守れればそれでいい。ウミを守ることだけが、俺が強さを求める目的だ。


 ……しかし、もうウミも高校生で、交通に注意したり夜の外出を控えたりといった危機管理能力は身についている。

 俺もここまで強くなったが、そろそろ不要だろう。身の振り方を考えるべきかもしれない。

 良い人を見つけなさいと母がうるさいしな。達人に勝つよりそっちのほうが難しいというのに。


 俺は立ち合った老公や見届け人となった師範たちに無難な対応をしつつ、彼らからの称賛に背を向け道場を後にした。




 それは運命だったのかもしれない。

 なんにせよ、俺にふさわしい“最期”だったと思う。


 老公との立ち合いを終えた帰り道のこと。

 平日の午後、おやつどきとも言える時間帯で、普段なら車の交通量は少ないのだが、車道は渋滞気味だった。

 どうやら先のほうで事故があったらしく、思うように進んでいない。

 俺がぼんやりと、反対車線の見通しが悪いなと思っていたときだった。


 小学二年生くらいの幼女が、横断しようとしていた。

 車の列の間に入りこむ幼女。そのまま反対車線を渡るつもりだろう。

 だが……反対車線を猛スピードで走ってくる乗用車。


 俺は反射的に駆け出していた。


 上の妹ソラのときも同じだった。

 交通事故で死亡する幼女。それは俺のトラウマを刺激してあまりある。


 当時五歳のソラは……交通事故で亡くなった。

 八歳だった俺の目の前で、車にはねられて。


 妹の手を引いて渡った交差点。母の緊迫した声と自動車のブレーキ音。

 それがこちらに向かってくる車の音だとは気づきもせず、妹を握っていた手が急に振り切れて手放し……。


 トラウマだ。

 八歳の俺は失意のどん底に突き落とされた。


 俺はそこから這い上がるために、ソラを守れた自分を目指した。

 トラウマを乗り越えるために、いや、すがりつくものを求めて、そういう信念を作らざるをえなかった。


 下の妹ウミが生まれてからは、信念はウミを守ることに変わった。


 そして今、見ず知らずの幼女に俺は上の妹ソラの面影を重ねてしまっていた。

 これを見過ごすことなんてできるはずがなかった。


 とはいえ、幼女が反対車線に飛び出すとは限らない。車の列が邪魔で幼女の動きが見えないのだ。

 それが余計に状況を悪くしていた。


 時間はない。出し惜しみなどしていられない。

 筋肉のリミッターを外す。人間離れした速度で歩道を駆け、幼女が入っていった車の列の間を目指す。


 ……ダメだ、ギリギリ間に合わない。もし幼女が反対車線に飛び出していたら、俺は目の前でひかれるところを目撃するだろう。それならいっそ諦めるか? 

 その選択肢は……ありえない。幼女を守ることはもはや信念だ。

 これを守れなければ、俺はトラウマを繰り返すだろう。それは俺の二十数年に及ぶ鍛錬の日々と人生を全否定することに繋がる。

 ここで守れなければ、俺は『俺』じゃない。


 ――すっと覚悟を決めた。


 幼女のあとを追って車の列に入る。その際、直角に曲がれるわけもないので前の車の後部を踏みつけて三角跳びする。

 ベコンと大きな音を立てて車体がへこみ、車が少し前進する。いい迷惑だろうが、幼女を救うためだ、目をつぶってほしい。


 肝心の幼女は、反対車線に飛び出していた。

 俺はあとを追った。


 ギリギリ間に合わないタイミングだった。

 だからこそ俺は、足の靭帯がちぎれるのも構わずに、身体の限界を超えて最後の踏み込みを行った。


 滞空の状態で精一杯に手を伸ばして幼女を引き寄せ、抱きかかえる。

 受け身を取る余裕はもちろんない。捨て身だからこそ間に合ったのだ。


 直後、身体がバラバラになりそうな衝撃を受け、俺は幼女を守るクッションとなりながら大きく宙を舞った。


 地面に叩きつけられる。……頚椎が折れたのか、身体の感覚が全くない。

 朦朧とする中、腕の中で幼女の鼓動を聞く。

 それによればどうやら幼女は助かっているらしかった。


 ……下の妹ウミを残して逝くのは少し気がかりだが、まあ、ウミももう高校生だ。一人でも大丈夫だろう。


 走馬灯が流れていく。

 上の妹ソラを守れなかったことから始まった。

 俺の人生はトラウマとともにあり、信念を守るためだけにあった。

 最期には、幼女を守れた。それは幸せなことではないだろうか。


 そう思おうとし、ふと、寂しさを感じた。


 ……俺は孤独だった。信念への理解者はおらず、ただ強さばかりが称賛された。

 悔いはない。ただ、寂しいだけだ。


 俺は自嘲気味に笑うと、身体の制御を手放して意識を落とした。




 ――享年二十八歳。

 その最期は、信念に殉じるという俺らしいものだった。


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